余り語られない撮影所のあれこれ(10) 撮影所の飯事情
★「撮影所の飯事情」
撮影所で働く人間も飯を喰う。
朝、昼、夜。
当たり前の話ww
今回はサラメシです。
●その1
「ロケ弁当」
ロケに出る際は、所謂ロケバスと称されるマイクロバスに乗ってロケ地へ向かうのだが、
ほとんどの場合、朝も早くて開いている店も無いほどである。
30年も前となれば、コンビニなんて存在は今ほどに乱立していなかったので、撮影所が用意したお弁当と180ml缶の烏龍茶が支給されていた。
お弁当と言っても朝食用だから、おにぎり2個とタクアンにおかず1つというシンプルなもので、「お弁当のポパイ」製でした。
おかずは、唐揚げ2個かゆで卵1個の選択で、大抵唐揚げの方が先になくなりましたw
今では6種類の選択らしいですが、製作さんの発注で決まるので、無難な唐揚げとゆで卵の2種類が、唐揚げ多めで発注されている場合が多い様です。
東映の朝のロケ弁当は、ポパイ1択でしたw
「お弁当のポパイ」のHPより https://t.co/CfLIZav5Cz
尚、おにぎりの具の選択は、製作進行さんが2種類に決めて発注しているので、鮭、昆布、おかか、梅あたりの無難なものでした。
今やその具も30種類からの選択らしいですが、製作進行さんは無難なところを頼んでいるようです。
何せ、スタッフの年齢層が広いので、高齢の方用に合わせているようですw
さて、お昼ですが、ロケ先に出てしまうと製作進行さんが発注したお弁当が主流でした。
流石におにぎり弁当ではありませんww
今でいうコンビニ弁当の様なプラスチックトレイの弁当でした。
おかずは、日替わりの様で製作進行さんの選択権も無いようですw
このお弁当は、ロケ先に
配達してもらえる場合が少なく、ほとんどは朝のロケバスの出発時点で同時に積み込まれていました。
30年前はそうでした。今は、分かりませんが…
たまに夜までロケ先にいる場合とか、ロケ先で夜間撮影の時には夕飯の弁当が出ました。
これもコンビニ弁当状態でした。
●その2
「ケータリング」
30年前にはなかったものですww
ロケ先にまで配達して貰えて、配膳してもらえます。
欧米の映画撮影では当たり前の様で、やっと日本にも…と言いたいところですが、予算的に毎回ケータリングとはいかないようです。
普段は、紙コップに液体味噌汁作るだけの温かさしかない弁当が、ロケ先で温かいものが食べられるのは、大きいですよね。
●その3
「とん汁」
温かさと言えば、たまにロケ先で製作進行さんがとん汁を作る場合がありました。
ケータリングのない時代から現在まで、伝統的にたま~に作られます。
但し、朝から長時間同じロケ場所でいなければならず、火を使える場所限定でしたから、寄居の採石場あたりが一番食べた回数が多いかもしれませんww
●その4
「バレメシ」
ロケ先に飲食店がある場合は、自腹で食事をする「バラけてのメシ」=「バレメシ」となるのが基本でした。
定番例は、横浜で撮影している場合に昼が中華街でバレメシとなるというものです。
お金のないぺーぺーにはキツかったww
せっかくのバレメシなのに、パンと缶コーヒーという私の様なスタッフもいましたww
但し、先輩から奢って頂ける場合もあるのでその時はラッキーでしたw
時間を決めて再集合しますが、食事時間を長時間取らなければならず、最近では、撮影時間の短縮を目的にバレメシ自体が少なくなっているようです。
ロケ先での弁当は、基本的に飲食店がない場所が多いのですが、全く人が居ない訳ではなく、下手をすれば一般の通行人のいる往来で、地面に座り込んでロケ弁当を食べなければならない場合もありました。
私も最初は抵抗がありましたが、慣れとは恐ろしい
ですね。1年と待たずに平気になりました。
あ、役者さん達や諸先輩方は、ロケバスの中で食事しています。
但し、狭いので全員の食事空間をまかなえるスペースは無いので、下っ端は外でしたww
●その5
「撮影所内でのセット撮影時のサラメシ」
撮影所内セットでの撮影や所内の建物を利用した撮影等、兎に角撮影所内から出て行かない撮影の場合は、お弁当は出ないので、自腹で食事をしなければなりませんでした。
朝はロケに出たが昼前に撮影所に帰ってきた。という場合は、朝はポパイのおにぎり弁当ですが、昼は自腹になります。
また、撮影は無いが準備の為に撮影所内に出勤している場合も、自腹でした。
その場合、選択肢がありました。
1.撮影所内の食堂
2.外食
3.出前
です。
●その6
「撮影所内食堂」
30年前とは位置が変わってしまっていますが、撮影所内には食堂と喫茶があります。
大きな工場や会社にある様な社員食堂で、自動券売機で食券を購入して、定食や丼、麺類等に別れた窓口に並ぶのです。
喫茶は、食堂と同じ場所の一角に衝立を立てて仕切っただけの1コーナーでした(30年前は)
