★余り語られない撮影所のあれこれ(164) リテイクT-7「カチンコ(再編集版)」
★余り語られない撮影所のあれこれ(164) リテイクT-7「カチンコ(再編集版)」
●リテイク
長く同じ様な事を書いていると、徐々に文章スタイルが変わって来ます。
わかり易く読みやすくと…
今回は、「その1『助監督の仕事とカチンコ』」の「カチンコ」部分だけをリテイク(=加筆修正版)として再編集して語らせて頂きます。
尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw
今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。
そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。
東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。
●「カチンコ」とは
言わずと知れた撮影用の拍子木に黒板等のくっついた道具です。
勿論「カチンコ」とは日本固有の名称で、ハリウッドでは「クリッパーボード」と呼ばれています。
カチンコは本来は撮影部さんの仕事でしたが、何故だか日本では助監督の仕事になってしまっています。
それも助監督の下っぱのサード以下が使用するのが通例です。
カチンコは基本的にトーキー映画で同時録音されるフィルム撮影の為に作られました。
拍子木部分を撮影することで、同時録音した音と映像を同期させることができます。
●カチンコの製作
カチンコの製作は大道具さんの手作りという場合が一般的で、大量生産されていません。
頼んで1ヶ月位かかるのはザラでした。
30年程前の東映では1個10000円でした。
現在は東宝で20000円だそうです。
実は、東映版と東宝版では、カチンコは微妙に違います。
先ずは拍子木部分の色の違いがあります。
東映版のカチンコは「白黒」の縞々で、東宝版は「紅白」の縞々です。
他に、拍子木の太さが東宝が太く、黒板部分も広いという違いがあります。
つまり、東映版の方が東宝版よりもやや小さめサイズでコンパクトになっています。
これは、東映版のカチンコがガチ袋と呼ばれる
●カチンコには何を書く
黒板部分にシーン(S)-カット(C)-テイク(T)を書いて、フィルムの最初のコマに撮影され、フィルムの仕分けに使用します。
ここまではwikipediaでも載っています。
通常の黒板部分には「25-8-1」とか「S25-C8-T1」とチョーク等で書きますが、シーンの場所にシーン数以外が入る場合があります。
前出の画像の様な「◯に合」は合成用。
「小物」は手元等のアップやギミックの後撮り素材集等を表します。
まあ、黒板ですから好き勝手に書けます。
記録さんと話して、後で見て分かりやすいようにボードに表示するというのが基本です。
●カチンコの基本の打ち方
打ち方ですが、ハリウッド版の様なものは両手打ちです。
日本の小型カチンコは、片手で打つ用に改良された様です。
基本の持ち方は、親指と人差し指と中指の3本で上の木を持ち、薬指と小指でボード付きの木を下から支えます。
ここからストッパーがわりの人差し指を抜いて、黒板部分を引き揚げる様に握り、拍子木を鳴らすのが基本です。
黒板部分の重みを利用して手を緩めると拍子木が離れるので、これを繰り返すと連続打ちが可能です。
難しいのは、縦にして打つ時です。
黒板の重みが利用出来ませんから、真の縦打ちは両手打ちしか出来ません。
少し斜めにして打つと可能になります。
この打つ際に注意が必要なことが3つあります。
ひとつはチョークの粉が飛ばないように、何回か試し打ちして粉を予め飛ばしておきます。
もうひとつは画角。フレームサイズです。
カチンコが映らない場所に出しても仕方ないのですから…
そして、被写体の状態です。
泣く芝居の時に役者の顔の前でおもいっきり大きな音をたてたり、赤ん坊のスヤスヤした寝顔の前でおもいっきりなんて出来ません。
プロは、小さくカチンコを打ちます。
まあ、安全策は芝居後に打つことです。
●特殊な打ち方
変わったシチュエーションでのカチンコ打ちとしては、暗転した場所でのカチンコですね。
懐中電灯で照らしてカチンコを打つのですが、同時録音の場合は難しいの極致でした。カチンコを鳴らして直ぐに引っ込めて、同時に懐中電灯も消さなければいけませんから大変でした。
●カチンコの音
カチンコの存在がトーキー映画の映像と録音の同期の為に必要だったとすれば、デジタル化されたり、元来アフレコだったりした特撮フィルム映像のカチンコには意味が無いように思われますが、「きっかけ」としての拍子木の音が必要なのです。
監督の「スタート!」の声と共に拍子木を一回打ちます。「カット!」がかかると二回連続打ちをします。
他では知りませんが、私がメタルヒーロー時代に先輩である石田チーフ(現・監督)に教わった打ち方です。
カットで一回打ちもありますが、監督の声の聞こえない範囲のスタッフやキャストにもスタートの拍子木かカットの拍子木かを理解させるために二度打ちします。
