余り語られない撮影所のあれこれ(30) 円谷映像の特撮作品の現場 「髑髏戦士スカルソルジャー~復讐の美学~」
★円谷映像の特撮作品の現場。
「髑髏戦士スカルソルジャー~復讐の美学~」
メタルヒーローシリーズと不思議コメディシリーズの現場を語って、仮面ライダーシリーズ49周年、スーパー戦隊シリーズ45周年とくれば、普通どちらかのシリーズの撮影現場を語るでしょう。
しかし、私が経験したどちらのシリーズ作品の現場もホンの少しでしかなくて、語るにはおこがましいくらいなので、何かの機会に語るくらいにさせて下さいw
今回は、今まで東映作品ばかりであったので、私が東映作品以外で関わった数少ない特撮作品の世界を紹介しようと思います。
尚、例によって情報のほとんどが30年前ですw
今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。
●「髑髏戦士スカルソルジャー~復讐の美学~」
この作品こそ「余り語られない」と冠するのが相応しい作品です。
制作年は1992年。今から28年前の作品になります。
まだまだ、特撮作品もデジタルではなくて16ミリフイルムで撮影していて、CGなんて高い金額を払うことでしかお願い出来なかった時代の作品ですw
制作は「円谷映像」「愛企画」「ケイエスエス」。
監督、主演、アクションと八面六臂のクレジットで「京本政樹」氏の名前があがります。
今でも「京本政樹」氏のことは「京本監督」と呼んでしまいそうになりますww
そして、京本政樹さんといえば「必殺シリーズ」でも有名ですから、時代劇の要素も入ってきます。
作品の制作経緯は、大人の事情で詳しくは話せませんがw京本政樹さんが、石ノ森章太郎原作の「スカルマン」の実写映像化の企画を東映に持ち込んだことから始まり、紆余曲折の後に円谷映像が企画を引き受け、タイトルも変更して「京本政樹」オリジナルとして制作された作品です。
「スカル」はその名残といえます。
結果的に京本政樹オリジナルとなったことで、原作ありきの制約から解き放たれて、日本刀での殺陣やデザインや脚本等で京本ヒーローとして転生した感じになっています。
●円谷映像
「円谷プロ」ではなくて「円谷映像」の特撮作品です。
今では「円谷エンターテイメント」と呼称されています。
「仮面天使ロゼッタ」「ウルトラQザ・ムービー星の伝説」「ウルトラQdarkfantasty」「エコエコアザラク」の実写作品の他にアニメも制作しています。
渋谷に本社を置き、独自のセットも持っていませんでしたので、全編ロケセットでの撮影でした。
クランクインまでは渋谷の本社で準備をしていましたが、クランクイン後は主人公が屋上で暮らす設定の雑居ビル(大家役:横山ノック)を拠点として、ここから撮影に向かいました。
東映では、小道具さんも衣装さんも撮影所の所内に会社や倉庫を持っているので、同じ場所に衣装合わせ用の服や小道具が持ち込まれて準備する事が新鮮でした。
東映作品では使わないロケ先も多く、自分でロケバスを動かしている訳でもなかったので、自分が居る場所が何区なのかもわからない状態でしたw
●スタッフ
京本政樹さんは、特撮好きでも有名で特に仮面ライダーのファンでした。
その京本さんが、実写映像作品を制作したいと思うのは必然といえますw
しかし、制作するのならばスタッフを特撮の分かる人材で集めなければ成りませんでした。
脚本は「武上純希」氏。「スケバン刑事Ⅲ」「リュウケンドー」「シュシュトリアン」に参加していて、後にスーパー戦隊も多く手掛けることになります。
撮影は「伊佐山厳」氏。「戦国自衛隊」等の角川映画のカメラマンでしたが、特撮ヒーロー作品は初めての様でした。
カメラマンは当初、他の方をオファーされていたようですが、スケジュールが合わずに断念されました。詳細は大人の事情ww
アクション監督が素晴らしくて「高倉英二」氏。「レッドバロン」シリーズ3作品をはじめ、「シルバー仮面」といった特撮作品から「野獣死すべし」のアクション、「大江戸捜査網」の時代劇までこなされていました。
操演は「根岸泉」氏。「ゼイラム」2作品をはじめ「サイバーコップ」「グリッドマン」や「ウルトラマンティガ」以降の「ウルトラシリーズ」では今や重鎮として活躍されています。
特殊メイクは「アトリエ・シュウ」代表の「大西修」氏。ガジャ(演:潮健児)の特殊メイク等を担当されました。
潮健児氏のライフマスクを取るのに、京本監督共々にアトリエにお邪魔しました。クランクインからは、撮影拠点となった雑居ビルの3階で撮影前に数時間かけて潮さんの特殊メイクを施されていました。
実は、役者さんが自ら監督をされる様な場合や、監督経験はあるもののジャンル違いの監督分野がある作品等では、「監督補」や「監督助手」といった役職を置いて監督業を補佐するのですが、役職として置かない場合はチーフ助監督が重要な役割となります。
本作品も「佐藤陸夫」氏という新人監督の初監督作品(森田芳光監督作品等)を成功に導いた方がチーフ助監督を努めましたが、如何せん特撮作品の経験がない為に、「誰か、特撮作品の分かる助監督紹介して」と私の所属するスタッフ斡旋会社に問われて、私が補助についたようですww
本来は、特撮作品の監督やチーフ助監督クラスを希望されていたのでしょうかねぇ?
