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余り語られない撮影所のあれこれ  作者: 元東△映助
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余り語られない撮影所のあれこれ(65) 監督列伝vol.4 特撮作品の監督その4 「小西通雄」

★監督列伝vol.4

特撮作品の監督その4

「小西通雄」


さて今回は、12月5日が「東條監督」のお誕生日で81歳を迎えられたということもあり、10歳上の監督のことが思い出されましたので、その監督が91歳をお迎えになる前に語らせて頂こうとおもいます。

という訳で、久しぶりに私が関われた監督を取り上げてみたいと思います。

第4回は、特撮作品で監督業を締められた「小西通雄監督」。

今までの「東條監督」「石田監督」「小林監督」と並び、特撮作品の監督としてご活躍された監督です。

この方もまた他の監督に勝るとも劣らない特異な方ですw


尚、例によって情報のほとんどが30年前ですw

今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。


●基本データ

小西通雄(本名)

1930年1月1日生まれ、現在90歳!

岡山県出身。

小肥り体型で丸顔。外での撮影中は帽子を被る時もありましたが基本的には被られていませんでした。眼鏡は老眼鏡。

撮影中は台本を読む際には老眼鏡だが、それ以外は裸眼。

タバコは良く吸われていた印象がありますが、吸っているというよりも火の着いたタバコを指に挟んで持っているという印象でした。現在では禁煙されているようです。

お酒は駄目でしたが、コーヒーは大好きでした。

本来はドリップコーヒーでしたが、インスタントしかない撮影現場でも、タバコと台本と老眼鏡と筆記用具と供にインスタントコーヒーの入った紙コップは必須のアイテムでした。


年配のスタッフからは「しぇんしぇい(=先生)」と呼ばれていました。

因みに私の住む四国の郷里では、年配の人程「さ行」の発音が得意ではなくて、「さ行=し行変則活用w」になってしまい「しゃ、し、しゅ、しぇ、しょ」という発音になります。

勿論、「せんせい」は「しぇんしぇい」になります。

尚、「し行変則活用」の呼び方は冗談ですが、昔の京都で発音されていた言葉使いで、京都より西の地方では四国や九州でも「しゃ、し、しゅ、しぇ、しょ」と発音されていました。

小西監督も微妙に「し行変則活用」でしたから、そこから付いたニックネームと思われます。

但し、年配のスタッフは面と向かって「しぇんしぇい」と呼んでいましたが、若手は流石にご本人のいらっしゃらないところで呼んでいましたw

補足ですが、基本的に「小西しぇんしぇい」とは呼びません。

「巨匠」と言えば「石田監督」のように、「しぇんしぇい」と言えば「小西監督」です。


●特撮作品だけでも素晴らしい

東映に助監督として入り、1962年から監督に昇格。

その監督として携わった作品でも、特に特撮作品のみをあげてみます。


ジャイアントロボ(1967年)

5年3組魔法組(1976年)

宇宙鉄人キョーダイン(1976年)

秘密戦隊ゴレンジャー(1975年‐77年)

快傑ズバット(1977年)

仮面ライダースーパー1(1980年)

大戦隊ゴーグルファイブ(1982年)

宇宙刑事シャリバン(1983年)

星雲仮面マシンマン(1984年)

宇宙刑事シャイダー(1984年)

スケバン刑事(1985年)

巨獣特捜ジャスピオン(1985年)

もりもりぼっくん(1986年)

時空戦士スピルバン(1986年)

超人機メタルダー(1987年)

仮面ライダーBLACK(1987年)

劇場版 仮面ライダーBLACK

じゃあまん探偵団 魔隣組(1988年)

機動刑事ジバン(1989年)

劇場版 機動刑事ジバン

特警ウインスペクター(1990年)

特救指令ソルブレイン(1991年)

特捜エクシードラフト(1992年)

特捜ロボジャンパーソン(1993年)

劇場版 特捜ロボジャンパーソン

ブルースワット(1994年)


ブルースワットの44話「虫歯の電脳戦士」が最後の監督作品となりました。


●特撮作品だけじゃない作品群

小西監督の凄いところは、特撮作品だけではありません。

東映作品一筋に映画は勿論、アクションテレビドラマを数多く監督している点にもあります。

その作品群をご紹介しましょう。


○劇場公開作品

東京丸の内(1962年・初監督作品)

警視庁物語・自供

警視庁物語・行方不明

赤いダイヤ

悪魔のような素敵な奴

続・おんな番外地

可愛いくて凄い女

盛り場ブルース

㊙女子大生 妊娠中絶


○テレビドラマ作品

ザ・ガードマン

馬喰一代

キイハンター

プレイガール

一匹狼

アイフル大作戦

ザ・ボディーガード

江戸特捜指令

ザ・スーパーガール

刑事くん

Gメン'75

Gメン'82

大空港

鉄道公安官

爆走!ドーベルマン刑事

裸の街

新幹線公安官

ザ・ハングマン

ザ・ハングマンII

新ハングマン

大都会25時


テレビドラマに至っては、アクションドラマに輝く名前の作品達ばかりで、眼がクラクラするぐらいです。

そんなアクションドラマの監督経験があったからこそ、特撮作品に移行されてもキレのある作品群を残されたのだと思います。


●監督の顔と普段の顔

普段の小西監督は、喋れば陽気なのですが生真面目で、余り冗談も言われません。というよりも、周りの人達が冗談を言っているように聞こえていないだけかもしれませんw

関西地方に近い岡山出身で、京都の同志社大学を卒業された上に、陽気な方なので関西系のノリをされていてもおかしくはないのですが、真面目過ぎて良く滑っていたのかもしれませんw


