表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
余り語られない撮影所のあれこれ  作者: 元東△映助
102/191

余り語られない撮影所のあれこれ(101)「画面の外を考える。私が特撮作品を観る時の悲しきサガ」

★「画面の外を考える。私が特撮作品を観る時の悲しきサガ」


●視聴

特撮作品のテレビ番組や映画は、私が物心が付く前から観ていたのではないかと思います。

「ゴジラ」に「ウルトラマン」「仮面ライダー」「キカイダー」「イナズマン」「ライオン丸」「ザボーガー」「バロム1」などなどのリアルタイムから再放送まで、私が幼少期を過ごした70年代初頭は巷に特撮作品が溢れていました。

自分で言うのも恥ずかしいですが、そんな純真無垢な幼少期ならば、何の先入観も無くヒーローとヴィランの戦いを毎週の様に応援し、様々なヒーローやロボット達を「カッコいい!」と大声で叫び、ヴィランのデザインに「すげー!」とこれまた大声で叫んでいたのだと思います。

制作会社だの監督だのは関係なく、純粋に画面から見て取れる「リアル」と信じる世界に夢中でした。

そして、それは学生時代になって「特撮ファン」を自覚する様になっても同じでした。

少し違っていたのは、「どうやって撮影したのだろうか?」と撮影方法も分らぬままに思い、制作会社や監督や特技監督や脚本家に興味を持っていった事でしょうか、更に声に出さずに心の中で「カッコいい!」と「すげー!」を繰り返し叫ぶ様に変わっていたという事ではないでしょうか。

しかし、それがひとたび制作サイドであるスタッフになると観方が文字通り「ガラリ」と変わりました。

今回は、一度でも制作サイドになってしまい、スタッフとして特撮作品を観る際に思ってしまう「悲しきサガ」に関してお話させて頂こうと思います。


尚、例によって情報のほとんどが約30年前ですw

今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。

そして、ここでの意見は、あくまでも個人的な意見です。

東映をはじめとした各社や映像業界の直接的な意見ではありません。その点を予めご理解ご了承下さい。


●ロケ地

先ずは画面から見て取れる情報として「ロケ地」がどこなのか?というがあります。

背景としての「ロケ地」を探してしまうのは、「台本」の中で「柱」と呼ばれる場面設定が書かれている箇所があり、それが撮影に関する最初の情報として示されるからなのではないかと思われます。

しかし、一般的な場面設定の「ここは何処?」という感覚だけではなく、「ロケ地」としての場所を考えてしまうのです。

従来使用されて来た「ロケ地」かどうかというのは、情報として特に重要です。

それは、「ココでアクションは可能か?」「ココではどこまでの操演が可能か?」とか、「こんな爆破まで許して貰えるんだ」「使わせて貰えたのは表だけなんだ」といった画面に映る部分の「ロケ地交渉」から始まり、「車はどこまで入らせて貰えるのだろうか?」「スタッフは何処にベースを構えたのだろうか?」といった画面には映らない「ロケ地事情」までもを考えてしまうからなのです。

この様な「画面の外」を考えてしまう事は、明らかに元スタッフであったからこそ考えてしまう事ではなかろうかと思われます。


そして、近年ではコロナ禍ということもあり、今迄「ロケ地」として貸し出して頂いていた撮影場所も、なかなか貸し出しが難しくなってきているのではないのかといった邪推も働いて、陰ながら「ロケ地」を提供して頂ける方々や、それを仲介して頂ける各地の「フィルムコミッション」にも感謝してしまうのです。


●撮影

撮影に関しては、カメラアングルが一番に気になります。

明るい、暗すぎる、色がおかしい等といった基本的な情報はチェックの上で、画角=カメラアングルが「いつもと違う」「意欲的」「冒険的」「カメラマンさん。凄い」といった感想を呼び出して来ます。

画面の切り替わりである「カット割り」は、基本的には監督が決めるモノであるだけに、カメラマンはその意図をくみ取って「より効果的なカメラアングルや撮影方法」を探す方々だと、私は思っています。

だから、新しいカメラアングルや新しい撮影方法が画面に表れた時には、テレビ画面に身を乗り出し、カメラの置かれ方を想像し、そして推察し、カメラだけによる撮影方法なのか、特殊な撮影技術が働いていないかを考えてしまうのです。


そういう意味では、「特殊な撮影」や爆発や弾着等の「特撮」カット等では、「操演さん」といった新たな映像の探求者も加わっていますから、それまで以上に従来行われていた撮影方法なのか、改良が加えられているのかを想像してしまいます。

