1話 はじまり
これは、俺がまだ小学生だったころの話。
「そういちろ。僕ね、引っ越すことになったんだ」
彼女は真剣な顔で言った。
いつもと同じ公園。同じ時間。
いつものように学校帰りに集まって、かくれんぼをしていた時だった。
「え・・・?」
思いがけない言葉に、俺は驚いて同じく隣で隠れている彼女を見た。
整った顔に地毛であるらしいクリーム色がかったボブの髪型をした彼女は、その曇った表情以外いつも通りだった。
「学校、転校することになっちゃって・・・」
「いつ」
「来月から」
「それって、もう1週間もないじゃん!」
「うん・・・」
そう言って彼女はうつむいた。
彼女は霧島みつき。
言わば幼馴染というやつで、俺の初恋だった。
小学生の恋愛なんて、と思うやつもいると思うが、その時の俺は本気でみつきを好きだったし、みつきも俺のことが好きだと思っていた。
だから言った。
「大丈夫だ!離れ離れになったとしても、俺が絶対迎えに行く!大きくなったら、結婚しよう!」
「本当?」
俺の言葉に、みつきは顔を輝かせる。
「ああ、絶対。みつきがどこに行っても絶対に見つけ出す!俺はみつきのウンメイの相手だからな!」
この言葉はドラマか漫画かの受け売りだった気がする。
羞恥心のない人間というものは怖いもので、運命だの結婚だの今思えば恥ずかしくなるような言葉のオンパレードだったが、当時俺は本気で彼女を幸せにするつもりでいた。
「絶対だよ、絶対、迎えに来てね!」
「ああ、絶対!約束だ」
そして時は流れ、俺は中学3年生最後の春休みを迎えていた。
「あー、彼女ほしい」
「それなー」
受検も終わり、高校生になるまでの間暇な俺たちはファミレスのドリンクバーで時間をつぶしていた。
霧島みつきが転校してから7年は経っただろうか。
俺はみつきを迎えに行くための自分磨きをするでもなく、ただ流されるままに中学生になり、そして流されるままに友人たちが行くと言った高校を受検し、春からそこに通うことになっていた。
小学生の頃は自分が世界の中心にいて、自分が物語の主人公だと思っていた。
なぜならやることなすことすべてがうまくいっていたからだ。
テストをすれば大体100点は取れる。運動だって決して悪くない成績で、おまけにみつきという親や周り公認の恋人みたいな存在もいた。
しかし、中学に入って自分が特別でないことを思い知った。
勉強はやらなくても理解できるレベルではなくなり、運動は今でもそこそこだが、足が速ければモテる小学生時代はとうに終わり、女子どもは顔で男を選ぶようになった。
まぁ、つまり俺は選ばれる側の人間ではなかったということだ。
それでも、世の中はうまくできていて惰性で生きていても、同じく惰性で生きている価値観の合う人間と出会い、友人となり、それはこれからの高校時代も続く予定だ。
「卒業式の2組の遠藤見たかよ。学ランの第二ボタンどころか、全部のボタンなくなってたぜ」
「マジかよ!?どこのアニメだよ!!」
「ホントそれな」
「あーモテてぇ~」
「まあでも、俺たち4月から高校生じゃん?そしたら、自然とできるだろ、彼女くらい」
「だよなー」
「お前らホントお気楽だな・・・」
だがその楽観的なところ、嫌いじゃないぜ。
「なんだよ、宗一郎だって彼女欲しいだろ?」
「当たり前だ――」
パリンッ!!
その瞬間、店内の電球が一気に音を立てて割れた。
「な、なんだ!?」
「静かにしろ!!」
混乱する店内を、男の声が切り裂いた。
「全員動くな」
ゆっくり店の中央に移動した男は、顔に気味の悪い笑みを浮かべていた。
歳は30代くらいだろうか。
「おい、通報すんじゃねぇぞ。店員、お前らも全員出て来い」
その声に、厨房にいた店員たちもフロアに集まる。
「はい、じゃあ今から1人1人殺していくから!」
何を言っているんだろうこいつは。
確かに異常、異常だ。
電球が一斉に割れるなんて、普通に生活してたらあり得ない。
この不気味な笑顔を浮かべてる男がやったのか?
どうやって?どんな仕掛けで?
でも、もっと異常なのは、こんなに脅すようなことを言ってくるのに、男の手には凶器になるようなものは何もないってことだ。
ポケットの中に隠している?
いや、脅すんだったら刃物なり何なりちらつかせた方が有効だろう。
でも、手に何も持っていない。
これはチャンスなのでは?
そう思ったのは友人も同じだったようだ。
「なぁ・・・。俺たち3人であいつとっ捕まえらんねぇかな?」
小声で提案してきた友人に、俺は静かにうなずいた。
「まずはお前だ。平日の昼間っからファミレスとはいい御身分だな、ええ?」
男が初老の男性に目を付ける。
平日の昼間にファミレスにいるのはお前も一緒じゃないか、と俺は思ったが初老の男性に意識が向いている今がチャンスだ。
「行くぞ・・・。3・・・2・・・1・・・」
「今だ!」
俺たちは一斉に男にとびかかる。
「邪魔だ!」
その瞬間、何かに強い力で押された感覚がして、気づけば俺たちは壁に叩きつけられていた。
「がはっ!!」
何が起こった・・・?
混乱している間もなく、男がゆっくりこっちに向かってくる。
「お前らまだ子供だな。いくつだ?」
まずい。
直感的に思った。
後ろは壁、逃げられない。
男は手に何も持ってはいない。それなのに、さっき手も触れられていないのに吹き飛ばされたのが怖すぎて、まともに思考が働かない。
「あーあ、可哀想だなぁ。親孝行もできないまま死んでいくなんて」
俺はせめてもの抵抗に、男をにらみつける。
しかし効果はなかった。
「最高だ、その表情!生きたかっただろうになあ!まずはお前からだ」
胸倉を掴まれ、無理やり立ち上がらされる。
「ああ!人の人生壊すのって最高!!」
男が俺の額に手をかざす。
何故かわからないが、死ぬことを確信した。
その瞬間—―。
「そこまでだ」
女性のようでもあり、声変わり前の男性の声でもある奇妙な声が聞こえた。
俺に分かったのはそれだけ。
けどその瞬間、男は吹っ飛ばされていた。
「突入!!」
声が聞こえ、武装した男たちがファミレスに入ってくる。
あっという間に俺を殺そうとしていた男は確保されてしまった。
あまりにも非現実的なことが起きているようで、目の前の状況をまるで映画館で映画を見ているかのように眺めていると、その中の登場人物から声をかけられた。
「大丈夫ですか?」
それは、先ほどの女性のようでもあり、声変わり前の男性の声でもある声の持ち主だった。
「あ、ああ。大丈夫です」
俺はゆっくりと顔を上げる。
クリーム色がかった前下がり気味のボブ。
「みつき・・・?」
思わず声が出た。
その言葉に彼女は微笑んだ。
「宗一郎」