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余り語られない撮影所のあれこれ  作者: 元東△映助
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余り語られない撮影所のあれこれ(79) 「リアルに見せる為のディフォルメ」

★「リアルに見せる為のディフォルメ」


●虚構の世界

映像の世界は、ドキュメンタリー等の記録映像を除いて基本的に虚構の世界です。

そこには、本来あるべき姿=「リアル(現実)」ではなくて映像として視聴者に見せる為の「ディフォルメ(誇張)」された世界が記録されて行きます。

今回は、映像作品における「リアル」と「ディフォルメ」の関係をお話したいと思います。


尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw

今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。

そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。

東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。


●「リアル」は「リアル」ではない

私が撮影所に居た当時の撮影現場において私が再三言われたのは、「リアルな状況を撮影すればリアルに映るとは限らない。(視聴者や観客に対して)リアルに見せる為には、ディフォルメしなければならない場合がある」という言葉でした。

端的にいえば、現実に則した場面を肉眼で見ていて「リアル」だと感じていても、映像に写されて投影される際には、映像技術の問題や視聴者や観客の心情等を考慮して、誇張すべき事は誇張し、省くべき事は省くといった「ディフォルメ」が必要となってくる。それを加味しなければ受け手側である視聴者や観客は「リアル」を感じてくれないのです。


●技術的な問題

この「ディフォルメ」による「リアル」表現で、過去と現在において1番違いが出てきているのが技術的な側面です。

例えば、昔のフィルム映像の解像度では雨のツブは撮影しにくく、「リアル」では大雨のような土砂降りの雨に、照明部のライティングで雨粒を照らして貰わう「ディフォルメ」された状態でなければ「雨」という状況を映像で表現出来ませんでした。

それが、現在のデジタル映像の解像度によって、「リアル」に近い雨粒の量であっても「雨」として撮影する事が次第と可能となってきていて、本来の「リアル」に近付いてきているといえます。

この様に、撮影機材、照明機材、録音機材等々の技術的進歩によって「ディフォルメ」表現から「リアル」表現に近付いてきているモノも存在します。


●「ディフォルメ」が「リアル」を追い越す

「リアル」なモノに近付いて行く表現があるのに対して、「リアル」に近付く程に「ディフォルメ」の表現だと勘違いされてしまうモノも存在します。

それが「普段では見ない光景」です。

つまり「リアル」の知識が殆どない光景を「リアル」に表現しようとする場合には、多分に「ディフォルメ」表現がなければ「リアル」と認識され難いということなのです。


例えば、「津波」というモノを我々は10年前のあの日に撮影された「リアル」な記録映像で知識として記憶することが可能となりましたが、それ以前は北斎の富嶽三十六景の高波の様な「頭上高くから覆い被さる様に迫る波」=「津波」という「ディフォルメ」された映像が脳内知識に根付いていました。

事実、10年以上前の映画内やテレビ内で表現される「創られた映像」としての「津波」では、「ディフォルメ」された映像しか流れていなくて、「ゆっくりと水位を上げて迫る水」こそが「本当の津波」だと感じられる事は、多くの人々の知識にはありませんでした。

これは、視聴者や観客に「津波」を恐怖の対象として表現する為に用いられた「映像的ディフォルメ」による映像が、映像としての知識が余りない光景の代弁を果たすこととなり、いつの間にか「リアルな光景」としてすり替わってしまっていた為でした。

つまり、「リアル」が「ディフォルメ」と勘違いされ、「ディフォルメ」こそが「リアル」だと思い込まされていたという事でした。映像として表現された「ディフォルメ」が「リアル」を追い越していたとも言えるでしょう。


今なら我々は「津波は覆い被さってこない」という「リアル」も「津波が黒い」という「リアル」も知っています。

しかし、映像表現としては「津波」=「覆い被さって迫る波」の方が「ディフォルメ」にも関わらず、恐怖という心情に訴えかけるモノが大きいとも言えるのです。


ですから、時として「リアル」を表現する為には「ディフォルメ」という心情的ベクトルが必要な場合もあるのです。


●特撮という「ディフォルメ」

特撮で撮影される映像の多くは、「リアル」を表現する為の「ディフォルメ」とも言えます。

前途の「津波」もそうですが、「災害風景」「建物の倒壊」「戦争」等の日常の中ではなかなか見ることの出来ない光景や、今迄誰も見た事のない「宇宙人の侵略」や「怪獣の出現」「タイムマシンによる時間超越の瞬間」等といった荒唐無稽な光景も「リアル」に描き出そうとするのが「特撮」です。

そこには多くの「嘘」と間違われる「ディフォルメ」があり、その「ディフォルメ」こそが「リアル」を表現することに繋がっています。

そして、そこには多分に視聴者や観客といった受け取り手の心情に訴えかけるベクトルへの「ディフォルメ」が利用されていて、その心情的ベクトルが「リアル」を感じさせてくれることに繋がっているのです。


●音の「ディフォルメ」

映像的な表現だけが「ディフォルメ」ではありません。

音も「ディフォルメ」表現を「リアル」に繋げようとして、あえて「ディフォルメ」としての音を映像に乗せています。


例えば、レーザーやビームの発射音です。

高密度の光源を照射するだけですから、音なんて出ないのが「リアル」です。

しかし、そこに発射音や照射音という「ディフォルメ」が加わることで、映像としての「リアル」が表現出来るのです。

実際、多くの人達のイメージとしてはレーザーやビームの照射時に音が出るモノだと思われていると思います。


これ以外にも「スイッチボタンのクリック音」「宇宙空間での風切り音」等々といった「リアル」では存在しない音を「ディフォルメ」で表現して、映像的な「リアル」へ近付けています。


●「ディフォルメ」は「嘘」ではなく「誇張」

「リアル」と比較した場合「ディフォルメ」は「嘘」と勘違いされますが、表現として「誇張」する為の「ディフォルメ」です。


例えば、夕食の支度をしていながらも相手が帰って来ないという状況を表現しようとします。

出来た夕食のおかずにラップを被せて待つというのが「リアル」ですが、そのままだと夕食の料理自体が撮影しにくくなりますので、ラップを外して撮影する場合があります。

となれば「リアル」と比較すれば「嘘」となる訳ですが、これは映像的な「ディフォルメ」であり、全くの「嘘」とは言えないのです。

視聴者や観客にとって、映像的に「よりリアル」に観てもらえる為の「ディフォルメ」を吟味しているのです。


●あとがき

今回のテーマを書くにあたり、先週を予定していたのですが、東日本大震災の10年目の日というのは、今回のテーマでは重くなる可能性があると思い、遅らせて書かせて頂きました。


映像作品を観て、たまに「リアル」じゃないと言われる方がいらっしゃいます。

確かに「リアル」ではありません。

但し、「よりリアル」に近付ける為に「ディフォルメ」等の工夫を取り入れながらの表現をしていく事で、視聴者や観客達に「リアル」と感じさせる様に努力しているのです。


「リアル」と「ディフォルメ」の境界の模索と、「リアル」な表現と「ディフォルメ」表現の模索、更には様々な表現技法の模索等が、今後も繰り返されて行くのだと思います。

特に「特撮」という作品の表現においては…

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