●キャスト
キャスティングのバラエティさは、京本政樹監督の人脈以外に何者でもありません。
潮健児さんの起用もさることながら、その潮さんがガジャの衣装にと、「悪魔くん」の当時のメフィスト(弟)の本物のシルクハットを使いたいと希望されると、「悪魔くん」の主演であった「金子光伸」氏を(役者を引退していたのにもかかわらずに)出演させて、役者として再会を果たさせたくらいの行動力の人でした。。
さて、キャストのテロップに出てくるカッコ書きのバラエティさもこの作品の特徴です。
「特別出演」「友情出演」「特別友情出演」と、映像業界で付けられるカッコ書き3種類が揃い踏みしています。
「特別出演」は、大御所の俳優さんに端役をお願いする場合や、エンドロールの名前の順番上やもおえず「格」を欠いた場所にクレジットしなければならない場合等に付けられます。
本作品では「長門裕之」さんが「本田博太郎」さんよりも格上の役者さんにも関わらず、配役の都合上で本田さんを「トメ」に使わないといけなかった為に「特別出演」としてクレジットされています。
「友情出演」は、通常のギャラよりも安い「友情価格」のギャラで出演していただいた場合に付けられます。
「特別友情出演」は、大御所俳優さんに端役をお願いした上に、ギャラまで通常よりも安い金額で引き受けて下さった場合に付けられます。
本作品では「森田健作」「横山ノック」という、奇しくも現千葉県知事と元大阪府知事の二人がクレジットされています。当時は、お二方共に参議院議員でしたので、大御所俳優さんとは違った意味で格を考えてのクレジットなのでしょう。「友情出演」の役者さん達の最初とトメにクレジットされている気の使い様が、京本監督の性格を表しています。
演技としての特筆は、「本田博太郎」さんにつきます。
本田博太郎さんの怪演。いや「壊演」が目を惹きます。
この作品以前からの演技なのかは分かりませんが、私はこの作品以降の本田さんの演技には、この作品で見付けた「全てを発散した演技」が根底に備わったからだと勝手に思っていますww
因みに、本田さんの使われているフェンシングの道具は、「日本フェンシング協会」さんからの借り物で、渋谷の事務所に出向いて私が交渉しお借りしましたが、エンドロールにクレジットされていないのは、私のせいかもしれませんww
●潮健児氏の最後の特撮作品
最後に、これだけは書かせて下さい。
本作品は、多くの特撮作品に関わられた「潮健児」という役者の「最後の特撮作品」となりました。
撮影が1992年。お亡くなりになられたのが1993年。
肝硬変の病床からのご出演でした。
そして、所属事務所「オノプロ」の社長兼潮健児のマネージャーとして「唐沢俊一」氏が付き添っていました。
私は「唐沢俊一」氏の名前も、弟さんの「唐沢なをき」氏の描く唐沢俊一氏のことも知っていましたが、唐沢さんと潮さんの関係を知らなかったので、長髪のマネージャー?付き人?ぐらいにしか思っていませんでしたww
潮さん自身はとても良い方で、東映特撮作品の関係者が京本監督と潮さんと私ぐらいだっただけに「また、3人で東映の作品で一緒にやりたい」と言って頂きました。
翌年に出版された自伝「星を喰った男」を遺作に残して、星の彼方に行かれてしまわれましたし、私も潮さんの最後を待たずに東映を去りましたので、約束を果たせませんでした。
本当ならはもっと詳しく書きたいのですが、語れないことの多い作品なので、無難な内容に成りましたことをお詫びします。
レンタルでも余り見かけない作品ですが、よろしければご鑑賞頂けると嬉しいです。