表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
余り語られない撮影所のあれこれ  作者: 元東△映助
141/191

余り語られない撮影所のあれこれ(140) 「有り難い味方『フィルムコミッション』」

★余り語られない撮影所のあれこれ(140) 「有り難い味方『フィルムコミッション』」


●有り難い存在

ロケーション先の撮影現場には、スタッフ以外で撮影に協力して下さる有り難い方々がたくさん存在します。

ボランティアのエキストラの皆さん。

ロケーション先のオーナーや責任者の方々。

様々な方々が撮影を影から支えて下さっています。

そんな方々の中から、今回は「フィルムコミッション」という集団を御紹介したいと思います。


尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw

今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。

そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。

東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。


●フィルムコミッションとは

先ずは、基本情報として「フィルムコミッション」という存在自体を御紹介します。


「フィルムコミッション」を簡単に纏めれば、映画・テレビドラマ・CM等のロケーション撮影に際して、ロケーションハンティングをはじめとしてロケーション場所の紹介、決定した許可・届出手続きの調整や取次ぎ、撮影スタッフの宿泊施設やお弁当の手配先などの関係事業者の紹介等による支援を行う組織を言います。


日本国内の「フィルムコミッション」の多くは自治体やその関連団体を主体としていて、非営利である場合がほとんどです。

通常、映画等の映像を街の中で撮影するには、様々な許可や届出等の手続が必要です。

例えば、道路で撮影をしたり、火薬を使用したりするには、警察や消防をはじめとする関係機関の許可を得なければなりませんから、その届出を専用書面で提出する手続をする事になります。

これらの繁雑な手続を、映像製作者側と、行政や企業などの関連機関との間に立ってスムーズに進めるとともに、撮影の誘致に努めることもフィルムコミッションの役割とされています。


●フィルムコミッション無き時代

私が東映東京撮影所や東映京都撮影所に居た30年前の時代には「フィルムコミッション」という団体は、少なくとも日本には存在しませんでした。

共通の名前は無くても「ボランティア」という形で、ロケーション先で撮影に協力して頂いた個人や団体がいらっしゃった事も少なくありませんでした。


そんな方々がいらっしゃらないロケ地では、基本的に「映像製作者」側の制作部の人員で、現在「フィルムコミッション」の方々が手助け頂いている事を行っていました。

つまり、本来はこれらは制作部の仕事なのです。

即ち、「フィルムコミッション」の方々のいなかった2000年以前のロケーション撮影では、制作部のか弱い双肩に、ロケーションハンティングをはじめとしてロケ場所の選定、ロケ場所の所有者との交渉、決定した許可・届出手続きの調整、撮影スタッフの宿泊施設の準備やお弁当の手配先などの裏方的な仕事の全般が全てのしかかって来ていたのです。


それ以外にも細かな点では、ロケ地での見物人や車輌の整理、撮影機材の運搬補助や撮影車輌の移動、時にはロケ地で直ぐに手配出来にくいエキストラとして出演するという場合もありました。

勿論、制作主任、制作進行や制作助手の制作部だけではなく、助監督や車輌部さん達も見物人や車輌の整理、撮影機材の運搬補助やエキストラをお願いすることはありましたし、エキストラにはメイクさんや衣装部さんの女性陣にもお願いする場合もありました。


ロケーションは、スタッフの総力戦の様なところがありましたし、ましてや地方ロケーションとも為れば、手の空いている者は他部署の者は勿論のこと、エキストラ等はお手伝い頂いている御当地の世話役の方であってもお願いしてご出演して貰う場合もありました。


●フィルムコミッションの歴史

「フィルムコミッション」は、1940年代後半に、アメリカ・ロサンゼルス地域の警察と州兵・ハイウェイパトロール・消防署・国立公園の管理人の間で、ロケ撮影時の協力体制の必要性から誕生したと言われています。

当時は、単に交通整理や道路を封鎖したいといったハリウッドの要請に対して、その活動の便宜を図る程度のものでした。

1970年代に入ると、映画撮影の多くがリアリティを求めるようになり、ロケ撮影の需要が高まりました。

この動きをきっかけに、「フィルムコミッション」の必要性が高まり、1990年代には、世界一の映画大国であるアメリカをはじめ、カナダ・オーストラリア・フランス・スペイン・メキシコ・香港等でも続々と設立されます。


