余り語られない撮影所のあれこれ(184)「撮影所内の移動は徒歩だけじゃない」
余り語られない撮影所のあれこれ(184)「撮影所内の移動は徒歩だけじゃない」
●撮影所内を歩く
撮影所内には様々な建物が存在します。
ステージセットや機材倉庫をはじめ、衣裳部屋、メイク室、製作部、試写室などなど…
そんな建物と建物の間を移動する手段は、本当に限られています。
撮影所内は自動車もバイクも通行は可能ですし、あくまでも敷地内ですからバイクや自転車に乗る際のヘルメットの着用も基本的には免れます。
今回は、単なる移動と侮るなかれ、本当に限られながらも多彩な撮影所内の移動手段について語ってみたいと思います。
尚、例によって情報のほとんどが約30年前です。
今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。
また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在します。
その点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。
そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。
東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。
その点を予めご理解ご了承下さい。
●徒歩で移動
撮影所内での移動手段の殆どは「徒歩」です。
どんな大俳優や大監督であっても移動手段は「徒歩」です。
男性でも女性でも老いも若きも、その移動手段は「徒歩」なのです。
猛暑の夏も雪の降る寒い冬も雨の日も夜も早朝も「徒歩」でした。
東映東京撮影所の面積は、私の居た1990年代は45000㎡、更に昔は現在のLIVIN大泉の建っている場所がオープンセットでしたから全部で64000㎡ほどありました。
現在では撮影所裏のオープンセット兼駐車場が売却されてマンションとなっていますから、37000㎡ほどになってしまっています。
東京ドームの面積に例えれば、1990年代頃には東京ドームより少し小さいくらい。
現在では東京ドームの6割程の面積になります。
その広い撮影所内の隅から隅までを移動する訳では有りませんが、それでも相当な距離となります。
ですから撮影所内の移動方法を「徒歩」を基準とした場合には、下っ端は常に「走る」を選択していました。
東映京都撮影所では、総面積66000㎡。
その内、オープンセットである太秦映画村が53000㎡を占めます。
これは国内最大の撮影所なのです。
それでも基本的な移動手段は「徒歩」でした。
ステージセットが建ち並ぶ京都撮影所からオープンセットである太秦映画村に行く途中には、私道がありますが、ここも「徒歩」で潜り抜けていました。
京都撮影所は、時代劇が中心の作品が多いという事で和服が基本という事もあり女性は基本的に「徒歩」でしたが、男性は「徒歩」に限っていませんでした。
それは、京都撮影所が東西に長い敷地であることにも要因があります。
俳優たちの待機場所や着付け、結髪さんと呼ばれるカツラをつける部署の入った俳優会館が京都撮影所の西の端にあり、ステージセットであれば遠いステージセットでも直線距離で200メートル程とそこまで遠くないのですが、オープンセットであれば東の方でしたから350メートル程ありました。
ですから移動するだけで一仕事という感じでした。
●自転車で移動
通勤が自転車のスタッフや撮影所に頻繁に訪れるキャストなどは、撮影所内を自転車で移動するという人もいました。
まあ、そんな人は本当に稀で、自転車での移動のほとんどがスタッフであり、何か急ぎの場合でした。
自転車を撮影所内用として置いてあったりする場合も含めて、そのほとんどがママチャリと呼ばれるカゴ付きの自転車でした。
前カゴに何かを乗せて急いでペダルをこいでいる人か、余裕でゆったりとペダルを踏みながら事務所やスタッフルーム前に停める中堅の技師さんや制作部さんというのが自転車を撮影所内で使う一般的な方々でした。
サイクリング自転車で通勤する人もいましたが、流石に撮影所内の移動にサイクリング自転車を使う人はいませんでした。
●バイクで移動
通勤でバイクを使う人は多くいましたが、撮影所内をバイク移動する人はスクーター系の原付バイクに限られていました。
