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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

リスカ、少女を嘲笑う

作者: 長崎秋緒

 女子トイレのドアノブに手をかけたところで、わたしの大嫌いな子と出会った。

 いつも下ばかり向いて、何考えてんだか分からない園子は、わたし達の“捌け口”として、時には下腹部を蹴り上げられたり、眼鏡を便所に投げ込まれたり、わたしがやったのは、教科書をゴミ箱に隠す程度のかわいいものだった、と思う。

 なんの抵抗もしない、いくじのない園子は、わたし達を相手にしていないといわんばかりに表情を崩さなかったので、強がるんじゃねぇよ、とさらにわたし達のいじめは度を増していった。

 そろそろ卒業も近いし、そんなことにも飽きてきていたので、わたしは園子を無視してドアを閉め、用を足した。

 再びドアを開けた時、目の前に園子が両手に何か握って立っていた。

「なに? 今頃やり返そうっての? ひとりだからやれるとか考えてんなら――」

「違うの……」

 園子は手首に巻かれた包帯をわたしに見せて、自分が精神疾患の持ち主であること、リスカやODしていることを打ち明けてきた。

「だからなんだっての? 同情するかよ。かまってちゃん。死にたいなら頚動脈切りなよ、一発で死ねるらしいよぉ」

 園子は握っていたものを差し出してきた。

 透明のプラスティック製のケースには、銀色と胴色に包まれたクスリがたくさん入っていた。同情するかよ。

「それ飲んで、がんばって生きていってね、気違いちゃん」

 園子が覆いかぶさるよう、わたしの片腕を掴み、

「わたしの苦しみなんかしらないくせに」

「うん、知らない。じゃあね、手を離せよ」

 園子が両腕でわたしの左手を強く掴み逃がそうとしない。空いている右腕で園子の頭をはたく。

「おまえ、なにがしたいんだよ。わけわかんねぇよ」

 乱れた髪を直しもせず、はたいた拍子に便所の床に落ちたクスリケースを園子が拾い、

わたしを恨めしそうに見ている。

「わたしだけじゃなかったでしょ? 大体復讐するんなら、まず坂下が先だろ。あいつが一番あんたを蹴ってたじゃん」

 園子は首を横に振り、そうじゃない、復讐なんて考えてない、と繰り返す。

 以前、わたしが教室で、

「ドラッグとかやってみてぇ」

 そういっていた、と園子がまたクスリケースを差し出してきた。

「これ合法ドラッグだから……、湯川さんには助けてもらったことがあったから、お礼……」

 そういえば、坂下達と四人で園子を、トイレの角っこに追い詰めて制服の上から便所スリッパで“型”をつけて遊んでいた時、坂下のスリッパの先が脱げ、園子の唇を切ったことがあった。そのまま蹴るのを止めようとしない坂下を、ほんの気まぐれで制したことを、園子が言っているのだとしたら、お笑いだ。お人好し過ぎる。

「さすがに、顔はね。女だし、と思ってさ」

 だからなの、と園子はクスリをあげるのはあなたにだけだから、坂下達には秘密にしておいてほしいと頼んでくる。

 そんなこと頼まれるつもりもなかったが、園子の合法ドラッグには興味がある。

 実はわたしも、密かにリスカ、とかボダとかの言葉に憧れがあって、ちょっとだけ、二の腕に傷をつくろうとしたが、おじけづいて皮を軽く擦る程度にしか出来なかった。

 先程のやりとりで、園子の包帯からは血が滲んでいた。その隠された傷の深さが、いくじのないわたしへのあてつけに感じられ、わたしは坂下達のグループに入り園子いじめに加わったのだ。

 思えば、こいつに何の恨みもない。わたしは園子に嫉妬して、いじめる側に回っただけだった。

「そんなにいうなら、もらってあげるけど、通報とかする気じゃねぇだろうな」

「そんなことしたらわたしも捕まる……」

 ケースごと制服のポケットへ入れ、出て行こうとしたら、園子が、

「佐々木君もわたしと同じ病院に通っているよ。今入院中……」

 園子のいう佐々木とは、わたしが入学当時から目をつけていた同級生だった。

弱そうな体つきのくせに、妙に落ち着いたところがわたしの気を惹いていたが、坂下達の手前、髪にワックスをつけ毛先を遊ばせることもなく、香水もつけていない、そんなダサいタイプが好きだとは言えずにいた。

「あんた佐々木と知り合いなの? 」

「よく話しかけてくるから、佐々木君。病院の中でだけど」

 そういえば、ここ数日佐々木は登校していなかった。この時期だから登校自体は各個人の自由みたいなもので、佐々木はセンター試験に向け追い込みに入ったのだとばかり思っていた。

 あいつは頭がいいから頭の良い奴のいく大学へ行くのだろう。わたしの手の届かないエリートに将来なるだろう佐々木に会えるチャンスは今しかない、と園子がわたしに、ここでODすれば、佐々木と同じ病院へ入れるようにしてあげる、とODとはおくすりを飲みすぎることなの、と今更な説明をしてきた。