同時録音(同録)ではない場合は、先にフィルムにカットNo.を書いたカチンコの黒板を撮影してもらえますから、カメラの側に居ることもなく、自分の居る位置でスタートの掛け声と共に拍子木を打てば良いのです。
それどころか、手が離せない状態だったりすれば、拍子木さえ打たずに「カチン!」と口で言う場合すらあります。
尚、拍子木以外の音でカチンコ代わりにしようとしても、基本的に現場スタッフはカチンコ代わりだとは気が付いてもらえません。
口での「口カチンコ」は、全然大丈夫なのにです。
●日本のカチンコの打ち方
同時録音(同録)の時のカチンコは、日本独特のものがあります。
拍子木打ちから如何に少ないコマ数で、手を引っ込めてカメラフレームからカチンコを逃がす(映らなくする)のかが問われます。
これには、技術がいります。
脚を開き、できるだけカチンコを持つ手を伸ばした体勢でカチンコをカメラフレーム内に持って行きます。
理想は、カメラフレームの端に黒板部分の表示と拍子木部分が映り、更にピンボケしないカメラフレーム位置にカチンコを持って行きます。
そして、カチンコを叩く(=打つ)と同時に手首をスナップさせながら自分の懐方向へと腕を縮めて来ます。
この時には脚もカメラフレームから遠ざかる様に屈伸させ、出来るのならば音をたてない様に抜き足差し足で歩んで遠ざかります。
状況によっては、その場にしゃがんだりしてできるだけ早くフレームアウトします。
この一連の動きをフィルムの数コマ内で終わらせなければならず、しかもそのフィルムには「よーいスタート!」の後にカメラスイッチが押されてから数コマ内にカチンコの黒板の文字が読めて、拍子木が打たれて反動で少し開く部分までが映っている事が求められます。
できるだけ短いコマ数で成し遂げられ、その後も撮影に邪魔にならない位置へ音をたてずに移動できれば、同期カチンコが上手いと呼ばれます。
これらは、フィルム自体が高額であった為にコマ数を削ろうとして日本独自に発展したカチンコの打ち方で、その打ち方の為にカチンコの形も独自発展を遂げたと言えます。
ハリウッドに行って「日本ではカチンコは片手で器用に打つんだ」と言っても一部の日本通の方以外は信じないくらいに、日本のカチンコは形も打ち方もガラパゴス的な独特なモノなのです。
余談ですが、カチンコの打ち方を習ったばかりの頃は、よく手の平の皮膚を拍子木の間に挟んでいました。
カチンコを打つ助監督の誰しもが経験する痛みです。酷い時には人差し指と中指の根元の皮膚に線を引くように内出血します。
さて、この内出血をする可能性が同録の時には高くなります。
一発勝負ですから緊張もありますし、無理な体勢で打つこともあるからです。
拍子木の音の代わりに、私の「痛!」で芝居が始まったこともありました。
役者さんが笑わなくてOKカットになったのですが、記録さんは録音部さんと「痛!」で同期できるか聞いていたのが印象的でした。
●カチンコ伝説
撮影所には、もっと凄いカチンコ伝説があります。
3メートル以上の高さにカメラとカメラマンを持ち上げる撮影用クレーンでの撮影。
カチンコを写そうにも画角が広すぎて、写ってもカチンコが小さすぎては同期用としては意味がない。
最後にカチンコを入れる(映す)「尻(orケツ)ボード」も高い位置のままのカメラでは意味がない。
それでもカチンコを入れなければならないと思った助監督は、監督の「よ~い」でカチンコを放り上げたそうです。そのカチンコはカメラの前の空中でカチンコを鳴らして落下。助監督が受け止めたそうです。
奇跡的に同期出来たと記録さんが語ってくれました。
勿論、私の伝説ではありません。
●同期カチンコ
30年程前の時代は、ビデオ撮影が出始めで、フィルムも同時録音とそうでないのとが混在していました。
ですから、全てを渡り歩いて、それぞれのカチンコの打ち方や出し方、助監督としての仕事の違いもわかる人間は貴重でした。
今でもフィルム撮影が少数残されている場合がある様ですが、大半はデジタル化して同期の必要すらありません。
つまり、カチンコがNo.の記録と芝居きっかけ用だけになっていきます。
画角フレームサイズだって、自分で想像しないでも、カメラのモニターを見れば分かってしまいます。
多分、同期カチンコを打てる助監督も減っていると思います。
まぁ同録カチンコは、基本の足や腕の構えや手首の返し等など、慣れるまでが難しいですから一度廃れてしまうと大変かもしれません。
しかし、少し物悲しく思います。
フレームサイズはデジタルだから確認できるから大丈夫だし、デジタルなんだからハリウッドと同じでカメラ回して画面の前でカチンコを打って、ゆっくり引っ込めて、それから「よーい、スタート!」でもOKなのかもしれませんねぇ。
そんなスタートだと、迷うのはキャストなのかもしれませんねぇ。
近年、デジタル化によってもうカチンコの必要はなくなっていくのかと思っていたのですが、S-logでカメラ本体のメディアに収録するようになり、録音周りがワイヤレス化したりして、逆にカチンコ必須になっている様です。