今も食券形式は健在のようです。
この食券ですが、30年前は昼飯用に食券が配布される場合がありました。
食券は、撮影所内食堂でのみ有効で、発券日は記載されていましたが、期限はありませんでした。
この食券で定食以下料金の食事が1種類だけ食べることができました。
後日に取って置いたり、他のスタッフやキャストにあげる場合もありました。
今の事情は分かりませんが、30年前にはそうでした。
30年前は、この食堂は、大泉撮影所の関係者と東映動画(東映アニメーション)の関係者が利用していました。
余談ですが、珠にこの食堂で東映動画(東映アニメーション)の即売会が開かれる場合がありました。
一般向けに開かれるものでしたが、関係者が先に購入することも可能でした。
当時はセルアニメでしたから、セル画や動画、台本、資料なんかも食堂のテーブルを並べた上に置かれ販売されていました。
今では貴重品ですが、当時は在庫整理の一環くらいの感覚だったのでしょう。おおらかですww
●その7
「外食」
外食は基本的に自腹です。スタッフやキャストに奢って貰う場合なんかもありましたが、頻繁ではありませんでした。
スタッフやキャストの多くは、撮影所前の西友OZ大泉(現在の西友リヴィンオズ大泉)の5階のレストラン街を利用していました。
当時にあったお店は、今では「天津菜館」だけになってしまいましたが、この中華料理店は撮影所スタッフやキャスト専用に
パーテーションで個室状態を作り出してくれていましたから、スタッフの会議の延長戦に使ったりもしていました。
また、有名俳優さんや撮影所のお偉いさんが、一般客に隠れて食事をするのにも対応してくれました。
今でも変わらない営業スタイルのようですw
オズ以外にも外食する場所は多くありましたが、特に撮影中の昼飯休憩であれば、撮影所内に戻る時間を考え、あまり遠くには行けませんでしたから、比較的近場になってしまうのです。
●その8
「出前」
外食する時間が勿体なかったりする場合、食堂や外食以外の方法として、オーソドックスなのが出前でした。
スタッフルームや製作ルームの机や壁や柱には、多くの出前メニュー表がありました。
特に日本そばの更科と中華の明明が、双璧でした。
更科には丼もありましたから、年配スタッフやキャストさんは、更科への出前が多かったです。
私はもっぱら明明でした。
撮影所内をスクーターで走って出前を配達している出前持ちさんを捕まえて、出前を頼むのが定番でした。
電話なんて出前回数の2割位じゃないかなww
特別メニュー(裏メニュー)なんていうものにも応じて貰えるのが嬉しかったですねw
●その9
「夜食」
撮影時には、どうしても夜間までセット撮影をしなければならない場合もありました。
その場合は、夜食が出てきました。
更科の蕎麦が基本でしたが、明明のラーメンやモスバーガーのハンバーガーなんていうこともありました。
30年前にはコンビニなんてほとんどありませんし、30人以上のスタッフやキャストの同一のお弁当が揃う筈もありません。
そして、深夜まで開いている店もありませんでしたから、馴染みの出前先にお願いするのが定番だったということですw
モスバーガーは、大泉学園にモスバーガーが出来て遅くまで開いているということで、試しに注文してみようということになりました。
出前はないので、製作スタッフが引き取りに行くのですが、30人分の大量注文は経験がなかったのか、遅れに遅れて…
以来、私が東映にいる間に夜食にモスバーガーは出てきませんでしたww
●補足
モスバーガーさんが、悪かった訳ではありません。
数日前にでも注文しておけば、シフト等も考えて頂けたのでしょうが、思いつきで注文した上に時間も遅く、更に大量注文。
遅れて当然です。
当時のモスバーガーのスタッフさん。ごめんなさい。
●Q&A
Q:
Ozの豚カツやさんで菅原文太さんに出会したことがあります。昭和末期ですが┄
A:
トンカツ屋さんもありました。
美味しかったです。
菅原文太さんは映画の仕事で操演助手として参加した作品で、ご一緒させて頂きました。1992年作品ですw
OZには鉄板ステーキ屋さんもあって、私は一人でOZで昼食ならば、珠にこのステーキ屋さんでサイコロステーキを食べていましたww
●Q&A
Q:
おはようございます。 #南野陽子 さんがゲスト出演した2014/05/29放映の「バイキング」で薬丸裕英さんや田中卓志さん(アンガールズ)と東映撮影所を訪問した時にOzの想い出を話していました。
・・・宜しければナンノ話も何かございましたら差し障りのない範囲で(笑)お願いします
A:
私もナンノさんは、学生時代に観た「スケバン刑事Ⅱ」からのファンだったのですが、残念なことに実際にお会いする事はありませんでした。
ハンバーグは、どこの店だろうか?
