余り語られない撮影所のあれこれ(148) 「撮影所への『通勤』」
余り語られない撮影所のあれこれ(148) 「撮影所への『通勤』」
●通勤方法あれこれ
撮影所内に住んでいるスタッフやキャストは…多分…いませんでした。
撮影日の前日に酔い潰れてスタッフルームのソファで寝てしまっているスタッフもたまにはいましたが、普通は自分の自宅から通勤してきました。
撮影所内での撮影の日もあれば、ロケ地での撮影の日もありましたが、スタッフもキャストも「職場」である撮影現場に通勤してくるのです。
「余り語られない」の真骨頂の様な内容。
こんなこと語ったスタッフ(元ですが…)はいないよなぁと感じながら、今回は「通勤」に関して語ってみたいと思います。
尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw
今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますww
その点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。
そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。
東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。
●電車(大泉学園駅)&徒歩
大半のスタッフやキャストは、電車で撮影所まで通っていました。
その際に利用する最寄り駅は、西武池袋線の「大泉学園駅」でした。
急行以上の電車では停車せず、準急行か普通電車で停車します。
大泉学園駅から撮影所までは徒歩で15分程度ですから、普通のスタッフやキャストはタクシーなども使わず歩いて撮影所まで来て、殆どの方は西門と呼ばれる現在は一般人が通行不可能になっている門から出入りしていました。
今でも撮影所から出て行く人の為には、人だけが出る事の出来る通用口が使用可能です。
勿論、西門には門番となる警備員さんが昼の間は常駐していますが、入って行く事は出来ません。
現在、撮影所に入る事が出来るのは正門だけなのです。
この西門の通行規制措置は、コロナ禍における対処としてのモノですので、30年前にはありませんでした。
その当時も流石に警備員さんはいらっしゃいましたが、夜間や早朝にはいらっしゃいませんでしたから、通用口は暗証番号による開閉をしていました。
少なくとも夜間や早朝の出入りの多いスタッフには、暗証番号が知らされていました。
暗証番号は毎月変わりました。
現在も西門の通用口から出る際には暗証番号が存在する様です。
駅からの最短の門が西門でしたが、本来は撮影所の東側にある正門が正規の出入り口でした。
勿論、撮影所の東側から徒歩で来られる方もいらっしゃいましたから、その場合は正門から出入りしていました。
●バス&タクシー
西武池袋線の大泉学園駅の北口から、バスを使って撮影所に来るスタッフやキャストもいました。
バスの乗車時間は5分程度でしたが、バスの間隔が10分〜15分程度ありましたから、時間的だけに絞れば徒歩の方が早い場合もありました。
また、同じ西武池袋線の石神井公園駅からもバスが出ていました。
乗車時間は10分程度でした。
どちらもバス停「東映撮影所前」で下車で、バス停は現在のT-JOY大泉の前とリヴィンOZ(旧:西友OZ)の前にありました。
T-JOY大泉側で降りると、正門の方が近いので正門から撮影所に入るスタッフやキャストが多かったのですが、スタッフルームが何処にあるかによっては西門から出入りする方もいらっしゃいました。
リヴィンOZ側で下車すると道を挟んだ向かいが西門という事もあり、西門が圧倒的に近かったです。
今でもバスは西武バス、国際興業バスが通っています。
急いでいる場合には、タクシーも利用されていました。
「大泉学園駅」から1メーター程度で正門まで乗り入れる事が可能でした。
