余り語られない撮影所のあれこれ(105)「コロナ禍における撮影現場のガイドライン(後編)」
★「コロナ禍における撮影現場のガイドライン(後編)」
●日常とは違う日常
基本的には、どの撮影現場のガイドラインの内容も私達の日常として見かけるようになった「コロナ禍の日常」としての「感染予防対策」と変わりはありません。
「体温測定」「手指の消毒」「アルコール消毒」「ソーシャルディスタンス」「アクリル板」「フェイスガード」「マスク」どれもが2年も経てば「日常」へと変化していきます。
しかし、撮影現場の「コロナ対策」は、私達が目にする「日常」とは違っています。
特に現在では「非日常」となってしまった「マスク」や「ソーシャルディスタンス」の無い「コロナ禍以前の日常」を「日常」として撮影しなければならない現場においては、様々な目に見えたり見えなかったりする「制約」が発生していると思われます。
今回は、「後編」として「撮影する時の感染予防対策」に対してお話しさせて頂きます。
尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw
今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。
そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。
東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。
また、今回は多分に推測が混じっています。実際の撮影現場の状況とは異なる可能性があることも併せてご了承ください。
●資料
前回に引き続き資料として「東映東京撮影所の新型コロナウィルス対策に関して(東映株式会社東京撮影所)」「映画撮影における新型コロナウィルス感染予防対策ガイドライン(一般社団法人日本映画製作者連盟)」「日本テレビドラマ撮影ガイドライン(日本テレビ)」「ロケ撮影の円滑な実施のためのガイドライン(内閣府、警察庁、消防庁、国土交通省、文化庁)」を使用させて頂きました。
●撮影シーン
撮影に対してのガイドラインには、今回の冒頭に載せた様に一般の方々の生活における「コロナ禍の感染予防対策」とは違った、細かなガイドラインが存在します。
そこには「マスク」を外した者同士による「会話」や「ソーシャルディスタンス」無しでの「接触」といった「コロナ禍」以前では当たり前であった景色を、「コロナ禍の感染予防対策」としてのガイドラインを守った上で「撮影」しなければならない困難さが付いて来るのです。
その様な「新たな制約」の下で、「新たな価値基準」を持った映像を作り出すために、撮影現場では様々な「新たな挑戦」が必要となっています。
○事前見直し
先ずは、撮影に対する「事前の見直し」があります。
撮影するにあたり、「密」になったり「密」になる可能性のあるシーンやカットを台本に組み込まない様にするとか、撮影ガイドラインを守れる範囲での演出プランに変更する等としての対策を行っているのが「事前の見直し」です。
具体的に言えば、屋内シーンを屋外シーンへ切り替えるとか、直接会わずに会話する「電話」や「リモート」等に切り替えるといった細かなモノから、撮影そのものを延期したり中止してしまうといった大がかりなモノまでが、この「事前の見直し」の対象となります。
「コロナ禍におけるドラマ」として、「マスク」を着用し芝居を行う。といった設定そのものに「コロナ禍」を含めるというドラマすらありました。
それは、「コロナ禍の実情」を映し出し、我々が置かれた現状と同じく「マスク」をして生活している状態の延長線上にドラマ台本を用意するということでした。
この「コロナ禍の実情」そのままの撮影現場は、「感染予防対策」問題は殆どクリアされていました。むしろ問題なのは、「マスク」で顔が認識できない事と、その顔が見えない事で感情表現も読み取りにくいといった視聴者側の捉え方でした。
そんな撮影に入る前に行われる見直しでも「撮影が必要」とされたシーンにも、撮影現場ならでわの工夫が必要となってきます。
