日向の唄
小学一年生の六月にパパが死んだ。
不運な交通事故。音楽教室の先生をしていたパパは、生徒を近くの交差点まで見送る優しい先生だった。自宅と兼用の教室に置いてあるのは、ピアノ、ギター、ベース、ドラム。教える為ではないのにカスタネットやハーモニカまで並んでいた。パパは音楽が好きで若い頃には、色んな楽器でバンドを組んでいたらしい。たまに訪ねてくるお髭がもじゃもじゃのたまちゃんが、その頃の話をしてくれた。
「こいつが若い時なんて、そりゃもうあっちにこっちに引っ張りだこでよ。何やらせてもきっちり求められたことやるもんで、助っ人として重宝されてよぉ、本命の俺とのバンド活動がおざなりになってよぉ、全く困ったもんだった。まぁ、もう解散しちまったがなぁ」
「全然売れなかったしな」
「ああ、きのこの唄とかあったわなぁ」
がはははと豪快な笑い声をあげて、お酒に酔いながらそんな話をしていたのを良く覚えている。自分で曲を作る事が好きだったパパは、音楽教室で先生をしながら、生徒と一緒に曲を作っていた。学校から帰る頃に始まる授業で、基礎を教えた後の曲作りに混ざるのが私の毎日の楽しみだった。皆で大声で唄ったり、ここはこの音の方が良いんじゃないか、一緒にあれこれ考えた後、最後に完成した曲を全員で色んな音を奏でながら唄う。毎日毎日違う所があって、似ているようで違う曲を私達は唄っていた。学校に行く途中にもその曲は私と一緒にいた。誰もいない道を歩いている時に口ずさんでいて、後ろから友達に肩を叩かれた時はびっくりした。唄うのは好きだったけど、上手くはなかったから、どうしても恥ずかしさが勝ってしまう。
「有紀ちゃん、なに唄ってたの?」
訊かれても内緒と言ってごまかしてしまうので、この曲を知っているのは音楽教室に通っている子達だけだったと思う。
でもそんな楽しくて、毎日が輝いていた時間は突然終わりを告げた。教室から出てすぐの交差点を、生徒が横切ろうとした時に、無灯火のバイクが突っ込んできたのだ。男の子をとっさに掴んで道路脇に投げた当のパパはバイクと接触し、そのまま十メートル離れた電柱に激突した。打ち所が悪かったと誰もが言った。頭からは血も何も出なかったのに、脳内出血で意識がなくなり、病院に運ばれた時にはすでに手遅れだった。頭だけが包帯で巻かれた父の死顔は、まるでただ棺桶の中で眠っているようで、私はその頬を叩いたら、起きるのではないかとずっと思っていた。でも、ママが私の手を震えたまま握るからできなかった。お葬式の最後に、生徒の皆があの曲を泣きながら唄ってくれた。父という標を失くしたその曲は、芯がぶれて全然揃わない。哀しい不協和音のように、ただただ私の心を重くした。そこにあったのは、もうパパはいないのだという確かな実感だった。
それから私はあの曲を自分から追い出した。思い出すと哀しくなるから、浮かびそうになると、慌てて違う事を考えた。何もしていないとあの曲が頭の中で再生されてしまう。私はそうならないように本を読む事にした。物語は優しかった。私の中はそれでいっぱいになって、あの曲はどんどん私から消えていった。音楽の授業が憂鬱な位で、夢中になって本を読んだ。毎日毎日、読み終わっては次の本を、物語が終わったら、また次の物語を求めた。お陰で勉強はとても好きになった。あらゆるジャンルのものを読んでいたら自然と色々理解できた。多くの物事を知る事は、たくさんの問題の解決方法を知る事でもあったのかもしれない。そうして、中学でも高校でも、私は図書室の蔵書を順調に攻略していった。でも、一つだけ困った事があった。それは人と話すのが苦手になったという事。本は私に知識を与えてくれたけれど、人とどう接するべきなのかというのは、答えのない問題みたいで、本と同じようにしても正しくなかったり、人によってそれぞれで、全く参考にならない。私には学校の勉強よりこれが一番難しい問題だった。友達っていうものが、本以外に見つけられなかった。班行動で一緒に何かをする事はあっても、皆もう誰かと仲が良かった。皆もう誰かと友達だった。私は本と友達だから、もう誰とも友達になれないんだ。高校二年生になる頃には、そう決めつけて、諦めてしまった。