尚、タクシーでの西門からの乗り入れは見たことが殆どありませんでしたから、タクシーは正門と決まっていたのでしょう。
それも正門の中までで、撮影所の奥までは撮影用に使用するタクシーでもない限りは進入しませんでした。
つまり、乗客を降ろすとUターンして正門を出て行く状態でした。
●自家用車&バイク&自転車
交通の便が悪い場所や仕事で使用する荷物を多く運ばなければならないスタッフやキャストは、自家用車で通勤していました。
30年前では、撮影所北側にオープンセット用の空き地兼駐車場が広く確保されていましたから、そちらに駐車したり、プレハブ式のスタッフルームの傍に駐車する場合が一般的でした。
現在では撮影所の敷地の北側は大きく失くなってしまい、T-JOY大泉の地下駐車場がその穴埋めに使用されています。
バイクや自転車で通勤されているスタッフやキャストもいらっしゃいましたが、駐輪場というモノは撮影所内には殆どありませんでしたから、スタッフルーム前やセット前に駐輪していました。
流石に自家用車で撮影所内を頻繁に移動する事はありませんでしたが、原付バイクや自転車での撮影所内の移動は頻繁に見られました。
それだけ撮影所内は広かったのです。
まぁ、普通の撮影所内の移動は徒歩でした。
自家用車や大型バイクで通勤されるスタッフやキャストの中には、趣味で好きな車や大型バイクに乗られている方もいらっしゃいました。
30年前のドラマ撮影の際に、石黒賢さんは自家用車のフェラーリF40というスーパーカーに乗り、自分で運転して撮影現場入りしていましたし、山口良一さんも自前の大型バイクで住宅街にあるロケ場所まで自分で運転されてロケ地入りしていました。
また大御所ともなれば、運転手付きの自家用車での通勤をされていました。
撮影所にも大御所の駐車場用に「○○様専用駐車場」と書いたプレートを掲げて、専用駐車場を用意していた程でした。
そんな大御所も、撮影所内では徒歩移動が当たり前でした。
●現地集合
ロケ地が撮影所ではなく、東京都内や近郊にあり、更にスタッフやキャストの暮らしている場所に近かったり、キャストの出演スケジュール(出番)が中途半端だったりすると、ロケ地での「現地集合」をする場合もありました。
勿論、スタッフやキャストが「現地集合」しやすく移動手段となる「ロケバス」が駐車し易いロケ地の最寄り駅が「現地集合場所」として指定されるという配慮はありました。
大抵のロケ地までの移動は「ロケバス」によるものでしたが、それは撮影所からの出発だったり、新宿駅や池袋駅、渋谷駅、中野駅などの主要駅を集合場所にして「ロケバス」で移動するというものでした。
この駅までの現地集合をする場合は、大抵は撮影所を自前で持たない映像制作会社だったと記憶しています。
近年では、たくさんの人数をエキストラ募集してロケーション撮影する映画等がありますが、その場合もロケ地の最寄り駅が「集合場所」になっていました。
●途中下車
通勤があれば退社もあります。
基本的にはロケ先での撮影終了後は、出勤の時と同じルートで拘束を解かれます。
つまり、最寄り駅に現地集合したスタッフやキャストならば、その最寄り駅まではロケバスなどで運んでくれて、そこで「お疲れ様でした」となるという事です。
しかし、ロケバスで本来とは違う場所で途中下車して退社する場合もありました。
本当に稀でしたが、スタッフが翌日以降の打ち合わせの為に他の場所へ行かなければならなかったり、キャストが次の仕事現場への移動の為にアクセスの良い場所まで行かなければならなかったり、といった場合にロケバスが本来の道とは違ったルートを通って途中下車させてくれる場合があったのです。
退社ではなくて次の撮影の為にロケ地を変えたり、撮影所まで帰ってセットで撮影して、出勤場所と退社場所が変わる場合も勿論ありました。
●ロケバス
通勤がロケバスという事ではありませんが、撮影所や集合場所に集合してからロケバスに乗り込みロケ地へ行く事から、ロケバスがロケ地という本来の仕事場所までの通勤方法とも言えました。
