余り語られない撮影所のあれこれ(92) 「天候〜映画屋殺すにゃ刃物はいらぬ〜」vol.1
★「天候〜映画屋殺すにゃ刃物はいらぬ〜」vol.1
●映画屋殺すにゃ
本来は「船頭殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればよい」という都々逸ですw
天候に左右され易い仕事の杞憂をうたったモノですが、「映画屋=映像業界関係者」にも同じ様に天気は最重要事項と言ってもよいモノでも有ります。
今回は、天候と映像に関連したお話です。
尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw
今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。
そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。
東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。
●天候と光量
映画や映像は「光と影の芸術」と呼ばれることもある世界です。
フィルムやビデオやデジタル機器に映像を定着させる為には、絶対的に「光」が必要となります。
いくら目視では見えている様な暗い場所の撮影でも、映像とした時に映っているのかどうかは重要です。
さらに、その光の量が不安定では、前の映像と次の映像のつながり方にも違和感を生じさせてしまいます。
ですから、カメラマンのチーフ助手である「計測」係が「光量」を計測し、一定の光量の映像になるように「シボリ」等を調整しているのです。
ロケーション先での撮影は、季節によっても光量が変化しました。
通常のロケーションで光量の最大のモノは太陽光です。
通常であれば、いくら光量のある照明を設置しても太陽光にはかないません。
だからこそ、ロケーション先の太陽光は最重要でした。
フィルムの感度やその日の天候にもよりますが、秋から冬にかけてのロケーションでは、自然光の光量は午後3時ぐらいが限度でした。
夏などは午後5時や6時をまわっても撮影が可能でしたから、季節による撮影時間が大きく変わっていました。
現在の撮影機材は自動化が進み、オートによるシボリ調節も可能になっているようですが、マニュアルにすることで、色々な効果的な映像を作り上げることが出来るので、マニュアルによる撮影ということが基本になります。
しかし、だからこそ撮影途中での光量の変化は致命的になります。
晴天なのに撮影地中で雲で陰るような場合、急に光量が違ってしまいます。
現実の世界では、視覚からの情報を脳が補正して処理したり、上空を見上げて「あ、雲か…」と理解していますので違和感が余り感じられませんが、被写体のみを対象としている映像の世界では「急な陰り」などの光量の急激な変化は違和感にしかならないのです。
ですから昔の撮影現場では「雲待ち」というのが存在しました。
「あの雲が、撮影中に差し掛かる可能性があるので、『雲待ち』します!」
という事もあったようです。実際、私も数度経験しましたw
余談ですが、同じ「雲待ち」でも黒澤明監督の撮影のエピソードとして「雲の形が気に入らないから『雲待ち』」というものもあったようですww
●〇〇待ち
まだ余談ですが、「〇〇待ち」というのは多く存在します。
「雲待ち」「太陽待ち」「雨待ち」あたりは天候による「天気待ち」ですが、「飛行機待ち」「救急車待ち」「サイレン待ち」といった同時録音の際にノイズとなる音を嫌う「音待ち」や、役者の現場入りを待つ「入り待ち」や「メイク待ち」「着替え待ち」「車両待ち」「仕掛け待ち」などなど…
ありとあらゆるもので、撮影現場の手を止めてしまう状態を「〇〇待ち」と称していました。
●雨
やはり、天候として頻繁にあるにもかかわらず一番の問題になっていたのは「雨」でした。
晴れた世界に雲を出したり、雨を降らせたり、夜にしたり、朝にしたりといった魔法は、映画屋の真骨頂の様な感覚があります。
しかし、いくら自然界に喧嘩を売ってねじ伏せている映像業界も「雨」は天敵です。
昔のフィルム時代ならば映像の解像度も低く誤魔化せていたような「小雨」でも、現在の様な解像度の映像では映り込んでしまうでしょう。
そうでなくとも、被写体に水滴が着いたり、役者の髪が濡れてしまったり、水分で衣装の色が違ってしまったりといった現象は、映像にはっきりと映り込んでしまいます。
これは、役者が「雨なんて降っていません」といった芝居をいくら上手にやってのけても、映像が物語ってしまうから致命的なのです。
映したくないと思うと、こんな「雨」という無色透明なのに物質として存在するモノは、「映らない様で映る」という意味で厄介ですが、同時に映そうと思ってもこの中途半端な「雨」という存在は「映る様で映らない」という意味で厄介な存在なのです。
