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余り語られない撮影所のあれこれ  作者: 元東△映助
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余り語られない撮影所のあれこれ(132) 「あなたの知らない『実験映画』の世界」

★余り語られない撮影所のあれこれ(132) 「あなたの知らない『実験映画』の世界」


●商業映画

一般的に私達が映画館で観る事のできる映画は、映像業界では「商業映画」と呼ばれています。

予算がスポンサーから出て、お金を払って観に来て頂ける「観客」が居て、どれだけ「利益」が得られるのかが、ひとつの評価になる「映画」。

そんな「映画」が「商業映画」と言います。

それ以外の「映画」ってあるの?という疑問が出てきそうですが、それこそが「実験映画」なのです。

今回は、この「実験映画」という皆さんの内でも多くの方々が知らない世界をご紹介しようと思います。


尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw

今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。

そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。

東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。


●大学

私が「実験映画」に出会ったのは大学に入ってからでした。

現在の「京都芸術大学」の前身である「京都芸術短期大学」の映像デザインコースに入学した私は、その短大が「実験映画」を中心とした作品を勉強する場である事に気付くのです。

「商業映画」とは違った「実験映画」の世界は、「商業映画」を目指していた私としては「場違い」なモノではありましたが、SFXに通じたり、私の好きなシュールレアリスムに通じたりする「異質」で「興味深い」世界でもありました。

余談ですが、当時の30人足らずの同級生の中で「商業映画」を目指していたのは、私と現在は任侠映画等の監督として活躍されている「浅生マサヒロ」監督の2名だけでした。


●実験映画とは

では「実験映画」とは、どのようなモノでしょうか?

観て頂くのが「一目瞭然」なのですが、文章ではそうもいきません。

定義を云えば、

「造形や映画の表現として出てきた『芸術的な表現における実験を試みた映画』であり、その多くは『商業的な成功』を第一目的としていないし、また多くは個人の作家によって制作されている作品群」

と言えます。

作品の多くは低予算であり、短編映画です。

一般的には「アヴァンギャルド映画」「アンダーグラウンド映画」や「個人映画」とも言われ、「実験映像」とも言われています。


その作品の種類は多く、実写もアニメーション存在します。

むしろ、アニメーション技法で制作された「実験映画」の方が多いくらいです。

これは、アニメーションが時間や空間のみならず様々な「ことわり」を無視して自由にイメージ表現が可能だという点に起因しているとも言われています。


以下に「実験映画」の主な作品要素からの大まかな分類をしてみます。


「物語を実験的に表現した作品」

「作家個人の日常を撮影した日記的な作品」

といった映画の内容を追求した「実験映画」。


「抽象的なアニメーション作品」

「ドキュメンタリー、フリッカー映画と呼ばれる作品を含む、『映像の視覚効果を実験した作品』」

「ファウンド・フッテージと言われる、他の作家によって制作された映像作品を流用・転用した作品」

といった映像表現を追求した「実験映画」。


拡張映画エクスパンデッド・シネマと呼ばれる、複数の映写機を使って上映する作品」

「ループされた映像などによるインスタレーション作品」

「上映中に映像・音声を加工・編集するパフォーマンス的な作品」

といった上映技術に関して追求した「実験映画」等があります。


少なくともコレらの「実験映画」達は、「商業映画」として上映するには「利益」を得られる「万人向け」作品ではありませんでした。

絵画の世界に於ける「前衛的芸術」や「アヴァンギャルド」と呼ばれる作品の様に、理解するのには難解な表現をくぐり抜けなければならないハードルが存在する作品なのです。


●作品例

私が大好きな作品に「SPACY」という作品があります。

作者は「伊藤高志」

1981年、上映時間約10分。

16ミリカメラ作品。


体育館の天井の画像と黒い画像が交互に映し出され、次第に天井の画像は移動しつつ黒い画像の間隔が短くなり最終的にはフリッカーの様な状態から、黒い画像が無くなっていく。