父の死と共に鍵がされたままの音楽教室のドアは、私達母子の間で、二階の居住スペースに行く道に飾ってある絵になっていた。そこはもう存在しない部屋だった。
それは、毎年憂鬱で仕方がない、パパの命日までひと月と迫った日の出来事だった。黒板消しの当番で、放課後に窓を開けてチョークの粉を払っていたら、つむじ風みたいに渦を巻く風に乗って、消し去っていたはずのあの曲が、ギターの音色と共に空から流れてきたのだ。私は狼狽えた。どうして?誰が?もはや哀しむべきなのか、懐かしむべきなのか分からない。ただその場に立ち尽くした。そんな私の隣に一人の男の子がやってきて、窓のポールに腕を乗せて耳を澄ました。曲が終わるまでは耳だけが世界の全て。演奏がオーケストラみたいに盛り上がって終わった後、その子は「凄い良い曲だね」と笑ってすぐに離れていった。
ああ、思考が心に追い付かない。ずっとずっと蓋をしてきたのに。ダメだ。だって今こんなにも、私の中はパパの曲でいっぱい。忘れようとしても忘れることはできない、一緒にいた。楽しかった。良い曲だった。もっと唄っていたかった。ずっと唄っていたかった。曲と一緒に閉じ込めていた涙が、唄と一緒に私から溢れた。今でもいつでもこの曲は、私の中にあったんだ、ずっとここで生きてたんだ。ああ、そうか、パパはずっと私と一緒にいてくれてたんだ。
躍る風が吹き込む窓の前で涙を乾かされながら、夕暮れが近づく空を見た。風に乗って雲が泳いでいた。そこへさっきの男の子が戻ってきて、慌てて涙を制服の袖で拭った。
「今日は風強いなぁ、見てよ。チョークの粉が戻ってきちゃってる」
窓を閉めてその子は泣いてる私を見た。
「粉が目に入ちゃったんじゃない?大丈夫?目がうさぎみたいに真っ赤だよ」
四角く折り畳まれたハンカチを私の手に押し付けて、床に散った粉をモップでさっと拭って、ちょっと待っててと言い残してすぐに戻ってきたその子は、オレンジの缶ジュースを私に手渡した。
「それで目を冷やしたら良いよ。そうしないと明日腫れちゃうからさ。女の子は気を付けなきゃ。じゃ、俺用事があるから帰るね」
もう涙は止まっていた。風のお陰だけではなかった。瞼の上に冷えた缶ジュースを当てる。それはひんやりと気持ち良かった。パパの曲が静かにまた流れ出した。もう涙は出なかった。心には温かさが戻ってきていた。
私はその日家に帰って、閉ざされていた教室の鍵を開けた。少しだけ埃っぽかったけど、教室はあの頃と変わらず私を迎えてくれた。そこにあるのは決して哀しさではなかった。仕事を終えて戻ってきた母がドアが開いているのに気付いて、廊下からこちらを伺う。長い間飾りの絵であったはずのドアが開いているのが、夢であるかのように私を眺める。
「ママ。今日学校であの曲を聴いたの。昔パパと皆で唄ったあの曲。私ずっと忘れようとしてた。でも、分かったの。唄って、ずっと人の中で生きてるものなんだって」
下手なのに唄う。パパのように上手には唄えない、でも唄うのが好き。だって、パパの事大好きだったもの。そんな私に駆け寄ってママは私の手を握る。今度は震えてなかった。その手は血の通った温かな生きている人の手だった。光を失ったあの日から、一緒に暗闇の中にいた。心を閉ざしたままだった。でも、その扉は再び開かれた。ドアには鍵はなかった、かかっていると思い込んでいただけで、いつでもこの中に唄はあったのだ。パパはずっとここにいてくれたのだ。私達をずっと見守っていてくれたのだ。それから最後に二人でわんわん泣いてしまった。
