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余り語られない撮影所のあれこれ  作者: 元東△映助
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★余り語られない撮影所のあれこれ(165) 「ロケーション現場」Vol.7「光が丘」

★余り語られない撮影所のあれこれ(165) 「ロケーション現場」Vol.7「光が丘」


●使用頻度

ロケーション現場として今まで様々な場所を語って来ましたが、どのロケーション現場も画面を観れば「あそこだ!」という特徴的な場所ばかりでした。

今回のロケーション現場も特徴的ですし、特定もし易いのですが、実は様々な顔を持ったロケーション現場なのです。


その名も「光が丘」。


画面に映し出される背景としては、様々な様相を持っています。

それだけに使用頻度も高いロケーション現場でもありました。

今回は、そんな「光が丘」の事を語ってみます。

って、まんま「秋ヶ瀬公園」の時と変わりませんが、実は「秋ヶ瀬公園」以上に多彩なロケ地と特徴的なロケ地として有名なロケ場所として使用されているのです。


尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw

今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。

そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。

東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。


●光が丘とは


◯歴史

光が丘は、東京都練馬区にある地域名ですが、歴史は浅く1969年9月1日に設置されました。

戦前に成増陸軍飛行場として整備され神風特攻隊の出撃基地となっていましたが、戦後はGHQに接収されて米軍家族住宅グラントハイツになりました。

1969年に田柄町一丁目、田柄町二丁目、高松町一丁目の一部、高松町二丁目の一部、旭町の一部が光が丘になり、正式の町名となりました。この時点では光が丘には「丁目」の設定はなく、全体が光が丘1番街区でした。

1971年日米合同委員会が開かれ、1974年3月を期限として、グラントハイツ全面返還を合意。

1972年敷地の半分を公園、半分を団地などの住宅地にする跡地の再開発計画を策定。

1973年に全面返還されて現在の地名になり、大規模団地である光が丘パークタウン(光が丘団地)と光が丘公園が造成されました。

その後、人口が増えると共に高校等も整備されました。


◯地理

面積:1.671 km2

人口:27,896人(2017年12月1日現在)

人口密度:17,000人/km2


「光が丘」は、練馬区北部に位置する新興住宅地と公園の総称です。

多くの団地が建ち並び、中心部には都営大江戸線光が丘駅、ショッピングセンター光が丘IMAまであります。

地域内には多くの公園が点在して、光が丘駅北側には都立光が丘公園が位置しています。この公園は日比谷公園の約4倍と都内でも有数の面積を持ち、園内に図書館、体育館、テニスコート、野球場を備えるなど人々の憩いの場となっています。

また、秋の陽公園には練馬区内の公園では唯一田園があり、暗渠化された田柄川をイメージした水路が整備されています。


南北方向に長大な区域のため、居住区域によって利用可能な駅は異なります。

光が丘駅を中心に、大江戸線の練馬春日町駅、東武東上線の成増駅・下赤塚駅、東京地下鉄有楽町線・副都心線の地下鉄成増駅・地下鉄赤塚駅・平和台駅、西武池袋線の練馬高野台駅が徒歩・バス等で利用可能です。

また、国際興業バスが光が丘駅より平和台駅経由池袋駅東口行のバスを運行しており、鉄道を用いては、池袋駅やその先の副都心エリアへの移動に必ず乗換を伴う事から、それらを嫌う住民が多く利用しています。


埼玉県との境界が近く、いずれも光が丘に接してはいないものの付近には主要幹線道路が複数あります。

北側に川越街道、西側に笹目通り、南側に目白通り、南東方向に環八通りがあります。

また、環七通り、関越自動車道練馬IC・東京外環自動車道大泉JCT、新大宮バイパスが比較的近い位置にあります。


交通面では、後に鉄道・道路ともに利便性が高まりましたが、1991年の末までは都営12号線も未開通で、西武池袋線練馬高野台駅も存在しませんでした。

また道路も東京外環自動車道全線と環八通りの一部区間が未開通で、さらに環八通りは井荻トンネルも未完成で西武新宿線との交差で常に大渋滞が起こり便利な立地とは言い難い場所でした。

しかし、都営地下鉄大江戸線の延伸により、新宿・青山・六本木・大門・汐留などの都心部へも電車一本で行けるようになった後は、様々な交通網が整備されて行きました。


◯地名の由来

練馬区のイメージである「緑と太陽のまち」にちなんで名付けられたらしい。

他には、緑が丘・緑台・青葉台・若葉台の5つの候補がありました。

尚、現在「光が丘」として名前を改名された土地は、旧来は違った地名でした。

現在は、光が丘一丁目から光が丘七丁目までの町名となっています。


◯光が丘パークタウン

光が丘団地とも言われ、光が丘の多くの部分を占める集合住宅街です。

分譲住宅と賃貸住宅で構成され、一部は板橋区に属しています。

この光が丘パークタウンには、小学校が5校、中学校が4校、都立高校が1校あります。


●ロケ地としての光が丘

「光が丘」は、設置後数年を経て1980年代となると、所謂「光が丘パークタウン」の高層マンションや広大な「光が丘公園」が整備され、真新しいロケ地として各映像制作会社が注目する様になりました。

その中でも東映東京撮影所は、同じ練馬区内という近い立地であった事とアクセスの便利さもあり、積極的にロケ地として活用する事となりました。

スーパー戦隊シリーズや仮面ライダーシリーズ・不思議コメディシリーズなどの特撮を初め、様々なドラマに、光が丘公園入り口のM字のオブジェや光が丘の公園各所、団地内などがよく使われています。