○濃厚接触シーン
どうしても必要な「濃厚接触シーン」としては、「抱き合う」ことや「キスシーン」、「ラブシーン」等といったモノが考えられます。
勿論、「事前見直し」により、より接触が少ないシーンへの検討も終わり、それでも外せない要素としてのシーンであれば、相応の準備を持って撮影にあたる事になります。
ガイドラインによれば、どうしても避け難い「濃厚接触シーン」の撮影では「海外渡航歴」等の有無、「ワクチンの接種」の有無、「事前のPCR検査」の陰性証明、等の「感染予防対策」を取った上で撮影が行われる事を指示していて、出来るだけ接触も撮影も短時間で行い、本番さながらのテストは行わないようにして「感染リスク」を下げることを指示しています。
○立ち位置
単に「抱き合う」や「ハグ」といったシーンでも、その状態自体が「ソーシャルディスタンス」に反している訳で、その状態から「見つめ合う」とかといった「飛沫感染リスク」のある演出は避けられる傾向にあります。
そして、この「飛沫感染リスク」は、「濃厚接触シーン」でなくとも撮影シーンによっては、日常的に多く考えられる状況です。
人は会話して始めて意思疎通をはかれる動物です。更に「相手の目を見て話す」事が文化的に自然とされている状況で生活してきました。
ですから、顔と顔を見つめ合う状況で会話をするのが「普通」でした。
演出上意図的にバラバラに配置された役者が、それぞれの役者の位置関係に関わり無く会話をするといった状況での撮影シーンというモノも存在します。
しかし、それは「日常」の中で「非日常」的な何かを表現する為に用意された「不自然」な演出に他なりませんから、いつも同じ状況にして「飛沫感染リスク」を回避する事は出来ません。
そこで、色々な「芝居の方法」や「立ち位置」や「撮影方法」によって、自然に見える形で「飛沫感染リスク」の回避をしようとしています。
「濃厚接触」を伴わない「飛沫感染リスク」としての筆頭は「会話シーン」です。
これは、カットを細かくする事でセリフを話す役者の単独カットでの「カットバック」撮影や、セリフを話す役者と同方向を向いている役者だけがセリフを発するといった「カット割り」や「立ち位置」の工夫によって「飛沫感染予防」を組み込んでいるのです。
また、セリフを発する前には相手の顔を見ているが、セリフを発する際には「横を向く」「歩き出す」等の芝居へと変化させる事で「自然」と「飛沫感染予防」をしているシーンというモノもあります。
○ドラマ内という異世界
ドラマを観ていると、「感染予防対策」など全くしなくても良い世界がそこに存在しているかの様な、私達がかつて経験していた「日常」がそこにあります。
それは、新しく撮影されたドラマにおいても同じであり、「コロナ禍における撮影」で撮影されたシーンでも、私達が「日常」とする「マスク」や「手指消毒」や「ソーシャルディスタンス」は、存在すら排除されています。
現在では建物に入る際に必ずといって設置されている「アルコール消毒」のスプレーボトルや「体温計」は、ドラマ撮影となれば一部のグルメドラマ以外ではことごとく排除されていて、画面に映る事はありません。
それはある種、時代劇で現代の要素となるモノを画面内からことごとく排除する事と似ています。
そして、道行く人が全て「マスク」姿という状況では、ゲリラ撮影と呼ばれた一般通行人を撮影に利用した撮影も行えません。まぁ、現在でも昔でも公道でのゲリラ撮影は、良くありませんw
○ドラマ以外の撮影
ドラマ以外での街角ロケ番組やグルメ番組などでは、出演者の顔が見やすいように「フェイスガード」や「マウスガード」を装着したり、「マスク」をしたままの撮影をしている様です。
アクリル板の設置や「コロナ禍」の食事マナーである「黙食」を取り入れ、マスクをしてからコメントを言うといった配慮がなされています。
また、スタジオの収録であれば、大型のアクリル板や大型モニターを使用する事で、出演者同士の「ソーシャルディスタンス」を確保している様です。
○特撮作品の試み?