そんな小西監督も、撮影中は別人の様になります。

通常は優しい顔で演出されていますが、ご自分の演出意図が伝わらなかったり、演技がご自分の思うモノとズレていたりすると、少しずつ興奮されてきて、最後にはご自分で演技をしてみせて演技の微妙な違いを教えようとしました。

まぁ残念な事に、監督の意図した微妙なニュアンスを伝えるのには伝わりにくい演技力だった様です。

周りのスタッフにも伝わっていなかったようですが、頭に血が昇っている時でもあるので、キャストもスタッフも「監督、分かりません」とは言えませんし、多分言えば、更に興奮されていたでしょう。



●まだまだある興奮エピソード

以前の「撮影現場のルーティン」の中でも触れましたが、小西監督と言えば撮影時のスタート合図を思い出します。

普段から小西監督のスタートの合図には力が毎回込もっていて、「ヨーイ、ハイ!」と力強く合図をしてるのですが、「ハイ、ヨーイ、ヨーーイ、ハイーー!」と一段と力が入ったスタート合図をされた事がありましたが、かえってキッカケが掴めず役者がオロオロする場面もありました。

その中でも最高だったのは、「ヨーイ、カット!」でした。

「え?スタートじゃなくて、カット?」とスタッフ達はオロオロ。

どうも演技指導が足りなかったらしく、カメラを回す前に注意点を言っておきたかったというのが監督の想いだった様です。

但し、「ヨーイ、、、えーとねぇ…」と2回連続ではぐらかされると、隣に居た瀬尾カメラマンも怒りが込み上げて来ていました。

小西監督は瀬尾カメラマンの怒りなど、一切気にかけていない様子でしたがw


その瀬尾カメラマンを怒らせたエピソードがあります。

興奮しながら「ヨーイ、ハイーー!」と言って振り降ろした小西監督の手が、カメラフレームの前に飛び出したのです。

「しぇんしぇい。手がフレームインしちゃったよ」

まだ、瀬尾カメラマンは笑うだけで怒りませんでした。

しかし、その後直ぐにスタートしてフィルムが回り始めた撮影中に徐々に興奮されてしまい、次第に身体が前へ前へと前のめりになって行き、またしてもカメラフレームの前に…。しかも今度は身体全体が…。

フィルムが随分と回ってしまっていて、キャストの芝居も良かっただけに、瀬尾カメラマンも「しぇんしぇい!!」と怒っていました。

「キネマの天地」の中のエピソードとそっくりな天然さを地で行くエピソードとして記憶しています。


これ以外にも、細かなエピソードには事足りないのが小西監督でした。

つまり、陽気で生真面目で天然が少し入りつつも、何故か憎めないキャラクターなのが「小西通雄」監督なのです。


●弟子?

きちんとした師弟関係という訳ではありませんでしたが、小西監督の様に32年の長きに渡って監督をされていると、助監督として就いた人達の名前が、そうそうたる面々なのです。


石田秀範

伊藤寿浩

岩原直樹

小笠原猛

加藤弘之

小中肇

崔洋一

坂本太郎

鈴村展弘

田﨑竜太

辻理

辻野正人

長石多可男

松井昇

三池崇史

三ツ村鐵治

蓑輪雅夫

宮坂清彦

諸田敏


監督として十分な実績のある面々ばかりです。

中には、小西監督と供に作品の監督シフトを担っていた方もいらっしゃいます。

まぁ、この方々以外にも数多の助監督が小西監督の下に就きました。

斯く云う私もその一人であったことには、感謝しかありません。


●現在

現在の小西監督は、郷里である岡山県に帰られて、引退された1994年の「ブルースワット」の翌年に「倉敷芸術科学大学芸術学部美術学科」の「教授」に就任されていた様ですが、現在の大学のサイトの教員リストにお名前がないので、客員教授扱いなのかこちらも引退されたのかは分かりません。

またNHK岡山放送局の「きびきびワイド505」にシネマ博士として出演し、映画解説を担当され、放送禁止用語を連発するなどのハプニングがあるものの、同番組の人気コーナーになっていた様ですがこちらも番組改編で番組自体がなくなってしまっているようです。


●あとがき

今でも「小西通雄」監督を思い出す時には、「笑顔」と「熱の籠った演出」と「天然さ」という「憎めない明るさ」を身体全体から醸し出すキャラクターが一緒に思い出されます。

来年1月1日でお誕生日を迎えられる前の90歳の節目の年に「小西監督」の事を語らせて頂けた事に対して、「遅くなってすみません」と私が云えば、「良いですよ」と優しく答えて頂ける「しぇんしぇい」の笑顔が大好きでした。

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