余り語られない撮影所のあれこれ(181) 「『時代劇』は、また燃え上がるのか?」
余り語られない撮影所のあれこれ(181)
「『時代劇』は、また燃え上がるのか?」
●時代劇を取り巻く昨今
昨年から「SHOGUN」のエミー賞、ゴールデングローブ賞の受賞、「侍タイムスリッパー」の日本アカデミー賞の受賞と、立て続けに「時代劇」が話題となっています。
これは「時代劇」を取り巻く環境が変化しているのでしょうか?
それとも「時代劇」を再評価しようとしているのでしょうか?
今回は、「時代劇」の盛衰を振り返りながら、今後の「時代劇」がどうなっていくのかを推察してみたいと思います。
尚、例によって情報のほとんどが約30年前です。
今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。
また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在します。
その点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。
そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。
東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。
その点を予めご理解ご了承下さい。
●時代劇の過去の拡がり
「時代劇」の歴史については以前お話ししました。
歌舞伎や舞台劇を記録的に撮影しスクリーンで見せるという「旧劇」に対して、映画の手法で再構成されたモノを「新時代劇」と呼称したことから始まります。
歌舞伎役者の芝居は旅回り一座を含めても、地方ではなかなか本物を見る機会はありませんでした。
それに対して「活動写真=映画」という娯楽は、テレビの普及のなかった時代には大衆娯楽の最たるものでした。
それは、一時期に多くの場所で同時に芝居が見られ、公演もロングランしているので話題性にもなるという観点からの人気でした。
更に「時代劇」の主役は、歌舞伎の看板役者以上の人気を博することとなり「時代劇」というジャンルを確立することとなります。
「髷物」「チャンバラ」と様々な呼び方が大衆の中で生まれるほどに「時代劇」は市民性を持って行ったのです。
「時代劇」の人気は戦前もさることながら戦後も健在で、「活動写真=映画」の衰退とともに潮流をみた「テレビ」の中にも多くを観ることとなりました。
特に、戦前より培った「映画時代劇」の要素や映画館でしか観ることのできなかった「スター」という存在を、短い時間とはいえ「テレビ」に持ち込むことで大きな人気を博することとなります。
「時代劇」は、「映画」から「テレビ」へとその活躍の場を移しても、日本の映像作品の主流であり続けたのです。
「テレビ時代劇」の誕生でした。
●時代劇+アルファ
大正時代の活動写真の大人気は昭和の時代になっても健在で、戦前では年間250本以上の映画が制作され公開されていました。
その内の大半が「時代劇」であったことからも当時の「時代劇」人気が推察されますが、その制作本数が多かったことで「チャンバラ」としての本流の「時代劇」だけではない様々な「時代劇」の内容の映画が製作されることとなりました。
当初は、「時代劇」の要素から逸脱しない「勧善懲悪」を下敷きに於いた「英雄もの」や「一匹狼」といったものが主流で、「ダークヒーロー」としての要素を取り込んだものもあらわれていました。
更に「時代劇」要素を軸とした「忍者もの」や「忍術もの」といった通常の「時代劇」に「特殊効果」の要素を加えたものも登場してきます。
時代が戦後に移ると、「テレビ」も普及と共に映画の製作本数は激減します。
しかし、その中でも「時代劇」は「時代の寵児」であり続けました。
そして「時代の寵児」であり続けるためにも、映画やテレビにおける「時代劇」は変化していきます。
「幕末太陽伝」のような「時代劇」を下敷きに於きながらも現代劇の世相を取り込んだ内容の物も製作されました。
また「テレビ」では「時代劇」の要素を取り入れながらも「現代劇」としてアレンジした「テレビ番組」なども製作されていました。
更に時代が下ると「宇宙からのメッセージ」や「宇宙からのメッセージ銀河大戦」のような「時代劇」要素と「SF」といった異色の作品や、「特撮ヒーロー」と「時代劇」といった「仮面の忍者赤影」「怪傑ライオン丸」「変身忍者嵐」のような子供向け作品にも「時代劇」は取り入れられます。
