余り語られない撮影所のあれこれ(183)「『セル画』アニメは大変でした。しかし…」
余り語られない撮影所のあれこれ(183)「『セル画』アニメは大変でした。しかし…」
●アニメの話
我が郷里・徳島には「マチ★アソビ」というアニメ主体のサブカルチャーイベントがあります。
徳島出身の近藤光氏が社長を務めるアニメ制作会社「ufotable」に「阿波踊り」のポスターを発注されたことに端を発し、近藤光氏が「昔のようにマチ(シャッター街になりつつあった東新町商店街や徳島駅前の店たち)に人々があふれるにぎわいをとりもどせたら。もっとこのマチをアソビ尽くして欲しい」という想いからイベントを企画したと言われています。
それ以来、「マチ★アソビ」は多くの恩恵をマチに落とす存在となり、保守的であった徳島県民もアニメに多少なりとも寛容な街へと変わって行きました。
そんな、地方であっても活性化を見込めるサブカルチャーである「アニメ」は、今や日本国内だけではなく、海外にも多くのファンを持ち、若い外国人が日本を訪れたいという動機のひとつに「アニメ」があがるという状況になっています。
日本の「アニメ」も映画や特撮と同じように歴史があります。
古い「アニメ」から新しい「アニメ」まで多種多様な「アニメ」が作られてきましたが、その制作方法には変化が見られます。
今回は、若い人たちはよく知らない、旺年からのファンは懐かしい、古い「アニメ」の制作方法を中心に、語ってみたいと思います。
尚、例によって情報のほとんどが約30年前です。
今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。
また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在します。
その点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。
そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。
東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。
その点を予めご理解ご了承下さい。
●基本的なアニメ製作工程
アニメーションにも多くの種類が存在します。
基本的に「動かないものを動くようにみせる」ことが「アニメーション」ということになります。
今回は、この中でも現在主流となっている「紙の上に描いた絵を動かす」ことを中心にした「アニメ」についての制作過程となります。
○企画・設定・脚本・絵コンテ
オリジナルや原作ものなどの企画がありますが、いづれにせよ企画が通って「設定画」が描かれます。
そして、同時に脚本が作られます。
その脚本をもとにして「絵コンテ」が描かれます。
この「絵コンテ」までの工程は、古くから変わっていません。
○原画・中割り・動画・セル画・彩色(仕上げ)
絵コンテをもとにして「原画」が描かれます。
この際には、「設定画」に沿って「原画」が描かれることとなります。
基本的に「原画」は、「絵コンテ」の中の動きの起点になる場所と終了の場所が描かれます。
その「原画」と「原画」の間を繋ぐように「動画」と呼ばれる絵が描かれることとなります。
しかし、「原画」と「原画」の間が長い場合には、先ずは「中割り」と呼ばれる中間の「動画」絵が描かれ、それから「動画」が描かれることとなります。
「原画・中割・動画」は、1分間に対して描く枚数が決まっています。
これは、フィルム撮影の1秒間のコマ数に関連しています。
通常、撮影用フィルムは1秒間に24コマのフレーム=画面が連続で映し出されます。
ですから、ディズニーアニメに代表される「フルアニメ」と呼ばれる技法の「アニメ」では、1秒間のフィルムに対して24コマ=24枚の「絵」が必要となります。
「フルアニメ」は非常になめらかで、違和感ない動きを画面上に示してくれますが、これでは描く枚数も多くなり予算も多くかかってしまいます。
なので、カクカクとした動きにもならず一定の滑らかさも表現できる1秒間に16コマ=16枚というのが「日本アニメ」の主流になっています。
出来上がった「原画・動画」の枠線だけを、透明で上部に「タップ穴」と呼ばれる独特の3つの穴の開いたフイルム「セル」になぞって描き込みます。
草創期には「セル」の枠線は手書きで描かれていましたが、「セル」に枠線を「複写=トレース」できる機械の開発により「トレース線」を描くことに関しては飛躍的に早くなりました。
とはいうモノの最初期では「トレース線」で転写できるのは「黒」のみで、「色トレース」と呼ばれる「トレース線」の転写は出来ませんでした。
この「トレース線」を区切りとして「彩色」と呼ばれる「色塗り」をしなければなりません。
「設定画」と同じく「色設定」をもとにして「彩色」が行われます。