ロケーション撮影でも「小雨決行」「雨天決行」などという場合があります。
そんな場合の大半は、ロケーション撮影だけど建物内での撮影だという場合です。
残りは、撮影するシーン自体が雨天の設定の場合等です。
しかし、本当の雨を使用した場合は、その前後の「繋がり」に特別な注意が必要となります。
それは、本物の雨と「雨降らし」で人工的に降らせた雨では、雨粒の大きさや量が微妙に違うからです。
前のカットで本物の雨を使って撮影して、次のカットでは人工的な雨といった繋ぎ方をした場合や、その逆にカットを繋げていても本物の雨の方が弱く映ってしまうのが通例でした。
本物の雨は、実は昔のフィルム撮影の際には余り映らないモノでした。
雨粒が余程大きく無ければ、雨としてフィルムには映らなかったのです。
ですから、「雨降らし」で人工的に作った雨の方が「余程、雨らしい」雨としてフィルムには映る訳なのです。
ですから、雨粒よりも「雨粒+風」といった雨を強調する方法や、「雨粒+光」としてライティングで雨粒を照らす方法や、「雨粒+傘」といった「雨」という状態を単的に視覚で表現する事などで、映りにくい自然の「小雨」などを視覚的に表現する場合もありました。
とある有名なグルメドラマでも主人公が傘を持っていて、店から出る際に降っているから傘をさし、歩いている途中で傘をたたむといったカットがありましたが、演出的には不自然ですから、映像的に映りにくい「小雨」に対する解決策だったのかもしれません。
小雨が仮に映っていてもいなくても、傘という記号で雨の降る降らないを表現しているから大丈夫ということなのでしょうww
●雪
実は雨よりも厄介なのが「雪」です。
雪は雨粒よりも大きい為に、解像度の良くない昔のフィルム映像でも簡単に映ってしまいます。ですから、映らない様に誤魔化すことは困難でした。
雨の場合には「手前だけは雨避けをして、極力アップのみで、遠景は地面を映さない」といった小雨対策の誤魔化しがあったりもしましたが(雨音があるので、霧雨などの余程の小雨でない限りは、同時録音は無理でしたw)は効きませんでした。
この様に「雪」を映さない様にするのは無理に等しいことでしたから、雪予報の際にはセット撮影に切替えていましたし、それもスケジュール的に終了していれば、素直に撮休(撮影休日)にする場合すらありました。
更に、雨と違って「雪」の厄介な点は「白」という色がある点と、「残る」という点です。
「色」が付き「残る」ことで、雨とは違って、雪があがった後にも長時間「雪」だと主張するモノが広範囲に残り続ける可能性があるのです。
日中に気温が上がれば、陽があたる場所等は融けて消えてしまうのでしょうが、陽が当たらない場所等は何日も残り続ける場合すらありました。
特に撮影に使う様な場所は、余り人が多く出入りしない「所謂、寂しい場所」の場合が多く、そういった場所には雪が残っている場合が多かったのも確かでしたw
前日に撮影した場所に雪が降ってしまったので景色が全く変わってしまい、慌てて雪カキをして景色を確保したという話を聞いた事がありましたが、その際には樹の枝にまで雪が積もっていた為に、映る範囲の枝を振るって廻ったと聞きました。
また、とある作品の撮影で、あえて雪を活かして撮影をして、「暗所だし、翌日ぐらいならば雪が残っているだろう」と、撮影カットを残して翌日に廻したそうです。
しかし、翌日には殆どの雪が融けてしまい、「繋がり」のある背景でも急に雪が無くなった様に見える程になってしまったそうでした。
何とか雪の残っている場所で撮影可能な場所を見つけて、一部を撮影し直す等をして、作品にする事が出来たそうです。
この様に撮影にとっては厄介な「雪」ですが、この状況が冬だけに限られている事が、救いということでしょうかww
●「〜雨が三日も降ればよい」
「雨」や「雪」が三日も振り続けば、思うような撮影が出来なくなるのは必至です。
そういった意味からも、「映画屋=映像業界関係者」にとっては「自分達の生業を“殺される”」状況に他なりませんでした。
しかし、そんな状況でも創意工夫して「映画屋魂」を自然界にぶつけてきたのも、また事実です。
●あとがき
今回は、奇特な読者さんからのリクエストに合わせて「天候」を語ってみましたw
その中でも重要になる「光量」と、天候と云えばという基本の「雨」と「雪」をご紹介しましたが、これでもまだまだ「天候」や「自然現象」と撮影の関係で語れる事の一部にしか過ぎません。
ドラマの撮影という状況上、ロケーション撮影が全く無いという状況は、まず殆どありませんし、その様な際には様々な「天候」条件や自然現象が付きまとうモノである事は間違いありません。
今回の「雨」「雪」だけではなく、「風」や「気温」といった目に見えないモノも厄介なのですから……




