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月の顔の男

 七月になると、スグルの就職活動は為す術がなくなってきていた。卒業論文も手に付かず、大学の授業は単位を取るためだけの出席で空しかった。既に内定をもらった学生は余裕で、残された学生生活をエンジョイしていたが、就職先が決まらない学生は、新卒採用の門が閉ざされ、精神的に追い詰められていった。

 その先は就職浪人するか、大学院に進むか、或いはわざと留年して来年の新卒採用に望むかだ。親から学費を出してもらって、近所ではエリートと言われ、日本の社会を動かす中枢で期待される新人になるべき努力をしてきたはずなのに……。社会という門の前に立つ事さえ許されない今の自分は、掃き捨てられる枯れ葉のようだとスグルは思った。今まで彼にとって得意だった試験も、ことごとく不採用となった。

 彼は大学卒業後、そのまま大企業に勤め、出世するのが人生だと思っていた。自分の何がいけなかったのか。成績やルックス、会話にも自信のあったのに、どこが悪いのか見当がつかない。悪い所を指摘してくれれば、いくらでも努力した。しかし、不採用通知はおきまりの「残念ながら云々……」という文面を送りつけてきた。バツの付いた答案用紙が返却されれば、次からはその問題を間違えないようにできるのに……。これは、スグルにとって最大級の不測の事態だった。

 就職活動はゴールの場所を知らされないマラソンのようだ。学校にいても、内定した友達とは自然と離れた。同情もされたくないし、もう、虚勢をはる元気も失せた。

 夕方、カフェテリアで自販機のコーヒーを飲みながら、スグルは万里のことを思った。すべすべした白い肌。万里は働き始めて変わった。実家から通っていたあの頃は、随分とお洒落だった。逢う度に形の違う長い髪、ネイルアートした長い爪、化粧もアイライナーを濃くしてラメを入れ、雑誌から飛び出したような女子大生だった。そんなセックスアピールをしていながら、抱こうとすると離れ、離れると拗ねる、やっかいなお嬢さんだったのだ。

 しかし今、万里は自分の女としての花を咲かせた。以前のように着飾らず、頭の中は保育園のことでいつも一杯だが、ベッドの中の万里の体はまとわりつく絹のようにしなやかで官能的だった。疲れたときにはもってこいの隠れ家。それはスグルにとって心地よかった。万里は忙しくて、以前のように繁華街に出たがったりもしないし、給料取りなので逢うのに金や時間はかからない。泊まりに行けば食事さえ出してくれた。万里が唯一、自分を必要としてくれる人間のように思えた。

 紙コップを潰して、再び万里のアパートへ向かおうと立ち上がった時、同じクラスの木村が「おい井上」と、スグルに声をかけてきた。

「おまえさぁ、就活は? 決まったか?」

 スグルは仕方なく沈んだ気持ちに空気を入れて浮上させ、戯けて答えた。

「まだ一つも内定なしだ。木村、どうすりゃいいんだ。一緒に就職浪人でもするか?」

 いつもなら、肩を組んで〈俺とお前は同士だ〉などといって慰めあうのだが、木村はのってこなかった。そして言おうか言うまいか迷った末、下を向きながらポツリといった。

「俺さ、内定したよ」

 その瞬間、スグルは凍りついた。自分の心の中を悟られまいとして言葉を探した。ようやく見つけた陳腐な返事、「よかったな」で話しを繋げた。

「雑誌の会社だ。中小企業だけどな。俺、お前と同じように大企業目指してたんだ。だけどな、就活している間に、何だか違和感を覚えちゃって――もう少し俺のこと、ちゃんと見てくれる会社はないかって……。視点を変えてみたんだよ。中小企業だっていい会社はあるし、そのなかで、十分、自分らしく働ければいいって思ったんだ。正直、都落ちの気もするけど、会社員なんてさ、どうせ歯車なんだから、大きい歯車を動かす小さい歯車より、小さいところの大きい歯車になろうって思ってさ。井上もさぁ、もっと会社のランク落として見ろよ。まだあるよ、いい会社」

 ――また一人、川岸にたどり着いた。

 スグルは木村のように考えられなかった。そんなことをしたら、自分が自分でなくなる。しかし、まだ受け入れてくれる岸もなく、泳ぎ続けなければならない――いつまで保つだろう――そう考えると、スグルの心は不安に苛まれていった。

 腕時計は五時半を示している。スグルは心の内を悟られまいと、まだ萎縮している木村に声をかけた。

「おい、少し飲みに行くか。今日は木村の内定祝いだ。俺に奢れよ」

 木村も笑顔を取り戻し、饒舌に世間話をし始める。だがスグルの耳には一つも届かない。それでもいつも通り肩を並べて歩いて、大学近くにある安い居酒屋に向かった。

 歩く道々、就職活動は席取りゲームをしているようだとスグルは思った。残された内定という席の数が目の前で減っていく。座っている奴を押しのければいいはずなのに、知らない間に席が消えていく。ただ呆然として立ちすくむ。待ちの惨めさを感じながら……。同じ席を取ろうとしていない木村に別段、敗北感を感じるわけではないが、待ち行列から木村が消えたことに焦りを感じなかったかと問われれば、そのとおりだった。だから、今夜は酒を飲んで酔いたかった。だが、木村が申し訳なさそうにスグルに付き合っていることには気づかなかった。

 居酒屋で酒を飲んでいると、暫くして二人のカップルが入ってきた。同じサークルの山崎と、スグルと以前つき合っていた志保だった。二人とも四年生である。山崎はすでに一部上場の商社に就職が内定し、志保は大学院に進むと人づてに聞いた。

 万里と付き合いながらも、志保とも深い関係にあったスグルは、かわいい万里を手放すこともできず、万里をポケットに入れながら、志保との情事に耽った。

 志保は頭も良く、会話していても楽しい。政治の話題から経済の知識も広く、男以上にやり手だった。つき合っていても、男の方が遊ばれているように感じる。男好きというか、男に闘争本能をかき立てる女ともいえた。

 スグルには二人の関係は自然消滅のようでいて、気がついたら彼女に捨てられていた。何を考えているか掴み所のない女だが、志保を見るとまだ自分に未練があるのが分かる。

 志保は近寄ってきて言った。

「あら。スグルじゃない、お久しぶり」

 そういって、山崎と隣に座った。山崎もこちらを見て「おう」といった。四人による差し障りのない会話が始まった。言葉少ない山崎も志保を連れているのが嬉しいのか、若気(にや)けて志保の方ばかり見ている。志保の体を抱くように接近している山崎にスグルは嫉妬を覚えた。山崎は山男のような風貌で日に焼けた顔に一日分の顎鬚が伸びていた。ラグビーでつけた筋肉の盛り上がりが目障りだ。浪人と留年をしているので、スグルより二歳年上だが、頭の中は稚拙に思えた。志保がわざと山崎に甘えている仕草をするのも気に入らなかった。

「あ、そういえばスグル、あのリカちゃん人形みたいな彼女とまだつき合っているの?」

 志保が突然スグルに聞いた。以前、万里に大学校内を案内している時、志保に目撃されたことがあるのだ。その時も志保はわざわざ近寄ってきて、挨拶をしていった。その後も志保との関係は続いていたのだから、自分と終わりになった原因が万里ではないと思っていた。

「何、リカちゃん人形って。おい、スグル、そんな彼女いるのか」

 赤い鼻を向けて山崎が問うと、木村が代弁した。

「確か、万里ちゃんだよな。俺も一回会ったことあるよ、彼女が短大生の時、合コンで知り合って……。いま、保母さんやってるんだろ。かわいかったよなぁ、彼女」

「まあな、保育園で働いている。今、保母じゃなくて、保育士ってんだよ。男の保育士もいるらしいぞ」

「へえ、保育園なんだ。彼女、園児にもてるでしょうね。私には子供相手の仕事なんて、考えられないなぁ――」

「志保は、厳しい教育ママって感じだな。それより結婚する気あるのかよ。お前さぁ」

 山崎の真顔の発言に志保は笑っていた。その横顔に、スグルは自分の腕に志保を抱いた時の感触を思いだそうとしたが、もう思い出せなかった。志保みたいな女と結婚していたら、毎日、ビジネス論を戦わせる生活になるのだろうか。同士のように、お互いに切磋琢磨して上昇志向のパートナーになれそうな気がする。志保をみていると、スグルは彼女の強さで、自分が現状から脱却できる気さえした。それに引き替え、万里と過ごす時間が所帯じみて褪せていく。自分が臆病に堕落していくのを万里では支えきれないだろう……。

 山崎は、両手をテーブルについて、演説するようにスグルと木村の顔を睨めるように見た。

「諸君。俺が商社で働き始めたら、俺達、結婚するつもりなんだ。志保もみんなの前で宣言しろよ。俺の嫁さんなんだからな」

 酒を一気にあおって山崎は言った。志保は珍しくはにかんで、「ハイ、結婚しまぁす」と手を挙げて宣言していた。スグルは暫く、事柄が呑み込めなかった。

「えー、何それ。志保ちゃん、本気で山崎にプロポーズされて、OK返事してんの? ウソー。おい山崎、お前、暗殺されるぞ。大学中の男を敵にして。そうだな、まず教授を敵にするから卒業は無理だな」

 木村も意外で驚いていたのだ。

「木村、それはねえだろ、一応、一流商社受かったしさ。ただ海外勤務になったらどうしよう。志保、付いてきてくれるか」

「ふふ。それは無理。さっきのOK、取り消そうかな」

「あー。おい、あんまりだ。二人で色々話しただろう、将来のこと。今さら迷うなよ」

 志保は酔いが回った山崎を見て優しく微笑んでいた。スグルが見たことのない志保がそこにいた。

 トイレに行くといって志保が席を外した時、スグルは自分より冴えない山崎の運の良さを呪った。彼が内定をもらった商社は、スグルも一次試験に受かって、面接で落とされた会社だ。山崎が自分より勝っているというのか。その上、志保は俺を捨てて山崎を選んだ。いったいこの男の何か勝っているというんだ。

 スグルは無性に腹が立って山崎に言った。

「おい、お前さあ、本当に志保と結婚なんて考えているのか。お前のこと志保が本当に好きでいてくれると思うのかよ。彼女は結婚なんて考える女じゃないよ。いい加減に目を覚ませよ。遊ばれるぞ。それに、志保は俺のお古だぜ!」

 スグルの言葉に、山崎が大きく目を剥いてスグルの首根っこを掴んだ。〈このヤロー〉といって、山崎の拳がスグルの顔に飛んだ。スグルはそのまま地ベタに椅子ごと叩き倒された。

 志保が慌てて走ってきた。

「どうしちゃったの?」

 志保はスグルと山崎を見た。二人は気まずそうに志保に目を合わせずに黙っている。木村に視線を移しても俯いてしまっていた。

「――想像がつくわね」

 倒れているスグルに侮蔑の視線を落とし、志保は思った。今までもスグルを好きになれなかった。スグルを見ていると、自分の嫌なところを見せつけられている気がするのだ――何かにつけて自分本位なところが――その点、山崎は違っていた。実直で他人の気持ちを尊重してくれた。裏切るということを知らない男だった。

「もう、私達帰るね。彼、酔いすぎて、これ以上になると私、未来の旦那様を支えられないから」

 そういって、二人分の支払いを木村に渡し、先に店を出ていった。

「お前、最低だぞ!」

 そう言い残して木村も去って行った。

 スグルにはまだ酒が足りなかった。もっともっと、自分を意識出来なくなるほど飲みたかった。しかし、夏の夜風は酔いを拭い去り、頭は冴えていった。スグルは自分に志保は過去の女だと言い聞かせた。自分にとって唯一、万里の優しい温もりが真実なのだと。自分を必要としてくれるのは、万理しかいない。そう信じ込もうとした。スグルはその足で万里のアパートへ向かった。


