34 見間違えでしょうか
ある日の出来事。その日、私はいつものようにユーリと一緒に馬車で王宮に出勤した。
この馬車は我が家の専用馬車で、近所の馭者紹介会社が無料で貸してくれている。と言うのも、我が家に関わるともれなく良いことが起こるともっぱらの噂でこういう無償奉仕の申し出が後を絶たないのだ。前々任の馭者さんは息子が作文コンテストで優勝し、前任の馭者さんは商店街の福引で一等を当てたと言っていた。会社としても透明爪の妖精が使っている馬車会社として大々的に宣伝しており、ご利益をあやかろうとする配車依頼で大繁盛しているらしい。
これは働き出してから知ったのだが、魔法石と通信機器などの開発を行う私の職場となる場所は王宮の外れの立ち入り禁止地区にある。なので私達はいつも王宮の入口まで一緒に馬車に乗ってきて、そこで2人で降りて歩いてそれぞれの職場に向かう。ユーリは別れ際までいつも手を握っててくれるので、王宮内で私達はおしどり夫婦として有名になっていた。
いつものお別れスポットに到着すると、ユーリは握っていた手を外し、私の髪の毛に手を伸ばすとばらばらになっていた髪をそっと耳にかけた。
「マリ。今日はちょっと時間がかかりそうだから先に帰ってくれ。夕食もいらない。マリが寝る前には帰る。」
「そうなの?うん、わかった。頑張ってね。」
「ああ。マリも気をつけて帰れよ。馬車は使って帰って良いからな。護衛もちゃんと2人つけろよ。」
ユーリは私に父親のように注意事項を述べてから少しだけ口の端を持ち上げて手を振ってくれた。結婚してからユーリは私が出勤する日は一緒に帰れるように可能な限り合わせてくれていた。そのかわり、私が出勤しない日は午前様になることも少なくない。無理して私に合わせてくれている彼の態度に、大切にされていると感じられて、私はとっても幸せだった。
職場に到着すると、私は早速回収された魔法石に祝福を贈る。祝福を贈りながらふと犬の姿でボールとじゃれているリプレビュートの姿が目に映り、私は以前にリプレビュートと約束していたことを思い出した。
「ねえ、リプレビュート。前に街に一緒に遊びに行きたいって言ってたでしょ?今日、お姉ちゃんのお仕事が終わったら一緒に行こうか。」
「本当?行く!!」
「じゃあ、パパに行って良いか聞いてみようね。」
「うん!」
リプレビュートはその場で右に行ったり左に行ったりくるくる回ったりして大喜び。こんなに喜んでくれるなんて、可愛いなぁ。私はリプレビュートにつられてふふっと笑った。
父親のリクレアンカの許可を無事に得た私達は、王都で一番大きいショッピングモールへと足を運んだ。夕方の賑わう時間帯で私達は護衛を2人付けて貰い、デートを楽しんだ。
リプレビュートはまだ7歳だというのに、いっちょまえに私をエスコートしようとする。この国ではまず目にしない金髪碧眼でかわいい顔してるし、これは将来は天然タラシとして若い女性泣かせの男性になるかもな。うぅ、お姉ちゃんは想像するだけで結構ショックだよ。
私達は小腹が空いたので以前にユーリが買ってくれたドーナツスタンドでドーナツを購入して食べる事にした。スタンドの店員さんが私が妖精なのに気付いておまけしてくれたので、護衛さんにも1個ずつわたすと2人とも笑顔で受け取ってくれた。ここのドーナツは相変わらずもちもちしていて美味しい。手についた粉砂糖まで綺麗に舐めとっていると、護衛さんが頬を染めてこちらを見入っているのに気付く。やばっ、はしたないところ見られた。慌ててハンカチを出して手を拭った。
「お姉ちゃん、あれお兄ちゃんじゃない?」
「え?兄ちゃんは今日は遅くまでお仕事なのよ。」
「でも、お兄ちゃんの匂いがする。」
リプレビュートの視線の先を追っていくと一人の男性と目が合ったがすぐに視線をそらされた。
あれ?ユーリ??
全体的にグレーの髪のユーリより一段階暗い色合いの髪だし、格好もスラックスに着崩したシャツ姿でいつものかっちりした制服姿と全然違う。でもユーリだ。毎日顔を合わせているのに間違えるはずが無い。
そして、そのユーリとおぼしき男の人の傍らには私より少しだけ年上に見える女性がいた。ドルエド王国では露出の多いとされるであろうタイトなワンピースを着たその女性は甘えるようにユーリの腕に絡み付き私のものとは比べものにならない豊満な膨らみを押し当てている。
なにあれ?なんで??
リプレビュートがいる手前、泣き出したり逃げたりはしなかったけど私の頭は大混乱だ。ユーリも真二のように他に彼女を作ろうとしているの?私はリプレビュートを送り届けたその後、何処をどうして帰ってきたのかすらわからなかった。
夜、自室に戻るとショッピングモールでの出来事が鮮明に脳裏に蘇る。雰囲気が違ったけど、あれはユーリだ。絶対に間違いない。
なんであんな恰好してたの?あの女の人は誰?なんでユーリの腕に絡んでたの??考えたくないけど、どうしても真二の出来事が記憶に蘇る。ユーリも真二と一緒だったの?
「ただいま、マリ。」
思考の奥深くに入り込んでしまっていた私はユーリが寝室の扉を開けるまでユーリが帰って来たことに気付かなかった。ユーリは朝と同じきちっと着込んだ制服にグレーの髪。いつもと何も変わらない。
「マリ。どうした?」
私の様子がおかしいことに気付いたユーリは心配げに顔を覗き込んできた。気遣うような優しい目をしている。
「ちょっと体調が悪くて・・・」
「んー。熱は無いな。俺が風呂出るの待って無くていいから、先に寝てろ。」
ユーリは私のおでこに自分のおでこをコツンとあてて熱を測ってからそう言って私をベッドに寝かせるとそっと布団をかけてきた。
「シャワー浴びてきたの?」
「え?ああ、汗かいたから。よくわかったな。おやすみ、マリ。」
着替えを持ってシャワールームへと向かおうとしていたユーリは私がその事に気付いたのを意外そうに目を丸くした。さっき、おでこをコツンと当ててきたときに、うちのとは違う石鹸の香りがした。『汗かいたから』か。
ああ、胃がキリキリと痛い。丸まるようにベッドに横になった私は、いつの間にか深い眠りについた。
翌朝、目を覚ました私の横にはユーリが私に背中を向けるように寝ていた。広い背中がなんだか遠い。つーっと背中を人差し指でなぞるとユーリはくるんとこっちを向いて顔を覗き込んできた。
「体調は?」
「胃がキリキリする。何も食べたくない。」
「困ったな。医者を呼ぶか?もうすぐキーロンボシュが来るから一緒にいて貰え。」
心配そうに頭を撫でてくるユーリに「貴男が浮気しているのかもしれないと思ったらストレスで胃潰瘍になりそう。」とは決して言えない。そのかわり、私の口から出てきたのは自分でも意外な言葉だった。
「なんか寂しい。」
「じゃあ、ジュンフィーグに連絡してキーロンボシュには早く来てもらおう。それまではこうしてよう。」
ユーリはきゅっと私を腕と胸の中に包み込んでくれた。背中を優しくさすってくれる手が温かい。こんなに大事にしてくれるのに、浮気なんてするの?やっぱり見間違えだったのかも知れない。私はユーリの背中に手を回すと、再び夢の世界へと誘われた。