次第に映る画像は、体育館のフロアが見える様にティルトダウンして行く。

体育館の中に写真が貼られたパネルが置かれ、画像はそのパネルへ吸い込まれて行く。

パネル自体も移動しながら、パネルの写真の中の空間を幾つも潜り抜け、右へ左へ視点は移動して行く、時には逆に進み、時には床に置かれたパネルの中へ進む。

スピードも加速し、パネル画像も2枚が重なるように進み、画像自体がフリッカーして行く。

最終的には、作者である伊藤高志氏がカメラを構えた写真パネルへと落ち着き、暗転後タイトル等のエンドクレジットが浮かび上がる。


初見では、正直理解できない映像であると言えます。

ピカソのキュビズムの絵画の様な、理解が難しいと思われます。

だからこそ、視聴中に寝てしまう可能性すらあります。


最初の黒い画像と天井画像の交互は、フィルムのコマとコマの間をゆっくり見ていく様な感覚での演出の様です。

尚、画像はコマ撮りアニメの様な要領で撮影されています。


●映像作家

伊藤高志氏のみならず、日本にも戦前からの「実験映画」の映像作家は数多く存在します。

私が大学時代にお会いした教授、助教授、講師にも映像作家はいらっしゃいました。


「松本俊夫(2017没)」

映画監督。映像作家。

九州芸術工科大学教授→京都芸術大学教授→日本大学芸術学部教授

主な作品「ドグラ・マグラ」


「相原信洋(2011没)」

アニメーション作家。

スタジオゼロ→オープロダクション→京都造形芸術大学教授

主な作品「Stone」、「ジャングル大帝OP(一部、フラミンゴの飛ぶカット)」「さよなら銀河鉄道999(一部、宇宙空間)」


「黒坂圭太」

アニメーション作家。

京都芸術短期大学専任講師→武蔵野美術大学教授

主な作品「みみず物語(私が出演w)」「緑子」


「伊藤高志」

映画監督、映像作家

京都芸術短期大学専任講師→京都芸術大学教授

主な作品「SPACY」


「由良泰人」

映像作家

京都芸術短期大学非常勤講師→大阪電気通信大学教授

主な作品「CASE」


皆さん今では各大学で教授に為られたり、大変な功績を挙げられている方々ばかりです。

特に「黒坂圭太」氏とは一廻り程の歳の差はありましたが、短大時代には仲良くさせて頂いていました。

「由良泰人」氏は短大時代の友人であり、今でも親交のある「実験映画」の映像作家です。


●表現の場

「実験映画」は、「芸術作品」でもあるだけに見せる場を作る事ではじめて世間に向けて周知する事が可能です。

1920年代には「前衛芸術」を母体に産声をあげ、1940年代には盛んに制作されます。

日本では1960年代に京都、大阪、札幌にて行われたアメリカの「実験映画」を紹介する上映企画「アンダーグラウンド・シネマ/日本・アメリカ」によって「実験映画」が周知され、自分で制作したり、鑑賞したりという状況が作られて行きました。


現在、日本国内での「実験映画」の上映に関しては、東京都渋谷区にある「シアター・イメージフォーラム」と東京都渋谷区恵比寿にある「東京都写真美術館」で毎年行われる「恵比寿映像祭」を主として幾つかの上映映画館が存在します。

また、「シアター・イメージフォーラム」では、毎年、映像アートの祭典である「イメージフォーラムフェスティバル/東アジア・エクスペリメンタル・コンペティション」が開催され、国内外の実験映画の公募と上映を行なっています。


●実験映画の活用

作品例にも上げた様に、基本的には「実験映画」にはストーリーは要求されていません。

むしろ「見たこともない映像」を見せる事に重きが置かれています。

つまりは、「映像的な前衛芸術作品」であり、その映像のインパクトや制作過程が重要視されるのです。


それは、「商業映画」や「テレビドラマ」にも少なからず活用されています。

「心象風景」や「心象描写」等を通常私達が観ることの無い映像表現で表現したり、不思議な空間を創り出したりといった映像表現に、少なからず影響を与えているのです。

その様なことは映像作品に限った事ではありませんが、同じ「映像」で表現する作品であるだけに顕著と言えるでしょう。


そして、私は「実験映画」が「特撮作品」を内包する「SF作品」や「恐怖映像作品」等と非常に相性が良いと思っています。

特にフィルム時代の「特撮作品」の撮影技法には「実験映画」の撮影技法や表現技法が共通すると個人的に感じていました。

それは、SFXからVFXへ技法の多くを変えた現在の「非現実世界や心象描写の表現方法」による「映像作品」だとしても十分に通用する事ですし、新たな「実験映画」によって「表現方法」は模索し続けられるのだと思います。


●あとがき

「商業映画」に比べれば甚だ特殊であり、大々的に広報される「映像作品」ではない「実験映画」ですが、アンテナを張れば何処かに鑑賞する機会はあるかと思います。


「映像表現」だけではなく「ストーリー表現」や「音楽表現」にも「実験映画」は存在します。

但し、映像表現が所謂「エログロ」と呼ばれる「暴力的」「性的」な事に向けられている「実験映画」も少なからず有りますから、不快感を持たれる方も居るかもしれませんので、鑑賞する際には「覚悟」が必要だと思います。

しかし、観ていて楽しい「実験映画」も多分に有るのも事実です。


楽しいとは違いますが、少し衝撃的ですが「黒坂圭太」教授の「みみず物語」で、30年前の私の姿と声を観てみて下さい。


「実験映画」という新たな「あなたの知らない世界」を開いてみる勇気と覚悟を持つ事が出来るのならば、そこに「押井守」監督「庵野秀明」監督「小林義明」監督といった映像表現が独特な監督の方々の原点や未来が見えるかもしれません。

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