2話 サイン
「みつき・・・?」
「宗一郎」
それはまさしく運命の出会いだった。
7年前に引っ越した幼馴染。それが今目の前にいる。
なぜ。どうして。
「やっと会えたな。でも、悪い。僕はもう行かなくちゃ」
彼女は俺に引っ越しを告げたときと同じ顔をしてそう言った。
「待てよ!」
思わず手を掴む。細い手首は強い力を込めると折れそうだった。
俺は立ち上がり、彼女を見つめた。
立ち上がると見上げる形になっていた視線が見下ろす形になる。
あの頃は同じくらいの身長だったのに。
「何?」
俺を見上げるみつき。不覚にも可愛いと思ってしまった。
「いや、その・・・」
言いたいことはたくさんあった。
懐かしいとか、今までどうしていたのかとか、俺の家族のこととか、俺のこととか。
でも、一番聞きたいことは決まっていた。
「何で、ここにいる」
「何で、とは」
「俺を助けてくれたのはみつきだろ。何で、どうして、どうやって!」
「落ち着け、宗一郎」
みつきはそう言って俺をたしなめた。
「申し訳ないが、それを教えることはできない」
「何でだよ」
俺の問いにみつきは答えなかった。
「霧島さん、そろそろ」
スーツ姿の女性がみつきに声をかける。
「わかった」
みつきは返事をし、彼女の手を掴む俺の手をそっと剥がした。
「宗一郎。約束、覚えてるか?」
「約束?」
「・・・いや、いいんだ」
彼女はそれだけ言うと、俺の元を離れてスーツ姿の女性の元へ向かった。
そのあとの俺はというと、保護という形で武装した男たちにどこかの会社に連れていかれ、誓約書なるものを書かされた。
この事件を他人に話さないこと、広めないこと、詮索しないこと、すべて忘れること。
まとめるとこんなことが書かれていた。
そんなの納得できるか!こんなの絶対何かあるだろ。
「何でこの書類にサインしなきゃいけないんですか?」
「これからあの犯人の男は裁判にかけられる。変な尾ひれがつかないように、裁判まで情報を黙っていてほしいんですよ」
「犯人のためってことですか?」
「そういうわけじゃない。真実を捻じ曲げられたら困るってことです」
「真実?」
「あなたが見たままのものです」
「突然電球が割れたり、触れてないのに吹き飛ばされたり?」
俺の言葉に、スーツ姿の男はピクリと眉を動かした。
しかし平静を装って答える。
「へえ。そんなことがあったんですね」
白々しい。
「知ってるから隠そうとしてるんじゃないんですか?」
「まさか。そんなオカルト的なことが起こっているなんて知りませんでしたよ」
「俺の頭がおかしくなったって言いたいんですか?」
「そうかもしれませんね。事故のショックで幻覚を見た、とか」
そんなはずはない。
そう言おうとしたが、確かにあんなに都合よく幼馴染が登場するものなのか?
もしかして、本当に俺が見た幻想・・・?
「何にせよ、あなたは殺されかけたんです。ショックを受けていてもおかしくはありません。サインもゆっくりでいいですよ。ただし、サインしていただけるまではお帰しできませんけど」
「他の人はサインしたんですか?」
「ええ」
俺の友人のあいつらも?
「不思議ですか?」
「まぁ」
こんなこと口止めされるなんて変だし、大体黙っておくメリットがない。
「世の中には知らない方が幸せな人生を送れることって言うのがあるんです。これはその類のものです」
それもう答えじゃないか。
この世の中には俺の知らない超能力的な何かがあるって認めてるようなもんじゃないか。
「それに首を突っ込みたい人なんていないでしょう」
「突っ込みたいって言ったら?」
「怖いもの見たさで死んでいく人ほど、愚かな人はいません。あなた、死にたいんですか?」
「脅しですか?」
「いいえ。自分の身も自分で守れないのに、自分が非日常に巻き込まれているという優越感だけで足元を見れない人に疑問を持っているだけです」
見ず知らずの人にここまで言われるなんて。俺は正直ムッとした。
「あなたが立っている場所、今にも崩れそうですよ。引き返して安全な大地に立ったらどうです?」
ああ、こいつは親切で言ってくれてるんだな。
でもここで「わかりました、サインします」とならないのが俺の悪いところ。
おとなしくサインしさえすれば、何十年か後に「ああ、そんなこともあったな。あれ何だったんだろうな」と話すこともできるかもしれない。
でも今の俺にはそれよりも好奇心が勝っていた。
「幼馴染が、犯人と同じ力を使っていたんです。教えてください。あれは一体なんですか?」
「はぁ・・・」
男はため息を吐いた。
「私からお話することはできません」
男はそう言い、ネクタイを緩めた。
「夕飯買ってきますけど、何がいいですか?」
「え?」
「言ったでしょう。サインするまでお帰ししませんと。どうやら今日は残業のようなので」
「え。俺がサインしなかったらあなた一生帰れないんですか?」
「いつまでいるつもりなんですか」
「俺、サインする気ないんで」
「はぁ・・・。明日になったら別のものが来ますよ」
「俺はずっとこの部屋ですか?」
「ええ」
「トイレは」
「簡易トイレでも用意させます」
「それはちょっと・・・」
「ではサインしていただけると」
「それは嫌です」
「なぜですか」
「俺はただ、知りたいだけです。親にも誰にもこのことはしゃべりません。でも、真実を教えてほしいんです」
「・・・そういう野次馬根性の人が一番気に食わないんですよ」
「え?」
今思えば若気の至りというやつだが、こうして俺と謎の会社の根競べが始まった。
そして数週間後—―。
そろそろ4月の入学式が近づいてきて、ヤバいなと思い始めていたころだった。
「もともとは会議室だったんですけど・・・。随分、生活感が出ましたね」
その日、俺がここに来て初めて話したスーツの男が部屋に入って来た。
あれから毎日いろいろな大人が来ては俺にサインを求めてきたが、俺は決してサインをしなかった。
部屋には俺が寝るための布団とお湯を沸かすための電気ケトルが最低限置いているだけ。
「だいぶここの生活にも慣れました」
「家に帰りたいとは思わないんですか?」
「そりゃ帰りたいですけど、帰してくれないって言うんで」
「あなたが誓約書にサインしてくれればいいだけの話なんですけどね」
「こんなことして誘拐と監禁にならないんですか?」
「普通ならなってるでしょうけど、我々は国からの命を受けているので」
「お、新しい情報1個ゲット」
「そんなあなたにいいお知らせです」
男は書類をテーブルに置いた。
「サインしてください」
「嫌です」
「よく読んで」
そう言われて、俺は書類に目を通す。
「入学書類・・・?」
「あなたには、この学校に通ってもらいます」
「意味がわからないんですけど」
「このままずっとここに置いてはおけませんので」
「どういうことだってばよ・・・」
「親御さんの許可は取ってあるので、問題ありません」
「でも俺、別の高校に通う予定だったんだけど・・・」
「誓約書にサインしていただけないなら、諦めてください」
「サインしない代わりに、この学校行けってこと?」
「ええ」
「意味がわからない」
「わかりますよ、すぐにね」
俺は改めて入学書類に目を通す。
「シグマ学園・・・」
「ようこそ、シグマの世界へ」