 その日、万里は久々に残業もしないで家に帰った。プールが始まって、子供達と一緒に水に浸かる日が増えると、疲れはかなり蓄積し肩の凝りもひどかった。八月の夕涼み会の準備をし始めてはいたが、それは自宅でやろうと決めて、早めの帰宅にしたのだ。

 夕食を食べ終えるとスマホの着信音が鳴った。実家からの電話であった。ノブは用があれば自分のスマホから連絡してくる。父親は滅多に電話口には出ない。母さんか、と万里は思った。

「もしもし、万里、元気なの。たまには連絡しなさいよ。お父さんも心配しているから。ちゃんと食べているの?」

 延々と続きそうな他愛もない会話。万里は会話に水を差しては、母の話が長くならないようにした。母の声に覆い被せて万里は声を出した。

「ねぇ、母さん、用は何?」

「あ、そうそう、暢歩がね、八月の頭に東京の予備校で模試があるのよ。何日か泊めてあげてくれる。何時って……。ああ、もう今週の日曜日だわ。明後日、泊まりに行くって。それにね、万里の好きな落花生煎餅持たせるから、職場にも持って行く? 多めに持たせようか。あと、うちの畑で取れた野菜も……」

 母は電話の向こうでノブとやり取りをしながら話しているらしい。ノブが直接連絡してくれば分かりやすいのに……。母が間に入って万里と話したがっているのが分かった。ノブもそれを知っていて母に電話させたのだろう。しかしいつまで経っても終わらない母の話は、こちらから終わらせるしかなかった。

「わかった、わかった。お母さん、ノブに後で連絡するように伝えて。私、これからやらなきゃいけないこと、山ほどあるから。煎餅は一箱で十分よ。ノブは土曜に来るのね。わかったから。じゃあ、また」

 心配している母親に、万里は照れもあって長く話せない。父親とはもっと話せなかった。親との確執もなく嫌いではないのだが、まだ年上の人達との会話が万里は苦手だ。親は、ぶっきらぼうの娘に我慢もしてくれるが、他人はそうはいかないだろう。

 園でも万里は連絡帳に子供達の一日を書くことは出来ても、高山のように、母親同士にもなれず、変に分かったような口調も失礼な気がした。ウサギ組の母親達の年齢は二十代から四十代の歳幅があり、万里の母親と大差ない母親もいる。ほとんどが働いているので、人生経験も比べものにならないのだ。

 そんな中で、万里は自分の立場に悩んでいた。高山は子供の悪戯や虐めがあると、迎えに来た親を捕まえて、うまく注意を促す事も出来る。しかし万里はしどろもどろになり、うまく伝えられない。主張も経験もない自分がプロとして子供を任されていく。唯一、出来るとすれば、日々の子供達を観察し、報告することだった。保護者と折衝することは高山や主任に任せた。そしてなるべく、子供達が大切にしたくなるような、心を込めた作品を増やそうとした。

 このパッチワークのカレンダーも万里の考案で制作し始めたものだ。何年も使えて、子供ばかりでなく職員も喜ぶ。万里は大急ぎで洗濯をし、居間をかたづけて、夕涼み会の景品作りとパッチワークの布きれを床一面に広げ、制作に取りかかっていた。

 一息入れようとしたその時、インターフォンが鳴った。もう夜の十一時を回っていた。今日は木曜日で、あと一日出勤しなければならない。こんな夜中に訪ねて来る人間は、スグルの他いなかった。初めの頃は連絡してから来ていたのが、次第に突然ふらりと訪ねて来るようになった。夜遅く来る時は決まって酔っぱらっている。

 万里は溜息をつく自分に驚いた。次第にスグルの足が遠のくのを、心のどこかで待っているようだった。

「おう、俺だけど」

 万里はなかなか開けなかった。ほんの数秒がスグルには何時間にも思えた。万里がようやくドアを開けると、スグルは急いで後ろ手にドアを閉めた。

「なに、入れるの、渋ってんのさ!」

 スグルは明らかに怒った口ぶりだ。

「ううん、そういう訳じゃないけど、明日の用意が忙しくて……。スグル、飲んできたのね。どうしたの、その顔、喧嘩したの?」

 唇の横が切れて腫れ上がり、血を拭いた痕が残っていた。白地にチェックシャツの上着には背中から前にかけて、転んだような汚れがついている。

「なんでもない。飲んじゃ悪いかよ」

「なんか、いつものスグルじゃないみたい。酔って転んだの?」

 万里は水をコップに入れてきて、「はいお水」と言いながら、居間のテーブルに置いた。部屋中に広げた工作類は、スグルの出現で仕方なしに片付けられた。

 万里がスグルに背を向けて片付けをしていると、スグルは万里のそっけなさを(そし)りたくなった。

「なんだよ。俺が来たの、迷惑だったみたいだな」

「そんなことないよ。今、片付けようと思っていた所だから、大丈夫。顔を洗った方がいいから、お風呂入れるね」

 万里は髪が濡れないようにクルクルと束ねて結い留めした。両足、両手をたくし上げ、軽く湯船を洗ってお湯をはろうと浴室に入った。すると、背後でスグルが万里を押して自分も入って来た。狭い洗い場で、スグルは背後から万里を抱きしめ、服を乱暴に脱がそうとした。

「ちょ、ちょっと待って、止めてよ。危ないから」

 万里は足場が不安定になり、頭から湯船に落ちそうになるのを、横の洗面に手を伸ばし、辛うじて堪えた。

 スグルは聞き入れず、執拗に万里の下半身を脱がそうとした。万里はこんな乱暴なスグルをみたことがなかった。

「やめて」と叫ぶと、今度は側にあったタオルで猿ぐつわをした。

 万里は咄嗟に先月の生理日と周期を加算して二週間を引き、荻野式の危険な排卵日を計算した。

「だめ、スグルやめて。今日はだめ」

 万里は声にならない声で抵抗した。思い切りスグルを突き放そうとすると、肘がスグルの鼻に正面から当たった。

 スグルは逆上し「このやろう」といって、思いきり万里の頭を洗面の上の鏡に叩きつけた。万里の額から血が吹き出て万里は怯んだ。おとなしくなった万里の両手を片手で押さえ、体重をかけて後ろから犯した。痛みばかりのセックスは二人の体の絆を破壊した。スグルの絶頂の呻きは万里の中で淡いものの絶命する叫びとなった。

 事を終えて、やっと憑きものがおりたように、スグルが冷静さを取り戻した時、その状況に彼は怯んだ。万里は服がはだけたまま浴室に座り込み、放心状態で動かない。額から細く赤い血の筋が何本も顔を汚した。万里はいつもすぐ、機嫌が直ると高を(くく)っていたのだが、いつまでも動かない万里を見て動揺した。

「ごめん、万里。今日嫌なことがあってさ。ちょっとムシャクシャしていたから……」

 万里は顔を上げて、その場に立ち尽くしていたスグルを睨んだ。万里には立つ力も湧いてこなかった。

「帰って。――今すぐ出てって……」

 突き放した冷たい万里の言葉、能面のような万里の顔がスグルには理解できなかった。

 ――たかがセックスのやり方を変えただけじゃないか。万里だって感じたはずだ。あんなに反抗しなければよかったのに。俺を肘鉄で殴るから、とっさに振り払ったら、万里が鏡にぶつかって……。

 万里の非難を避けるように、スグルは後退りをした。

 万里は口をふさがれたタオルで額を押さえたが、白いタオルは血で赤く染まった。

 ――こんな事になるなんて……。

 万里は乱暴する男の力が自分よりはるかに強いことを知った。

 浴室の開いた扉の向こうで、玄関を出ていくスグルの音がした。万里は漸く立ち上がり、シャワーを浴びた。涙と額の鮮血が混ざり合い、足元で渦を作って流れていく。洗面台の鏡は放射線状にヒビ割れ、左腕にはどこにぶつけたのか分からない大きな紫斑が出来ていた。

 避妊薬を飲んでいなかった。まだコンドームを店で買う勇気もなかった。スグルに頼んで避妊してもらったが、スグルは自分から進んで付けたがらない。万里は、自分が欲望と理性の狭間で危ない綱渡りをしていた事に気がついた。失敗したときの代償は大きかった。

 もし妊娠したとしても選択肢はない。就職さえ決まらないスグルにとって、結婚などを望むとは思えなかった。それを要求したらスグルは真っ先に逃げてしまうだろう。自分一人で育てる力もない。答えは一つ。望まれない子供……。腹を空かせて夜の街に母親を捜すトモミ。現実から逃避して男と遊ぶ母親。子供さえ産まなければ、あの訴えるような瞳を見なくて済む。万里には子供を望む時期が自分に訪れるなどと決して思えなかった。


 土曜の昼過ぎ、ノブが泊まりに来た。

「ほら、姉貴。落下煎餅に、我が宮下農園の無農薬野菜持って来たぞ。少しは連絡してやれよ。親に心配させて」

「だって、ノブがいれば、母さんや父さんも寂しくないでしょ」

「娘のほうが心配だろ。それに、俺は出来のいい息子だからさ、親も安心している訳よ。それに引き換え、連絡もない不出来な娘は――どうやって生きているんだろう――あの娘は長い爪して、料理もまともに出来ないし――なんてな。母さん嘆いていたぞ」

「えー、失礼しちゃう。自分の娘を信じてないんだ」

「それって、日頃の行いだろうが……」

 そう言いながらノブは万里の顔を見て、あれっという顔をし、透かさず尋ねた。

「その額の絆創膏、どうした? 腕にも打身の痣があるし」

「うん、ちょっとね。保育園で転んじゃって、病院で少し縫ってもらった。傷痕、残っちゃうかもね」

 万里はスグルとの醜態を知れたくなかった。ノブは明日の朝、早く試験会場に向かう。医学部を狙える弟に心配かけたくない。万里は分かっていた。もし、ノブがあのことを知ったら、姉のためにスグルと対決し兼ねない事を。もともと、スグルに良い感情はもっていなかったのだから尚更だ。

「明日の晩も泊まっていくでしょ。明日、焼肉食べに行こうか」

「おれ、試験の後、そのまま帰ってもいいんだぜ。姉貴、次の日仕事だろ」

「泊まっていきなさいよ。私は、保育園で夕方まで休日出勤するから。はい、これ合鍵。試験のあと、うちでゆっくりすればいいじゃない。――たまには、姉として弟の世話をしないとね。夕方、連絡する。美味しい焼肉店があるのよ」

 万里は内心、ノブにずっといて欲しいと思った。誰も寄せ付けないで守ってくれるナイト――いま程欲しい思った事はなかった。

 万里は鼻歌混じりに夕食の用意をした。ノブがシャワーだけでいいと言っても、試験前だから風呂に入ってリラックスが一番だといって万里が押し通す。ノブは微妙に優しい姉に戸惑ったが、居候の身分としては姉の言うとおりにするしかないと、従った。

 浴室に入ると、ノブは薔薇の香りの湯けむりに囲まれた。

 ――おいおい、俺はもう子供じゃないぞ。

 小さい頃、母親が隠し持っていたバスオイルの入ったボールを盗んできては風呂に入れて遊んだ――王様の風呂ごっこ。

――あの頃、三つ年上の姉貴は、大きくて、強くて、優しかった。

 だが、今日は随分女らしくて、小さく華奢に見る。湯船に浸かっていると、もうもうとした湯けむりも消え、何気なしに前をみると、放射状に割れた鏡が見えた。

 ――まさかあの額の傷がこれと一緒にできた訳はないだろうと……。だとすれば痛すぎる。自分で額を強く打ちつけるほど、自傷行為をするはずもない。

 ノブはこの想像を黙殺して気づかない振りをした。

 翌朝、模試に向かうノブに万里は朝食を用意して送り出た。今まで弟のために朝早く起きて食事の用意をするなど、したこともない姉に、ノブは怪訝な顔をして万里を見て言った。

