余り語られない撮影所のあれこれ(94) 「ハーネス〜転ばせて使う杖〜」
★「ハーネス〜転ばせて使う杖〜」
●「縛帯」
特撮の撮影において人物を「吊る」というシーンが撮影される場合、「縛帯」とか「ハーネス」と呼ばれる器具が使用されていました。
「縛帯(=バクタイ)」は、本来「傷口を縛るために使用する細い布。包帯」という意味の固定具の一種でした。今でも航空関係の救命器具に「救命用縛帯」という言葉をみることができますし、パラシュートを飛行機操縦者に装着しておく帯も「縛帯」と呼称していた様ですから、「ハーネス」の和名といった位置づけで使用されているものだと思われます。
撮影所では、「縛帯」も「ハーネス」も同じ意味合いの言葉として使用されていましたから、あながち間違いではないのではないかと思います。
今回は、その「ハーネス」のお話です。
尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw
今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。
そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。
東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。
●「高所作業」
近年まで工事現場等の高所作業には「安全帯」と呼ばれる作業用安全器具が必須でした。
この「安全帯」は、腰ベルトにロープ(命綱)等がついていて、そのロープ(命綱)等の先に「カラビナ」を大きくしたような「ランヤード」と呼ばれる開閉できるフックが付いていました。
この「安全帯」の使用理由としては「労働安全衛生法」が適用されていて、「事業者は、労働者が墜落するおそれのある場所、土砂等が崩壊するおそれのある場所等に係る危険を防止するため必要な措置を講じなければならない。(第21条2項)」と定めており、「事業者は、高さが二メートル以上の箇所(作業床の端、開口部等を除く。)で作業を行なう場合において墜落により労働者に危険を及ぼすおそれのあるときは、足場を組み立てる等の方法により作業床を設けなければならない。(規則第518条1項)」「作業床を設けることが困難なときは、防網を張り、労働者に安全帯を使用させる等墜落による労働者の危険を防止するための措置を講じなければならない。(規則第518条2項)」と定められていることが「安全帯」の使用理由になっているからなのです。
おおまかに云えば、足場になる場所がその下の地面等から2メートル以上になる高所作業をする場合には、この「ランヤード」フックを固定された足場の単管等の支持物に引っ掛けて転落を防止すると共に墜落時に人体を保持するために使われていました。
ですので「墜落防止用器具」の代名詞とも言われていました。
コレが、2019年に改訂され腰の位置だけで固定される「安全帯」が一定条件下以外では禁止されます。
腰の位置のどこで落下の衝撃や人間の体重を支えて受け止めるのかによっては、悪くすれば腰椎損傷や内臓破裂の恐れがあるとの報告があり、従来の「安全帯」では「墜落」は防止できても「安全性」が担保できないというのが主な理由のようです。
また、その墜落防止とう観点からも、ベルトの取り付け方によっては墜落時にベルトから身体が抜け落ちるという事故も発生していたというのが「墜落防止器具」の変更になったのだと思われます。
しかし、まったく「安全帯」がダメかというとそうではなくて、地上から6.75m(建設業は5m)以下の高さにおいて、一定の条件を満たした製品のみ(2019年2月1日以降の規格に沿って製造された安全帯(フルハーネス型を含む)に限る)(2022年1月1日までは従来規格の胴ベルト型安全帯も使用可能)使用可能となっています。
そして、その「安全帯」に代わって「墜落防止用器具」の原則器具となったのが「ハーネス型」と呼ばれる固定器具なのです。
●ハーネス
現在「墜落防止用器具」の原則となっているのは「フルハーネス型」と呼ばれる「胴部」「腿」「肩」にベルトを通し、墜落時に容易に抜け落ちることのないようにしている「タイプ」であり、全身を支える部分としては「(肩甲骨の間の)背部」が基本です。
これ以外の「ハーネス」としては「上半身だけのハーネス」や「腰部から下半身だけのハーネス」も存在するために、全身で固定できるタイプを「フルハーネス型」と呼んでいます。
従来の「安全帯」は、近年では「胴ベルト型」と呼ばれるように変化してきていて、その「胴ベルト型」に比べての「フルハーネス型」の利点としては、抜け落ちる心配が無い点、墜落時の荷重が胴部に集中しないことで内臓や脊髄の損傷が生じにくい点、吊られた際も自然な姿勢が保てるという点が優れているといわれています。
尚、「フルハーネス型」を墜落防止用の単管等に引っ掛けるための綱の先端にも「ランヤード」が付けられており、ランヤード月の綱自体にもショックアブソーバーが装着されています。
また、この綱には「1本(丁)掛け(吊り)」と「2本(丁)掛け(吊り)」が存在します。これは、支点となるフルハーネスを支えている部分は1点であっても綱を1本にするか2本にするかという違いがあるのです。
更に、基本的な「フルハーネス型」の形状としては布状の帯だけで構成されているものが一般的ですが、背中の一部を布で覆ったものや、身体全体を帯と同じ素材の合成繊維で覆ったタイプのモノも存在します。
このような「フルハーネス型」は、安全面では強化されますが、作業時には妨げとなる場合がある為や高価な為に、高層建設工事等の超高所作業に用いられています。
●撮影所でのハーネス
撮影所では30年以上前から既に「ハーネス」が使用されていました。
「フルハーネス型」が基本でしたが、上半身だけのタイプもありました。
しかし、工事作業現場で使用される「ハーネス」とは使用目的が大きく違っていました。