「しってるよ、それくらい。おまえらだけの言葉じゃねぇよ」

 こいつ、やっぱり勘にさわるわ。でも佐々木も園子と同類だったなんて許せない。

「ここ便所だから、場所変えてやるわ」

 わたしは園子の提案で保険室へ向かう。

 部屋の中は誰もいない。保険の先生も休みをとっているのだ、と園子がわたしに、

「湯川さんが眠ったのを確認したら、わたしが職員室に先生を呼んでくるから」

 最近の精神薬は大量に飲んでも死ぬことはほとんどないらしい。安全性は高いから大丈夫、と園子が

「でも、初めてのひとは地獄を見るかもしれない……」

 こいつ今になって脅しかよ。ふざけんな、びびるかよ。

「じゃあ、ラリってくるから、あとよろしくな」

 わたしがペットボトルの水と、園子に手渡された、ラムネ菓子をさらに小さくしたような錠剤の粒どもを一気に飲み込んでやった。

 園子は驚く様子を見せない。普段からやりなれてるのだろうか。こいつより遅れて体験することが屈辱的だったが、これで同等だ、やった。わたしもメンヘラの仲間入りだ。「ざまぁみら…ささきとおなじへらにいて……」

 ろれつがまわらなくなってきた。ぼんやりとしか物を見られない。酒に酔った時みたいだ。

 園子が、鼻で笑った。こいつむかつく――

 ――いい加減黙れよ、やかましい――

 騒がしい。誰かが騒いでいるのを抑え付けているらしい。迷惑なやつだ。保健室に来んなよ。今ODしてる最中なんだから……。

 ベッドの底が厚い。保健室のはもっと薄くてちょっと寝返りをうっただけで、パイプの錆付いた軋む音をさせるのに。

「ああ、起きた。日野さん、みてよ」

「今、手が離せない」

「ちぇ、じゃあ、かっちゃん。きてよ」

 ヒゲ面の小汚いおっさんがベッドの脇にいて、入り口に近いベッドの上で俯きなにかしている細身の男を呼んだが、拒否された。

 日野さん、と呼ばれた男は、片腕を縫っているようなしぐさを繰り返していた。

その日野さんの代わりに呼ばれた大柄の男が、つらそうに息を吐き、ベッドから身を起こした。

 近づいてきた男は汗っかきのようで、手にバスタオルを持っている。うぁ、あせくせぇよ、こいつ。

「大丈夫? 一杯吐いてたね。ちょっともらっちゃった。ふふふ」

「すきだね、かっちゃんも。女子高生だもんな、そりゃ興味あるわな。俺は範囲外だからそんなことしてないよ、最初に言っておくけど」

 ヒゲ面の男は、山口と名乗り、これからよろしくと握手をもとめてきたが、浅黒く毛深い山口の腕に血の気が引く思いがした。

 わたしは、日野さんの方に目をやった。

「ああ、日野さんはうまいよ。なんせ、自分で切った傷口を自分の手で、それも片手で縫っちゃうんだから、まさに医者要らず」

 山口が、日野さんは腕を切り刻み過ぎて、腐敗する寸前なんだと笑い話のように語り、片腕がなくなっちゃえば、あんなこともしなくて済むようになるから好都合なんだよ、本人にとっては。

「ま、そのあたりのことは、おいおい話してあげるね。あ、やっちゃった。かっちゃんダメだって、まだ生えかけなんだから、もう少し我慢しようよ」

 かっちゃん、と呼ばれたデブが爪を噛んでいた。わたしの胃の奥がざわめきだした。いや、もうさっきから何度も、目眩と吐き気に襲われていた。それすらも鈍感にしか働かないほど、この光景はふつうではなかった。

「ほら、脅えてるじゃない。だからもうちょっと待とうな、かっちゃん」

 なにか吐き出したいのだが、なにもでてこない。喉がひりひりする。口内が胃液臭い。

「かっちゃんね、大好きなの、爪が。だから、かじっちゃうのね。無くなっちゃうまで。今再生中だからやめとけっていってるのに、全部生えてから、いっぺんに食べたほうが食べ応えがあると思わない? 」