私が行っていた鉄板ステーキのお店かもしれません。
お肉料理と言えばこのお店でした。
残念な事に2016年頃には閉店しました。
尚、「あいつがトラブル」の頃ならば、私がジバンで撮影を始めたくらいですね。
ならば、確実に鉄板焼屋さんはありましたから、ココかもしれません。
薄暗い間接照明の落ち着いた雰囲気のお店でしたし、カウンターとテーブル席が数席ありましたから、有名女優さんでも気付かれない可能性はあります。
●その10
「東映京都撮影所のサラメシ」
東映の京都撮影所。
つまり、太秦撮影所と太秦映画村の飯事情です。
但し、30年程前のことだから、今は違っているかもしれません。
まずは、一般の方々が東映の撮影所施設内部を常時観られる場所「太秦映画村」のサラメシから。
太秦映画村は撮影に使用されているオープンセットを一般公開しているのですが、そこで働く人は映画村にある食堂で食事を取るか、仕出し弁当を注文したり、自分で作って来たお弁当を持って来て映画村の中の休憩所で食事を取りました。
これは、映画村のスタッフやキャスト、アルバイトも同じ扱いでした。
基本的に映画村のスタッフやキャストは、撮影所側に出入り自由でしたが、アルバイトは映画村側と撮影所側で分けられていましたから、映画村のアルバイトは撮影所側には出入り出来ませんでした。
撮影所側のアルバイトは、映画村側にも出入りOKで、アルバイトと言えどもスタッフ扱いでした。
そして「京都撮影所」の中には、映画村とは別に大食堂がありました。
この大食堂は厚生会館の1階を占領する程の面積を占めていましたから、当時の東京撮影所の食堂と比べても2~3倍の面積がありました。
勿論、喫茶スペースもありましたが、4つくらいの机しかなかった東京撮影所の喫茶スペースに比べ、倍以上のスペースが確保されていました。
食事内容的には変わりはないのですがねww
何故にこんな広い面積が取られているのかと言えば、京都撮影所が時代劇を中心に撮影しているという特殊環境があるのです。
基本的に時代劇は、髷のカツラを着けているキャストばかりが出演しますし、ほとんどがセット撮影です。
ロケに出かけても京都府内がほとんどですから、帰ってきて食事もありました。
東京撮影所との大きな違いは、朝のおにぎり弁当が存在しないことです。
朝は、食堂が開く前に喫茶スペースが開店していますので、その喫茶でモーニングトーストセットを食べるのが、スタッフやキャストの基本だったようです。
中には、髷のカツラのまま、撮影所の正門外の一般の喫茶店に行く
キャストさんもいらっしゃいました。
先方の喫茶店も慣れていますとばかりの接客ですがww
尚、この食堂には気さくな大御所も顔を出していました。
そして、京都撮影所にも出前は届きます。
食堂は市価の2~3割引程度でしたから出前は高いのですが、それでも馴染みの店から出前を取る方もいらっしゃいました。
●その11
「差し入れ」
さて、話は変わって「差し入れ」です。
差し入れは、基本的にスタッフやキャストの持ちよりや頂き物です。
私もスタッフから離れた後の近年等は、セット撮影にお邪魔する際に郷里のお菓子をお土産として差し入れさせて頂いていますww
差し入れとしての内容は、お菓子や飲み物なんかが多いのですが、時には夜食の差し入れやロケ先での豚汁の差し入れなんかもありました。
今でも、某作品の監督が現場にケータリングを差し入れしたとか…w
大御所さん等にとっての差し入れは、そのタイミングを製作スタッフに相談する位に重要なもののようです。
それは、座長=主役がスタッフやキャストの仲を取り持ち、作品作りの仲間意識を固める為に行う場合が殆どですが、若い主役だとスタッフやキャスト全員に振る舞える差し入れが出来るギャラは貰えていませんから、キャストの中でも大先輩が差し入れを代わりに行うことがありました。
キャストもスタッフも出来るだけ多く集まる現場(理想はセット撮影)を選び、差し入れ品も現場によっては問題になる場合もあるので吟味します。
某番組の夏のロケで某キャストからアイスクリームの差し入れが入った話は、業界内では有名です。
溶けるので、全スタッフ全キャストがアイスクリームを先に食べなければならなくなり、撮影が止まった話ですw
時期は、映画ならばクランクイン後の数日後ぐらい。連続ドラマならば、最初の数話目ぐらいに差し入れされました。
尚、別に主役や大御所じゃなくても差し入れをするキャストさんもいらっしゃいましたよw
まだまだ撮影所の食事情は
「打ち上げ」「地方ロケ飯」「海外ロケ飯」「消えもの処理班」
等々ありますが、続き過ぎるのも飽きますので、またの機会にさせて頂きますww
●補足
令和元年10月から「ポパイの朝のロケ弁当」は、カットされた番組があるとの情報が入っています。
「ポパイの弁当」さんには厳しいでしょうね。
復活して欲しいものです。