「姉貴、どうしちゃったの?」

「あ、ノブ、おはよう。弁当いらないよね。試験会場まで一時間かかると見て……、早くご飯食べて! 八時には出た方がいいよ。あと三十分、ほら」

 ノブはおもむろに時計をみて、慌てて布団を上げようとし、万里に制されてダイニングのテーブルについた。

「ノブ、夕飯に同僚の和子さんを誘ってもいいかな。好奇心強いから断るの大変だし。でも、結構、気さくな人だよ」

「まさか、姉貴、受験生の俺に女紹介するってんじゃないよね」

「何いってんの、当たり前でしょ。大丈夫よ、あんたの好みだったら、会わせないから。受験生惑わせたら、親に叱られちゃうじゃないの。ノブにはお金掛かるんだから、最短距離で医者になりなさいよね。わかった?」

「へい。お姉様の言う通り。母さんと同じこと言ってるし」

 万里はそういわれて、確かに母親の口調らしい、と思うとおかしかった。親から独立して離れたつもりでも、姉弟が揃うと、そこには家族の影が映し出される。笑ったり、喧嘩したり賑やかな家族。離れてみて初めて分かる家族の形がそこにあった。

 その日の午後、保育園につくと、和子はすでに作業していた。

「和子さん、遅くなってすみません。今、弟が泊まっていて、洗濯してから来たら遅くなっちゃって。もうかなり進んじゃいました?」

「ううん、私も昼食食べてきたから、さっき来たところ。作業はたんまりあるから」

「あと二週間しかないんですよね。夕涼み会まで。今、何の作業やってます?」

「今ね、これよ。クジのお菓子つけ、やってんの」

 そういって、和子は紐の先に駄菓子を付けていた。園児全員分と、その子達に付いてくる兄弟達の分まで見越して用意するので、結構な量となる。夕涼み会は毎年一番賑やかな行事であった。

「私、何からやればいいですか」

「あ、じゃあ、万里ちゃん、この紐で残りの駄菓子付けてくれる。私、クジ箱作っちゃうから」

 和子は児童館で子供達相手のお祭りや遊びを指導することに慣れているので、今年の出し物なども園長が特に和子に期待していた。それに応えようと、和子も予算や配分、出し物など、主任と一緒に企画を立て、一生懸命だった。和子の指示のもと、万里は一番若い下っ端として作業した。他の職員は、力の入れ過ぎじゃないかと、和子を冷ややかに見ていたが、皆、休日出勤までして作業する余裕もなく、自分たちに作業が振られない限りで、和子の熱心さに水を差すこともしなかった。

 忘れていた額の傷が少し疼く。それと一緒に妊娠への不安がまた蘇った。手を動かしながらそのことに、つい、思いを巡らしてしまう。検査薬だって次の生理予定日から一週間先まで待たなければならない。今できることは何もなかった。

「万里ちゃん、コーヒー作ってくるね。あんまり根詰めると、肩凝っちゃうよ」

 和子は立ち上がって事務所に入っていった。万里は俯きながら涙が出るのを必死で堪えた。和子に悟られたくなかった。誰にも知られたくない。独りで対処しなければならない事だ。もし、妊娠していたとしたら、生まれてくる命を殺すのは、自分が生きる為のことだから……。

 ――自分の体の一部を捨てるだけ。

 万里は、そう納得しようとした。しかし、中絶するには十二週以降でなければならないという知識はあった。その頃、胎児は人間の形をし、爪やまつげまで出来ている。自分の心臓と異なる心臓の鼓動。育ててから殺す残酷さを万里は改めて感じた。

 いつから胎児は人間となるのだろうか。自分が生きるために他の命を排除する現実。

 ――これは殺人?

 密かに行われる自分の中の殺人。深い闇の罪。その内自分に罰が与えられることに怯えながら暮らすのかもしれない。子供を育む保育園のなかで、自分だけが罪深く許されないように思えた。背中にのし掛かる十字架はなんて重いのだろう。

 

 コーヒーを片手に和子が戻った。和子もあまり元気がなかった。

 万里は心に蓋をして、和子に話しかけた。

「和子さん、今日何だか元気ないですね」

「うん。万里ちゃん位、私も元気ないかな」

 そういわれて万里はピクリとした。

「万里ちゃんもあのトモミちゃんの事、まだ気にしているんでしょ。私もね、最近ライオン組の虐めの件で揉めていてね。何か、溜息ばっかり出てくる」

 万里は彼女が自分の悩みを見透かしたのかと慌てたが、知るはずもないのだ。トモミの件と聞いて安堵した。かといって「ライオン組の虐め」という初耳の情報に驚いた。

「何ですか、ライオン組の虐めって」

 和子はお菓子のぶら下がった糸を束ね終えると、飾り付けの紙花を作り始めた。手はテキパキと運ぶのに、口は重く、言うべきかどうか迷っているようだった。そして、告解するように話し始めた。

「――万里ちゃん、皆に内緒ね。進先生から、まだ問題にすべきじゃないって言われているから……。実はね、ライオン組、少し荒れてるの――。それが子供達だけじゃなくて、親達の関係も揉め始めて来ちゃって……」

 和子は涙ぐんでは、声を詰まらせていた。その内容は、こういう事だった。

 運動会の時、菓子パンをだめにしたタクヤは、親の離婚で大好きな父親に会えない。さらに母親の精神的な影響もあるようで、毎日イライラし、クラスの大人しい子を殴ったり、蹴ったりするようになっていた。それに乗じて、元気すぎる他の暴れん坊の男の子達は、キックやパンチを出すようになった。それを見て制した和子に執拗に蹴りを入れたため、そのうちの一人の頬を叩いたのだ。その後の叫びとも言える泣き声はすさまじく、山本から、和子が叩いたことを注意された。しかし事はそれで収まらなかった。

 その翌日、今まで我慢していた子供達の親が、子供から状況を聞いて和子の味方に付き、元気な子に人気のある山本は、依怙贔屓(えこひいき)をしているとしてやり玉にあがった。さらに、毎日自分の子供が蹴りを入れられ辛い思いをしている親から、乱暴を放置しているといって、山本を名指しで非難した。山本は子供同士のことだからといって無視する。そんな山本への怒りと、園の対応が悪いということから退園希望する園児まで出てきていた。

 その子供の親達は、翌年、何人かが同じ地区の小学校へ一緒に上がるので、親は小学校でも虐められはしないかと心配する。年長の子供にとっては、小学校も日々の延長線上にあるのだ。

 山本は仕事を淡々とこなし、和子は周りに大きく振り回されてはオロオロし、子供らの心の痛みを自らの心に刻んで働いていた。

 万里は励ますつもりで和子に言った。

「今夜弟が泊まって、明日千葉に帰るんですけど、夕飯に焼き肉食べに連れて行くって約束したんです。良かったら、和子さんも一緒にいきませんか。六時には家に帰っていると思うから、仕事は七時頃までに切り上げて……。どうですか? 安いの、ご馳走します」

 少し眼球が出ている近視の大きな目をした和子は家でもよく泣いていたのだろう。最近、コンタクトをやめてメガネを掛けることが多くなった。その厚いレンズの向こうの赤く腫らした目が細くなって、やっと笑顔をみせた。


 国立医大の模試は朝から夕方までかかっていた。ノブは頭に登った血がフル回転したあと、一気に抜けるような脱力感で試験会場を後にした。結果はそれほど悪くない。しかし、現役で受かるには、地方の国立を目指さなければならない。浪人よりも早く歩む道を望んだが、親元を離れ、万里とも会える機会が少なくなる――と、そんな思いがノブの頭に浮かんでは消えた。

 今日の東京はやけに暑かった。日中のアスファルト熱が夕方になっても冷めず、暑さがジワッと体にまとわりつく。ノブは万里のアパートに向かった。六時前だったが外は明るく、街路樹でアブラゼミがうるさく鳴いている。階段を駆け上がり、一番奥の203号室に向かうと、ドアの外で男が一人立っていた。どう見ても万里を待ち伏せしているとしか思えない場所にいる。ノブはその男に言った。

「宮下万里に用ですか。どちら様?」

 男はモジモジして、聞き取れる言葉を発しなかった。

「もしかして、井上さんですか。姉は今日、仕事で遅くなりますよ」

 ノブはスグルと面識はなかったが、先輩から聞いていた情報から察しが付いた。

 ――洒落た優男で女にもてるが、自分本位で嫌な奴。

 男からみると、まさにそういう感じだ。それに、万里はいくら社会人になったからといって、数ヶ月の間に別の恋人を作れるほど器用でもなかった。

「用なら姉貴にスマホで連絡すれば?」

 ノブは万里とスグルがうまくいっていないことを悟った。万里は合い鍵も渡さず、携帯電話も無視しているに違いない。ノブは目の前のひ弱そうな男に鎌をかけた。

「姉貴、この前、額縫ったんですよ。痛くて仕事が捗らないらしく、今夜は遅くまで残業して来るそうですよ。可哀想に。あの傷、残りそうだなぁ」

 玄関の鍵を挿しながら、スグルの顔を横目で見ると、彼は驚いたように目を見開き、顔色が変わった。ノブは確信した。

「この野郎」と心で叫びながら、相手を睨み、下げた手の平を力一杯握りしめた。すんでのところで殴り掛かろうとしたノブの心を、合い鍵にぶら下がる鈴の音が辛うじて止めた。

「――万里に伝えてください。悪気はなかったって……」

 言い終わらないうちに、目の前のスグルはドスンと尻餅をついて倒れた。思い切り殴った手の甲の痛みを感じ、ノブは我に返った。

「姉貴にもう近づくな」

 ノブは怒りに震えながら、精一杯抑えて、低い声で言うと、スグルはあちこちフラつきながら階段を転げ落ちるように逃げていった。

 ――俺はもっと早く、貴様の正体を伝えるべきだったと後悔している。敵は多いぞ。

 惨めな男の背中に向けて、心の中でノブは怒鳴った。

 言いしれぬ悔しさで瞼が滲んだ。部屋の中に入ると居間のテーブルにはパッチワークのカレンダーが載せてあった。小さい時から手芸が好きで、弟からみても万里は地味な作業をコツコツと続けていける家庭的な女だった。ノブは一人で大人になろうとする姉にも腹が立ち、居間にふんぞり返った。目を閉じて大きな一息を吸った。

 漸く気持ちが落ち着いた頃、テーブルに置いたスマホのバイブレーションが落ちた蝉のように動いた。万里からだ。

「ノブ、和子さんと一緒なの。悪いけど、駅まで出て来て」

 ノブは〈ばかやろう〉という言葉をぐっと飲み込んで〈すぐ行く〉と返事した。


 和子と三人、焼き肉店で夕食を食べ、帰宅したら十時を回っていた。母親からの電話に、ノブは面倒くさそうに模試の様子を話していた。あまり親に期待させるのも面倒なことだ。ノブは適当に誤魔化しながら電話を切った。万里は笑いながら聞いた。

「母さん、何だって」

「ん。いつものこと。受かりそうかって。ほんと、うるせぇ親だ」

「心配なんでしょ、ノブのこと。感謝しなさいよ、母さんも父さんも、あんたの為に働いてお金貯めているんだから。でも、医者になるなんて、目標高くしちゃって大丈夫なの。一体、いつから医者になろうと思ったわけ」