この様に、ドラマ撮影とは違って視聴者の目に見える「感染予防対策」は、比較的理解されやすい傾向にあります。
しかし、ドラマ撮影ではカメラの画面に映らない場所では、全てのスタッフはマスク着用ですし、キャストも本番撮影以外は「フェイスガード」や「マスク」を併用しての待機なのですが、如何せん視聴者には見えていない部分での「感染予防対策」なので、「マスク無しであんなに話しても大丈夫?」「ソーシャルディスタンスも何も無いなぁ」といった視聴者からの声が聞こえて来そうで、理解度は低いのではないかと思われます。
そんな中で、「特撮作品」では、ある種の「試み」と言える状況を作り出そうとしている様に見受けられます。
それは、「特撮作品」らしい取り組みです。
ヒーローや怪人等のスーツやキグルミは、それだけで「コロナ禍における感染予防対策」として「マスク」と「濃厚接触感染」を回避出来る要素となっています。
ですから、スーツやキグルミを作品中のメインの出演者や通行人として出演する世界設定を用意する事で、「マスク」等の「感染予防対策」無しの生身の人間キャストと「完全感染予防対策」を施したスーツやキグルミのキャストを同時に画面に登場させ、会話させ、濃厚接触をさせたとしても「コロナ禍におけるドラマ撮影のガイドライン」には、何ら抵触しないこととなるのです。
●撮影の在り方
「新型コロナウィルス」の存在は、撮影所内外の撮影にかつてない変革をもたらしました。
それは、今迄とは違って面倒で時間や費用だけはかかる変革です。
「ガイドライン」では、健康に留意する意味からも「1日の撮影時間」も制限対象に組み込まれている程ですから、撮影方法に対する時間のかかる制約が付いた上での変革は、非常に撮影現場としては重荷になっている事だと思われます。
しかし、この新たな変革は「コロナ禍」が落ち着いた後にも何らかの利用価値としての要素を残してくれると信じたいです。
遠くまでロケーション撮影に出なくても、撮影所内でロケ撮影を済ませる事で、時間短縮とロケバス等の「密」を作ることを避け、費用も節約出来る。
今迄もたまにあった撮影スタイルではありましたが、マンネリ化を避ける為にも新たなロケ地へ出向いていたことが多かったのです。
しかし、現在の様にロケ地としての借用も困難な場所が多く出来てしまうと、撮影所内を使いマンネリ化しない撮影アングルや方法を考えるという試みが生まれました。
先程の「特撮作品」の様に出演者が全て人間で無くても良いという「固定観念」からの脱却も、「コロナ禍」があったからこその発想ではなかったのかとも思えて来ます。
「ピンチはチャンス」とは謂われますが、今迄とは違った価値観や制約は、今後の撮影にも必ずプラスに働くと思っています。
●アニメ
今回の「コロナ禍における撮影現場のガイドライン」で叫ばれる「マスク」や「ソーシャルディスタンス」は、実写ドラマ等の実際の人間が出演する撮影特有の制約です。
それに比べると「アニメーション」では、少なくとも出演者には「コロナ禍」の影響も無く、「見直し」等も存在しなくて、良い様に思われます。
しかし、アニメ製作の現場では「密」が多く存在していました。
アフレコは「密閉空間」で「密」を犯しての収録ですし、作画作業等は多人数が一定の空間に長時間「密」になっての作業する最たるものでした。
その対策も、デジタル化のお蔭で少しは変革があった様です。
●あとがき
「リモート出社」や「出社7割減」等とは無縁の様な「実写ドラマの撮影現場」は、多くの顔馴染みの人と雑多な人達とが「寄ってたかって」作品を作り出す仕事です。
そして、視聴者は「新たに制作されたドラマが放送されない世界」を望んではいない様ですから、「造り手」としては「感染予防対策」をして「ガイドライン」に沿った仕事で、今迄以上のクオリティを今迄以上の制約の下に提供出来るように、知恵と変革を駆使しつつ努力しなければならないのではないのかと思っています。
難しい様ですが、やり遂げてしまうのが「プロ」なのですから。




