表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
余り語られない撮影所のあれこれ  作者: 元東△映助
51/191

余り語られない撮影所のあれこれ(50) 監督列伝vol.3 特撮作品の監督 その3「小林義明」

★監督列伝vol.3

特撮作品の監督 その3

「小林義明」


今回は「余り語られない撮影所のあれこれ」が50回のキリ番ということで、満を持して「小林義明」監督のお話をしてみたいと思います。

実は、私が最初に覚えた特撮作品の監督の名前が「小林義明」でした。

そういった意味でも「憧れ」であった監督でもありました。

東映特撮作品として宇宙刑事シリーズをはじめとした監督業、不思議コメディシリーズをはじめとしたプロデューサー業と、多方面に活躍された多才で優秀な方でした。


余談ですが、初めてお会いした特撮作品の監督は「満田かずほ」監督でしたw


尚、例によって情報のほとんどが30年前ですw

今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。


●基本データ

小林義明(本名)

1936年9月8日生まれ、現在84歳。

東京都出身。

ぽっちゃり体型だが意外と長身。

丸顔で優しい顔。

普段からバケットハットかニット帽を被り、撮影中等ではメガネを掛けていましたが、プライベートでは外している時もありました。


●八面六臂

小林監督は、今では珍しい東映の社員でした。

撮影現場で居るスタッフのほとんどが人材派遣会社からの派遣による契約社員の扱いであることは、以前にも書きました。

その中での社員監督というのは、私の居た30年程前の当時としても珍しいことでした。


小林監督の助監督としての初作品は片岡千恵蔵主演の「二発目は地獄行きだぜ」(1960年)と言われています。

1968年には「刑事さん」で監督デビューも果たします。

そして1970年代に起こった東映社内の労働争議に、社員であったことで労働組合の幹部として関わり、労働組合から2年間労働を禁止されていました。その後労使交渉を経て現場復帰し、テレビプロの吉川進プロデューサーの誘いで「スパイダーマン」に参加した事が特撮作品へ深く関わって行く結果となるのです。


では、先ずは「監督作品」を列挙してみます。


○監督作品

刑事さん(1967年)監督デビュー作品は1968年

キイハンター 第31話「フーテン族強奪作戦」(1968年)

プレイガール(1969年)

江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎 第26話「白昼夢 殺人狂奏曲」(1970年)

バーディー大作戦(1974年)

スパイダーマン(1978年)

ザ・スーパーガール(1979年)

ミラクルガール(1980年)

電子戦隊デンジマン(1980年)

太陽戦隊サンバルカン(1981年)

ロボット8ちゃん(1981年)

宇宙刑事ギャバン(1982年)

宇宙刑事シャリバン(1982年)

胸キュン探偵団(1983年)

宇宙刑事シャイダー(1984年)

巨獣特捜ジャスピオン(1985年)

ゲゲゲの鬼太郎(1985年)

時空戦士スピルバン(1986年)

仮面ライダーBLACK(1987年)

妖怪奇伝ゲゲゲの鬼太郎 魔笛エロイムエッサイム(1987年)オリジナルビデオ作品

仮面ライダーBLACK RX(1988年)

劇場版 仮面ライダー世界に駆ける(1989年)

大予言 復活の巨神(1992年)オリジナルビデオ作品

五星戦隊ダイレンジャー(1993年)

忍者戦隊カクレンジャー(1994年)

超力戦隊オーレンジャー(1995年)

劇場版 超力戦隊オーレンジャー(1995年)

激走戦隊カーレンジャー(1996年)


1996年の激走戦隊カーレンジャーのパイロット(=1,2話)の撮影をもって東映を定年退職しました。

そして、


ウルトラマンダイナ(1997年、円谷プロ)


という東映社員という本来の立場ならばあり得なかった作品への参加もされています。


また、世間的には珍しい事なのですが、社員監督としては珍しくない「テレビドキュメンタリー作品」も監督されていました。


ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる 第20回「証言 60年安保と浅沼刺殺事件」(1984年)


また、オープニングだけの監督として

「Gメン`75」(1975年)

「特捜最前線」(1977年)

があります。


○脚本作品

小林監督は「林強生」名義で脚本も手掛けていました。

本数としては少ないですし、当初は加筆訂正等ではなかったのかと思われる連名表記でした。

尚、「時空戦士スピルバン」の時には小林義明名義でした。


フラワーアクション009ノ1(1969年)

冠婚葬祭屋(1972年)

特捜最前線(1977年)

宇宙刑事ギャバン(1982年)

時空戦士スピルバン(1986年)


○プロデュース作品

監督、脚本、そしてプロデュース業です。

本当に八面六臂の活躍ですw

しかし、コレは社員としては仕方ないことで、仕事の出来る人にはどんどん仕事が割り振られて来るのです。


おもいっきり探偵団 覇悪怒組(1987年)プロデューサー

じゃあまん探偵団 魔隣組(1988年)プロデューサー

魔法少女ちゅうかなぱいぱい!(1989年)企画

魔法少女ちゅうかないぱねま!(1989年)企画

美少女仮面ポワトリン(1990年)企画

不思議少女ナイルなトトメス(1991年)企画

うたう!大龍宮城(1992年)企画

有言実行三姉妹シュシュトリアン(1993年)企画


東映の社員時代を中心に作品を列挙してみましたが、今までの契約監督とは違い、ひとつのシリーズ作品中でも他のシリーズ作品の仕事をされている場合が多いということです。

八面六臂の活躍も社員だからこそ「そうなってしまった」ものなのかもしれません。


●人物像

これまで「余り語られない撮影所のあれこれ」で語ってきた監督である「東條昭平監督」や「石田秀範監督」は「怖い」というイメージがありましたが、小林義明監督も「怖い」とイメージされる監督です。