●日本のフィルムコミッションの前史

「フィルムコミッション」設立の直接の切っ掛けとしては、大林宣彦監督が1980年代に、故郷の尾道で多くの地元賛同者の協力を得て撮影した「尾道三部作」(「転校生(1982)」、「時をかける少女(1983)」、「さびしんぼう(1985)」)が、先駆けとして評価されることが多いが、生前の大林宣彦監督の発言によると、このような地元の協力事例は、アメリカにおけるフィルム・コミッションとは似て非なるものだと発言しています。


大林監督によれば、「フィルムコミッション」のルールで最も重要なのは「映画の内容に関しては一切物申しはせず、脚本に書かれていることは全て実現する」という点であり、アメリカでは、仮に映画ロケにより街の施設が破壊されたとしても、潤沢な予算を持つ映画制作サイドがロケの終了後に修復を行い、むしろ以前存在した施設よりも立派なものを作るということが社会的に許容されていると発言しています。


しかし、邦画の制作にかけられる予算はアメリカのハリウッド映画と比べるとはるかに少ないため、日本の場合、アメリカとは逆に地元からタイアップを始めとした支援をしてもらわなければならない状況であった。この点は、日本でフィルム・コミッションが設立されるようになってもほぼ同様です。


大林監督は生前、「アメリカと日本では国状も映画の存在の意味も異なるから、「フィルムコミッション」という呼び名をそのまま日本で使うのは誤解の元で、国際的な混乱を招くから、違う名称を考案したほうが良いよ」と主張していました。


●日本のフィルムコミッション

日本では、2000年2月に大阪で日本初の「フィルムコミッション」が設立されました。

その後、同年9月に神戸と北九州で設立され、同年10月に横浜にも設立されました。

その後も数多くの自治体で「フィルムコミッション」が設立されていて、2021年現在では日本国内で約350団体が設立されるまでになっており、世界最多の団体数になっています。


そんな日本の「フィルムコミッション」には2009年に設立された全国の「フィルムコミッション」の連絡機関である「特定非営利活動法人ジャパン・フィルムコミッション(JFC)」が存在します。

しかし、JFCは民間の団体であり加盟制でもある為に、未加盟の小規模な団体までは把握できていません。

そのJFCには掲げている「フィルムコミッション」の要素があります。


◎非営利の公的機関であること

○フィルム・コミッションは制作者との対等な立場を担保するため、撮影支援サービスに対する対価を受け取ってはならない。

○フィルム・コミッションのスタッフは、フィルム・コミッションの任務を個人的な利益と対立させてはならない。

○フィルム・コミッションは、地域の自治体に所属する組織または地域の自治体が活動を支援している唯一の組織である必要がある。


◎撮影支援の相談に対するワンストップサービスの提供

○トラブル等の把握、情報の集約などのため、フィルム・コミッションが一元的な相談窓口となっている必要がある。そのために、次の体制が整備されている必要がある。

国や地方自治体における施設使用の許認可権を有する部局との協力体制

地域内の企業・団体・住民等との信頼関係を保ち、民間施設の撮影支援要請を仲介可能な体制


◎作品内容を選ばないこと

○表現の自由を尊重する観点から、フィルム・コミッションは検閲行為を行ってはならない。

○フィルム・コミッションはロケ候補地の管理者と制作者の仲介・連絡調整を行うものであり、対象作品に対する撮影支援の可否は施設などの管理者が決定する。

○ただし、作品の内容を除く条件において地域が不利益を被る場合は、この限りではない。


●日本のフィルムコミッションの例

日本における「フィルムコミッション」の特徴的な3都市の例を見ていきましょう。


◎北九州市:フィルムコミッションの先進地

福岡県北九州市は、「修羅の国」「公害の街」「灰色の街」「暴力の街」というマイナスのイメージに長年悩まされていました。

そんな北九州市のイメージを向上させるため、同市では自治体としては全国に先駆けて「北九州市広報室イメージアップ班」を設置し、1989年から国内外の映画・テレビドラマ等の誘致・支援への取り組みを開始しました。

北九州市が、映像振興のために1989年から1999年までの11年間に要した経費(人件費を除く)は1億円程度であったが、誘致したテレビ番組は合計475本に達し、宣伝効果は52億円にも登りました。


その後、北九州市は広報室イメージアップ班を拡充する形で、2000年9月に「北九州フィルムコミッション」を設立しました。

「フィルムコミッション」としての組織設立は、大阪の方が北九州市より若干早い2000年2月であったが、大阪でロケ誘致・支援の検討を具体的に開始したのは1998年頃です。