カチンコって、一番アナログでありながら、一番変わらないのですかねぇ。
面白いですね。
●ハリウッド映画のカチンコ
日本では、あるかどうかも分かりませんが、海外ハリウッドあたりには、デジタル式表示のカチンコがあります。
ハリウッドのカチンコには、表示する情報量が多くて、細かくなるために、見易いデジタル表示を使っていると思われます。
撮影日やテープの長さなんて情報は、日本で記入することは無いですから…
尚、テープの時間表示ができるタイプは、カチンコの拍子木部分を打つと、ブザー音と共にタイマーが進んでテープの長さ(時間)を表示します。
デジタルの設定は、ボードの裏で行います。
写真等でデジタルカチンコを良く見ると秒表示の右にベルのマークがあります。
ブザー無しの無音に出来るということです。
無音のカチンコというのは、本末転倒なんですがね。
こんなハリウッドのカチンコは、撮影助手の仕事です。使用しない時は袋やケースに入れますが、撮影中は大抵地面や机の上に置かれます。
●日本はカチンコを持ち歩く
日本では、コンパクトなサイズということもあり、使用する助監督が肌身離さず持っています。
ガチ袋と呼ばれるポーチに収納しておくか、ズボンの後ろポケットに差しておきます。
通常は、握り部分をポケットに突っ込むのですが、急ぐと拍子木の一本だけをポケットに突っ込みます。
但し、この拍子木一本差しは、握りが直ぐに取り出せる位置にある反面、カチンコにとって一番壊れやすい蝶番部分に、悪くすれば致命傷となる程の負荷をかけてしまいます。
その点、本来ガチ袋が良いのですが、走るとカチンコがガチ袋から転がり出てしまう欠点があります。
ということで、私は、握り部分をポケットに突っ込む場合が多かったのですが、この場合も欠点はありました。
パッと掴むと黒板部分を掴む場合が多く、黒板のチョークが拭われてしまうこと。
そして、握り部分の蝶番の金具によってポケットに穴が開くことです。
右の後ろポケットにカチンコ。
左の後ろポケットには台本。
腰にガチ袋。でしたが、私は後に腰にウエストポーチ。になりました。
ガチ袋にカチンコと台本を詰め込むスタイルの助監督もいました。
私はガチャガチャと走ってガチ袋の中身をこぼしてしまうのが嫌いで、ポケットスタイルでした。
●カチンコの天敵
カチンコの天敵は、雨です。
チョークが消えて読めなくなるのです。
また、同時録音だと雨音に負けないカチンコを鳴らさないと意味がないのもあります。
ほとんどの場合は、ボード部分の撮影は数コマ分だけ先に撮影しておいて、カチンコを打つ(鳴らす)という手順でした。
●ホワイトボードのカチンコ
現在は、ボード部分にホワイトボードを張り付けてマーカーで書くカチンコがあるようです。
雨にも比較的強く、粉も飛ばない。
確かに良くなりましたが、白地に黒文字は読みにくかったり、白地が反射してハレーションを起こしやすかったりと、全てに最高という訳では無いようです。
最後に、現在、拍子木部分までアクリル製というカチンコもあるようです。
防水でもありますし、軽くて良いかもしれません。
更に、従来の木製カチンコは桜材が使用される場合が多く高級でしたが、アクリル製では半値以下みたいです。
ただ、手にした重量感が無くなるのは、個人的には悲しいかな。
●使い込んだカチンコ
私のカチンコは、今は役目を終えて大切に押入れ深くに沈めています。
カチンコの拍子木を繋いでいる蝶番を何回も打ち直した跡が残っています。
蝶番を繋いでいる金具も取れてしまっていて、釘をニッパーで切ったモノを挿し込んで、両端を曲げて留めています。
黒板部分の角は下地の木が見え、黒板部分も多くの傷が着いてしまっています。
私の私物カチンコです。
私は、カチンコを1年に1本の割合で使い潰してしまっていました。
他の助監督の状況は知りませんが、カチンコは壊れては自分や知り合いの大道具さんや小道具さんに直して貰っては、また使うという繰り返しでした。
勿論、黒板部分も黒板用の塗料を塗ったり板ごと替えたりしていました。
そして、どうしようもなく壊れてしまう前に新しいカチンコを発注するというサイクルでした。
●あとがき
今回は、助監督が最初に持つ事になるプロのスタッフとしてのアイデンティティとも呼べる「カチンコ」の話でした。
助監督は、このカチンコを卒業し、セカンドからチーフそして監督へと演出部の階段をゆっくりと登って行くのです。
それでもチーフや監督となってもカチンコを打つ事を忘れた訳ではありません。
私は、多くのチーフ助監督や監督が楽しそうに私のカチンコを持ってカチンカチンと叩く姿を見たことがあります。
そこには、自分の原点を懐かしむ想いもあったのだと思います。
「カチンコ」は、仕事の道具というだけでなく、そこには様々な想いが詰まっている道具とも言えます。
そして、16ミリフィルムカメラのフォルムやディレクターズチェアと共に映画や撮影所を象徴するアイテムであるという事は疑いありません。