「彩色」の色数も市販されているモノは初期のころは少なく、様々な色を様々な配合で混ぜ合わせることで新たな「色」を作り出していました。
これを、指紋ひとつ付けないように白い手袋を履いて「セル」の裏側から「彩色」して行きました。
勿論、「筆ムラ」「厚み」「彩色ミス」は、修正かやり直しとなります。
これでようやく「セル」が「セル画」になります。
「セル画」が
○撮影・編集
「セル」に「彩色」ができ「セル画」になったら「撮影」です。
こちらこそ気を使います。
「セル画」を1枚づつ「撮影台」に貼り付けてある「タップ」に設置してフィルム撮影するのですが、撮影前に「セル画」のチェック、「彩色」が撮影ライトによって「色ムラ」を起こしていないか、撮影ライトが「セル」に反射していないか、などを見た上で、羽箒で「セル」の表面上のホコリやゴミを払い、撮影ボタンを押します。
これを延々と繰り返すのです。
そして、撮影された「セル画」のフィルムを切って貼って「編集」していきます。
その時点で撮影されたフィルムに撮影ミスや「セル画」としての彩色ミスが見つかる場合もあります。
撮影ミスは「撮り直し」という比較的少ない時間で修正可能ですが、「セル画」自体のミスとなると時間があるのならば「手直し」ということになります。
また、「撮影」段階で「特殊効果」を入れる場合もありました。
撮影時に手作業により「特殊効果」を入れていきます。
これは、フィルム時代には現像が仕上がってこなければ効果の程度が判らないものもあり、再撮影などとなる場合もあったようです。
○音入れ、白バコ
編集ができれば順番的には「音入れ」となります。
しかし「アニメ制作」において編集の終了を待って「アフレコ」等の「音入れ」をするよりもはるかに多いのが、編集済みではない「音入れ」専用の映像に合わせて「アテレコ」をすることになります。
その殆どが「セル画」でななく、「原画・動画」を撮影した映像で、中にはそれすらなく、セリフや音楽の長さだけが「線」によって表されるという場合すらもあります。
「セリフ」「BGM」「SE=効果音」などの「音入れ」が終われば「完成映像」として「マスターフィルム」となり、そのフィルムを関係者の確認用にラベルのない白い箱のビデオテープにしたものが「白バコ」ということになります。
●セル画アニメ
前途したように「フルアニメ」では1秒間に24コマ分の「原画・動画」と「セル画」が必要となります。
30分アニメでオープニング・エンディングとコマーシャルを除くと約21分~22分間の新作部分が必要となります(バンク映像と呼ばれるお決まりの映像も除けば、もっと新作部分は短くなります)ので、最大で約30000枚~約31700枚の枚数の「原画・動画」と「セル画」が必要となります。
これに対して1秒間に16コマだと、約20000枚~約21200枚と「フルアニメ」の3分の1程度となり10000枚ほど少なくなります。
それにしても、一人で作業すると7日間でも1分間に2枚程度の「原画・動画」と同じ枚数の「セル画」を仕上げなければならない計算となります。
ですから、必ず「原画マン」「動画マン」をはじめ「セル画・彩色」班は多人数となりました。
そして、その多人数は外注が多くありましたから、「動画」「セル画」を直接やり取りしなければなりませんでした。
近場であれば「進行」が車や電車で持ち運びしました。
遠方であれば、どうしても郵送となってしまいますので、できるだけ近場でお願いできる下請けのスタジオや事務所を探してお願いされていました。
FAXという場所と時間を縮める文明の利器はありましたが、「原画」や「動画」に使えるだけのクオリティは無く、紙媒体の直接やり取りが主流になっていました。
だからこそ、制作自体に膨大な時間が必要となり「修正=手直し」が必要になれば時間との勝負であきらめざるえない状況という場合もあったようです。
●今時のアニメ
現在の「アニメ制作」には、FAX以上の場所と時間を縮めながらもクオリティの高い媒体「ネット環境」というものが活用されています。
「ペーパーレス化」も進み、「原画」や「動画」すらも「デジタル化」して「ネット環境」の中でやり取りされるものすら出てきています。
しかし、まだまだ「原画」と「動画」は「手書き」に頼るところが多く、その「原画・動画」をトレースしてからが「デジタル化」というのが現状です。
そして、トレースされた「原画・動画」を「デジタル化」したことで「セル」も無くなりました。
更に「彩色」もパソコン上で行い「ネット=クラウド」によるやり取りにより、時間的にも費用的にもコストダウンが図られることとなりました。
つまり、「パソコンを使ったデジタル化」の恩恵によって、「原画」作業からはじまり「彩色=仕上げ」までの作業においての距離的デメリットと時間的デメリットが軽減されてきています。