そのため、「フィルムコミッション」としての活動実態は北九州市が大阪より約10年先行しており、様々なノウハウを蓄積しています。

現在では、映像関係者の間で「不可能を可能にするロケ地」として、真っ先に北九州市の名前が挙がるようになり、他の地域では困難な爆破シーンや道路封鎖シーンなどが撮影できる体制が構築されています。


更に、一般的には「フィルムコミッション」の活動は観光振興を兼ねているため、地元PRの要素を入れることが多いのですが、北九州市は他の都市の代替としてのロケも多数受け入れていて「声をかけていただいた仕事には全て協力する。東京の代わりとしてのロケ地でも大歓迎」と担当者も語っており、2017年までに撮影された通算200本のうち、約半数が東京の代替ロケ地なのです。


この様に「北九州市」は、今や映像関係者の間ではロケ地の先進的な都市として認識されていますが、関東圏から距離的に遠い事もあり予算的な余裕のある映画やCM撮影が主であり、テレビドラマでの使用は予算の関係上あまり多くないというのが現状なのです。


◎大阪:日本初のフィルムコミッション設立

2000年2月、日本初の「フィルムコミッション」である「大阪ロケーション・サービス協議会」(現在の大阪フィルム・カウンシル)が官民協力の下、立ち上げられた地であります。


大阪の地で日本初のフィルム・コミッションが設立された理由は、1988年に大阪ロケを実施したハリウッド映画「ブラック・レイン(1989)」の苦い経験を教訓としていたことが、原因になっています。


松田優作の遺作となったことでも有名な「ブラック・レイン」は、日本の大阪で本格的なロケを行った作品です。

映画制作サイドはこの作品の制作に当たり、当時の岸昌きし・さかえ大阪府知事から「(映画撮影に)できる限り協力する」との“お墨付き”をもらっていました。

しかし、当時の日本には「フィルムコミッション」が存在しなかったため、映画制作サイドが撮影対象者や施設所有者と個別に撮影関連の交渉を行わざるを得ず、撮影時に様々な問題が発生した。各種資料から公式に判明している範囲でも、下記の問題が発生したことが明らかになっています。


○大阪府庁舎内でのトラブル

大阪府庁舎で映画の撮影を開始したところ、映画制作側が雇った警備員が庁舎内の撮影現場付近の通行を制限したことに対して、大阪府の職員がクレームを入れてきた。

また、映画のスタッフが撮影効果を目的としてスモークを発生させる為に植物油を気化させたところ、庁舎内に白煙が充満して、大阪府側から厳重な抗議を受けた。そのため、映画制作側としては「府知事から協力の申し出があったのに、当の大阪府側からなぜこのような抗議を受けなければならないのか」という不満を抱くことになった。


○道路使用許可のトラブル

大阪の繁華街ロケに大阪府警からクレームがついたため、映画制作側は脚本の大幅な書き換えを余儀なくされ、日本ではカーチェイスなどの撮影許可も降りなかった。

その為、この作品のクライマックスシーンとなる日本のヤクザ・佐藤(松田優作)と、アメリカの刑事・ニック(マイケル・ダグラス)のバイクによる逃走・追跡のシーンは、アメリカ・ナパバレーのぶどう畑で撮影された。


○大阪市中央卸売市場でのトラブル

「ブラック・レイン」DVD・ブルーレイに収録されているリドリー・スコットのオーディオ・コメンタリーによると、ロケに使用した大阪市中央卸売市場では、市場側との2ヶ月間にわたる交渉の末、当初は2日間の撮影期間が確約されていた。

しかし、その後市場側からの一方的な通告で撮影期間を1日間に短縮された挙句に、撮影延長をする場合は1日あたり25万ドル(1988年当時のレートで約3250万円)という法外な保証金を支払うように市場側から要求された。

そのためやむを得ず無理なスケジュールを組み、わずか1日で大阪市中央卸売市場(魚市場)の全シーンの撮影を終えざるを得なかった。


このような日本でのロケのトラブルが続いた結果、親日家であるリドリー・スコット監督が最終的に「二度とこの地(日本)では映画を撮らない」と激怒するところまで追い込まれてしまいました。

ハリウッドで「日本は規制が多く、映画ロケがまともにできない環境の国である」という悪評が広まった結果、その後28年間の長きにわたり、海外の大作映画(特にハリウッド映画)の大阪ロケは全く実施されなくなりました。


