余り語られない撮影所のあれこれ(146) 「存在しない『印刷物』の製作方法」
★余り語られない撮影所のあれこれ(146) 「存在しない『印刷物』の製作方法」
●創る
映画やドラマを観ていると、「毎朝新聞」だとか「週刊ヨンデー毎日」といった本来「存在しない『印刷物』」を数多く観ることがあります。
そんな「印刷物」は、どの様に創っていたのでしょうか?
今回は、そんな「架空の印刷物」の製作方法を語ってみたいと思います。
尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw
今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますww
その点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。
そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。
東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。
●製作媒体
現在ではパソコンとプリンターを使用すれば、大抵の架空の印刷物の製作が可能であるのではないかと思われます。
「活字」の「書体」や「大きさ=フォント」も自分で選べて、打ち出しまでにも時間がかからない。
ましてや手直しも自分で修整が可能というのが現在の技術ですが、30年も前のインターネット環境もなく、Windowsも爆発的なヒットとなるWindows95の発売まではもうしばらくの刻を置かねばならないパソコンが脆弱な時代では、パーソナルに印刷物を作成する事は、コピー機とガリ版印刷とワープロ印刷に絞られていました。
しかし、同人誌を作成する者達の間には「お金はかかるが超キレイな自分だけの本が創れる」と言われる印刷所での「オフセット印刷」なる技術が既に使われていました。
●新聞を創る
多くの映画やドラマで一番多く観ることがある架空の「新聞」についてです。
「新聞」には独特の「書体」や「網掛け」が存在し、「フォントサイズ」も様々です。
更に、使用されている「紙」も再生紙の特殊なモノであり、紙面に使用される写真も白黒やカラーと様々です。
この様な特殊な「新聞紙面」を作成するのは素人にはハードルが高いものがありました。
だからこそ「新聞紙面」は、小道具係や助監督が創ってしまう事はしないで、全て専門の「印刷所」へ頼んで作成して貰っていました。
勿論、記事内容は小道具係や助監督が作成し、「フォントサイズ」や「網掛け」「書体」も指定していました。
だからといって、小道具係や助監督が「フォントサイズ」の数字や「網掛け」や「書体」の名称を知る筈もなく、他の新聞紙から切り抜いてきた「文字」や「網掛け」のサンプルを、紙面原稿としてのレイアウトという名前の紙に貼り付けて印刷所へ提出していました。
そして、新聞紙として一番の苦労は「大見出し」「中見出し」「小見出し」と呼ばれる「見出し」を指定しなければならないことはさることながら、「記事内容」を創る事でした。
コレは「記事内容」が読めてしまうのかどうかで作成するのかどうかが決まりました。
どれぐらいの画面サイズでの撮影なのか?
また、画面にどれぐらいの時間写るのか?
30年前ではテレビドラマも16ミリフィルムでの撮影が主流でしたから、解像度は今程良くはありませんでした。
ですから、短い時間で画面に写ったり、「記事内容」自体が小さな文字でしか写らなかったりするのならば、「記事内容」は「おまかせ」と書いて印刷所さんにお願いしていました。
写真が入る場合は、使用する写真を「ポジフィルム」で印刷所へ提出していました。
1面での記事なのか?2面以降の記事なのかによって紙面に占める写真の大きさが変化しますし、白黒かカラーかも変化してきますから、その指定も必要になってきます。
写真の大きさもカラー指定も提出する写真の段階で同じ大きさやカラーでなくても大丈夫でしたが、少なくともカラー写真を載せたいのであればカラー写真を用意する必要がありました。
勿論、紙面を白黒で作成するよりもカラーで作成する方が製作費が高くなりましたし、写真を使用する場合も高くなりました。
文字の数や指定箇所が多いと製作費は高くなりました。
出来上がりの「新聞紙面」は、普通の「新聞紙」と同じ紙質で、紙の上下もギザギザとした「新聞紙」そのものでありながら、内容は自分が指定した「紙面」そのものが仕上がってくるのです。
自分が指定していますから、内容的には「架空の新聞紙」なのは明らかなのですが、紙面としては違和感が無い「有りそうな新聞紙」でした。
●雑誌の表紙を創る
雑誌や本の表紙は、「新聞紙」と比べれば「見出し」の連発であり、基本的にはカラー写真とカラー見出しの羅列でした。
そして、「新聞紙」の様な特殊な紙も必要ありませんでした。
だからと言っても全てを作成する技術は無く、印刷所に頼むのは変わりはありませんでした。
そうなれば、「文字書体」「フォントサイズ」も考えなければなりませんでしたが、必ず必要となる「表紙絵」としての「イラスト」や「写真」も用意しなければなりませんでした。
コレは「新聞紙」の1面を創る際にも必要となる事ですが、シナリオ等で指定されていない場合は「出版物のタイトル」も決めなければなりませんでした。
新聞であれば「毎朝新聞」や「日々新報」といった有りそうで無いタイトルの新聞、文芸系の週刊誌や月刊誌ならば「週刊ヨンデー毎日」や「月刊女性事実」といったタイトル。更にはマンガ雑誌であっても「週刊ギャロップ」「少女こずみっく」といったタイトルを創作しなければなりませんでした。
その上で、タイトルの「色」や「書体」や「フォントサイズ」や「写真やイラストとのカブり方」等を指定しなければならないのです。
