3話 ようこそシグマ学園へ
「ようこそ、シグマの世界へ」
それからの日々はあっという間だった。
入学書類に署名をし、スーツの男に家まで車で送ってもらった。
数週間家を空けていたことを両親にとやかく言われるかと思っていたがそんなことはなく、むしろ俺が通うことになったシグマ学園に関して好意的だった。
制服が可愛いからお母さんが若ければ着たかっただの、シグマ学園の卒業生はわりといい企業に就職しているからよかったなだの、当の本人である俺よりはしゃいでいた。
ただ、俺は後から知ったのだがシグマ学園は全寮制で、長期休暇の時にしか家に帰って来られないらしい。
なるほど、これが誓約書にサインしなかった俺が事件の秘密を喋らないための対策ということなのか。
15年間世話になった両親とこの家にしばらく会えないのかと思うと、思春期真っ盛りの俺もさすがに寂しさを覚えた。
最後の日の晩は、どうしてもと言うのでリビングに布団を敷いて狭い中3人で寝た。
今生の別れになるわけでもあるまいに、と思ったが、両親も俺が思ったより早く家を巣立つことが寂しくもあったんだろう。
「よし、じゃあ行ってくる」
両親に別れを告げ、家を出た。
玄関の前に黒い車が止まっている。
「岡本宗一郎さんですね。学園までお送りします、乗ってください」
俺は車に乗り込んだ。
勝手に決められた高校入学。それでも俺は新しい生活を送れることにワクワクしていた。
騙されているだけかもしれないが両親のシグマ学園への反応もいいし、誓約書にサインしなかった俺に恐喝も一切せず根気強く待ってくれていた企業が紹介してくれた学校だ。きっと楽しい学園生活になるに決まっている。
「……」
次第に景色が知らないものに変わっていく。潮の匂いがしてきた。どうやら海の方面に向かっているらしい。
こんなところに学校があったのか。俺は車外を興味深く見渡した。
やがて、「訓練施設」と書かれた看板が見えてくる。
車は関係者以外立ち入り禁止と書かれたゲートをくぐった。
「え・・・」
この先に本当に学校があるのか?不安に思っていると運転手が話しかけてきた。
「もうすぐ見えますよ」
突然視界が開け、海の上に巨大な城が現れた。
「これが、シグマ学園です!」
「えっ、これが?」
どう見ても西洋の城だ。
圧倒されている間に車が停車した。
「それでは楽しい学園生活を」
運転手はそう言い、俺を残して走り去る。
これから始まるのか、新しい学校生活が。
そう思うと急に不安になって来た。
思えば今まで知らない人間が誰もいない場所に放り込まれるなんて経験したことがない。
小学校に入る前のことは思い出せないが、小中と少なくともクラスは別でも同じ学校内に友人と呼べる人間はいた。
今更ながらそれが心の支えになっていたことに気づかされる。
やっべ・・・。初対面の人間にどうやって話しかけるんだっけ?
俺、やっていけるのかなぁ・・・。
「岡本宗一郎君ね」
その場から一歩も動けなかった俺に声がかけられた。
「初めまして。今日からあなたの担任の、増田美鈴です」
「ああ、どうも。初めまして――」
俺は声の主に挨拶するために顔を上げた。
見覚えがある……気がした。
一体どこで?
「どうしたの?」
「いえ」
「そう?じゃあクラスまで案内するわ。行きましょう」
「はい」
俺は担任であるらしい女をどこで見たのか思い出しながら後に続く。
「高等部からのうちの学校に入ってくる子なんて珍しいから、緊張しちゃうわ」
「そうなんですか?」
「ええ。大体の子が初等部からここにいる生徒ばかりだもの」
そういえば、シグマ学園は初等部から高等部まであるってパンフレットに書いてあったような……。
「だからわからないことがあったら何でも聞いてね」
「ありがとうございます」
「さて、と。じゃあ心の準備はいい?教室入るわよ?」
「はい」
担任、増田美鈴は教室の扉に手をかけた。
「おはよう。ホームルーム始めるわよ」
先生の声で生徒たちはガタガタと席につき、静かになる。
「えー、今日は転校生を紹介します。入って」
「はい」
「じゃあ名前と得意なシグマを」
「え?」
「ん?どうしたの?」
「得意なシグマ?って何ですか」
俺の声に周りがざわつく。
「あー、えーと。静かに!!岡本君、名前。名前」
「あ、はい。岡本宗一郎です。よろしくお願いします」
「じゃあ、岡本君の席はあそこね。はい、じゃあいつものように先生のありがたいお話からね。先週の話なんだけど――」
「おい」
俺が席に着くと、隣の奴が小声で話しかけてきた。
「お前、マジでシグマ知らねぇの?」
「は?学校の名前じゃないのか、シグマって」
「マジかよ。お前何者?」
興味津々な顔で聞いてくるそいつ。
「さっき名乗っただろ、岡本宗一郎。そういうお前は誰なんだよ」
「俺?俺は来栖未来。それにしてもシグマ知らないやつがうちに入ってくるなんてな」
そいつは楽しそうに笑った。
何だか馬鹿にされた気分だ。
「そんな顔するなよ。後でちゃんと教えてやるから」
悪い奴ではなさそう……なのか?