大阪では「ブラック・レイン」のロケ協力が不十分であったことを反省するとともに、大阪における映像制作の撮影依頼が多かったことから、それを活かす方策を考えるため、1998年頃に研究会を立ち上げ、2000年2月、映画撮影による経済効果や集客力強化を目的として、大阪府・大阪市・大阪商工会議所など地元の行政・経済界の協力により、「大阪フィルム・カウンシル」の前身となる「大阪ロケーション・サービス協議会」を、日本初の「フィルムコミッション」として発足させました。

2015年以降は、公益財団法人大阪観光局の組織の一部となっています。


「大阪ロケーション・サービス協議会」を立ち上げた当初、大阪商工会議所専務理事と大阪ロケーション・サービス協議会会長を併任していた大野隆夫は2001年、日本商工会議所のインタビューに対して「我々FCとしては、ロケ地の提供を通じて地域の活性化を図り、直接的な経済効果や、関連産業の振興、海外での知名度を上げることを第一義に活動しています。それに加えて、もう一度映像、特に劇場公開用の映画を見直し、日本の今ある姿を過不足なく国の内外に伝えて行く有力な手段として,映像制作活動をみんなで支援し、その結果、クオリティーの高い文化性のある作品が生まれていくことに少しでも役立てればと思います」と答えています。


「大阪フィルム・カウンシル」では映像作品の誘致と、映画制作サイドへの協力を行っています。

その内容は撮影ロケ対象施設の紹介、施設管理者との間の借用交渉の代行、ホテル・駐車場・機材調達先などの紹介、ボランティアのエキストラ募集などです。


当初は大阪の企業や自治体に撮影交渉の窓口となる専門部署がなかったため、「大阪フィルム・カウンシル」側の低姿勢な依頼で何とか撮影協力が得られるような状況でしたが、徐々に映像作品による広告効果が認識されるようになり、現在では協力作品数が年間150件程度で推移しています。


産経新聞の記事によると、大阪フィルム・カウンシルが協力した作品の中で、難易度が高い課題をクリアした作品がこれまでに2つ存在します。


1つ目は「交渉人 THE MOVIE タイムリミット高度10,000mの頭脳戦(2010)」。

この作品では、臨海部の堺泉北港に位置する泉大津大橋(大阪府泉大津市)を封鎖してアクションシーンを撮影する必要がありました。

そのため、関連する運送業など約50社の同意を取り付け、配送時間などを調整してアクションシーンを撮影することができました。


2つ目は「プリンセストヨトミ(2011)」。

この作品では、大阪府庁前の上町筋(うえまちすじ)を封鎖して撮影を行う必要がありました。

「大阪フィルム・カウンシル」では、封鎖のための関係機関との交渉を実施したり、2千人以上のエキストラによる群衆シーンの準備に協力して、大阪市内での撮影が無事終了しました。


このような「大阪フィルム・カウンシル」の地道な努力が海外でも認められ、2016年には福山雅治が主演するジョン・ウー監督の中国映画「マンハント」の大阪ロケ誘致に成功しました。

そして、2021年には念願であったハリウッド映画の「G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ」の撮影が行われました。

この作品は、「ブラック・レイン」と同じくパラマウントによる配給であり、難色示す上層部をプロデューサーが説得し日本ロケを敢行、完成作を見た上層部も満足したと言われています。


◎東京都:都知事が指摘した日米の差

かつて東京都知事であった石原慎太郎氏は、自身も映画監督の経験を有しています。

また、実弟で俳優の石原裕次郎氏も、石原プロモーションで「西部警察」シリーズに代表されるアクション映画・ドラマなどの制作を多数行っていました。

そのため、石原慎太郎氏は、日本における映画ロケで発生する問題点を熟知していました。

石原慎太郎氏は自身の公式サイトで「ブラック・レイン」の大阪ロケで発生した問題点を明確に指摘しています。


以下に石原慎太郎氏が指摘する、日本の映画撮影ロケが抱える根本的な課題を要約すします。


アメリカと日本では映画制作に対する考え方が根本的に大きく異なる。

アメリカでは、映画が産業として認知されている。

これは、映画制作に対して官民共同の取り組みが行われていることと同義である。

ニューヨークでは、市長室に「フィルムコミッション」が設置されている。

これは、日本の自治体の映画協賛のような文化支援ではなく、映画の撮影による雇用確保と市の収入増加を目的としたものである。

また、市長室に「フィルムコミッション」が置かれていることにより、市長の強力な権限に基づき、市警など関係部局との調整を行うことが可能となる。アメリカでは、このような映画制作に対する自治体の支援体制が整っているため、撮影手続も簡素である。