ある意味「墜落防止用器具」ということでは使用されていたのは確かですが、「墜落した場合を想定した上での安全対策としての墜落防止器具」という工事作業現場での使われ方ではなくて、「墜落した状況を擬似的に作り出した上で、それ以上の墜落を防ぐ為と、体制の維持を目的とした墜落防止器具」として使用されていました。
平たく言えば「本来の使用目的を逆手に取った使用方法」をしているとも言えるでしょう。「墜落を途中で食い止めた状態」を創り出すことを目的にして製作された器具が存在するのであれば、その「墜落を途中で食い止めた状態」を維持できる器具とも成り得ると考えたのだと思います。
ある意味「転ばぬ先の杖」として、使用しないが安全対策で持っている「杖」を、わざと「転ばせる」様に持って行き「杖」を使わせる事で、普段では見られない状態を作り出しているとも言えます。
そして、本来の「墜落防止器具」として使用されている訳ではありませんから、使用者や使用目的によっては形状はもとより、「吊るす支点」となる場所ですらも違っていました。
●スタッフのハーネス
工事作業現場等で使用される様に、「肩甲骨の間の背部」に支点を設けるのは、カメラマン等といった撮影する側でした。
これは、身体の安定が見込めて使用者にも負担が少なく、ザイル等の吊るす綱を太くする事が可能な位置だからと思われます。
別に「ピアノ線」で「吊るす」訳でもなくて、不安定な体制にする必要もないのであれば、一番安心出来る「吊り」の体勢だと思われます。
●アクションのハーネス
これに対して、スーツアクターさんやスタントマンをはじめとしたキャスト陣が「空中に浮いている状態」を創り出す為にハーネスを装着する場合には、「空中に固定する為の綱」が見えてしまってはいけませんし、芝居が出来たり、空中に居るという身体の不安定さを表現する為にも、固定場所としての支点が背中に限らなくなっていました。
両肩での2点吊りや腰の左右での2点吊り、時には腹と腰での2点吊りや、両肩2点と両腰2点の4点吊りや背中とカカトとか、色々な組み合わせがありました。
例えば、両肩だけの支点ならば単に「吊られている」感覚しかありませんが、コレに腰に1点や両腰やカカト等に追加の支点が付くと、途端に身体が横向きになった状態での固定が可能になり、飛んでいる風な体勢を創り出せるのです。
この様に、求められるアクションシーンの表現に必要な身体の動きが可能な場所に、吊りの支点を設ける為に、色々な場所の支点とその組み合わせが考えられてきたのです。
1点よりも2点、3点と吊りの支点を増やす程に固定された体勢になっていきます。
つまり、支点が増える事により体勢のブレは無くなって行きますが、アクションの幅も無くなって行くことになります。
例えば、両腰に支点を設けただけでは、身体は前後に傾いてしまう事が可能で、両腰の支点を回転式の固定具にする事で、前転や後転の回転アクションも可能になるのですが、これに追加して背中や脚に支点を設けられると、途端に回転の幅が極端に狭くなり、追加した支点によっては回転自体が出来なくなってしまいます。
余談ですが、前転や後転といった回転アクションでは、先ず重心移動が難しく、更に回転中は腕の位置に気を付けなければ、両腰に着けたピアノ線に触れてしまい回転が止まってしまうという事態が生じてしまう等、見た目よりも難しいアクションなのです。
ですから、スーツアクターさんやスーツアクトレスさんの中にも回転アクションの得手不得手な方がいらっしゃいましたw
更に、吊りの支点を支える綱は、「ピアノ線」等を使って出来るだけ見えなくしている「吊り」に於いて、見えてしまう危険性のある「ピアノ線」の本数が増えることは、避けたい処でもありました。
だからといって「ピアノ線」を細くすれば見えにくくなりますが、装着者の安全性は極端に下がります。
尚、今回は「ハーネス」の話ですから「ピアノ線」の話へは深掘しませんし、「ピアノ線」の太さについても素人の方々が興味本位にマネをされると危険ですので言及もしません。
●フルハーネスは衣装の下に
撮影所でアクション俳優さん達が装着するハーネスの殆どはフルハーネスでした。
事故防止の観点からでもありましたが、無理な体勢を維持しなければならないアクションでは、支えてくれる帯が多い程に身体に対する負担が分散される為に、フルハーネスが使用されていたのだと思います。
このフルハーネスの装着は、工事作業現場の作業員や撮影所のカメラマンであれば、作業着の上からとか衣服の上からとなりますが、スーツアクターさん等のアクション俳優さんの場合は、フルハーネス自体が視認出来てはいけないので、スーツや衣装の下に着込まなければなりません。
プロテクター状態のヒーロースーツ等であれば、比較的隠すのが楽なのですが、スーツや衣装が薄くなる程に誤魔化し難くなってしまいます。
そして、フルハーネスを着込んだら吊りの支点としての場所にピアノ線を通すD管が、スーツや衣装の間から覗かなければならなくなります。
コレは、装着する際とは逆に衣装やスーツが薄い程に比較的容易になりますが、プロテクター状態のヒーロースーツ等では、D管を取る場所を考えるだけでも大変となるのです。
ですから、ヒーロースーツでは基本的に支点として取り易い場所として、両肩と両腰がD管を取る位置の定番となっていました。
●あとがき
私の仕事場で近年「ハーネス」とか「フルハーネス」とかといった言葉が聞こえ始め、何だか久しぶりに聞く名前に懐かしさを覚えていると、その部署が発注した「ハーネス」が到着していました。
その形状を見て思った事は、30年前と大きくは変わっていないという事でした。
確かに現在の方が新素材や新技術が使用されているのでしょうが、「相変わらず股間や脇は痛そう」という感想でしたw
職場の人間は、作業の妨げにならないのかという点に興味を持っていましたから、私の様な墜落して吊られて初めて体重が掛かる場所の感想が最初に浮かぶ様な感覚はないでしょう。
だって本来は「転ばぬ先の杖」であって「転ばせて使う杖」ではなのですからww