両足を揃えて乗るタイプのスクーターは、その足元に荷物を載せ降ろしが出来るという利点がありましたし、和装でも簡単に乗り降りする事ができましたから、スタッフからキャストまで様々な人がスクーターを移動手段として利用していました。
事実、東映京都撮影所では髷を結い衣装を着けた黄門様がスクーターで撮影所内を走る姿が、撮影所を紹介した番組のカメラに収めされているくらいです。
しかし、そんなスクーターでの移動をできるのは中堅以上のキャストやスタッフぐらいで、下っ端が仕事中に乗っていれば、相当急いでいるか撮影所外への買い出しや通勤といった風に見られるくらいに一般的ではないのです。
これは自転車やスクーターでの撮影所内での移動が、余り推奨されていない事が関わっています。
徒歩での移動が殆どを占める撮影所内では、自転車やスクーターでの移動は歩行者にとっては危険性があるからなのです。
だからといって全く乗り入れ禁止ではありません。
通勤に使用する人がいますし、前途した様に急ぎの時や長距離の撮影所内移動で使用する人もいるからに他なりません。
尚、撮影所内は私道ですから、自転車もスクーターもヘルメットの着用が無くても乗車可能でした。
しかし、そのまま撮影所外へ出れば一般道路ですから道路交通法違反です。
●自動車で移動
撮影所内の移動で自動車を使うというのは、基本的には一部の限られた車両だけでした。
その殆どは撮影所外へ出ていく為のスタッフ用のロケバスや撮影資材トラック、照明資材トラックなどといったロケ車両や撮影用のパトカーなどの劇用車両でした。
勿論、撮影所外へ出ていく為だけではなく、ステージセットに撮影資材や照明資材などの資材を運び込む為に撮影所内を移動する場合もありましたし、劇用車両ならば、撮影所内にセットの一部として配置する為に移動するという場合もありました。
尚、前途の自転車やバイクなどと同じく撮影所内の車両の往来は禁止されていませんでした。
●ターレで移動
撮影所内だけを移動する車両として「ターレ」という車両があります。
一般的に良く見かけるのは魚河岸などで、正式名称を「ターレット式構内運搬自動車」といい、卸売市場や工場、倉庫などで荷役作業に使用される小型の運搬車のことです。
円筒状の動力部が前方に付いた3輪の構造で、小回りが利き、狭い場所での作業に適している車両です。
撮影所内でも大道具等の資材を運ぶ車両として使用するのが一般的でした。
「ターレ」自体の運転は少しコツが要りますから誰もが簡単に使用する車両という訳でもありませんでした。
ですから、撮影所内では「ターレ」は一般的には大道具さんが運転する大道具さんの車両という認識でした。
東映では特に京都撮影所で良く見かけました。
別に東京撮影所内に「ターレ」がなかった訳ではありませんでしたが、それでも東京撮影所で見かける事は稀でした。
東京と京都のどちらの撮影所にも「ターレ」は1台づつしかありませんでしたが、それでも殆ど決まった場所しか走っていませんでしたから、東京撮影所では私がその場所に余り足を運ばなかったから見かけなかったのでしょう。
前途した様に「ターレ」は撮影所内だけの車両で、撮影所外には出ていく事はありませんでした。
京都撮影所では、「ターレ」はオープンセットである太秦映画村までは移動していました。
●リヤカーで移動
撮影所内の移動の「徒歩」以外の方法には、自転車、バイク、自動車、ターレ以外に「リヤカー」という方法もあります。
寧ろ、自転車やバイクや自動車よりも撮影所内における「リヤカー」の数は多く、殆どの荷物運びは「リヤカー」でした。
尚、「リヤカー」に関しては、「その18 『リヤカー』」で詳しく説明していますので、そちらを参照して頂ければと思います。
●暗黙のルール
撮影所内には暗黙のルールがあり、それが撮影所内の移動手段を大きく制限する事になっています。
「警笛鳴らすな」
という注意文字が東映京都撮影所のNo.9ステージ前の通路に高々と掲げられているのは、京都撮影所を知る者にとっては有名な話です。
見通しの悪い交差点状態のステージセットとステージセットの間の道ですから、一般的には「警笛鳴らせ」とするのが本来なのでしょうが、ココは撮影所です。
警笛は鳴らさないようにして注意して進むのが撮影所内の暗黙のルールなのです。
では何故そのような一般常識とは異なったチグハグな状況が生まれるのでしょうか?