しかしながら、実のところ製作時間と制作費用は手作業であった時代よりも格段に跳ね上がっています。
それは、「デジタル化」に伴う「クオリティの維持」ということが大きいと言われており、またその「クオリティ」を維持することと製作時間の増大を短縮するためにも「スタッフの分業化」及び「増員」が図られたことでの人件費の増加も一因となっているようです。
●それでも「タップ」は生きている
「タップ」とは、横幅25㎝ほど、縦2㎝程度の金属の板に、真ん中に丸い1㎝未満の金属棒とその左右に横長の2㎝程の金属棒が突き出た形の「アニメ用タップ」のことです。
「原画用紙」を重ねて写し取ったり、「セル」を何枚か重ねる時に複数枚の用紙等がズレない様にするためのアニメ特有の道具のことです。
撮影時にも使用します。
欧米から「タップ」が輸入される前の日本のアニメ制作では、浮世絵の木版画の時と同じく、L字に木枠を組んだものと細い木で作られた紙を置くための枠を利用して描かれていたようです。
映画等の実写映像を撮影する際に使用し、映画といえばコレといわれる道具「カチンコ」と同じように、「タップ」はアニメといえばコレといわれるほどにアニメ制作を象徴する道具なのです。
前途した「デジタル化」の理由で、アニメの撮影では既に使われなくなってきています。
しかし、まだまだ紙の作業が残っている「原画」や「動画」を描く際には「タップ」はなくてはならないモノなのです。
●アニメは何処へ行く
「セル画」アニメから「デジタル」アニメ、そして現在では「3DCG」アニメへと進化が図られています。
その進化は既に「セル」も「彩色」も無くならせつつありますが、それでも「原点」としての「描くこと」を忘れてはならないと思うのです。
そして、「原画」「動画」に紙が無くなっても、そこにはタッチペンによる「描くこと」はなくならないとは思うのですが、紙の上での「描くこと」は忘れてはならないとも思うのです。
それは、「原点」という名の「基礎」を知らなくては「進化」はないと思うからです。
つまり「デジタル化」という便利さは、「原点」である「アナログ」を知ってから行うのとそうでないのとでは雲泥の差があると思うのです。
アニメに「デジタル化」という「進化」が到来したことで、時間的・距離的な便利さが得られるようになると共に、「彩色」も色ムラや塗り残しやカラーの飛び散りによる衣服の汚れなども無くなり、更には「ビジュアルクオリティ」も格段に上がっていくという時代が来たと言っても過言ではないでしょう。
近年になってCGが多くを補助してきた実写映像を作る世界でも、「アナログ」技術を使った「原点回帰」的な撮影方法に注目が集まって来ています。
流石にアニメ制作の世界では、そこまで「アナログ」な「原点回帰」は行えないとは思われますが、高畑勲監督作品の「かぐや姫の物語」の様な「トレース線をあえて繋げないで手描き風にするアニメ」という様な実験的で挑戦的な作品が作られないとも限らないと思うのです。
●あとがき
私はプロのアニメ制作現場に参加した事はありません。
東映動画(現:東映アニメーション)を辞めて東映テレビプロへ制作進行で入って来た人は知っているし、話も聞いたことはあります。
しかし、私自身が高校時代(約40年前)の部活動(総合アニメーション研究部)で15分程の「セル画」アニメを制作した経験はあります。
1年生から3年生までを含めてもたかだか20〜30名足らずの部活動レベルでしたから、企画から撮影、完成までに3年余りを有しましたが、全て手作業による制作作業でしたから、奇しくも昔ながらの「セル画」アニメ制作を体験する事が出来ました。
多分、制作に携わった生徒でアニメ関係に就職した人はいなかったと思いますが、良い経験と想い出になったのではないかと思われます。
近年では、「ハケンアニメ」「SHIROBAKO」「全修。」といったアニメ制作やその一部を舞台とするアニメ作品が作られる様になって来ました。
そこには、手描き「セル画」アニメは既になく、「デジタル化」アニメと「3DCG」アニメが混在する空間が描かれています。
NHKの朝ドラ「なつぞら」で描かれている時代まで遡らなければ「セル画」アニメの世界は描かれなくなってしまっているのではないでしょうか。
今やアニメ業界に携わっていたり就職している人達ですら、「セル画」アニメという技術を体験していないでしょう。
そういった意味では「失われゆく技術」である事は確かだと思われます。
何にせよ、「失われゆく技術」というモノは「失われてしまった」では継承も出来ないのです。
昔の技術が未来にヒントや輝きを与える事もすくなくなくなっている今日なのですから、尚更です。
勿論、「セル画」アニメが復活して欲しいとは思いませんが、個人的にはその技術を「基礎」なり何なりとして、誰かが何処で「失われない」様に受け継いで欲しいなぁと思う昨今ではあります。