しかし、ロケバスの運転手さんにとっては、そのロケバスの駐車場のある自社までが通勤であり、お客さんである当日の撮影スタッフやキャストを乗せる場所が最初の勤務地となる訳です。
勿論、ロケバスの運転手さんと同じ様に、劇用車がロケ地に参加する場合には、劇用車に乗ってロケ地に行くカーアクションチームという方々もいらっしゃいました。
●東映京都撮影所
京都撮影所では、撮影する作品の殆どが時代劇という特殊な撮影所であるからこそ、少なくともキャストはカツラや着物の支度の為に必ず出勤と退社を撮影所で済まさなければなりませんでした。
その為に、キャストは嵐電北野線撮影所前駅で下車して徒歩で撮影所入りするか、自家用車やバイク、自転車といった乗り物で撮影所入りするか、近場に住んでいるのならば徒歩で通勤していました。
勿論、スタッフも同じ様な方法で通勤していました。
但し、バイクや自転車での通勤の場合は駐輪場がありましたし、東京撮影所と同じ様に撮影所内移動も可能でしたが、自家用車の場合は駐車スペースが狭く、全てのスタッフやキャストの駐車場を確保仕切れていませんでした。
隣接する太秦映画村のお客様用の駐車場に駐車して出勤する場合もありましたが、撮影所のスタッフルームがある場所までは太秦映画村を突っ切るか迂回するかしなければならず、本当に遠い出勤となります。
ですから、殆どのスタッフやキャストは徒歩か自転車でした。
つまり、撮影所の近場に住居があったり、長期滞在用のホテルや旅館を取って通勤していました。
私が東京撮影所で仕事をしていた30年前に、京都撮影所への応援スタッフとして派遣された事がありました。
私の移動手段は中型バイクでしたが、京都撮影所の傍のビジネスホテルを撮影所が借りてくれていて、バイクはホテルに駐輪したまま、そこから徒歩で通勤していました。
そんな駐車場事情もあってかどうかは定かではありませんが、京都撮影所では№1セットが失火により焼失した際も、セットを建て替えるのではなく駐車場にしてしまいました。
勿論、大御所のキャストは運転手付きの自家用車での通勤が基本であり、東京撮影所と同じく専用駐車場が用意されていました。
まぁ、その大御所キャストの出番のない日には、専用駐車場から「○○様専用駐車場」というプレートが外されるのも東京撮影所と同じでした。
余談ですが、30年前には昼時になると自転車や原付バイクに跨がったカツラを頭に載せたままのキャスト達が、撮影所の外へ昼食を取りに行く姿も見られました。
カツラがヘルメット代わりとでも云わんばかりに……
●あとがき
私自身の通勤は、当初は中型バイクであり途中からは原付バイクへと変わって行きました。
通勤方法の違いは、住居が大泉学園のお隣の保谷市だったのが大泉学園駅の近くに引っ越したのが原因でしたが、1番の利点は撮影所内を簡単に高速移動できるという点からでした。
まぁ、打ち上げの際に足りなくなった酒類を買い足す命を受けた私は、近場だからと思いその原付バイクで飲酒運転し、警察に見つかり酒気帯び運転の違反キップを切られた事もありました。
また、終電を逃したキャストを大泉学園駅傍の自宅に泊めさせた事もありましたし、撮影後に自宅に帰らずにスタッフルームで寝た事もありました。
東映撮影所ではなく、他の制作会社の仕事に派遣された時には電車通勤をしていましたし、そこで新宿駅ロータリー名物の何台ものロケバスが待機する場所での乗り込みも経験しました。
流石にロケバスには制作会社の名前や作品名が書かれている訳も無くて、当初はどのロケバスが目的のロケバスかを見極めるのは困難でした。
途中からは、見知ったスタッフの顔触れで判断していました。
こうやって改めて「通勤」の仕方を見てみると、撮影所という固定された場所への通勤ならいざ知らず、日々変わるロケ地への通勤となると、撮影スタッフもキャストもはぐれないように一緒に乗せてロケバスで運んでの仕事場入りというのが、制作会社としては理想の通勤体制だったのだと痛感させられます。
携帯電話も殆ど普及していなかった30年前ならば尚更の事でしょう。