何にせよ、知らないことを教えてくれる人間ってのはありがたい。
俺はホームルームが終わるのを待つことにした。
そしてホームルームが終わり、俺の机の周りに一斉に人が集まってくる。
俺は質問攻めに遭っていた。
「何でうちの学校に来たの?」
「シグマのこと知らないの?」
「高等部からの転入生なんて珍しい」
「普通の学校生活ってどんなの?」
要約すると大体こんなようなことだった。
「はいはいストップストップ。こいつは俺と先約があるからあとでね」
来栖が輪に割って入って来た。
「よし、行くぞ」
「え、でもこれから授業なんじゃ……」
「ちょっとくらい大丈夫だって。シグマのこと知りたいんだろ?」
「そりゃそうだけど……」
「じゃ、行くぞ」
俺は仕方なく席を立ち、来栖の後に続いた。
連れていかれたのは屋上のようだった。
「で?何でうちに入れた」
来栖の不躾な質問に少しムッとする。
「シグマのこと教えてくれるんじゃなかったのかよ」
「すまんすまん。気になってつい」
そう言って来栖は胸元で掌を上に向けた。
ボッという音とともに掌の上で赤い炎が燃え上がる。
「シグマってのはこういう風に、自然界の元素を操る力のことを言う」
「な……」
何の手品だ。そう聞こうとしたが声が上手く出なかった。
「まあ、操り方はいろいろあるけど、大体は体の中に血液とは違うC力っていうシグマの源が流れていて、それをエネルギーに変換して使ってる」
何を言っているんだこいつは。
「まあ、ファンタジーで言うと魔法みたいなものだな。火を操ったり、水を操ったり、そんなものをイメージするといい」
「C力ってのはどんな人間でも持ってるものなんだ。だけど、流れてる量に違いがある。C力が一定の数値を超えた人間は、シグマ能力保持者として国から認められてここで力の制御を学ぶことになってる」
「まあ、C力が一定の数値を超えなくても親がシグマ能力者とか、いろんな理由でこの学校に通うやつは確かにいる。けど、そういう場合はシグマについてある程度理解してるんだ。だから、まったく何も知らないやつがこの学校にいるのが異質なんだ」
話についていけない。
「俺はシグマのこと話したぞ。今度はお前の番だ」
「俺の番って言われても……。俺はただ、ファミレスで殺されそうになったところを助けられて……。事件のこと口外するなって書類にサインしなかったら、ここ紹介されたってだけだ」
「何だそれ」
「俺もそう思ってるよ」
「ファミレスで殺されそうになったって、相手はもしかしてシグマ能力者か?」
「どうだろう……。確かに、突然電球が割れて……犯人が手ぶらだったから捕まえようとしたら謎の力で吹き飛ばされたけど……」
「ああ、なるほど。そりゃ多分シグマだ。ここの学校紹介されたなら、シグマ関係の事件だったんだろ」
「そう……なのかな」
あまりにも非現実的なことで理解できない。
シグマってのは魔法みたいなもので、ここはその力の制御を学ぶ場所で、その力を使ってるやつを目撃したことを黙ってるよう書かれた誓約書にサインをしなかったせいでここに連れてこられた……?
何だそれ、漫画か何かか?
「まぁここに来たのも何かの縁だし、シグマのせいで怖い目に遭ったのかもしれねぇけど、どうせ卒業するまでここから逃げられねぇんだ。楽しもうぜ」
「授業にいないと思ったら、転入生連れ出して何やってんだ!!」
「げっ。美鈴」
「美鈴じゃないでしょ。美鈴先生でしょ。いくら無茶しても退学させられないからってサボりはいかんねぇ。ほら、さっさと教室戻る!!」
「はーい」
「あ、岡本君。岡本君はこれからC力測定があるからついてきてね」
「……わかりました」
視力測定ではなくC力測定なんだろう。
嘘みたいな話だが、来栖の言ったことは本当らしい。
ちょうどいい機会だ。先生にもシグマについて聞いてみよう。
俺は混乱する気持ちを切り替え、増田先生に続いた。