泣き終わった後、冷蔵庫で冷やしてあったオレンジの缶ジュースでまた瞼を冷やした。そうしていたら、本当に次の日瞼は腫れなかった。あれだけ本を読んでいても知らないままの事があるんだ。昨日の男の子の顔が浮かぶ。名前が分からない。クラスメートの名前を私はほとんど把握していなかった。覚えようとしていなかったからだ。訊かなきゃ。ちゃんとお礼がしたい。ありがとうって言えたら良いな。
東原陽介。出席簿を先生に頼んで見せてもらった。とても直接名前を尋ねる勇気は私にはなかった。人とどう最初に接すればいいのか、どの本にも私が出来そうな方法は書いてなかった。勇気が出ないまま、借りたハンカチを鞄に入れたまま、私の日常にその男の子を観察するという習慣が加わった。一番親しい友達は高瀬君、その友達には麻井さんという彼女がいる。時々三人でお昼を食べているのだけど、その間中彼は大体不機嫌だ。「俺は緩衝材か!それとも雷を避ける為の避雷針か!」と大抵怒っている。違うクラスからわざわざお昼を食べにくると、何人かに冷やかされるらしく、その対策に使われているらしい。でも、麻井さんに話かけられると、嬉しそうにニコニコしている。彼は女の子に話しかけられるのがとても好きらしい。それというのも、大抵彼から話かけなければ、女の子たちは話かけないからだ。クラスで耳にした噂によると、どんな女の子に対しても、可愛いね、足綺麗だね。好きだよ。俺と付き合わない?というのが常套句なのだそうで、最初は自分が褒められて嬉しいものだけれど、誰にでも言っているとなると、つまりは誰でも良いという事になり、その言葉に意味はないという判断になったのだそうだ。最近まで全く知らなかったけれど、ちょっと聞き耳を立ててクラスの会話を聞いてみると、「東原がまたいつものやってるわよ。飽きないわねぇ」なんて声が所々から聞こえてくる。彼は狼少年のように、本当のことを信じてはもらえない人なのだ。でも、男子には慕われているし、困ったことがあったら、大抵助っ人に入っていた、嫌なことは嫌だとはっきり言う。そして誰とでも分け隔てなく話す。可愛い女子をひたすら褒める。そして私が見る限り、褒められている子達は、本当に可愛かったし、足が綺麗だったし、髪の毛がサラサラだった。私にはないものを持っていた。ここにきて、眼鏡をしてろくにお化粧もせずにいた自分が恥ずかしくなってくる。女の子には必ず話かけるという噂すらある彼に話しかけられたのは、あの曲が流れてきたあの時だけだった。どうやったら可愛くなれるのかな? 学校の図書室に置いてある本にはその答えはないような気がした。お化粧ってどうやるのかな?足ってどうやったらスラっとした足になるんだろう?誰にこの質問をするべきなのか考えたけど、ママしか思いつかなかった。ママもあまりお化粧が得意な方ではなかったけど、訊いたら何だか嬉しそうな顔をして教えてくれた。
「有紀もそんな年頃になったのね、年を取る訳だわ」
そしてママは少しだけ寂しそうに笑った。
お化粧はとても難しかった。上手くなるのに時間がかかった。と言ってもそれよりも大変だったのは運動の方で、私は不恰好だった足を、彼に褒めてもらえる綺麗な足にしたくて、毎日ジョギングをするようになった。でも、中々思い描いている形にはならない。理想の足を求めてただただ時間だけが過ぎていった。本に書いてある通りにしても、私の足は不恰好なまま、その内三年生になり、進路をどうするかを考えなければいけなくなった。何処の大学に行くべきなのか私には分からなかった。私がなりたいものって何だろう?