石田秀範監督は、表に出る場合にサングラスをかけた強面のイメージでビジュアルから「怖い」と評される場合が多いのですが、小林義明監督は、どちらかといえば表立っては優しいイメージのある東條昭平監督タイプです。


優しくおっとりとした感じにみえるタイプの小林監督は、東條監督とは違い声が大きくなることは稀でしたが、厳しく演出をされるタイプでした。

まあ、元々声は大きい方ではありませんでした。

気に入らなければ何度でもリテイクを繰り返す様子は、東條監督や石田監督とも似ていましたが、東條監督の様に感情的になって指示が分かりにくい状態になったり、石田監督の様にほとんどを役者の能力に委ねる演出ではなく、指示を与えつつ微妙に軌道修正していくタイプの演出でした。


リテイクが多いと役者にとって「怖い」とイメージされる監督となっていくのでしょうかねぇw


普段は、親しい人とは笑顔で良く話される方でしたから、社交的ではありましたが、仕事になれば内に熱いものを秘めている眼光があった様に感じていました。


●「大予言 復活の巨神」裏話?

私は、小林監督とは「大予言 復活の巨神」でお仕事をご一緒させて頂きました。私が参加した時には脚本の準備稿が用意されていた段階でした。

既に他の媒体で発表されていることですが、小林監督は「大予言」の脚本を当初不思議コメディシリーズで仕事を共にされた脚本家の浦沢義雄さんに依頼しました。

しかし、浦沢さんが書き下ろした脚本は各方面から不評で、結果的には降板されてしまいます。

実際、脚本は準備稿から何稿かを重ね、江連卓さんが代わりに担当されました。

小林監督は、その浦沢さんの脚本を気に入っていたといわれています。

私は個人的に、この変更された脚本が良かったとは思っていません。

勿論、江連卓さんの脚本が悪い訳ではなく、そういう脚本にしなければならなかったのです。

あくまでも個人的な意見として、内容がどういうモノに成ろうとも、現場が納得いかないモノでも、それでも制作が決定した作品は、映像作品にしなければならないと思います。

それがプロです。

制限のある枠の中で、最大限の努力をし最高の仕事をする。

それが撮影現場の仕事なのです。

このことは、社員監督である小林監督は、特に分かっていたのではないかと思っています。


●鳴かぬなら

小林監督の作品づくりのスタンスは、端的にいえば「こだわり」です。

良い映像を撮るためならば、リテイクは当たり前で長時間の待ちも日常茶飯事でした。

特に、私が小林監督の下で唯一作品できた「大予言 復活の巨神」では、シリーズ作品とは違うオリジナルビデオ作品ということもあり、脚本以外の予算も時間も制約が緩く、私の様なぺーぺーのスタッフへのギャラも高かったのですが、それは撮影に入った後の拘束時間の長さ等の特別現場料金が加味されていたのでは?とも思えてしまう程でした。

長野県まで泊まりがけでロケーションが敢行され、単発のビデオ作品にも関わらず、3体も4体ものオリジナルアクションスーツが作成されました。


田中秀夫監督は、小林監督のことについて「彼はすごいものを撮るからね。その分お金もかかるけどw。でもあれは彼の粘り勝ちという気もするね。すごく徹夜もするから」と語ったらしいです。


確かに昼間の撮影後、休憩を挟んでの夜間撮影。

こだわりのリテイクに次ぐリテイク。

「鳴かぬなら、鳴くまで待とう」と「鳴かせてみよう」を使い分けて、良い作品を作っていたのだと思います。

事実、小林監督作品は誰もが「大変」と称されます。しかし、その分「遣り甲斐」もありました。

映画並みの待ち、こだわり、に加えて「新しいことへの挑戦」にも貪欲でした。

だからこそ、ベテランスタッフが小林監督の作品だからと集まってくるのです。

事実、「大予言」に参加したスタッフの多くは「仮面ライダーBLACK」や「BLACK RX」の時に、小林監督の作品に関わったスタッフでした。


まぁ、何にせよ撮影所という場所は「良い映像を撮って、良い作品が作りたい」と思う馬鹿な老若男女の集まりですからw

それを実現してくれそうな人物の下に集まってくるのです。


●【余談】退職後

東映東京撮影所を退職された後は、2012年に株式会社自由メディアを立ち上げ、今も映像に関わっていらっしゃっているようです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] >制限のある枠の中で、最大限の努力をし最高の仕事をする。 映像制作に限らず、仕事とはそういう物なのではないかと思います。 私には経験ありませんが、制限を全部取っぱらったら、逆にまとまらなか…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