「いいじゃねぇかよ。そのうち、姉貴が癌にでもなったら診てやるよ。それとも、整形外科になって、その顔、嫁に行けるように直してやろうか」

「べー。ノブに直されたら、福笑いになっちゃうよー、だ」

「ふん。可愛くねえ奴」

 二人は笑った。ノブはスグルのことを伝えなかった。何だか万里の悩む顔を見るのが嫌だった。それに、このまま万里を独りにするのも心配だった。

「姉貴、何か手伝うことあったら、明日も泊まっていこうか」

 万里はノブの提案に、本当は後ろ髪が引かれたのだが、それを振り切って言った。

「ううん、大丈夫。明日、月曜は早番だから、先に出るね。ノブはゆっくりしていっていいよ。その合い鍵、千葉に持って帰っていいから」

「えー、いいの? 嫌だぜ、鍵あけて入ったら、姉貴がベッドで誰かと一緒にいいことしていたなんて。親のそれよりゾッとするぞ、きっと」

「ほんとにノブは、スケベなんだから。そんなことばっかり考えていると、落ちるわよ、大学」

「その言葉使うなよ。一応、俺、受験生なんだからさ」

「ほんと、バカね。神頼みっきゃないでしょ、実際」

 久々にこんな姉弟の会話も明日には終わりかと思うと寂しい。ノブを居間に寝かせて、万里は半乾きの髪をブラシで梳かしながら寝室に入った。

 万里はベッドの中で、今日の焼き肉店での事を思い返した。

 ノブ持ち前の剽軽(ひょうきん)さは和子を喜ばせた。試験で疲れているだろうに、一生懸命、女達のサービスにまわった。七つも年上の和子は、若いノブをベタ褒めで、上機嫌だった。ただあの時、和子の質問に答えたノブの言葉、それには鳥肌がたった。まるで見透かされたような嫌な気持ちだ。

 和子がノブに聞く。

「ねえ、ノブちゃん、男からみて、どんな男がいいの。きっと女と見方が違うのよね。失敗しない男の選び方、難しいよね」

 それにノブが笑いながら答えた。

「和子さんだったら、経験豊富だから、男に騙されないですよ。でも、強いて言えば、女に乱暴するDV男はだめですよ。下の下です。反省したって繰り返しまたしますから。しかし、そういう奴に限って、女を騙すのはお得意ときている。俺みたいな芯から優しい男はもてないのに。な、姉貴。そうだよな」

 ノブの調子づいた言葉の矛先が、万里の胸を刺す。〈俺は知っているぞ〉と心臓を捕まれたような思いだった。額の傷のことも、お風呂の鏡のヒビについても言及しないノブ。だが、何もかも知っていて、あえて口を閉ざしているようにも思えた。

 万里は心と体で揺れていた。乱暴された記憶がまだ生々しく蘇る。その一方で、また優しくされたら彼に抗えない自分がある。彼にとって自分は何なのか――都合のいい性欲のはけ口――でしかないのか? 彼の心が読めない。出会った頃の心の高鳴りが、いつしか心から体へ移ってしまったのは逆に空しい。この空虚な心、風船に押し込めて夜空に飛ばし、流れに身を任せて生きて行けたら……。自分も彼を性欲の対象であって、愛などという感情なのか分からない。自分の中にもポッカリと開いたどす黒い穴に落ちないよう、必死で紐を絡み付けている自分がそこに居た。


 万里は二年前、仕事として保育を目指すために短大の保育科に入学した。単位を取るのに一生懸命だった。二年間で幼稚園教諭二種免許状と、保育士の資格を取るには、遊んでいる余裕などとてもなかった。

 しかし、万里が短大の一年生になった夏、たまたま友達に女性の数が足らないからと、数あわせのために誘われた合同コンパがきっ掛けとなり、隣り合わせになったスグルに出会った。

 自分の高校のOBだった井上卓。彼はさりげなくオシャレで、さほど高価ではないブランド品を着こなし、話し方もソフトだった。何よりも、伏し目がちの眼差しで見詰られると、ギリシャ神話の戦いの神マルスに見詰められたようでゾクッとする。肌にはニキビの跡もなくきめ細やかで、石像のように美しかった。

 その合コンの途中、帰ろうとする万里の横で〈送っていくよ〉と囁き、二人で抜け出した。混み合う総武線の中、腰かけた万里の体がずっと隣の彼に触れていた。心拍数が異常に上がり、心臓は今にも張り裂けそうだった。何を話したかも覚えていなかった。

 それから徐々に交際が始まった。しかしスグルにとっては、交際というほどのものではなかったようだ。若い男の欲望を満たすのに、万里は幼すぎた。同じ時期、スグルは大学仲間の志保に惹かれていた。志保は赤くてほろ苦い果実のように、(かじ)ると自分が大人の男になったような気がする。志保を抱くことが選ばれし男の証のように。しかし、志保には男の取り巻きが多く、独占できているのか彼には確信が持てなかった。

 万里は志保と対局にいる女である。印象は正反対だが、連れて歩くのが楽しくなる。逢う度ごとに万里は綺麗になっていき、口紅だけしか付けていなかった子が、つけ爪やつけ睫毛をし始めていく。少女という蛹の中から初々しい成人の女が出てくるのがスグルには楽しくて、独占している実感もあった。

 だが、二人の関係はそう、うまくはいかなかった。次第に万里は就職試験で、スグルは三年の就活がうまくいかず、お互い忙しくなる。当然、逢う回数も少なくなってしまった。

 その暮れの十二月、久々にスグルの大学キャンバスで万里と逢って、カフェテリアでコーヒーを飲んでいた時の事だった。

 万里を連れていると、周りの学生達の目を惹いた。万里は長い髪を真ん中で分けて流し、緩いカールを施していた。広い額、面長な顔が自信なげに上目使いをすると、スグルは溜まらなく抱きしめたくなった。万里の髪の香りに近づいていた時、目の前に志保が取り巻きの男達と座った。

「あら、井上君、可愛いお嬢さん連れているじゃない」

 スグルは、状況の悪くなるのを懸念しながら、横にいる万里に志保を紹介した。

「彼女は、沢田志保さん。同級生なんだ。この子は宮下万里ちゃん。俺より二つ下の未来の保育士さん。志保より一つ下か」

 スグルは先週、志保の部屋に泊まったばかりだった。バツの悪さを明るい声で誤魔化そうとしていた。しかし万里はスグルのよそよそしい紹介に違和感を覚え彼の顔を見た。彼は志保に釘付けになっている。まるで悪戯を咎められた子供のように、ビクビクしている。万里はワザと言った。

「スグルの恋人です。ふふ」

 戯けまじりにそう言って志保を見た時、一秒の十分の一、お能の泥眼面のような嫌な顔が覗いたのを万里は逃さなかった。

「スグル、私達、そろそろ帰らないと……」

 万里はそう言って、志保の視線を振り切って二人は大学を後にした。その後お互い、志保を話題にしなかった。モヤモヤしながら、渋谷で夕食を終えて、ほろ酔い気分で街中を歩いた。ビールで火照った顔に夜風が心地良い。暗い細道でスグルは万里に口づけをし、コートの下に手を入れて体を触った。万里は両腕をスグルの肩に回した。スグルが言った。

「ラブホに行こう」

 万里は躊躇した。

 するとスグルの背後から、通りすがりの男達が、卑猥な笑いを浮かべながら、舌舐りをして万里の顔を覗くように通り過ぎた。

「やっぱり嫌。私帰る。嫌なの、こんな所」

 手を振り解き、舌打ちするスグルを置き去りにして、万里は早足で賑やかな大通りに出た。後を追ってくるのを期待していたが、スグルは追いかけて来なかった。

 万里は後悔した。何度かこんな状況があった。その度に喧嘩になる。万里はもったいぶっている訳でもないが、初めての体験はもっと気持ちに余裕を持ちたかった。両親やノブの視線のなか、どんな顔をして帰れというのだろう。万里にとって、スグルの落胆より家族の沈黙の方が重いのだ。

 その夜、スグルとまた、スマホ片手に大げんかをして、万里はノブにも八つ当たりをした。ベッドの中でまんじりともせず、志保という女の顔が頭から離れなかった。スグルとどういう関係なのか。連絡はそれからずっと、別れるきっかけの無いまま、短いメールだけで繋がっていた。万里のアパートで再会するまでは……。


 スグルは万里の弟に殴られてから、あてどもなく道を歩いていた。

 殴られたことで返って気持ちは軽くなった。歩きながら、スグルは万里の額の傷のことを考えた。

 ――あの日、肘鉄を食らったので思い切り反応して、万里の頭を鏡にぶつけてしまった。まさか、額を縫うほどの傷になっていたとは……。あの受難な日が夢だったとしたら、どんなにいいだろう。目の前にあった人生のレール。俺は脱線してしまった。木村や山崎の蔑む視線。志保までもが……。たった一言、嫉妬に駆られた言葉だけで俺をあんな目で見るなんて――あいつらの友情は何だったのか。――そして万里も俺を邪険にした。何もかもが指の間からこぼれていく。俺は何も悪いことなどしちゃいない。ただ、就職が決まらないだけなのに……。

 スグルの心の中で何かが音を立てて壊れた。モヤモヤする頭で闇雲に歩いた。目の前には石神井川を挟んで公園が現れた。大きな木々が野球グランドを囲み、チラチラと光る沈みかけの太陽が苛立たしかった。犬の吠える声。子供たちの野球が終わり、誰もが帰ろうとする。

 疲れを感じたスグルは公園で寝そべった。緑に茂った雑草まじりの芝生は柔らかく心地よかった。目の前に開けた深海のような青空には、星が海ほたるのように瞬いていた。大木が思いっきり腕を伸ばし、細い枝を空の底まで届かせようとしている。葉が揺れ、小鳥が飛び立った。遠い空の底には、気流に乗った鳥達が右から左へと視界の中から消えていく。そこに人間を必要とする物は何もなかった。静かな時間が流れた。濃紺の夜の帳が下りて、益々自分の存在が希薄になっていく――ただの虫けらのように息をしている――とスグルは感じた。

 ――もし死んだら、誰が悲しんでくれるだろうか。生きていてほしいと誰が言うだろう。やがては過去の人になって忘れられる。まだ何も成し得ていない自分。両親は兄がいればいい。志保には山崎がいる。万里は……。

 スグルは自分の居場所を自分で壊したのを悔いた。

 万里のいる場所、それは絆の世界だった。

 ――紙の魚、家族、子供。

 それらはスグルから遠い世界。万里の居る幸せの場所はスグルにとって物足りなく価値のないものだった。

 ――俺は万里といると自分が優位に立てる気がした。万里を自分の思い通りにしたい。自分の所有物に……。残された俺の居場所。俺を必要とする万里、俺の好む女にすればいい。万里の欲望は俺しか満たしてやれないのだから……。

 万里への執着が狂気となってスグルに沸いてきていた。自分が生きるためのバネとして、万里の元へ帰りたかった。嫌がる万里に自分の今の状況を話せば許してもらえる。万里の優しさにすがって、もう一度やり直せたら――いや、絶対やり直せるさ――何も悪い事をした覚えはない。何て言えば、家に入れてもらえるだろうか――

 ぼんやりとした電灯の下で、スグルはまだ、万里への不毛な言い訳を考えていた。


 翌朝、朝食を用意して万里はまだ寝ているノブを残して出勤した。駅前のコンビニでいつものようにドーナツとサンドイッチを買って電車に乗った。今日もトモミは万里のエプロンを引っ張って、『鯉のぼりのごはん』と言うだろう。万里は考え悩むことをフリーズした。そう、今日一日を生きればいい。時間が経たなければ解決しない事もあるのだから。