人と話すのは未だに苦手なままだし、してきた事と言えば読書ばかり。そんな風に悩んでいた頃、副担任の望月先生と進路について話をする機会があった。先生はパパの教室の生徒だった。あの日あの曲が流れてきたのも、望月先生がギターで女子生徒と演奏したのが発端だったのだ。一番年長だった先生はあの事故の時にパパが服を掴んで道路脇に投げた男の子だった。投げられた時に頭を打って、額に怪我をして手術をした。
「先生は、あの曲の事覚えてたんですか?」
「ああ、そうか。君は椋田だったね」
望月先生は腕を組んでからゆっくりと答えてくれた。
「実は俺もあれから暫く忘れてたんだ。事故で頭を打ってから、耳の調子が良くなかったっていうのもあるし、いつも聴こえていたはずの音が聴こえなくて、混乱していたからね。ある一定の高音が聴こえないのだと分かってからは、この耳とどう付き合っていくかを考えた。そんな頃に中学の学祭で友達がバンドを組んでギターを弾いてたんだ。ほら、ギターの音って高すぎないだろ?丁度俺の耳が聴きとれる音域で鳴ってくれるんだ。だったら弾いてみようかと思って。それで弾こうとした時にさ、あの曲が自然に自分の中から出てきたんだ。一緒に色々思い出したよ。皆で唄った事とか。俺は、あれこれ相談して曲を作ったあの時間が大好きだった。優しい椋田先生が大好きだった。だから、自分も先生になりたいと思って、今こうなってる訳なんだ」
先生はそうしてにっと得意そうに笑った。
「まっ、俺は優しくない先生だけどね」
そこへドアがガラッと開けられて一人の女子生徒が舞い込む。
「ちょっと、先生どうしてアスパラだけ残ってるんですか!美味しいのに!」
「いや、俺嫌いだから」
「うわー可愛くない!相変わらず可愛くない」
開かれた弁当箱には、綺麗にアスパラだけが残っていた。
「可愛げを俺に求めるのが間違いなんだよ。それよりもさ。近は覚えてないの?」
「何を?」
「椋田音楽教室のこと」
何度か目を瞬いた後、弁当箱が床に落ちる。
「もう!何でずっと黙ってたんですか!適当に弾いてるとか言っておいて本当に酷い!小さい頃から勝手に頭の中に流れてくる曲がなにか分からなくてずっと悶々としてたのに!」
「椋田先生と作った曲だったんだよ。俺は知ってた」
「本当に性格最悪!」
落とした弁当箱を拾って、先生に投げつけてその女子生徒は去っていった。これは俗に言う修羅場というものだろうか?
「君は分かってると思うけど、俺が生徒と付き合っているなんていうのは内緒にしてね」
世の中には色んな人がいる。現実に生き出して私はようやくそうゆう事を知っていった。教科書や本で教えてくれない事を教えられる人になりたい。そうして先生になろうと決めた後は早かった。元々成績は良かったから、推薦で大学はすぐに決まった。自分の進路が落ち着いた後、東原の成績が落ち込んでいる事を知った。そういえば最近彼は女の子にあまり話かけなくなっていた。明らかに可笑しい。何か悩んでいるのかもしれない。そうだ、あの時のお礼をするチャンスかもしれない。もう十一月の末。大学受験まで時間がない。それに彼に話しかけられないようなら、先生になんてとてもなれないだろう。足はもう仕方がない。諦めよう。この分だとあと十年はかかりそうだもの。少しさぼってたお化粧をして、色付きのリップを塗って。さぁ、頑張って。いざ!