それは、撮影所の「音」に対する暗黙のルールがあるからなのです。
コレは前途した「その18 リヤカー」の回にも書いたのですが、撮影所には撮影の際に「同時録音」している場合が一般的で、画面上に映る物以外からの「音」が「同時録音」される事は基本的に「NG」となり「撮り直し」となってしまうからなのです。
ですから、実際に録音しながら撮影する撮影開始の「本番」の声は、ステージセット内だけではなくステージセットの外にも叫ばれ注意喚起がなされます。
更に「本番中」のステージセットからは一時ブザーやベル音が鳴り響き、赤色灯が「本番中」の間、延々と回り続けるのです。
この「本番」の声や「ブザー・ベル音」「赤色灯」の回っているステージセットの周囲では、基本的に動力の付いた乗り物は全て動力をカットし、静止していなければなりません。
ましてや「警笛」などは御法度です。
どんな動力音よりも「警笛」は遠くまで届きます。
遠くまで届かなければ「警笛」の意味がないのですから当たり前です。
「本番中」のステージセットでは、エアコンすら切られます。
夏は締め切って暑く、冬は隙間風が入り込むステージセットでは、暑さ寒さの対策にエアコンは生命線ですが、それすら撮影の「邪魔」ならば切ってしまうのです。
極端な話、「本番中」のステージセットの前では歩みすらも留めますし、会話もヒソヒソ声のような小さな音を絞ったモノにするまでが「暗黙のルール」になっているのです。
その間、立ち止まったキャストやスタッフは、回り続ける「赤色灯」を見あげ、その光と回転が止まるのを待つのです。
コレら「本番中」の「音」に神経質になるのは、ステージセットの防音対策が未熟であるからに他ならないのですが、コレはステージセットが建物として建築された当時の精一杯の防音対策であり、それを今日まで脈々と利用し続けているからなのです。
それでは全てのステージセットを最新の防音対策に改修すれば良いように思われますが、そうしようとすると莫大な費用がかかってしまうので、現在のような「本番中だけのルール」を周りに強制する事で、状況を成り立たせているのです。
この様な「音」に対する「暗黙のルール」がある事によって、「自動車」「バイク」「ターレ」といった動力の付いた移動手段が「撮影の妨げ」になる場合が多く、撮影所内の移動手段として「面倒だ」として利用者が少ない要因の大半を占める事となっているのです。
勿論、「自転車」や「リヤカー」には基本的に動力は付いていませんが、特有の「機械音」を撒き散らす場合がありますから、「徒歩」よりかは「音」に対する注意が必要になってくるのです。
因みに、「本番中」の「音」に対する注意喚起は、ステージセットに限った訳ではありません。
古い「アフレコルーム」でも同じ様な事が為されていました。
●あとがき
撮影所内の「音」に対する「暗黙のルール」が、撮影所内の「移動手段」にまで潜在的な制限を設けてしまっていると、少なくとも私は考えています。
昔はフィルムによる撮影で、同時に録音テープを回して同時録音というスタイルでした。
アフレコが主流であったフィルム時代の特撮作品の場合には、「同時録音」は存在しませんでしたから、「本番中」の「音」に対するルールは厳格ではなくて、「役者の芝居の邪魔」「集中して撮影しているスタッフの邪魔」といった程度のモノでした。
現在では、デジタル撮影が進み、特撮作品であっても映像と共に同時録音されるのが一般的になってきていますから、「音」には敏感になっていると思われます。
撮影所内の移動が「徒歩」中心なのには、キャストやスタッフの控室からステージセットまでの移動距離が通常であれば100メートル〜200メートル以内と短く、自転車やバイクを用意している間に半分以上は辿り着いている距離という理由もあるのかもしれません。
移動手段を「徒歩」以外に求めるキャストやスタッフにも、それなりの理由がありました。
東映京都撮影所の様に遠い距離を移動しなければならないとか、急遽必要になった小道具とかの運搬手段として時間が掛けられない場合を想定してとかが一例です。
しかし、そんな特別な理由が無い限りは「徒歩」が基本でした。
ですから、撮影所内を歩いて移動していると自然と撮影所内の礼儀の基本である「挨拶」も知っているスタッフ・キャストは勿論、知らないスタッフ・キャストにも交わす事が出来ましたし、周囲の状況も見る事が出来ました。
そして、撮影所内での撮影の場合、いざ撮影に入ってしまえばステージセットから動く事は余りありませんでしたが、それでもそれ以外のステージセットから出れば良く歩きました。
1日1万歩や2万歩は普通だったと思います。
まあ、撮影のある日の撮影所内では殆ど「走って」いましたが……