これらは、元来「時代劇」にあった「鞍馬天狗」「白馬童子」「赤胴鈴之助」の様な子供向けの「勧善懲悪」の日本的な要素が、「変身ヒーロー」に持ち込まれた経緯からしても「時代劇」への原点回帰の要素が持ち込まれた可能性が高いのです。
●時代劇の専門性
「時代劇」は、他のジャンルの映画やテレビドラマとは違い特殊な作品群です。
制作に於いても特殊で、多くの制約が存在します。
制作される作品の時代背景に合った「衣装」「小道具」「背景」が必要であること。
作品によってはアクションとしての「剣戟=殺陣」が必要となること。
制作される作品の時代背景に合った「所作」「言葉遣い」「生活様式」が必要であること。
これらは「現代」とは全く異なった空間の映像を作らなけばならないという「制約」がある為に他なりません。
しかし、だからこその「専門性」があるのです。
日本では、この「専門性」のある「時代劇」を制作するべく、戦前よりノウハウを溜めてきました。
「衣装」「髷カツラ」「小道具」「刀などの武具」などの細かな部分だけでなく、撮影の際に一番大変な「背景」としての「街並み」を再現したオープンセットを作り上げ維持してきました。
「時代劇」が衰退の兆しを見せる中、東映では「映画村」と称してオープンセットを観光地として開放し、「時代劇」を維持する一翼を担いました。
この「太秦映画村」の成功の下、他の地域でも「忍者村」「時代村」などと称するオープンセットを使った観光施設が点在するようになったことも、「時代劇」の火にとっては大きな助けとなりました。
さらに、「時代劇」が日本の歴史的な内容を取り扱った作品群なだけに、他国にとっては自国に類を見ない「特殊性」として受け取られることもあります。
つまり、海外にとっては「オリエンタルミステリー」としての「SAMURAI」や「NINJA」といった日本の「時代劇」に付き物の存在が注目されることとなり、これらが海外にとって「時代劇」の「特殊性」を表すと感じてもらった結果と言えるでしょう。
●時代劇の快進撃と衰退
前途したように「時代劇」は、映画時代から日本人にとって人気のジャンルでした。
日本人が好む「勧善懲悪」を下敷きにおきながら、歴史的な知識との融合で日本人にとっての身近さも相まって「テレビ時代劇」になっても「時代劇」は陰りさえ見せませんでした。
様々な題材が映像化され、またリメイクや視点を変えて描くといった作品も数多く制作されました。
特に日本人にとっての「英雄」が多く存在する「戦国時代」や「幕末時代」は、数多の作品が作られることとなりました。
海外でも歴史的知識としての共感は得られてはいないのですが、前途したような「SAMURAI」や「NINNJA」といった戦闘的なオリエンタルな存在や「GEISYA」や「HARAKIRI」といった異文化が「不思議」なものとして興味を持って受け入れられ、その存在が「日本文化」の一端という認識で根付くという特殊な状態を作り出しています。
それは、日本の「時代劇映画」や「テレビ時代劇」の影響も大きく、特に「忍術」や「居合い」といったある種特異な能力を表した映像作品の存在が「脅威」と「不思議」を持って受け取られたからだといわれています。
更に「黒澤明監督作品」の高評価も、海外における日本文化の根本にあります。
これら「正統的な日本文化」と「誇張された日本文化」が海外では二面性ではなく融合されて受け入れられているのです。
日本では1900年代初頭に最初に制作された「時代劇映画」から始まり、戦後も「時代劇映画」と「テレビ時代劇」が多く制作されましたが、「時代劇映画」は最初の制作から50年を経た1955年を機に激減していきます。
これは、「時代劇」というより「映画産業」が衰退し「テレビ産業」へとシフトしていったことによるものに他なりません。
1953年にテレビ放送が始まった当初の1955年には160本以上制作されていた「時代劇映画」は、1960年には半数以下に減り、代わりに「テレビ時代劇」が本数を増やして行きました。
つまり、それまで「時代劇映画」を制作していた映画製作会社が、「テレビ時代劇」にシフトして行ったことになります。
それまで「映画」という土台で快進撃を続けていた「時代劇」は、ものの見事に「テレビ時代劇」へその大きな舵取りを果たしたのだ。
この快進撃の一端は、今でも続くNHKの「大河ドラマ」という形で見ることができるが、奇しくも「時代劇映画」から「テレビ時代劇」へシフトした50年余りの時間と同じ「テレビ時代劇」の誕生から50年以上を経た現代では「テレビ時代劇」は、この「大河ドラマ」1本しかレギュラー放送をされていないと言っても良いほどに衰退してしまっています。
●時代劇の欠点
なぜ、ここまで「時代劇」が衰退したのでしょうか?