それは、私が「新たな撮影方法なり撮影技術なり」を楽しんで探してしまっているからなのだと思っています。

時には「CG」の介入や効果も考えながら、「特撮」カットの撮影方法や仕掛けの方法といった撮影した時の「画面の外」を考えてしまうのです。


近年では、ドローン撮影という新たな撮影方法も加わりましたが、コレら「新しく刺激的な映像」は、それだけでカットを繋げても何の魅力もありません。

普段見慣れた映像の中に、ストーリー上やキャラクターの心理上や場面転換上等に、たまに挿し込まれる事で効果を得ることが出来るのです。

だから、その映像が効果的に働いているのかも、私の関心になります。


例えば、近年のウルトラマンの映像の中で、ローアングルから流れる様に俯瞰へ、そして同じカットの中にコマ送りやハイスピードを入れ込むアクションカット等が、現在の撮影技術と映像加工技術を持って表現出来た「新たな映像」だと思い観ていたりします。


●準備

撮影は、カメラが有って被写体が有れば成立しますが、それだけでは効果的な映像が撮れるとは限りませんから、演出的に映像的に美術的に、様々な部署が知恵を出して効果的な映像を作り出そうとする訳です。

創り上げられた映像は、印象的だったり効果的だったりするのですが、その映像を創る前の準備に想いを馳せてしまう映像がたまに存在します。

一般的には何気ないカットであっても、その準備を知る者からすれば「準備がタイヘン」と思わせてしまう映像です。


例えば、近年の映像の中で「ロケ地」にベッドを持ち込んで少し不思議な映像を創り出したり、「大量のゴミ」を用意して視覚効果を狙ったりといったカットを観た時に「簡単に撮影しているけれど、準備した大道具さんや小道具さんに『お疲れ様』と言いたいカットだなぁ」と個人的に思ってしまい、スタッフに想いを馳せてしまいました。

因みに、例にあげた「大量のゴミ」等の「大量の○○」の作成には、小道具さんだけでは手が足りず、助監督が手伝う事が多かった様に記憶しています。

それでも手が足りず、小道具さんの会社の社長や美術監督までも手伝う場合すらありました。


●役者

元演出部ですから、キャスト=役者の演技にはどうしても目が行ってしまいます。

自分ならば「こう演出する」とか「こう演技指導する」とかと言ったおこがましい事は考えていません。

キャストの演技の上手い部分には細かくとも感心し、演技力が足りない部分には悲しく想うのです。

ベテランのキャストは、マイナスな部分があっても、御本人の「味」として捉えてもらえるという事はあります。

しかし、新人はそうはいきません。

特撮作品の多くは、主人公に新人や新人に近いキャストを起用して1年間という長丁場を旅するのです。

毎年、新たな主人公で新たなキャスト達。

その演技力のレベルと成長の様子を1年を通して見届けるつもりで、観ています。

この辺りは、元スタッフだからという訳ではなくて、一般的な視聴者目線の様な気がします。


厳しく言ってしまえば、素人目にも1年間成長しないキャストも居れば、最初から凄い演技をするキャスト、下手だから若さとパワーで押し切ろうとしてしまうキャスト、主人公を喰ってしまう演技をするキャスト等など様々ですが、「1年後には、どんな演技をみせてくれるのだろうか?」と思いながら新番組を見始めますし、番組終了後には「どうか役者として喰って行ける人生を祈る」と思い幕を閉じます。


この辺りは、「役者が厳しい世界」という事を少しでも知ってしまっている、もしくは色々なキャストの現在や過去を見て聞いてそう感じてしまっているという事で、一般的な視聴者よりは違う感情移入をしてしまいます。


●あとがき

テレビ画面に向かって「すげー!」「カッコいい!」を、近年になって再び声をあげて言ってしまっている自分がいます。

しかし、スタッフになる前の昔の自分が発していた箇所と映像的には少しズレていたり、叫んだ感嘆符の内容は変わってしまっています。

それは、一度でも制作サイドに立ったりスタッフとして加わる事で目線と、関心する箇所と内情といった「画面の外」の世界の事を知った事による変化がもたらした事なのでしょう。


良くも悪くもこの感覚は、消えないでしょう。

悪く言えば、皆んなと同じ様に楽しめなくなってしまったとも言えるでしょう。

でも、考え方や見方が変わる事で、新たに感じる事が増えるのもまた事実です。


映画、ドラマ、特撮作品等の実写映像作品では、コレらの「画面の外」を探る「悲しいサガ」が働きますが、アニメには「画面の外」を探る感覚は余り働きません。

アニメーション制作の方法は、高校時代にセルアニメを制作したり、芸術大学時代に一通り学んではいますから知らない訳ではありません。

しかし、本当に現場で働いた事の無い世界ですから、テレビ画面で映し出される「○○作品の制作風景」とかで見せて頂けるというのが全てで、それ以外は想像や妄想でしか「画面の外」を知りません。

ですから、アニメはそこまで「画面の外」を気にせずに観る事ができます。

かえって、アニメーション制作の現場のスタッフは、アニメを観る時に「画面の外」の事を気にしてしまうモノなのかが気になります。

多分、「この動きは……」とか「この色は……」とかと、「画面の外」を考えているのだろうなぁと思っています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