余り語られない撮影所のあれこれ(75) 映像制作のコンプライアンス
★映像制作のコンプライアンス
●今昔話
私が現役時代の撮影現場には、余りコンプライアンス(=法令遵守)という部分に重きが置かれていませんでした。
とは言っても、全く法令を守っていなかったという無法地帯ではありませんでした。
映像表現におけるコンプライアンスには、映倫さんの基準(=映倫規定)がありましたし、制作現場におけるコンプライアンスでも労働基準を(甘くですが)守ろうとする意識はありました。
その「コンプライアンス」という言葉が大きく表面化してきた2000年以降に於いて、基準が各映像制作会社で以前より厳しいモノへ変化していきました。
今回は、映像制作における禁断の部分?に触れる「コンプライアンス」のことに関して話の出来る範囲内で恐る恐るお話させて頂きますw
尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw
今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。
そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。
東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。
●制作現場のコンプライアンス
映像制作現場においては、今も昔も法令に違反することは基本的に行っていません。
但し、労働時間においては例外でした。
◯労働時間とギャラの関係
映像制作現場は、基本的に派遣会社からのスタッフが多く、その派遣会社からの歩合制での月給制でした。
基本的に1作品いくらというギャラでしたが、それも作品の内容や規模、制作日数や制作費の兼ね合いからまちまちな状態でした。
ですが、基本的には制作日数等から基準の労働費用が算出されることが多く、1日拘束されていくらかといった金額になります。
これは、ほんの数日や数時間しか出番(=労働時間)がないキャストにおいては特に顕著でした。
つまり、エキストラ等の出番の少ないキャストでは、極端な話、数時間の出番でも1日分のギャラが支払われていました。
これは、実働時間だけではなく、拘束時間(=待機時間)もギャラに含まれているという考え方での算出の仕方によるものだと思われます。
また、この基準はスタッフでも同じで、よく1日の撮影時間を示した「香盤表」の中で25時とか26時とかの時間表現があるのも、この日給状態の算出方法によるものが起因していると思われます。
但し、最初から撮影開始時間が遅く、翌日に撮影時間が跨ぐことの分かっている夜間撮影等の場合でも26時や27時といった記載の方法になりました。
◯労働環境の改善
しかし、「週40時間労働」や「残業時間」等の企業コンプライアンスが導入されるようになると、状況は変わってきます。
日給も労働時間が8時間を超えたり、週40時間を超えると「残業」としての金額になってきました。
但し、制作費が大幅に増える訳ではありませんので、その分基本となる1人辺りの日給が少額になっていて、残業費へ振替られているのだと思われます。
そして、この労働時間のコンプライアンスにより「分業」が進むことになります。
労働環境の改善を目的に、1人の人間が行っていた作業が細分化されることによる新しい業務担当が追加されたり、複数人数による分担作業等によって、1人当たりの作業時間が短縮化されています。
この様な改善で作業効率をあげて、短時間によっても従来の作業内容を可能にしようとしています。
例えば、特撮の撮影現場の小道具さん(=装飾さん)の作業では、30年前には「小道具や持ち道具の準備」「劇中の食事(=消えもの)の準備」「特撮キャラクターの面やプロテクターやキグルミの管理と準備」「劇中車輌のナンバープレートの張替やカッティングシールの準備」「劇中建築物の看板の作成と設置準備」などなど多岐に渡りました。
それを、基本的に1名で行い、同時進行が必要な場合は助手をつけたり、助監督が手伝っていました。
現在では「小道具や持ち道具の準備」を基本としていて、「劇中の食事(=消えもの)の準備」は「消えもの係」をつけたり、「特撮キャラクターの面やプロテクターやキグルミの管理と準備」は「キャラクター管理」という職種を設けたり、「劇中車輌のナンバープレートの張替やカッティングシールの準備」「劇中建築物の看板の作成と設置準備」などの場合は最初から助監督に頼る事無く複数人数の助手を準備しているようです。
このようにコンプライアンスによって、30年前の撮影現場と比べると現在の撮影現場では、格段に労働環境は改善されています。
●映像表現のコンプライアンス?