しかし、日本では撮影許可を得るためには映画関係者が多くの所管を回る必要があり、さらに申請をどこで行えばいいのかも分かりにくい。

同じ東京都所管の施設であっても都立公園の管理は各々の管理事務所、海上公園は埠頭公社、都庁舎は財務局などというように、個々の所管が異なっており、外部にはわかりにくい。

石原氏の主張は、アメリカでの実務経験を有する大林宣彦監督の生前の発言と概ね一致ています。

そして、石原氏は「(日本が)映画制作に対して無理解なため、日本を舞台とした作品が海外で話題になったという話を聞くことはほとんどない」と結論づけている。

日本の行政の映画制作に関する無理解と制度的な欠陥が、現実のトラブルとなって噴出したのが、「ブラック・レイン」の大阪ロケだったのだとしたのである。


このような課題を踏まえ、石原慎太郎氏は2000年11月、第13回東京国際映画祭の開会式において「銀座でカーチェイスを撮れるようにする」と述べた。

大林宣彦監督によると、石原慎太郎氏は「東京がフィルムコミッションに参加するなら、銀座を全封鎖してどんな戦闘シーンも撮らせる」と発言したという。


そして、石原都政時代の2001年4月20日に、大阪に続く形で東京都が所管する「フィルムコミッション」である「東京ロケーションボックス」が開設された。東京ロケーションボックスのロケ申請第1号は、リュック・ベッソン監督のフランス映画「WASABI(2001)」であり、これまで東京都が許可しなかった場所が撮影場所として使用され、社会的にも大きな話題を呼びました。


ただし、石原慎太郎氏の想いが海外に十分に伝わっているとは未だにいえない部分があります。

一例として、アメリカ映画で日本を舞台にした作品「ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT(2006)」では、日本で撮影許可を得ることが困難であるとの前提の下に、東京都内などでゲリラ撮影を多数行い、監督の代役として逮捕される人物まで用意しており、実際に警視庁に拘束されました。

そして、現在でも日本では撮影目的の道路封鎖のハードルが極めて高く、石原慎太郎氏が夢見た「銀座でのカーチェイス」は実現できていません。交通規制については、地方自治体レベルでは解決できない、国レベルの規制の問題が存在する為なのです。


●あとがき

現在となっては「フィルムコミッション」という存在は、映像制作に関わる人々には「無くてはならない存在」にまでになっています。

本来制作部が多大な時間をかけて行って来た新たなロケ地の提案や使用許可の交渉・手続き等の負担を減らし、作品のロケ地選定の選択肢を大いに拡げると供に、クオリティの向上にも貢献してくれている有り難い団体なのです。


邦画に限ると、2015年の国内興行収入上位32作品(うち実写22作品)のうち、「フィルムコミッション」の支援を受けない実写作品はわずか1作品のみでした。

2016年の邦画上位37作品では実写32作品中31作品、アニメーションは11作品中1作品がフィルム・コミッションの支援を受けています。

2017年の邦画上位38作品のうち、実写28作品は全てフィルム・コミッションの支援を受けています。

現在では実写作品では殆どの映像作品で「フィルムコミッション」が関わっています。

結果として、日本国内でロケ撮影を実施する作品数が大幅に増加しており、2000年には282本だったものが、2008年には418本、2015年には2000年のほぼ2倍に当たる581本、2018年には613本となっているくらいです。


しかし、日本の「フィルムコミッション」は観光振興政策の延長線的位置づけとして、各都道府県庁、市役所、町村役場の観光課もしくは観光振興を目的とする外郭団体によって運営されている場合が多く、警察にも影響力を及ぼすことが可能なアメリカの「フィルムコミッション」ほど強力な権限を有していません。

その為、例えばアメリカのように道路を封鎖してカーアクションを撮影することは未だに困難な状況です。


尚、日本の民間企業では「ロケーションサービス」という名称で、「フィルムコミッション」とほぼ同様のサービスを行う部署を設置する「JR西日本」や「本州四国連絡高速道路」などのケースもあります。


そんな日本の「フィルムコミッション」ですが、存在しなかった時代と比べるとロケーション撮影は随分と楽になり、様変わりしたとも言えるでしょう。

だからこそ、その「フィルムコミッション」の方々の努力を踏みにじる撮影を映像関係者は行うべきではないのだと思います。

作品の認知度が高まれば、「フィルムコミッション」にとってはそのロケ地の認知度と経済効果へと繋がる訳ですから、良いクオリティの作品を創り出す事こそが、協力して頂いた「フィルムコミッション」への恩返しとも言えるからなのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