35 すれ違いはもうこりごり
次に目を覚ました時、ユーリはもう仕事に行っていて代わりにキーロが家にいた。現在わが家には日中は何人かのお手伝いさんがいるが、結婚して仕事を辞めたキーロは今度は我が家でそのお手伝いさん達のとりまとめ役のような役割をやってくれていた。
ちなみにこのお手伝いさんも無給でもいいからやりたいという志願者が多くて、キーロとなぜだかガティの2人による厳正なる面接を勝ち抜いた人だけが選ばれている。何でもわが家に務めた未婚女性は高確率で素敵なパートナーを得るとか。
「マリィ様、お加減はいかがですか?お医者様を手配いたしましょうか?」
キーロはだいぶお日様が高くなってから起き出した私を気遣って胃に入りやすいスープを作ってくれていた。本当に心配げに私の様子を窺っていてなんだか申し訳なくなる。
「ううん。大丈夫。ありがとう。」
私は無理に笑顔を作ってキーロに笑いかけた。
「ユーリルーチェ様は本日は帰りが遅くなるそうです。夕食は要らないと。マリィさまをとても気遣われて出来るだけ早く帰るとおっしゃってました。」
「そう。」
食事をしているとキーロが言いにくそうにそう言ってきた。今日も遅いって事は、またあの女と一緒にいるのかな。落ちついていた胃がまたキリキリと痛み出す。その日の夜もユーリからは知らない石鹸の香りがした。
しばらくそんな日が続き、私の神経はすり減った。うちに体重計は無いけれど、この数日で確実に私の体重は減ったと思う。ご飯が全然食べられない。ユーリはとても心配して色んな医者を呼んだけど病名はわからず、一般的な胃薬が処方されるだけだった。
医者も妖精が夫の不貞に悩んで体調不良になっているなどとは思いもよらないだろう。ユーリは仕事も休んでゆっくり寝てろと言うけど、家にいても落ち込むだけだから私は仕事に行くことにした。
「よう。体調は大丈夫かよ。ちゃんと食べろよ。」
お昼にリプレビュートと王宮内の庭園でなかなか手の進まない昼食をとっていると、聞き覚えのある声がして頭にポンと手を置かれた。上を向くと、ザックさんが笑顔で私を見下ろしている。
「マリィ、最近体調不良なんだろ?ユーリルーチェが心配し過ぎて酷い窶れようだぞ。夫婦で窶れて何やってるんだよ。」
「ユーリが?」
「ああ。俺はマリィと一緒にあいつまで倒れないかと心配してる。」
私はここ数日、自分のことで精一杯でユーリに目を向ける余裕が殆ど無かった。ユーリが私を心配し過ぎて窶れてる?あの女の人とよろしくやってたのに?もう、ユーリのことがよくわからないな。
***
ザックは職場に戻ろうと歩いているときに腰のあたりをくいっと引っ張る感覚があり振り向くと、先ほどマリィと一緒にいた子供が泣きそうな顔をして立っていた。
「お姉ちゃんは僕とお出かけしてから体調不良なんだよ。僕、お出かけしたいなんて言わなければよかった。」
リプレビュートは自分のせいでマリィが体調不良になったのかもしれないと思って泣きそうになった。こんなことならあの日、出かけ無ければよかったとずっと後悔していた。ザックはそれを聞いて目を光らせた。
「お出かけ中に何か変わったことはあったか?」
「馬車でショッピングモールに行った。」
「それで?」
「お店を見て、ドーナツを食べたよ。」
「他には?」
「お兄ちゃんが知らない女の人と居たけど、お姉ちゃんは違う人だって言ってた。」
「お兄ちゃん?」
「うん。よくお姉ちゃんと手を繫いでるお兄ちゃん。」
ああ、そういうことか。ザックは「お前はなにも悪くない。ありがとな。」とリプレビュートの頭を撫でると手をひいて元来た道を戻り、マリィに声をかけた。
「マリィ。お前達はとってもお似合いの夫婦だよ。」
「突然なに?」
「中隊は特命任務が多いんだ。解決するまで任務内容は家族にも口外できない。」
マリィは何を言われているのかわからないようで訝しげに眉間に皺を寄せている。窶れるくらい好きなのに、本当に不器用な奴らだとザックは苦笑した。
「つまりは、お前達はお互いに馬鹿みたいに相手が好きって事だ。今日はよく話せよ。じゃあな。」
「ちょっと!何なのよ?」
「メシ食えよ。」
笑顔で片手をあげて去っていくザックを私は茫然見送った。突然何なのだ。お互い馬鹿みたいに相手が好き?自分が馬鹿みたいに片想いなのに?