映画を含む映像作品には、一般財団法人映画倫理機構(通称:映倫)が実施・管理する映画倫理規定(通称:映倫規定)が用いられています。
これは、映像業界が自主的に定めて、第三者機関である映倫に実施・管理を委ねたものであり、一般的法令とは違った規定制度です。
近年の映像表現においては、この映倫規定以上のコンプライアンス管理が騒がれています。
映倫規定は、先にも述べた様に一般法令による遵守内容とは違った内容を含むものなので、正確にはコンプライアンスとは別枠なのでしょうが、現在では業界内規定も法令の一部と考え、コンプライアンス=映倫規定のような図式となっています。
そして、映倫規定が過激に活用される様な場合、「表現の自由」とか「作品のテーマ」等との兼ね合いの下でのジレンマがしばしば問題となります。
◯映倫規定の基礎
映倫規定では、先ずは性的な描写の有無が基礎に置かれ、1976年には中学生以下の鑑賞には成人保護者の同伴が必要となる「一般映画制限付」、18歳未満の鑑賞を禁止する「成人指定」が導入されました。
1998年には「一般映画制限付」が「R-15指定」、「成人指定」が「R-18指定」に名称が変更され、新たに「PG-12指定」が設けられました。
そして、2009年からは以下の様に改定されました。
「G編集」(通常表記では「G指定」、もしくは未表記)
全年齢対象
「PG12編集」(通常表記では「PG12指定」)
12歳未満(小学生以下)の鑑賞には、成人保護者の助言や指導が適当とされる。性・暴力・残酷・麻薬などの描写や、未成年役の飲酒・たばこ・自動車運転、ホラー映画など、小学生が真似をする可能性のある映画がこの対象になります(アニメ映画も同様)。日本では「G編集」と変わらない扱われ方をされる場合もあり、「PG12編集」の表記無しに地上波放送をする場合もあります。因みに特撮では「仮面ライダー THE NEXT」が「PG12編集」であるが、海外では「R15+編集」相当とされています。
「R15+編集」(通常表記では「R15指定」か「R15+指定」)
15歳未満の入場・鑑賞を禁止する、いわゆる15禁と呼称される区分のことです。PG12より刺激が強いものに加え、いじめ描写や暴力も審査の対象になります。また放送禁止用語を使用した作品や、暴力団もの、偽造犯罪を題材にした作品も対象となります。極まれに主に深夜帯に地上波放送されることもありますが、その場合は不適切なシーンがカットされることがほとんどです。
「R18+編集」(通常表記では「R18指定」か「R18+指定」)
18歳未満の入場・鑑賞を禁止する、いわゆる18禁や成人映画と呼称される区分のことです。R15+に加え、著しく性的感情を刺激する行動描写や著しく反社会的な行動や行為、麻薬・覚醒剤の使用を賛美するなど極めて刺激の強い表現が審査の対象となります。このレイティングに指定された映画は広告やCMでの宣伝が不可能に等しくなり、公開する映画館が大幅に減少すします。勿論、地上波放送はほぼ不可能。
「審査適応区分外編集」
R18+よりも過激な描写が収録されている映画は、映倫より審査適応区分外として扱われ、全国興行生活衛生同業組合連合会加盟の映画館での上映を断られます。そのため、オリジナルビデオでリリースされたり、映倫の審査を通過していない作品も上映できる非加盟のミニシアターで上映されることになります。
なお、成人向けビデオアニメやアダルトビデオ、残酷ビデオ、児童ポルノを含む作品の上映は映倫の規定により禁止されています。
そして、これらのレーティングの選考においては、純粋にレーティング基準による内容が基本で、作品としての評価は含まれないとしていますが、近年では選考員の定着化等により偏りが出て来てしまっているという意見も出ていますことを付け加えておきます。
◯教育的観点からの倫理
コンプライアンスの問題が表面化する前からも、映倫に規定されない映像表現への一般社会から向けられの倫理問題がありました。