 万里はウサギ組の部屋に入って、子供達に元気よく挨拶した。

「おはようございます。みんな元気ですか」

 小さな机。小さな椅子。万里と高山が椅子に座ると、机の上に膝が出る。みんな並んで元気な顔を見せてくれた。

「今日も暑いね。お熱測ってきたかな。午前中はプールに入るよ。連絡帳を見てプールに入れるかチェックするね」

 みんなはプールに入れるかどうか心配でザワザワしていた。朝の検温は自宅でするのが原則で、体温と体調、プールに入れるかは、保護者の許可が必要だ。

「マサト君は丸だね。サキちゃんも丸。カズヤ君は風邪を引いているので今日はバツですって書いてあるよ。ユウタ君は……」と言いかけたところで、ユウタが言った。

「ミヤせんせー、ノートに何て書いてあるの? ここ、おっぱいチュッチュッ、遊びましたって書いてあるの?」

 ユウタが人差し指で自分の連絡帳の文字をなぞりながら聞いた。みんなは『おっぱいチュッチュッ』の言葉を聞いて、ニタニタしながら、両手をニギニギして赤ちゃんの真似をした。このところウサギ組で流行っている遊びである。

「じゃあ、読んであげるね。ユウタはお家で、母のヘアバンドを腰に巻き、おもちゃの刀をそれに差して遊びました。母が嫌がるのに何度も斬りかかって母を虐めていました。しかし、夕飯の時、忍者のように背中に刀を挿したまま座ると、刀の方が長くて身動きが取れず、コテっと横に倒れてしまいました。父も母も大笑いです」

 聞いていたみんなが大笑いした。ユウタは照れ笑いをしながら、万里と高山の顔を見ては、恥ずかしさで机に顔を埋めた。

「ユウタ君もプールは丸だよ。さあ、プール丸になった人は、水着に着替えてユキ先生の方に集まってね。水着を忘れた人と、バツの人はミヤ先生の方に集まって!」

 プールに入らない子供が今日は三人いた。風邪気味のカズヤと水着を忘れたミチル、そしてトモミだった。トモミの連絡帳にはいつものように何も書いていない。このところ、小学校が夏休みなので、トモミの登園は美雪が連れて来ていた。園長から母親に注意はしているのだが効き目はなかった。

 今日は他の保護者と話しをしている時に美雪を見かけたので、万里は美雪を捕まえて様子を窺うつもりでいたら、いつの間にか帰ってしまった。既にトモミは独りでぬいぐるみを抱いて片隅に座っていた。

「トモミちゃん、おはよう」

 万里がそう声をかけても、うな垂れるようにしている。いつもなら側に来て朝食をねだっているのに。笑顔もなく元気がなかった。

「センセー、臭い。何か臭いよ。あ、トモミだ、おもらししちゃってる!」

 近くでクマのぬいぐるみを取ろうと近づいたミチルが大声で叫んだ。

「いいんだよ。トモミちゃん、こっちに来て、お着替えしようね」

 万里はトモミの手を引いて、残りの子供を他の臨時職員に頼み、丸保印の着替えを持ってシャワー室に入った。

「お熱はないから、温いシャワー浴びようね。

今日は『鯉のぼりのごはん』いらないの? 先生持ってきたよ」

 そういっても、トモミはゴムで出来た人形のように表情もなく、発する声もなかった。着ている(くるぶし)まで長いダブダブのワンピースは、小さな肩に掛からず、片方の肩がまるきり出ている。もう、尿は乾いていた。ワンピースを脱がせると、背中から腰に向かって赤黒い打ち身のような痣がいくつもあった。左足の太ももにも同じような痣がある。万里は憤りをやっとの思いで抑え、石けんを付けたスポンジで頭と体を優しく洗った。

「ほら、可愛いトモミちゃんのできあがり。このイタイ、イタイしているとこ、看護婦さんに看てもらおうね」

 看護婦の所へ相談にいくと、看護婦はトモミを視診して万里に頷いた。トモミがドーナツと牛乳に夢中になっている間に、園長と主任にこのことを報告した。

「やっぱり、トモミちゃんのお母さん、虐待してますよ。育児放棄だし、このところずっと送り迎えも美雪ちゃんがやっているんです。相変わらず、食べさせていないし。何とか手を打つ方法は無いんですか。トモミちゃん、そのうち大変なことになっちゃいます」

「そうねぇ。この子から何か聞き出せればいいんだけど。もしかしたら、母親が病気とかっていうこともあるでしょ。この件はお昼のミーティングで話しましょう。それまでに、トモミちゃんにお家の様子をきいてみてください」

 万里は、食べ終えて、指についた砂糖を名残惜しそうに舐めているトモミを連れて部屋に戻った。

 他の子供達は、高山ともう一人の職員が見守る中、少ない水のプールの中で大賑わいだった。ウサギ組になると始めてこのプールを使えるようになるので、悦びもひとしおである。三十分もすると、年長組に譲らなければならないウサギ組は、腰にも届かない水の中で、水飛沫(しぶき)と奇声を上げ、八月の日差しを跳ね返して輝いていた。

 その日の昼、再びこの件が話し合われた。全職員の前で万里は状況を手短に話した。

「トモミちゃんにどうして痣ができたか聞いたら、転んだっていうんです。それ以上聞いても、黙ってしまうばかりで。でも、明らかに転んでできる痣ではないと思います。彼女は言葉で説明できないのかもしれません」

 万里は我慢できずに虐待を主張した。報告したい事は山ほどあるのに、証言台に立つ万里には、与えられた時間が足りない。

 園長は、担任の高山にも意見を求めた。

「ちょっとまずいですね。ここのところ、小学二年の美雪ちゃんが毎日、送り迎えに来ているし、痣以外でも心配です。前回の警察ざたの件もあったし。美雪ちゃんの小学校の担任に連絡してみたらどうでしょう。彼女なら、もう少し説明してくれるかもしれないし」

 高山の話の後、山本が言った。

「もう少し、様子をみた方がいいのではないですか。まだ、母親の虐待と決めつけるのも早いし、本人が痛がっているのでないなら。家庭によって、食事の与え方や衛生観念、価値観もまちまちです。躾と虐待の線引きは難しいですから」

 横から和子が明らかに山本に反発しているように口を開いた。

「でも、子供は小さなサインを出しているんです。元気で駆け寄ってくる子供ばかりじゃないんですよ。じっと部屋の隅で、黙って我慢している子のほうが可哀想。山本先生はそういう子を放って置くけど……。今では、毎日のように、万里ちゃんがトモミちゃんに朝ご飯を食べさせて……。でも、小学生の美雪ちゃんは給食の時間まで我慢しているんじゃないですか? ――それって、放って置いていいんですか。それだけだって、親の義務を怠っているじゃない。他の一人親家庭は、みんな頑張っているじゃないですか。トモミちゃんやタクヤ君達は親が問題なんです」

「タクヤはまた別だよ」

「別じゃないですよ。タクヤ君の家だって、休みは子供を放って、お母さん、男と遊んでいるそうじゃないですか。離婚した父親に会わせてもらえないのに……。毎朝山本先生と仲良くする母親を見たくなくて、あの子、暴れるんです。わからないんですか、あの子の視線が――」

 和子は今までの不満を吐き出すように言った。職員達は話の矛先が違うのをどうしたものかと思ったが、主任が透かさず和子の肩を叩いて、後で話しましょうと手をさしのべた。

 園長は決心した様子で言った。

「わかりました。まずは、お家に電話して聞いてみましょう。それから、小学校と児童相談所にも連絡をとってみます。保育園では、もう少し様子を見ることにしましょう。――さあ時間です。みなさん急いで持ち場に戻ってください」

 その言葉でミーティングは終わった。園長は早速受話器を持って電話をし始めた。高山は、まだ興奮が収まらない万里の背中をポンポンと叩いた。

「さあ、気持ちを落ち着けて。トモミちゃんは二十一人のなかの一人よ。他の子にも注意払ってね」

 そう言うと、先に部屋に戻っていった。


 翌朝、トモミを連れて来た母親が事務所に怒鳴り込んできた。

「ちょっと、園長どこよ。園長、隠れていないで、出てきなさいよ。いったいどういうつもり。私が何したって言うのよ。児童相談所なんかに連絡してさ。子供を虐待しているって、どういうことよ。

愚図っていたから躾しただけじゃないよ。子供の痣ぐらいで騒ぐなよ。私が何したって言うんだよ。まったく――グチャグチャ言いやがって。人の家のことに口出すなよ。こっちに出て来いよ」

 トモミの母親は、すごい剣幕でまくし立てた。対峙した園長は、すんでの所で胸座を捕まれるところだった。

「お母さん、どうしたんですか」

 透かさず園長と母親の間に山本が体を入れて言った。母親は態度を軟化して、甘えるように訴えていた。万里達は、また同じパターンだと思った。

「ねぇ先生、聞いてよ。園長ったらさ、トモミの痣をみて、児童相談所の職員に私が虐待しているって言ってんの! 信じらんない。何の証拠もないのに――この前、トモミが愚図ったから叱っただけなのにさ。私独りでちゃんと娘二人を育ててんだからさぁ。母子家庭だと思ってバカにして……」

 仕舞には、山本の肩にしな垂れて泣き出してしまった。まるで、恋人に愚痴るようにトモミの母親は控えめに甘えていた。山本は優しく肩を抱えるようにして、小首を傾げて語りかけた。

「母親の仕事は毎日大変ですからね。事務所で少し話しましょう。ね、園長、それがいいですよね。トモミちゃんのお家での様子なんかも教えてください。さ、こちらへ」

 万里は山本にしかできない保育園での大役を悟った。女同士で譲れない意地は、いとも簡単に山本の前では溶けてしまう。片親の行き過ぎる感情も、もう一方の親がいれば家庭の天秤は安定するのだろう。大ざっぱで、冷静で、何事も半分に捕らえる山本の半眼姿勢は、そう否定することもできないと、万里は悔しくも思えた。

 自分の父親も思えばそうだった。母親は何かと感情的で話に火をつけたがる。すると、父親が脇で砂をかける。喧嘩のきっかけであった万里とノブは成長するにつれて、火中から観客席に場所が移り、夫婦のバトルをみていた。火種は移り変わっていったが、二人の立ち位置はかわらない。天秤棒はそれで釣り合いがとれていたのだ。そのバランスが壊れて崩壊していく家族。糸が絡んで切れて一人一人が不安で孤独になってしまう。いったい、何が問題なのか、万里には到底分かりそうもなかった。


 八月も中旬となり、万里には生理が来るはずの兆候がなかった。女であれば体の兆候は経験として分かる。頭痛や腰が痛くなったり、便秘したり等々、人によっても様々だが、生理が来て、あ、やっぱりそうだったのか、と分かるのだ。毎月訪れる生理を好きな女はいない。しかし今月ばかりは、出血が待ち遠しかった。あと一週間もしたら、検査藥を使わざるをえないだろう。妊娠を知りたくもない気持ちと、知らざるを得ない体の狭間で、為す術もない心はささくれていく。わざわざ調べなくても、来月も生理が来なければ決定的なことなのだ。

 万里は今週末、予定されている夕涼み会の準備に没頭した。雨の少ない今年の夏は、体の生気を吸い取るように、夏の終盤に差し掛かってもなお、暑い大気で覆われていた。

 相変わらず、トモミの母は姿を見せず、美雪が送迎をしている。仕方なく万里は、美雪を捕まえてトモミの体調を聞いた

「美雪ちゃん、トモミちゃん何か元気ないね。お熱ないかな? 昨日は元気だった?」

「トモミ、昨日、すごく泣いたから……。私よくわかんない。もうやだ……トモミ……連れてくるの大変なんだもん」

 美雪は、半べそをかいて、スカートの裾を両手で揉んでいた。

「お母さんに頼めばいいのに。美雪ちゃん大変でしょ」

 万里は、意地悪だと思いながらつい口が滑った。美雪が嫌だといって、母親が出てくるようなら、こんな状況にはなっていない。

「だって、お母さん、寝ているから……。トモミが愚図ると、お母さん怒るし……。トモミもっと泣くの……」

 今朝、トモミはお漏らしをしていた。母親は起きない。しかたがないので、朝、美雪はトモミを着替えさせて保育園に向かった。夏休みの一日がまた始まる。美雪は急ぐ必要もない。しかし、何度も何度もトモミは道端にしゃがみ、愚図って動かなくなった。仕方なくトモミを背負い、途中で休みながら、漸く保育園にたどり着いたのだ。泣きたいのはトモミだけじゃなかった。小学二年生の美雪もまた、小さい胸を痛めていたのだ。