 山口はかっちゃんの両腕を後ろで交差させ、なにか呪文のような言葉を繰り返し、デブの耳元で囁いている。

 そのうちデブがこくこくとうなずき、ベッドに戻り横たわる。眠ってしまったのだろうか……。

「あーすっきりした」

 開きっぱなしの病室へ爽やかな声を響かせ若い男が入ってきた。

「おお、起きたかお嬢ちゃん」

 この男は短髪で、浅黒い肌をしているが、サーファー系に見えなくもない。筋肉もありそうだ。顔もハーフっぽい。

「竜一くん。ごきげんだね。またやったの」

「へへ、管なんて探せばいくらでもですよ。なんてったって、ここは病院なんですから」

 山口と、竜一くんが示し合わせたような含み笑いをする。

「あの、なにしたんですか? 楽しそうですね。あ、わたし湯川――」

「オナニー」

 竜一くんが、下腹のあたりで片手を、棒を握ったような形に上下に振る。

「かわいい。恥ずかしがるそのしぐさ。でも想像と違うよ」

「抜くことにはかわりないじゃないか」

「ですね。お嬢ちゃん、俺一発抜いてすっきりしたの。血をね、500mlくらいかな、見せてあげたかったな、残念」

「次の機会でいいじゃない」

「友田さんがビーカーごともってっちゃったんですよ」

 竜一くんの右腕の内側に注射針を刺したような痕がいくつもあった。血がうっすら垂れてきてるし、それにまったく関心をもたないで、山口と、血の色の、一番良いのは固まりかけの色に限る、と結論をつけた。

「素人は鮮血だろうけど、おれらくらいになるとやっぱ濁り具合に魅せられるんだよね。その辺はやっぱ歳の差かな」

「はは、竜一くん。君まだ二十歳だろ」

「でも、おれ、ここじゃ山口さんの次に古いですよ」

 どうやら、竜一くんは中学時代から入退院を繰り返しているらしい。ボダだともわたしに教えてくれた。

「で、お嬢ちゃんは“なに” 」

 わたしは――

「リスカ……と、鬱とボダもちょっと入ってるかな……」

 山口と顔を見合わせ竜一くんは、あいかわらず爽やかな笑顔だ。

「ハッピバースデーツゥーユー」

 また別の男がやってきた。患者の食事を運ぶキャスター付の台の上には赤紫色した、市販品の二倍はある大きなプリン状のものがのっていた。

「あ、それ、友田さん。俺のでしょ? それ俺の血でしょう」

「竜一くんがタイプだっていうからさ、どうせならと思って」

「だから、さっき俺の血くれっていったんですか。友田さん血抜きしないのに不思議だなって思ってたんですよ。でも誕生日じゃないですよ」

「その娘の入院祝いだよ」

 友田というかっぱみたいな禿げ方をした、おそらく山口と同い年だろう、その男がわたしのベッドへキャスターをカラカラならし、竜一くんの血で作られたプリン状のものをわたしへどうぞ、と差し出してきた。

「……まさか、食べるんですか? 」

 山口と竜一くん、友田が一斉に大声で笑いだした。

「まさか。食べたきゃそうすれば、おれらはかんべん」

 竜一くんは横っ腹を抱え笑いを堪え切れないといったふうで、目頭に涙まで溜めている。

「ここ、K総合病院じゃないんですか? 」

 また笑い出した。みんなして。なにがおもしろいんだよ? こいつら。

「わたし帰ります――」

「無理だよ」

「こっちの病院は“やぶ”だから、ひどいもんだよ。ニュースとか見てないの? それでここに来たんじゃないの? 」

 早口に喋る友田の後に続いて山口が、

「クスリの多量処方で、ここの先生の一人が捕まったの。そのくらい“やぶ” ここは。

 もし、君が帰りたいなんて叫んで暴れでもしたら、たちまち『個室』行きだよ」と薄笑いを浮かべる。

「……どうすればいいんですか? 」

「おとなしくしてるしかないね」

「どのくらいですか? 」

「そりゃ先生がいいって言うまででしょう」

「どれくらいでそう言ってくれますか? 」

「俺は患者だから決めかねるねぇ」

 そういって山口がわたしに小汚い手を差し出してきた。

「これからよろしく湯川秀美さん」

 園子のやろう、だましやがったな。ここには佐々木はいないどころか最悪だ。

 地獄だ。園子の言ったことはこのことだったのだ。ここには自由がない。逃げることができない。

 こんな状況で、気も狂わずに平常心で過ごせるわけがない。わたしも早く慣れなければ、こいつらに飲み込まれてしまう前に、この状況に慣れるしか道は無い。

 あれ、慣れるということは、わたしもこいつらの仲間になるということか。やった。わたしも本物のメンヘラの仲間入りができるんだ。

 わたしは日野さんのように自傷した痕を片手で器用に縫うのだ。竜一くんに血抜きを教えてもらい親しくなろう。かっちゃんみたく、爪の旨さの分かる舌を持ち、山口みたいに、ご新規さんがくる度にここでのしきたりを優しく説いてあげるのだ。

 わたしは園子を超えたメンヘラになった。リスカなんてかわいいもんだ。なにあの未練ったらしい包帯。

 わたしは園子に勝った。ざまあみろ、わたしこそ真のメンヘラなんだぞ。ここを出たら、わたしが園子を鼻で笑ってやる番だ。

 ベッドの上で立ち上がり、わたしが勝利の雄叫びを上げると、皆が一斉にわたしに続いて、低く、野太い、地響きのような叫び声を上げた。


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