これは、「光が丘」のエリア内に電柱がほとんどなく建物も新しかったことや、公園の広さとその数の多さからくる景観の良さなどが要因で、本当に重宝されていました。

特に1980年代後半からは、東映特撮ヒーロー番組の撮影に毎週のように利用されていました。

しかし、近年は目新しさがなくなってきており、都内の道路事情の改善、各所に景観のよい場所や新たなロケ地も増えてきたせいか以前よりは登場頻度は減っている模様です。


尚、「光が丘」内で爆破やカースタントなどを含む危険な撮影は難しいため、戦闘シーン以外の撮影が主になっています。

でも、「光が丘公園」内では爆破やカースタントを伴わない簡単なアクションや殺陣が撮影されることもあるため、ヒーローやそのヒーローのバイクや車両の姿を見ることも可能でした。

また、「光が丘」内の区民センター、郵便局、警察署、病院などの特定の建物では、看板だけ別物をかぶせて架空の組織の本部やその建物とは違った設定の建物などとして撮影されることも多く見られました。


更に特撮作品を含むドラマのロケ地としてだけではなく、通信カラオケの映像にも「光が丘」をロケ地として撮影されているものもあります。


●ロケ地としての住宅団地

「光が丘」の住宅団地の多くは、複数階のフロアからなる高層住宅団地となっている為に、そのまま公団住宅や一般的な賃貸住宅団地としてロケ地に使用されています。

しかし、流石に住宅内部までは撮影に使用される事は稀で、その殆どは外観を利用しての住宅団地の入口等への出入りに使用されるに留まっています。

これは、撮影に際しては「極力、地域住民の生活の妨げにならない様に」との制作会社の配慮があるからである。

だが、稀に「光が丘団地」に実際に住んでいるスタッフの自宅等の協力者の存在によって、住宅団地内部をロケ地として使用する場合もありました。


●ロケ地としての公園

「光が丘」のロケ地としての公園は、「光が丘公園」がその殆どを占めます。

特徴的なM字の「光のモニュメント」や「イチョウ並木」、「野球場」、水遊びの出来る「ケヤキ広場」、そして「図書館」や「体育館」等の建物も「光が丘公園」内に存在していますから、様々なロケ地としての使用が可能なのです。

更に「光が丘」内には「光が丘公園」以外にも数多くの大小の公園が存在していますので、この公園をロケ地として使用しての撮影も行われていました。

小さな公園は、小さな公園なりのロケ地としての利用価値がありました。

ブランコやすべり台といった定番の遊具から、大型遊具まで様々なロケーションが選択できました。


●ロケ地としての道路

「光が丘公園」内には自転車等の軽車両を除いては車両の侵入は出来ませんでしたが、「光が丘公園」と「光が丘団地」を取り巻く車道をロケ地に設定する事もありました。

流石にカースタント等の周りの歩行者に危険が伴う撮影は行えませんでしたが、単なる車の走りや停車や一時駐車のシーンは撮影する事は出来ました。

特に「光が丘」に大きな商業施設が建ち並ぶ前は、一般車両の通行も多くなく、車両を使用しての撮影も行える状態でした。


●ロケ地として重宝された「光が丘」

前途の様に様々なロケーションが比較的狭い範囲内で望めるロケ地は、当時も現在も重宝されます。

他のロケ地の様に公園をロケ地に撮影してから住宅団地をロケ地として撮影しようとすると、間に移動時間が掛かってしまい、1日の撮影量を削らざる得ない状況になりますが、「光が丘」は違いました。

最小限の車両の移動だけで、先のロケ地とは全く違うロケーションを持った次のロケ地に到着してしまうのです。

これは、撮影量と時間に悩まされる撮影スタッフにとってみれば、大いに助かるロケ地である事は間違いありません。

更に、そんな様々なロケ地を活用出来るというまるで「オープンセット」の様な場所が、撮影所からも近い場所にある訳ですから、東映東京撮影所では嬉嬉としてロケ地に使用していた訳なのです。


事実、「不思議少女ナイルなトトメス」のある日の撮影スケジュールでは、「光が丘団地」の入口で団地内の出入りを撮影した後に徒歩で移動して、「光が丘団地」内の小さな公園でトトメスの変身シーンを撮影後、戦闘シーンの一部も撮影するという「ロケ地のまとめ撮り」も出来ていました。

特に「不思議コメディシリーズ」の様な予算の少ない中での撮影時間と撮影量の確保には、移動距離も短く様々な撮影が狭い範囲で出来る「光が丘」は、有り難いロケ地でした。


●あとがき

「光が丘」は、制作会社としてもスタッフとしても撮影スケジュールの助けになってくれる大切なロケ地でした。

今でも変わりはないのだろうと思います。

しかし、余りにも利便性が良い為に頻繁にロケ地として使用し過ぎました。

前途した様に「毎週の様に何処かのドラマのロケ地として見る事が出来る程」に頻度が増し、目新しさもなくなっていました。

新たな商業施設も一応に出来上がってしまえば、ロケ地としての雰囲気は代わり映えしない状況になってもいました。

更に建設から40年近い月日が流れれば「住宅団地」の老朽化も進み、ロケ地として撮影するには用途が限られてしまう状況も発生してきています。

まだまだ「光が丘公園」はロケ地としての需要はある様ですが、制作会社の制作部もひとつのロケ地に固執する事無く、都内や関東近郊に新たな利便性を持ったロケ地を見つけて行く努力も怠ってはいない様です。

まぁ「光が丘」の様な巨大な都市計画は難しくなって来ているのも、また現実なのですが…

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