 トモミが部屋に入った後も、美雪は帰ろうとせずグズグズしているので万里は声を掛けた。

「美雪ちゃん、今日、保育園でミヤ先生のお手伝いしてくれる? お昼一緒に食べようか。ミヤ先生ね、今度の土曜日、夕涼み会でしょ。だから準備が大変なの。美雪ちゃんが手伝ってくれると助かるんだけどなぁ」

 美雪は、嬉しそうに目を輝かせた。

「うん、手伝う。私も保育園にいていいの? 私ね、工作、すっごく得意だよ。何すればいい」

 笑うとトモミと同じ頬にエクボが見える。万里が椅子を用意してあげると、美雪は園児達に混じって色紙の輪鎖を一緒に作り始めた。

 食事のあと、園児達は自分の布団を敷き、お昼寝の準備をしていた。その時、サキが声を張り上げた。

「トモミちゃん、邪魔だからどいてよー。センセー、トモミちゃんが、お布団の上にのっかってるの――」

 サキがトモミを退かそうとしたその時だった。

 トモミは突然食べたものを吐いてしまった。それからぐったりして意識がなく、体が痙攣している。保育園は大騒ぎになった。園児達はびっくりして棒立ちになり、表情を失った。職員達は大きな声で叫び、何人もの大人が走り回っていた。救急車が呼ばれ、美雪を連れて、看護婦と万里が救急車に乗った。園長はトモミの母に電話をした。しかし、連絡は取れなかった。

 救急病院に着いても意識がないトモミは、慢性硬膜下血腫と診断された。頭蓋骨の内側にある硬膜と脳の間に、血が次第に溜まって血腫ができたもので、比較的軽い頭の打撲などが原因でおこる病気である。トモミの場合は、体の打撲痣もあり、虐待により、じわじわと血の塊ができたと推察され、手術が早速行われた。

 手術室前の長椅子に美雪と万里は座った。美雪はじっと黙っていた。床の欠けたタイルを見つめながら、美雪は昨日の事を思い出していた。


 昨日、美雪は小学校のプールが終わると、近所の子供達と遊ぶ約束をしていた。母親から家で遊ぶなと言われていた美雪は、何度か友達の家で転々と遊ばせてもらううちに、昨日、自分の家の順番が回ってきてしまった。友達は当然のように、「今度は美雪ちゃん家で遊ぼうよ」という。

 しかし、ひと間のアパートは狭く、トモミのおねしょでしょっちゅう家の中には、シーツや布団が干してあった。

 美雪は広くて、床にものが落ちていない友達の家が大好きだった。でも、友達の家に行くためには、一度は友達を招き入れなければならない。それが子供達のルールだった。

 その日、母親のいないのを見計らって、友達を呼び入れた。ゴミを洗濯物で隠し、コンビニで買ってきたお菓子を用意して、二人の友達と美雪の三人は、玩具のない家で、一つだけ立派な三面鏡のドレッサーに眼が留まった。引き出しには、母親のルージュや付け睫毛、マニキュアなど、女の子が最高にそそられるグッツが揃っている。三人は早速、化粧道具を使ってモデルさんごっこをし始めた。

 美雪は楽しんだ。友達と遊んだことより、いつも威圧的な態度で自分をこき使い、トモミの世話をさせている母親に逆らった事で、言いしれぬ解放感を味わっていた。

 夕方、友達と別れ、部屋を元通りにした。ご飯を炊くのは母親から教えてもらっている。ガスを使う以外はほとんど美雪の領分だった。冷蔵庫を見ると、ビールや発泡酒の缶がビッシリだ。その隙間にソーセージとバターがあった。卵は切れていた。夕飯はソーセージとバターご飯しかできそうになかった。今度、母親が機嫌のいい時、一緒にスーパーに行くしかない。手持ちの小遣いは、さっき友達と三人で食べたおやつで使い果たしてしまったのだ。

 保育園にトモミを迎えに行く。トモミは機嫌良く帰ってきたが、今日もスーパーの袋一杯に汚れた服とお昼寝布団カバーが詰まっている。袋を開けると、プーンとおねしょの匂いがした。

 美雪は、去年まで自分が時々シーツにお漏らしをしてしまったことを思い出した。今は自分で洗っているけど、自分がトモミと同じ時、いったい誰がその処理をしてくれていたのか? はっきりした記憶はなかった。しかし、あの頃、もっと母親が優しかったように思えた。

 母親は、アルバイトと休職を繰り返していた。生活のパターンは一定しておらず、仕事がなくても、一日中パチンコ店で時間をつぶし、男友達と飲み歩いて朝帰りする。母親不在の家で、美雪が家事をこなし、わずかなお金をもらっては、スーパーで夕方安くなった弁当を一つ買って、子供二人で食べていた。

 二年前、美雪が幼稚園の年長の時、両親の喧嘩は絶えなかった。父親は几帳面で、いつも母に部屋の片づけができていないと、五月蝿かった。元々、外に出ることが好きな母親が専業主婦で一歳に満たない知美と幼稚園生の美雪二人の育児に手間を掛けるのは耐えがたかった。美雪の時には初めての子供ということで夫婦が助け合っていたのだが、次第にすれ違う心が募って、ある日から父親が帰らなくなった。美雪にはその日のことを忘れていない。その日をきっかけに母は変わった。酒浸りとなり、育児と家事をほとんどしなくなった。それは美雪が小学校の入学式から一ヶ月と経っていない頃のことだった。


 母親が帰ってくるまでに洗濯しておかなければ……。美雪は以前殴られた時の痛さを思い出した。

「トモミ、夕ご飯はバターライスだよ。好きでしょ」

 トモミは喜んだ。美雪は茶碗にアツアツのご飯をよそり、バターを少し乗せて溶かし、その上に醤油を少し垂らしてトモミに渡した。トモミは立ちのぼる湯気に顔を近づけ微笑んだ。

 トモミは他の子より喋れない。言葉の数が圧倒的に少なかった。しかし、食べ物に対する執着はすごかった。自分でこぼしたご飯を他人が拾うと怒る。家でご飯を食べる時、美雪はトモミが落ちても食べられるようにお盆の上に茶碗をのせてあげた。

 食べた後、食器の片づけや洗濯物を干すのが終わり、足台にしたイスを片づけて、美雪は宿題に取りかかった。

 気がつくと時計は九時を回っていた。トモミは壁にもたれて寝ている。

「トモミ、お風呂は。お風呂入らなくちゃだめだから、まだ寝ちゃだめ」

 そういっても、トモミは眠くて起きない。揺り起こすと、今度は愚図った。トモミは引っ張っても、泣いて暴れるばかりで美雪には手がつけられなかった。

 そこに、母親が酔っぱらって帰ってきた。いつもより上機嫌で土産に鯛焼きまで買ってきていた。

「美雪。今帰ったよ。ほれ、鯛焼き。あー、トモミ、何泣いてんだよ。うるせぇなぁ」

 母親が美雪を睨んだ。

「トモミ、眠くて愚図っているの。お風呂入ろうっていったのに」

「泣いたら、入らせなきゃいいんだよ。ママ、もう寝るから。トモミを静かにさせて」

 そういうと、母親は化粧を落とそうとして、ドレッサーに向かって引き出しを開けた。中はいつもと違う並びになって、リキッドファンデーションの半分がティッシュに吸い取られて、横のゴミ箱に棄てられていた。他にもチークの粉が散乱して、母親がお気に入りの細長い口紅は折れていた。

「美雪、これいったいどうしたの。ママの化粧品で遊んだの。だめだって言ったじゃないよー」

 母親の甲高い怒鳴り声が響くと、美雪は体が硬直して動けなくなった。そして、とっさに嘘をついた。

「それ、トモミがやったの。私が洗濯してご飯作っていた時、トモミが遊んでママの化粧品こぼして……。だから、ティッシュで拭いてきれいに掃除しといた」

 怒りはいとも簡単にトモミに向けられた。まだ眠さを耐えて愚図っていたトモミ。母親はテーブルに置いてあったお盆を持ち上げ、トモミの頭を殴った。

「トモミ、うるせぇんだよ、まったく!」

 そのあと、ますます激しく泣くトモミの肩を持って前後に揺すり、そして頬をひっぱたいた。

「あんたは、あの男そっくりなんだよ。愚図で!」

 そのうち、トモミの泣き声は吐くような呻きに変わっていた。母親がお盆を片手で高く振りあげた時、美雪は慌てて二人の中に体を入れ、母親を突き飛ばした。

「ママやめて。トモミ死んじゃうから」

 そのまま、母親は横になって洋服のまま寝てしまった。ぐったりしているトモミを布団の上に引っ張りあげ、美雪は一緒に寝た。トモミはまるで大きな人形のように横たわって寝ていた。美雪がトモミの手を握ると、トモミの小さな手も握り返した。〈よかった、トモミ、まだ死んでない〉美雪は今日の出来事をかき消すように眠りに落ちた。


 万里が美雪の肩を軽く叩くと、美雪は気絶から目を覚ました患者のように、鈍く万里を見詰め直した。

 三時間の手術室は無事終わった。既にトモミは病室に移され、酸素マスクをつけて真っ白なベッドの上で眠っていた。園の看護師は園長と相談するために戻っていった。万里は美雪を一人でここに残す事もできず、病院に残った。

「美雪ちゃん、お母さんどこで働いているか知ってる?」

 再三聞かれている質問に、美雪は俯いて首を横に振った。

 病棟の談話室に美雪を連れて行き、万里は園に電話したが、まだ母親とは連絡が取れない。病院は虐待の可能性があるとして、警察に通報した。〈児童相談所の職員が、病院に行くから、それまで美雪と一緒にいるように〉と園長から指示された。

 万里は、美雪に言った。

「まだ、お母さんと連絡取れないんだって。お母さん、携帯電話持っていなかった?」

「持っている。でも、番号わからないの。新しいのに替えちゃったから」

 昨年、美雪がトモミの世話に困って、何度も母親に電話をしたため、母親は美雪からの連絡が煩わしくなり、携帯会社を変える際に別の番号にしてしまったのである。美雪からの連絡は禁じられていた。

 万里は売店から買ってきた焼きそばパンと、いなり寿司をテーブルに並べた。部屋の片隅にある自動給茶機でお茶を入れながら、美雪の方を見ると、うな垂れて背中を丸め、まるで八十歳の疲れ果てた老婆がそこに腰掛けているようだった。

「美雪ちゃん、お母さん早く連絡取れるといいね」

 万里が元気付けようと明るい声でそう言うと、美雪は一瞬、万里の顔を見て溜息をつき、視線を足下に落とした。万里は〈あんたは、何も分かっていない〉と言われた気がした。

 夕方、役所の福祉課と警察の職員が来て、美雪を連れていった。職員達は美雪のアパートに寄り、身の回りのものを持って児童ホームに向かった。母親の所在は警察に、美雪とトモミは福祉課の職員にそれぞれ引き継がれた。

 園長の計らいで、万里はそのまま直帰となった。病院の外に出ると、外はまだ明るい。ファーストフードでコーヒーを買い、駅前の公園に入った。ここは時々、園児達を連れて散歩に来ている場所だ。鳩が多く、芝生の上でデングリ返りをしたり、鬼ごっこをしたりする。色々な種類のツツジの横に、迷路のような小道が走り、幼児の鬼ごっこには適していた。みんなの笑い声が万里の耳に蘇った。一人一人の笑顔が浮かんだ。