それは、前途した「時代劇の特殊性」によるところが大きいと思われます。
それは、「特殊な舞台」と「特殊な物品」を用意して「時代劇を知る者の手によって製作される」ことによって作られてきた「時代劇」に、「現代劇」以上の「製作費」がかかってしまうということなのです。
実際、綺麗な映像とこだわった小道具や衣装をもって制作されエミー賞を総なめにした「SHOGUN」は全10話ですが、1話毎に日本の映画の製作費の10倍に相当する35億円の製作費が投入されたと言われています。
流石にテレビ番組の製作費はこれ以下で、日本の「テレビ時代劇」でも1話毎に100分の1以下の製作費と言われています。
これでも安いように思われますが、単なる1時間の連続テレビドラマの製作費はそれ以下で、「テレビ時代劇」の2/3程度から半値ぐらいといわれています。
余談ですが、「特撮番組」はテレビドラマと同じ製作費で30分番組という、テレビドラマよりは高く時代劇よりは低い製作費ということとなります。
尚、現在では製作費はもう少し高くなっているとも言われています。
●新たなる潮流
そんな「時代劇」ですが、新たなる潮流が生まれようとしています。
先ずは「BS放送」という地上波作品の再放送群である。
「時代劇」という作品を欲して止まない視聴者に、有料で「時代劇」を届ける「時代劇専門チャンネル」が登場したのである。
これは定着し、専用の「時代劇」が新たに制作される程にもなっています。
更に、この「専門」という訳ではありませんが「有料配信コンテンツ」という部分へも「時代劇」は復活を果たします。
「映画」から「テレビ」そして「有料配信コンテンツ」へと、50年の節目に他のメディアに移り変わりながら「時代劇」は綱渡りを繰り返しているのです。
今回の「SHOGUN」もアメリカの「有料配信コンテンツ」での配信でした。
流石に「SHOGUN」のように1話あたり35億円とはいきませんが、日本でもネットフリックスのような「有料配信コンテンツ」の製作費は1話あたり1億円程度の製作費が投入されていると言われます。
これは、日本映画の製作費には及びませんが、それでもテレビドラマの2倍~3倍以上の製作費となっているのです。
勿論、この「有料配信コンテンツ」の存在は、他のドラマにも影響しています。
しかし、製作費の問題から「時代劇」における影響が一番大きいと言えるでしょう。
それは、海外とはいえ「SHOGUN」の影響によって日本での「有料配信コンテンツ」も更に加速していくと思います。
方や「侍タイムスリッパー」は異色です。
インディーズ映画という一般鑑賞者から今まで注目もされていなかったランクの作品群でしたが、これも今年のアメリカのアカデミー賞で、同じくインディーズ映画の「ANORA」が同じく賞を総ナメにした実績があったのも日本アカデミー賞に対して大きく動いたのではないかと思われます。
単館上映から上映館を拡大し続けたのは、インディーズ映画とはいえ内容が面白かったからに他ならない訳ですが、それでもインディーズ映画のアカデミー賞の受賞にはハードルが高かったと思われます。
その足かせを「ANORA」が緩くしてくれた可能性があったのかもしれません。
更にインディーズ映画の先駆となった「カメラを止めるな!」の成功も、日本映画界や一般鑑賞者のハードルを下げたのではないかと思われるのです。
「時代劇」だからといった訳ではなく「侍タイムスリッパー」という映画に対する率直な感想が高評価につながったと思われるのです。
●あとがき
少なくとも現段階までは「時代劇」という作品ジャンルは、制作を進めること自体がハードルが高いものでした。
勿論、「特撮作品」も他のドラマ作品や映画作品を比べれば、作品ジャンルとしてはハードルが高いものでした。
しかし、少なくとも「特撮番組」は、「子供」というメインターゲットとその子供を対象とした玩具の売り上げを連動したスポンサーシステムにより制作が可能となっています。
暴論を言えば、スポンサーの商品のコマーシャルのために作られる番組とも言える訳です。
そんなスポンサーに多くの製作費を供出させている作品群とは違い、映画も「有料配信コンテンツ」も鑑賞料金を払って作品を観るという「鑑賞者と作品」との関係があります。
特に映画は、観客としての存在が多く見込めなければ、作品として採算が取れないということになります。
これに対して「有料配信コンテンツ」では、他の作品群を含めての鑑賞料金ということになるために、比較的敷居が低くなる訳です。
しかし、制作ハードルの高い「時代劇」において、今後は「有料配信コンテンツ」が救世主となる可能性があるのは否めません。
半世紀ごとに繁栄と衰退を繰り返し、そのたびにメディアを変えて復活する「時代劇」。
その「時代劇」は、今後も多くのメディアに制作媒体を拡げつつ乗り継いで行きながら、それでも「したたか」に生き抜いて行くのではないかと考えるのです。
「時代劇」が「再び燃え上がる」まではいかないにしても、「火種」を持った人達が次へと「必至」にそして「確実」に繋いで行こうとする「誇り」を持っているのですから…