でも、それと同時に以前にも色んな事でユーリとすれ違った事を思い出した。両想いなのに振られたと勘違いしたこともあったっけ。キスしてくれないって悩んだりもした。
ちゃんと話した方がいいのかな。でも、離婚したいなんて言われたらどうしよう。私はその日は悶々とした気持ちで過ごすことになったのだった。
***
ユーリはまた以前のように私に合わせて帰るようになっていたが、食事中も会話は全くなく重苦しい空気が部屋全体を包む。ついこの間まで、ユーリと向かい合って食事しているだけで幸せいっぱいだったのに。
「ねえ、ユーリ。仕事中に私服で会ってた女の人はだれ?」
私は意を決して、ユーリに直接聞いてみる事にした。先延ばししてても自分の体調不良が酷くなるし、2人の溝が広がるだけだ。ユーリは大きく目を見開いて私を見つめた。
「え?」
「遅くなるって言ってた日に私に秘密で女の人と会ってたよね。胸が大きくて綺麗な人。あの人は誰?恋人?私には飽きちゃったのかな。」
「違う!」
ユーリは酷く傷付いたような目をして表情を歪めた。
「違う。あれは・・・あれはちょうどおとり捜査をしてたんだ!」
「おとり捜査?」
ユーリがぽつりぽつりと守秘義務範囲を守りつつも話してくれた事には、ユーリ達第1中隊はあの日を含めた数日間にわたり、王都にある違法娼館の摘発でおとり潜入捜査をしていたそうだ。あの女の人はそこで働く娼婦で断じて恋人などては無いし、身体も買っていないと言う。
「でも、シャワー浴びてきてた。」
「あいつらの香水がくさいから匂いを家に持ち帰りたく無かったんだ。だから職場で浴びてきてた。」
「なんであの日、私と目が合ったのに逸らしたの?」
「変装してたからマリは気付いて無いと思ってたし、声をかけられて俺の身分がばれると作戦失敗になるから。」
「そっか。」
ユーリはこっちが心配になるくらいに青ざめていた。ザックが昼間言っていた事も納得の顔色の悪さだ。ユーリの窶れようからして、『おとり捜査』と言う彼の言葉に多分嘘はないのだろう。結局、私はまたもや勝手な思い込みで2人の関係を拗れさせたようだ。
「ユーリ、ごめんなさい。私、勘違いしてたの。ユーリがあの女の人と浮気してると思ってて。もう、私に飽きちゃったんだと思って・・・」
ここで泣くのは卑怯だとわかっているのに涙が溢れるのをとめられない。私は本当に馬鹿だ。ユーリはずっと私を心配してくれていた。それなのに、勝手に浮気してるなんて思い込んで。
「マリはもしかしてそれでずっと元気なかったのか?ごめんな。俺も何か言うべきだった。俺が愛してるのはマリだけだよ。」
ユーリは自分だって凄く傷付いた筈なのに、ふわっと私を抱きしめてくれた。その優しさと温かさがたまらなく愛おしい。後にも先にも私がこの人より好きになる人なんて絶対に現れないだろう。私は謝罪の気持ちと愛しているという気持ちをこめて、精一杯の祝福をユーリに贈った。