 生まれた時は皆同じなのに……。ユウタのように何でも与えてもらえる恵まれた子もいれば、トモミのように食べるものさえ与えられない子もいる。大人達に翻弄され、選ぶ権利もない不条理な子供らの環境……。深い心の霧の中を、万里は長い間ベンチに腰掛けながら彷徨っていた。

 職員に手を引かれて美雪が病院を出て行く時、チラッとこちらを振り返り見せた表情。その顔に万里は囚われた。あれは何を思っていた顔なのか? 美雪の心が表れた? それは悲しみでもなく、安堵でも――勿論、笑顔や泣き顔――でもない。表現するとしたら、鈍く歪んだ顔――そうだ、罪の意識の顔をしていた。でも、一体何故、美雪が罪悪感に駆られているのか? たった八歳の子供が。自分も育児される立場だというのに……。トモミを守れなかったから? 母親を繋ぎ止められなかったから? ――それとも、トモミが助かったから……。万里は(かぶり)を振って、コーヒーを飲み干した。

 ベンチの足元にはリズミカルに首を突き出し、一羽の鳩が餌を探して歩いてきた。真ん丸いオレンジ色の眼。よく見ると嘴の上にハート型の白い瘤がある。これは、外鼻腔というのだと、ノブに教えてもらったことがある。鳩と遊ぶのに天使達も降りて来たに違いない。美雪は羽が折れてしまった天使なのかもしれない。きっと、もう逢えないだろう……。

 気付くと、目の前で、小学生の男の子とその父親がキャッチボールを始めていた。何度も父親にアドバイスをされながら、フォームを直して、ズバッ、ズバッとグローブで受ける音が響く。空にはもう星が輝いていた。

 万里は早く家に帰って、疲れた体をベットに投げ出したかった。今は誰にも邪魔されずに独りになれる場所があることが、無性にありがたかった。


 そのあと、トモミ達の消息はプッツリと分からなくなった。園長に聞いてもはっきりと言わない。病院も退院し、児童ホームに引き取られたのが最後だった。トモミ達がいなくなっても、何も変わらない日常がここでは続いていた。

 夕涼み会が明日の夕方四時から開始となり、園児達に案内のチラシとチケットが配られた。チケットは、五種類のスタンプラリーになっていて、お菓子クジ、金魚すくい、輪投げ、綿菓子、紙飛行機大会などが企画されている。早くもテラスに作った簡易プールに金魚が放たれ、子供達が目ざとくみつけて大騒ぎになっていた。

 明日は職員総出で、各出し物を担当する。園児の兄弟達も想定数として換算し、二百人分の準備をした。それ以外にも、毎年一学期を終えた小学一年の卒園生が、懐かしさと昔年の別れを告げにやって来る。保護者と子供達が一番楽しみにするイベントであった。

 万里は家に帰って、明日着る浴衣の用意をした。去年の夏、母とデパートで買ったもので、白地に桜の花がちりばめられ、蝶が舞った柄になっていた。兵児帯のアレンジした結び方を練習して、明日の夕涼み会の準備に専念していると、暫くして携帯が鳴った。待ち受け画面にはスグルと表示されている。あの日から何度となく、スグルの着信記録は積み重なっていったが、万里は無視してきた。今も出るのを躊躇った。すると、玄関の呼び鈴がなった。

「はーい。どなたですか」

 チェーンをかけながら開けると、ドアの向こうにスグルがいた。

「万里、ちょっと話したい。ちょっとでいいから」

「ごめん。今、話したくないの」

「額縫ったんだって? 知らなかった。ごめん、そんなつもりじゃ……」

 一瞬、どうしてスグルが縫ったことを知ったのか不思議に思ったが、ノブが話したのだと気がついた。チェーンが許した隙間から入り込もうとするスグルの手に万里は震えた。もう、この部屋に、自分の領域に入ってほしくなかった。万里はドアから遠のき、スマホを握りしめて電話した。

「今、外にでるから。アパートの下で待っていて……」

 万里はスグルにあの事を話す決心をした。話したからといって解決する類のものじゃないけれど、この苦悩をスグルにも与える必要があると思えたのだ。女ばかりが損をするのが不満でもあった。

 二人は、近くの公園まで歩いて、並んでベンチに座った。木から落ちた蝉が、瀕死の状態で痙攣したように体を震わせ、ジジッと鳴いた。月が夏の狂気を吸って赤く光り膨らんでいく。蒸し暑い空気が余計、沈黙の二人を滅入らせた。

 万里の長い髪が俯いている顔を隠した。スグルは万里の肩に手をかけ、自分の方を向かせた。万里は震えたウサギのように弱く見えた。チャームポイントの額には刻印のように小さな墓標の十字が並んでいる。スグルはそっと指でその印に触れた。まるで、万里が自分の所有物だという焼印のように思える。

 ――俺の家畜のような万里……。

 両手で万里の顔を包み、スグルが口づけをしようとすると、万里は彼の手を強く払いのけた。

「やめて。どういうつもりなの――」

 万里はスグルを睨んだ。

「どういうつもりって?」

「あの時、やめてっていったじゃない。ひどい! ひどすぎるよ。私……、生理が遅れていて……。妊娠したかもしれない。あれじゃレイプじゃない」

 スグルは彼女の以外な言葉に戸惑った。てっきり、彼女を洗面台の鏡に頭をぶつけた失態のことで万里は怒っているのだと思っていた。

 ――あの時のセックス、ちょっといつもと趣向が違ったが、快感を感じていたじゃないか。今までそうだった、お前の体は……。それに、妊娠だなんて……何の話だ。万里も楽しでいたのに……。

 スグルは心の中で呟いた。非難される理由が分からなかった。

 ――いや、まてよ。万里はそうやって、就職口も決まらない自分に将来がないと思って、別れようとしているのかもしれない。妊娠のことを持ち出せば、就職できない俺が結婚をするなどとは言うはずもない。子供の中絶を持ちかけて、別れようとしている……。あいにく、俺には金もない。万里は働いているのだから、自分で処理すればいい。俺みたいな運のない男から搾り取ろうなんてしないで……。そういえば、俺は万里と付き合ってから運が悪くなった。この女は疫病神かもしれない。俺の人生を悪い方向へといつも引っ張っていく。そうだ、何で気づかなかったのか。今まで成績も良く、何もかもが誰よりも勝っていた。俺の周りには、いつも男も女も取り巻きがいたのだ。だが、こいつと付き合ってから……友達さえ逃げていく。就職は何故か決まらない。それに、志保だって……。ああ、そうか、こいつが疫病神か。俺に取り憑きやがって。それなら全てに納得がいく……。

 スグルが独りでブツブツ聞き取れない声で言っているのを、万里は不気味に感じた。自分が悩み続けている妊娠のことを話したのに、スグルは独り殻の中に入ったままだ。隣に座っている万里は、一人でいるより惨めだった。

 万里は早く家に帰りたかった。明日の祭りのことが浮かんだ。みんなの楽しそうな笑い声。雨が降らなければいいのだが……。

「スグル、どうしたの。私の話、聞いてるの?」

 万里はスグルの眼を覗いた。スグルの目は焦点が合わず、どこを見ているかわからない。そのうちニヤッと笑い、顔が歪んだかと思うと、万里の首にスグルの両手がヌッと伸びた。力を入れ、被さるようにして首を絞めた。万里は抵抗したが、苦しくて息ができない。逃げようとして、ベンチからずり落ち、芝生の上に倒れた。万里の体の上にスグルが馬乗りになり、さらに首を絞める。万里は目の前がクルクル回り、目に映るものが理解できなくなっていく。もがいても、もがいても、圧し掛かる重力に抗う事ができない。スグルの力と体重と悪意が、地球の中に万里をめり込ませようとしている。遠のく意識のなかで犬の鳴き声が聞こえた。草と土の匂いに埋もれて、真っ暗な穴の中に意識が落ちていった。


 万里が気づいたのは、病院のベッドの中だった。目を開けると、白衣を着た看護士と女性刑事がいた。万里は状況が掴めず、立ち上がろうとした。

「あ、そのまま。まだ、寝ていてください。先生を呼びますから」

 看護士が出ていくと、刑事がこの病院に搬送された経緯を話してくれた。

 あの公園は夜になると犬の散歩をする人達が集う場所だった。通常、アベックには見て見ぬふりをするのだが、あの夜、放していた犬が走り寄って吠え始めたので、慌てて飼い主達が近寄ると、男が女の上に馬乗りになり首を締めているのを目撃した。そこで大声を出すと、その男は逃げ去り、ぐったりした女が地面に横に倒れていた。慌てて通報し、その後、万里は救急病院に搬送されたということであった。

 刑事は万里にいった。

「運が良かったですね。誰も通らなかったら、今、ここに生きていないですよ」

 万里には、まだ、事の次第が現実味を帯びていなかった。だが記憶のなかにスグルの顔が覗いて、今でも恐怖が蘇った。

 医師が万里を診察しに来た。外傷を調べ、問診をしながら、他に問題がないか検査した。首に痣が残ったものの、他には問題がなかった。その夜はそのまま病院に入院し、明日の朝退院することとなった。

 刑事は万里からこの事件の事情聴取をし始めた。

「名前は宮下万里さんですね。この書類に、氏名、住所、生年月日、年齢、電話番号、それに、学生だったら学校名、働いている場合には勤務先を書いてください。それと、ご両親、又は保護者の連絡先もお願いします」

 万里は用紙とペンを渡され、記入し始めた。二十歳を過ぎて自立していると主張したら、この刑事は認めてくれるだろうか、万里は両親の連絡先を書く事が悲しかった。

「昨夜の状況をお伺いしたいのですが、あの夜、あなたに暴行を加えた男をご存じですか。本件は目撃者もいますし、あなたが被害届を出さなくてもご両親が告訴できますよ。相手を殺人未遂で逮捕できます。正直にお話していただけないでしょうか」

 刑事の質問に万里はためらった。スグルの将来に傷をつけてしまう。

「私はもう大丈夫なので被害届は出さなくてもいいですか。彼を追い詰めたのは私だと思うんです……」

「でもね。宮下さん、彼はもっと重大事件を起こすかも知れませんよ。現に、彼はあなたを殺そうとした。これは、男女の遊びではないんですよ。本人に加害行為を自覚させて、彼の中の暴力を止めなければ……。身柄を拘束しないと、もっと不幸なことになる怖れもあります。被疑者の為でもあるんですよ」

 万里は自分が他人の人生を壊してしまうことを怖れた。そして、それをしたらスグルの報復も怖い――今度こそ殺されてしまうような気がした。

「宮下さん、彼は既にあなたに危害を加え、殺そうとしたんです。彼をそのまま野放しにしていいんですか。反省させなければ、エスカレートするかもしれませんよ。今まで恋人だったら、彼を思う気持ちもわかりますが。今回、幸運にも、あなたのご両親に悲しい知らせをしなくて済みました。――彼を知っているんですね。名前を教えてください」

 悲しむ家族の顔が浮かび、万里はスグルの名前と住所を刑事に告げ、被害届を記入した。

 刑事は最後に「お大事に」と言い残して帰って行った。

 自分の将来を潰そうとした彼。追い詰めたのは自分だろうか。沼の中に沈んでしまいそうな万里とスグル。もがけばもがくほど、身動きが取れずに沈んでいく。二人で死ぬか、それともスグルの体を踏み台にして浮上するか、二つに一つしか選択はない。

 ――スグルを愛していない。

 万里は迷うことなく、後の道を選んだ。自分の心の中を覗いて、そう確信した。

 病室は二人部屋だったが、もう一つのベッドは空いていた。三階の窓の外の暗闇に、夜空をサーチライトの一筋の光りが間隔を置いてよぎっていく。病室を巡回する看護士の足音が時折聞こえた。眠らなきゃ……。万里は益々冴えていく感覚を封じ込めようと、ぎゅっと目を閉じ布団を頭から被った。暗闇が広がり、またスグルの指が首に巻き付く感触が甦る。今は疲労だけを頼りに眠りに落ちるしかなかった。

