母さんの謎
先輩が奮闘してくれているおかげで、どうにか沈没は防げている。でも、段々とぬかるみにはまりつつある。先輩は歯を食いしばり、下半身をずっぽり水没させている。クロコダイルカルアと戦闘を繰り広げた直後だ。傷は癒されども、疲労感までは完全回復されない。そんな状態で人命救助なんて無謀の極みだった。
どうにか踏みとどまらないと共倒れだ。ボクの我がままで渚先輩まで犠牲になるなんて御免である。精一杯足を蹴り浮上を図る。渚先輩の力に同調することとなり、彼女の胸へ体当たりを喰らわしてしまった。
二人して川の中で転倒する。先輩を押し倒してしまったが、どうにか助かったのか。水面に顔を出すと、先輩に肩を掴まれた。
「大丈夫、サキちゃん。溺れたりしていない」
「どうにか無事です」
「そう、よかった」
全身ずぶ濡れになりながら、渚先輩は安堵のため息をつく。サイドポニーにしていた髪は乱れ、頬には泥がこびりついていた。
「先輩、どうしてここにいるんですか。会場にいたはずでは」
「それはこっちのセリフよ。後を追って来たらサキちゃんが入水自殺しようとしているんですもの。まったく、心臓が止まるかと思ったわ」
「自殺する気は全くなかったんですが。でも、迷惑かけてごめんなさい」
「今更謝られても遅いわよ。やっぱ、サキちゃんを気にかけて正解だったみたいね」
先輩はしたり顔で頷く。ボクが要領を得られず首をかしげていると、咳払いして続けた。
「レンちゃんがクロコダイルカルアを止めるって意地になっちゃってさ。私も加勢しようと思ったけど、あいつ相手だと多勢に無勢じゃん。ならば、サキちゃんにダイヤモンドになってもらった方がはるかに勝機はあるんじゃなかって考えたの。それで、こっそり追跡してきたら、まさかとんでもないことになっているなんてね。そもそも、どうして川になんか入っているのよ」
「それは、色々とあって」
ボクは渚先輩に昨日の出来事を話して聞かせた。さすがにダイヤモンドを川に投げ捨てたという下りでは、先輩も唖然としていた。
「あなた、正気の沙汰じゃないわよ。捨てるぐらいなら売ればいいのに。時価数億円はくだらないはず」
そうですよね。でも、あの時はとにかく責務から逃れたかったんだ。衝動というのはいかに恐ろしいものか。
「後悔したって仕方ないってのは分かっている。だからこそ、なんとしてもダイヤモンドを見つけなくちゃいけないんだ」
ボクは拳を握りしめる。渚先輩は腰に手を当ててため息をついた。
「どこにあるとも知れない宝石を探すなんて、正気の沙汰じゃないわ。でも、サキちゃんが珍しく熱くなってるんだもん。ならば、協力しないわけにはいかないじゃない」
腕まくりをし、細腕を見せつける。彼女としては力こぶをしているつもりらしい。本来なら心もとないけど、その時は百人力にも思えた。
渚先輩も加わって、再度川底を探る。中腹は危険なので除外するとしても、まだ探す余地はある。ただ、雲をつかむような所業をしていることには変わりなかった。それに、早く駆けつけないと華怜の身がもたない。
「ねえ、サキちゃん」
渚先輩が腰を屈めながら話しかけてきた。腑に落ちないといった呈で眉を潜めている。
「ずっと気になってたんだけどさ、レンちゃんってあなたが戦うことに随分否定的よね。なんかあったの」
「ボクもよく分からないんだ。でも、思い当たる節があるとすれば、あの時の事かな」
「あの時って」
「ボクが小学三年生の時のことなんだ。母さんが事故で死んじゃったのは」
つい、捜索の手を止めてしまう。渚先輩もその場から動けずにいた。
「母さんはとても優しくて、ボクが苛められて泣いて帰って来た日はいつも慰めてくれた。おまけに、料理がうまくて、夕飯は毎日楽しみだったな。
でも、ある時、学校に連絡があって父さんが迎えに来たんだ。母さんが大変なことになったって。すぐに穂波と病院に向かったんだけど、到着した時にはもう母さんは冷たくなっていた。
死因は聞かされなかったけど、ボクの耳には何も入ってこなかった。ただ、動かないでいる母さんに寄り添うしかできなかったんだ」
「そんな過去があったんだ」
華怜は既に知っていることだけど、渚先輩にとっては衝撃的だっただろう。でも、ボクが受けた衝撃はそんなもんじゃない。もっと恐ろしいことをこの後知ることになるんだから。
「母さんがどうして死んじゃったのか、ずっと分からず終いだった。でも、ある時偶然に聞いちゃったんだ。母さんは何者かに殺されたって」
「殺人事件って。そんなの聞いたことないわよ」
辺境の町とはいえ、殺人事件なんて発生したらニュースにあがるはずである。でも、母さんについては一切報道されなかった。どうやって殺されたかは定かではないし、そもそも本当に他殺なのかもあやふやだったのかもしれない。
でも、なぜだかボクは母さんが誰かと争った末に殺されたと確信していた。それも、かなり凄惨な殺され方だったと思う。ニュースになっていてもおかしくないというか、報じられて然るべきような。
なのに、全然記憶がないんだ。どうして母さんが死ななくてはならなかったのか。思い出そうとしても思い出せない。
「ひとつはっきりしているのは、母さんが苦しみながらも争っていたということだけ。それ以上の記憶がないんだ。今でも唐突にその時のことがフラッシュバックするけど、断片的にしか分からない。そして、ひどく恐ろしくなるんだ」
「もしかして、サキちゃんが戦いに否定的なのって……」
先輩は顎に手を添える。ボクの話に感じ入ることがあったのだろうか。
感傷的になったけど、とにかく今はダイヤモンドを探すのが先決だ。つい身震いしそうになるけど、ボクは大きく首を振る。思い出話をしている暇はない。一刻も早くダイヤモンドを見つけ出すんだ。どこだ、いったいどこにある。
寒さで指がかじかんで、そろそろ感覚が怪しくなってくる。でも、ボクの指先に確かな感触があった。石ころとも泥とも異なる。一筋の希望を見出し、ボクは必至に周辺の泥をかきわける。
そして、ついに掴んだ。水面上に顕現すると、陽光を浴びて一段と輝きを増している。憎悪の対象でしかなかったそれが、今や希望の象徴と化していた。
「やった。見つけたぞ」
まさに奇跡と言う他ないだろう。昨日投げ捨てたはずのダイヤモンド。それがしっかりとボクの手の中に握られていたのだから。
感慨深くダイヤモンドを眺めていたけれども、ゆっくりしている暇はない。渚先輩とハイタッチを交わすと、ボクはすぐさま会場へととんぼ返りしていく。待ってて、華怜。君までも失うなんてことは絶対にさせない。ボクの力であいつを倒してみせる。