更に、雑誌が厚みのあるモノならば、肩表紙のデザインも決めなければなりませんでした。
中の紙面が撮影対象として必要無いのであれば、雑誌のカバーの様なサイズに印刷して貰い、理想の雑誌と同じ様なサイズの本物の雑誌の表面に糊付けしていました。
勿論、ハードカバーの本やマンガのコミック等の場合は、カバー状態のままに本物の本やコミックを包んでしまい誤魔化していました。
雑誌等の場合は、中の紙面を白紙にして本の体裁として印刷所に作成してもらう事も可能でしたが、そうなれば本の製作費が跳ね上がる事になりますので、本が撮影に特別必要な重要アイテムでない限りは、カバー状態での発注としていました。
ハードカバーやコミックの初版等に付いてくる「帯」も創作対象でしたから、その本が初版の設定なのかどうかは重要でした。
流石に本棚に並んでいる本には「帯」を付ける事は稀でした。
●雑誌の紙面を創る
テレビドラマやVシネマズの撮影の場合には、雑誌や本の紙面を全ページ創作する様な事は、予算の関係上ありませんでした。
それでも紙面が必要な場合は、見開きの2ページ分だけを印刷所に頼んで創作し、本物の本の紙面に貼り付けていました。
紙面全体の撮影だけが目的であれば、創作した紙面を他の本に貼り付けもせずに、紙1枚のままに撮影対象としていました。
その様な撮影対象の紙面であれば、記事内容を細かく決めなければなりませんでした。
基本的には白黒等の単色の紙面でしたが、カラー紙面やカラー写真が入る場合は、色の指定も必要でした。
余談ですが、殆どの創作印刷物の表紙やカラー紙面の場合は、本物の印刷物同様に紙質は光沢のあるモノになっていましたから、撮影する際には照明による反射が出てきてしまいました。
ですから、撮影時には「ハレーション切り」と呼ばれる反射光の調整が必要となり、撮影部は苦労していました。
だからといって単色印刷の様な光沢の無い紙面では本物らしく見えませんでしたから、撮影時の事は抜きにして敢えて本物らしく創作されていました。
●印刷物を創る
撮影に使用される印刷物は、本や雑誌等の厚みのあるモノだけとは限りませんでした。
チラシやポスター等も創作物として必要な場合もありました。
1980年代も後半になれば、撮影所にも白黒コピー機はありましたが、カラーコピー機はまだまだ高くてリース物件としても導入されていませんでした。
ですからカラーコピーは、カラーコピーを持つコピー専門の店舗にお願いしていました。
東映東京撮影所では、幸いにも数百メートル程離れた店舗にカラーコピー機がありましたから、そこにカラーコピーを頼んでいました。
しかし、カラーコピーの料金は1枚当りコピーサイズによっては数百円から千円や二千円単位にまで請求される時代でした。
この料金は、色調整の為の「試し刷り」が必要となっても請求されていました。
まだまだカラーコピー機の質が低い時代でしたから、写真のカラーコピー等の場合は元の写真との色の差が出てきてしまい色調整に費用を使ってしまったという記憶もあります。
しかもカラーコピーは単色コピーとは違い時間がかかるモノでしたから、コピーをお願いしておいて一度撮影所に戻り、数十分後に出来上がりを見に行くといった事を繰り返していました。
それでも写真を焼き増し現像に出して複製を創るよりも短い時間で仕上がって来ましたから、費用よりも時間を優先させなければならない場合にはカラーコピー機を使用していました。
そんなカラーコピーやコピー機を使って簡単なポスターやチラシを創作する場合もありました。
前途した様に、当時の我々にあった創作印刷物の活字を生み出す機械には、ガリ版印刷かワープロしか無く、簡単な印刷物はワープロで作成し白黒コピーをしていました。
ですからB4サイズぐらいまでの文字だけの白黒印刷物はワープロ製作でした。
または、写真等と活字を組み合わせて印刷物を文字通り手作りで創っていました。
チラシやポスターだけではなく、テスト用紙や紙でファイリングされた資料やパソコン画面用のデータ等は勿論、偽造パスポートの中の紙面や首から下げている入館証や社員証等のカード状の印刷物も創作していました。
●あとがき
基本的に創作される印刷物は、撮影対象になるモノばかりです。
そして、一度創作された印刷物は他の作品で使用される場合もありました。
特に出版物は、部屋の本棚に並ぶ雑誌や本として利用されたりしていました。
特別に直接撮影される出版物で無いのならば、架空の本は著作権やスポンサーコードに触れる事を考える必要のない良品でしたから、小道具係の所属する協力会社にストックされていました。
まぁ、創作された「新聞紙」をストックするのは稀でした。
因みに、印刷所に頼む場合は1枚からでも印刷が可能でしたが、通常は貼り付けの失敗や汚れ等を考慮して最低でも5〜10枚程度のロットで印刷して貰っていました。
流石に書籍物の状態での発注は「オフセット印刷」で大量印刷がお得なのですが、外部に販売する訳でもない為に、やはり数冊程度までの発注となっていました。
創作された印刷物は、多分に小道具係や助監督の感性やセンスが反映されます。
私と同じ様な時期(私よりも半年前)に撮影所に入られた竹本昇監督がスーパー戦隊シリーズの助監督時代に創った印刷物等は、ご自分でイラストまで描かれたモノで、特撮ファンの間でも高評価のある印刷物となっている程です。
また、特捜エクシードラフトで私と入れ替わりに助監督に入られた鈴村展弘監督の作成されたであろう小物印刷物も、エクシードラフト初期の私が作成した印刷物とは比べるにもおこがましい程の良い出来上がりに対して、私は放送を観て感嘆していたものでした。
実は、こういった細かな点からも監督としての感性やセンスは磨かれて行くものであり、だからこそ昔からこの様な印刷物のデザインや作成に助監督が携わっているのだと思われるのです。