 翌朝、万里は退院して、アパートに帰った。スグルからメールも着信も無かった。万里は、浴衣をバックに入れ、昼前に家を出た。途中で昼食を取ってから保育園に向かった。

 保育園では和子も含めて何人か早めに来ていた。

「和子さん、もう準備しているんですか」

「あ、万里ちゃん。金魚がね、五匹死んじゃったの。弱いよねぇ。これ、安物仕入れたのかな。あー、こんなの入ってる。誰かが悪戯したのね」

 そういいながら、簡易プールの中からオモチャの柄杓を取り出した。

 職員の集合時間は三時だったが、持ち場の準備のために次々と職員が出勤してきた。乾いた園庭に打ち水をしても、残暑は強情で、なかなか涼しさを演出してくれない。裏の小道の並木には、蝉時雨が暑苦しさに拍車を掛けていた。

「さあ、皆さん着替えてください。入園三十分前ですよ」

 和子の号令で、職員達は浴衣に着替えた。万里は首にできた痣を幅広のチョーカーで隠した。丁度、兵児帯と同じ色だったので、誰も不思議に思っていない。

園庭の入り口には、早くも列ができていた。保護者に連れられて、浴衣を着ている園児もいた。

「さあ、夕涼み会、開始です。皆さんいらっしゃい。楽しんでくださいね」

 万里は、園庭の門を開け、お祭りに来た人達を誘導した。あっという間に園庭は一杯になった。

 ホールで山本が子供達に紙飛行機を作らせ、飛ばして盛り上がっていた。楽しい声が響いた。金魚すくいの前では、和子だけがジャージの上に法被を着て、金魚すくいを仕切っている。紙が破れて泣きべそをかく子に、網で金魚を掬い、ビニール袋に入れて渡した。どこもかしこも笑顔が咲いていた。

 そろそろ、大方の賑わいも終わりに近づいた頃、沢山の子供達が色々な景品や金魚、お菓子を手にして帰ったのを見て、万里はテラスに上がった。金魚の所にずっといたユウタが万里のそばに来た。

「ユウタ君、ママと来たの? ママどこ?」

 そう聞くと、ユウタは「あっち」と言って母親のいる方を指差した。ユウタの母親は、マサトの母親と話し込んでいた。

「ミヤセンセー。僕、金魚さん、ずっと見てたの。おもしろいよー。お口、鯉のぼりと同じだね。水の中だと上手に泳げるの」

 ユウタの言葉に、万里はトモミを想った。どうしているのか知る由もなかったが、あの、『鯉のぼりのごはん』と呟く声を聞けないのは寂しかった。結局、自分はトモミ何もしてあげられなかった。何も変えられなかったのだ。自分の施した『鯉のぼりのごはん』は、ユウタ達の作った砂の物より偽善的で自己満足に思えた。

 脇で立っていたユウタが万里の手を引いた。

「ミヤせんせー」

「なあに」

「あのね。ミヤせんせ、ここ、チョウチョが怪我しているよ」

「え?」

 ユウタの人差し指が万里の尻に向く。万里は体を捻って、後ろの浴衣を引っ張ってみた。そこには、赤い血のシミが花にとまった蝶の上にできていた。

 ――妊娠じゃなかった。

 紛れもなく、遅れていた生理の血が万里の浴衣を汚していた。

 今までどれほど、この生理を待ち望んだことか。自分の過ちに打ち拉がれ――溢れる涙を止められず――万里はしゃがんで顔を覆った。

 ユウタは万里の頭をそっと撫で、小首を傾げて微笑んだ。

「泣くとね、ママがこうしてくれるの。イタイのとんでけぇ――って……」

 目の前にいるユウタが降臨した天使のように見えた。言葉では表せない神聖な一瞬が心に宿る。万里はカチャリと記憶のシャッターを押した。


 その夜、万里は幸せと怖れの混じりあった状態が続いた。妊娠の問題から解放はされたものの、再びスグルの影に悩まされた。また何時、アパートの前で待ち伏せをされるかと思うと、恐怖で心は疲れ果てていた。

 夕涼み会の翌週の月曜から、万里と和子は遅い夏期休暇を取ることになっていた。和子が帰省するので、一緒にどうかと誘われた。万里は渡りに船とばかりに和子の誘いに乗った。彼女の実家は長野の山間の方にあった。

 翌朝早く、和子に心配させないように、タートルネックの上着ばかりを旅行鞄に入れてアパートを出た。親には、警察からの連絡が行くかもしれないので、長野へ旅行する事だけを伝えておいた。誰にも知られたくない自分の過去の匂い、それを消すようにスマホを残したまま――全てを忘れる為に――扉を閉めて長野に向かった。


 それから数日が経って、首の痣が薄くなった頃、万里はアパートに戻って来た。両親に電話で旅行から戻った事を報告すると、母は電話口で怒りながら泣き出してしまった。警察からの連絡であの事件のことを知り、さらにスグルが自殺した事を知らされていた。

 父が珍しく電話口に出た。

「万里、スグル君に乱暴されて入院したと聞いたが、大丈夫だったのか? いや、万里が大丈夫ならいいんだ。それでいい。スグル君は残念だったが……」

 万里は父の声を聞いている間、スマホを持つ手が震えた。スグルの死が現実に思えない。彼の影に怯えて過ごしていたのに、その時には既に死んでいたという事なのか?

 ――私を殺せなかったから自分で死んだというの? 私と彼はどちらか死ななければならなかった? そんな理屈、ある訳がない。

「無理するんじゃないぞ。ゆっくりでいいんだ。前に進むのは、な。あんまり母さんを心配させるな」

「うん……」

 動転していた自分が、息を吐くように小さく頷くと、薄い皮が破れたように感情が爆発し、涙が溢れ出して、嗚咽にかわった。もう何も話せない……。万里は通話を切った。父の穏やかな声は、暖かく、そして辛かった。

 その後暫くしてから、ノブが万里に連絡してきた。

「姉貴、スグルのこと聞いたか? 先輩が言うには、数日前に警察が来て行方を聞き回っていたけど、家にも帰らなかったみたいだ。そのうち、南房総の断崖から……遺体が見つかって……。――俺さ、この前、万里のアパートに泊まった時、スグルと遭遇したんだ。姉貴の額の傷のことで俺、あいつを殴っちゃってさ。ちょっと今、後悔しているんだ――」

 万里はノブの話を聞いていながら、自分が生きていて良かったと痛感した。優しいノブや親を悲しませることはできない。スグルの親はどれほど今、辛い思いをしていることだろう。凄惨な自分の死体を家族に見せなかっただけでも幸運だった。

「しょうがないよ。彼がそこまで追い詰められていたの、私だって分からなかったもの。ノブは私を思ってした事だし。彼、就職活動、うまくいかなくて悩んでいたから……。私の方がもっと……」

 万里はそれ以上、ノブに言わなかった。

 スマホの着信履歴を見たが、親とノブからの着信、そして警察からの伝言が入っていた。メールアイコンの端に新しい着信を示す三の数字が出ている。万里は恐々とそのアイコンをクリックした。その中には、スグルからのメールが一つ、月曜の夜に届いていた。

 

  万里

  俺はもう後戻りできない所へ来てしまった。

  俺の人生は、どこかで狂った。頭も、心も。

  あれからずっと歩いて、今、海に来ている。

  あの日、万里をとっさに首を絞めてしまったことは、

  許してくれないだろうが、本当に後悔している。

  でも、もう、何もかも疲れてしまって、楽になりたい。

  俺の心にわずかな時間の静かさが戻ったが、俺の中の狂気は

  止められない。もうこれ以上生きていけない。

  今思うと、万里の言っていた幸せ……

  俺は何で、そこに入れなかったのだろう。

  もう、永遠に……会えないと思う。

  もし生まれ変わったら、万里のいる所にもう一度戻りたい。

  信じてくれ、おまえを愛していた。

                    卓


                    

 万里は力が抜けて座り込んだ。スグルを独りにして、自分だけ安全な所に逃げたことを後悔した。メールを見て、スグルに踏みとどまるように言っていたら、もしかしてスグルは生きていたかもしれない。だが、当人の死を知ってから見る遺書メールは、結末を知っていながら物語を読むように、色あせていた。

 このメールを見たとしても、彼に殺されそうになった自分に何が出来ようか。まして、彼が万里を心に留めたのは、この最後の瞬間だけではなかったか。これ以上、彼に振り回されたくない。自分が後悔をしても、自責の念を抱いても、もう彼は生き返らない……。やり直すこともできないのだから――万里はそう思った。

 自分が関わっているのに救えない命。自分が生きるために、生きている者の手を放してしまう残酷さ。万里は自分の中に住む心の鬼を突き止めてしまっていた。幸せの領分、そこには侵されないように垣根を見守る非情な鬼が住む。そのことを彼は知らなかったのか?万里はこれからの人生を守るために、自分しか知らないスグルの最後の言葉、彼からのメールを消した。


 仕事は自分を裏切らなかった。私生活が辛い時、仕事場に自分の居場所があるのは幸せである。保育園に来れば、子供達の声が、笑いが迎えてくれた。

 園庭の隣の公園から、金木犀の香りが風に運ばれて、庭は秋の始まりを告げる。

 同じ遅番の山本がテラスに顔を出していた。

「ミヤ先生、最近いい顔しているね。その短い髪型もなかなかいいよ」

 万里はあの事件のケジメとして、長い髪をバッサリ切って、ショートヘアにした。

「それって、何か魂胆がありますか? 恋もしてないですよ。もう、セーラームーンじゃないですからねぇ」

「はは、嫌だなあ。からかっているんじゃないよ。いや、そうじゃなくてね。何だか、母親みたいな、しっかりした感じ。保育士っていう顔かなぁ」

「じゃあ、今まで違ったんですか。ま、そう言われて、うれしいですけど」

 初めて山本の顔をまともに見た気がした。美男ではないが、日に焼けた顔に笑い皺がでると優しい感じになった。

 今日も無事、一日が終わろうとしている。保育延長の子供達が保護者に迎えられて、一人減り、二人減りしていく。万里は最後に残ったユウタの所へ行った。ユウタは何度もテラスに行っては、園庭から見える坂を駆けてくる母の姿を探した。

 ユウタを部屋に誘い入れ、オモチャで遊びながらふざけて聞いてみた。

「ねえ、ユウタ君。ユウタ君のお母さんとミヤ先生、どっちがかわいい?」

 ユウタは困ったように、少しモジモジしながら小さな声で答えた。

「……か・あ・た・ん……」

 そのうち、暗くなった庭からユウタを呼ぶ声がした。俯いていたユウタの顔に、ぱっと明かりが差して輝き、満面の笑顔を見せてテラスに走った。

「ユウタ、ごめんねー。ママ遅くなっちゃった。あー、最後だったの? ごめーん」

 ユウタの母親は坂を走って来て、息も荒く、髪の毛はフワフワと(ばら)けて、綿菓子のようになっている。

「お母さん、怪我したら大変だから、走ってこなくても大丈夫ですよ」

「ああ、先生、どうもお世話様でした。仕事でどうしても抜けられなくって。――さあ、ユウタ帰ろう」

 ユウタは嬉しそうに飛び跳ね、自分の汚れ物バックを取りに行き、また母親の処に戻った。二人が手を繋いで園庭を出ていく。ユウタは振り返らず、お喋りをしながら何度も母親の顔を見上げた。

 万里は裏門の鍵を閉める為に外に出て、二人を見送った。

 その一瞬、街灯の下で羽をバタつかせた天使の影を見た。

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