最たるものは、「この後、スタッフが美味しく頂きました」とテロップが流れるような「食品への粗末な扱い」への倫理要項です。
「食品を粗末にしない」ことは大切なことですが、この社会倫理の映像表現への取り込みによって、一般社会に通常ありえる「食品の投げ付け行為」や、「故意に地面に落とす等の食べられなくする行為」を映像で表現することが困難になりました。
この食品への倫理は、実写に止まらずアニメーションの映像表現にまで波及しています。
このアニメーションにおける食品への倫理は、教育的観点からの導入ではないかと思われます。
この「教育的観点からの倫理」は、現在ではコンプライアンスの一部の様に扱われ、映像表現に制限がかかる一因になっています。
つまり、「教育的観点からの倫理」に触れる映像表現は、「PG12指定」に繋がるとの観点から、地上波放送の危うさを懸念して「コンプライアンス」と称して事前に自主的に規制しているのです。
特に特撮番組の様な「子供達を主体として視聴する番組であるが、戦闘場面(=暴力表現)が存在する作品」では、「大量の血を飛ばさない」「身体の一部でも欠損させない」「大量虐殺を見せない」等の「PG12編集」に抵触しそうなシーンを自主的に排除しています。
戦闘シーンでの血糊の使用が制限されたり、仮面ライダーアマゾンの様に、敵が人間ではない生物とはいえ、腕や頭を欠損させる様なアクション演出は自粛されています。
また、映倫規定が導入される前では、怪人に殺害された人間が泡になって溶けるとか、骨だけ残して溶けるとかという描写が地上波放送されていましたし、「PG12指定」が導入された20年前の平成仮面ライダーの頃でも、そこまで過激ではないにせよ一般人の被害者が殺害されていました。しかし、現在では殺害された一般人の遺体を見せることはほとんどありません。
そういった意味でも近年では仮面ライダービルドのサンバカトリオの死は、冒険だったと思われます。
●あとがき
「コンプライアンス」は、なければいけないものです。
しかし、「法令遵守」という言葉から受ける「守らなければ犯罪」とか「守らなければ放送禁止」とかという概念と、その基準の曖昧さに、映像における映倫規定の内容までもが過激に敏感に反応し闊歩してきています。
特に、視聴者の意見がダイレクトに伝わる世の中になったことで、さまざまな意見が映像制作会社やスポンサーに届けられます。中には「コンプライアンス」の意味や映像作品の内容を曲解したり、理解していない意見も多くあります。
しかし、私は「全ての視聴者を満足させる作品は無い」と考えています。世の中には多種多様な意見があり、全てを肯定意見にする作品というのは、小説・絵画・彫刻・音楽・演劇・映像などの「他者へフィードバック(=表現)する作品」には存在しないと考えています。
正しく理解されないとか、正しく運用されていないとかといった無理解を含めなくても、作品には「大多数を満足」させるモノは出来ても「ひとつの否定的意見も無い作品」等というモノは皆無です。
それは、どんな名品でも同じです。
ピカソのキュビズムの絵画を観て「素晴らしい」という人の何人かは「変な絵だけど、あのピカソだから」と考えて肯定しているでしょう。多分、キュビズムの意味を理解しデッサンの基礎を学べば、本当の良さを理解してもらえそうですが、それでも「大多数」であっても「全て」ではありません。
ましてや、キュビズムを理解した上でも「キライだ」という意見が出るのだろうとも思います。そして、それが「自然なこと」であるとも思っています。
少数意見を取り上げることは大事なことです。しかし、その小さなことが作品自体に悪影響を及ぼしては本末転倒です。
少数意見をどこまでスパイスとして取り入れるのかが問題なのです。コショウをかけた肉は旨いですが、かけ過ぎは食べられなくなります。
何につけても「過ぎたるは及ばざるが如し」なのですから。




