スパイダーカルアが現れた
平穏なショッピングモールに現れたダイカルアの怪物スパイダーカルア。騒動に巻き込まれた優輝はひょんなことから変身能力を得る。
第一話「誕生! 最強の魔法少女ヴァルダイヤモンド」
ってことで、新連載「TS魔法少女は戦いたくない」開幕です。
その日のボクは相当ついていなかった。夕食の買い出しに行かされた時点で運がいいとはいえない。ひとえにじゃんけんに負けただけだけど。でも、買い物に行くだけだったらまだマシだった。
サラダに使うレタスを吟味していたところ、爆砕音とともに天井が崩れ落ちた。慌てふためく買い物客たち。天井崩落だけでもお腹いっぱいなのに、続いて落ちて来たのは異形の化け物であったのだ。
親方、空から化け物が。うん、全然胸躍らない。だって、化け物って形容せざるを得ないほど醜悪なんだもん。昆虫特有の複眼というのだろうか。そいつでぐるりと周囲を見渡し、鋭利な牙をギチギチとならしている。太い二本足で直立しているものの、腕の代わりに六つの細長い足を気持ち悪く動かす。臀部は蜂のそれのように醜く膨張していた。
全身茶褐色のそいつは既存生物の特徴からしてこう称するしかない。
「クモの化け物」
ほかの人たちも口々に同じような事を言っていた。
「恐れ慄け、人間共! 我が名はスパイダーカルア。我らが偉大なる邪教、ダイカルアのために恐怖を捧げよ」
最悪だった。無差別破壊を繰り返し、人間たちの恐怖を煽る謎の新興宗教集団ダイカルア。異形の化け物たちが町を襲っているって今朝もニュースでやっていた。けれども、どうせ隣町の出来事だって軽く考えていたんだ。
でも、まさかボクの町に現れるなんて。突然の来訪者に思考停止してしまったのか、一様に呆然と立ち尽くしてしまっている。もちろん、ボクもまた有象無象と同様に抜け殻状態になっている。
そして、スパイダーカルアは獲物を吟味しているのか、ゆっくりとこちらに接近してくる。まずい、まずいぞ。来るんじゃない、あっちいけ。
「こ、この化け物が」
勇気ある青年が果物ナイフを両手で握り、スパイダーカルアを威嚇している。怪物は胡乱げにそちらへ視線を移した。
「我をナイフ如きで倒せると思っているのか。無駄なあがきはよしたほうがいい」
「う、うるせえ。くらいやがれ」
腕を振るわせつつも、青年は果物ナイフを投擲した。よいこは真似しちゃいけません。命中したらざっくりと体を抉られる。やだやだ、想像するだけでも痛そう。
けれども、スパイダーカルアはハエでも払うかのように前脚を振るった。ちょっとした気なしの一挙動だったけど、細い前足で飛来してきたナイフを見事にキャッチしていたのだ。あいつ、どんだけ動体視力良いんだよ。
「我に逆らったのだから、お仕置きしないとな。紡がれし糸よ、彼の者を捕縛せよ! 繊糸粘縛」
口元が発光したかと思うと、目にも止まらぬ勢いで細長い糸が放出される。そいつは青年の足に纏わりつくや、あっという間に全身をぐるぐる巻きにしていった。
噂には聞いていたけど、生で目撃したのは初めてだった。ダイカルアの怪物はいっぱしの戦闘部隊では歯が立たない。なぜなら、人間世界の法則を超越した反則技「魔法」を使えるからだ。
魔法なんて、アニメや漫画の中だけの話だと思っていた。でも、ダイカルアが初めて襲撃してきた際、魔法でビルを半壊させたのだから存在を信じるしかないだろう。いや、本当は信じたくないよ。けれども、ボクもまた魔法の発動に直面しているんだもの。これで魔法なんかないって否定する方が野暮だ。
そうこうしている間に青年は糸で全身を拘束され、エジプトの昔話に出てくる包帯男みたいになってしまった。純白に染まった人間像をスパイダーカルアはしげしげと観察する。
「ふむ、今日もいい出来だ。この男、なかなかの肉体美をしている。ただ、もう少し胸板を強調してもよいな。普段から鍛えていれば完璧な肉体像になっていたというのに」
なんか品評してるんですけど。やだ、怖い、なにこの変態。率直に破壊活動をするならまだしも、ダイカルアの怪人って変態っぽいのがいるって2ち〇んねるに書かれてたし。
「さて、我が好みの肉体美をしている輩を探すとするか。繊糸粘縛」
腰が引けていたうら若い女性が毒牙にかかる。全身ぐるぐる巻きにされ、舐めるような目つきで観察される。やばい、やばすぎる。あいつに狙われると視姦される。
火がついたように人々は逃げ惑う。その際、一斉に出口へ殺到するもんだから、寿司詰めになってしまっていた。
「落ち着いて係員の指示に従ってください」
店内アナウンスで呼びかけるけど無駄だった。むしろ、混乱に拍車をかけるばかりだ。
ボクもまた出口へと向かおうとする。しかし、あろうことかスパイダーカルアとバッチリ目線を合わせてしまった。
「こ、これは。成熟しきっていない肢体。我が糸と同じく色白な素肌。男とも女ともつかぬ絶妙な顔つき。未完成でありながら完成されているという圧倒的矛盾。よもや、我が最高の素材が見つかるとは」
滅茶苦茶賛美されてますけど、要約するとボクが標的になってるってことですよね。そう悟った時、ボクが取るべき行動は一つ。三十六計逃げるに如かず。
偶然にも一階で待機しているエレベーターがあった。こんな非常時に上の階に避難しようという数奇者はいないから使いたい放題だ。ボクはさっそく乗り込むと三階のボタンを押す。スパイダーカルアが前脚を挿入しようと迫ってきたが、間一髪のところで上昇を開始した。
相手が化け物だからエレベーターの存在を知らないという賭けだった。もし、扉を開けたらこんにちはだったらどうしよう。到着するまで一分足らずだったけど、始終心臓は高鳴りっぱなしであった。
そして、「三階です」というアナウンスとともに扉が開かれる。お願いだ、鉢合わせは避けてくれよ。来るな、絶対に来るな。
ほとんどの人が一階へと殺到しているのか、フロア全体が閑散としていた。よかった、まだ化け物は追いついていないみたいだ。それにしてもひどいことをする。天井をぶち破って登場してきたものだから、フロアの中心に大きな風穴が穿かれていたのだ。人間一人がすっぽり入りそうな落とし穴。興味本位からふらふらと近寄って行ってしまう。
すると、いきなり糸が伸びあがってきた。公園の噴水が突如吹きあがってきたと言った方が例えとして分かりやすいだろうか。そして、その糸はボクの足もとに貼りついたのだ。
ちょっと待ってよ。妙ちくりんな糸が出て来たってことは、次に出てくるのはあいつしかいないじゃん。
「どこだ、あの野郎」
風穴を更に広げ、スパイダーカルアが跳び上がってきた。糸を利用したとはいえ、高層建築物の三階まで一気に移動してくるなんて反則だから。
嘆いたところで、苦るしか手立てはない。不幸の後には幸福があるって水戸の黄門様も歌っていた。って、違うか。ともかく、神様はボクを見放してはいなかったのだ。走っていく先にあったのはトイレ。しめた、ここなら時間稼ぎができる。
脇目も振らず個室へと駆け込み鍵をかける。どうにか一息つけそうだ。しかし、これからどうしよう。スパイダーカルアが諦めるのを待つか。相当な根競べになりそうだな。おまけに、仮にここが見つかったら今度こそ万事休すだぞ。密室だから逃げ場はない。まさに袋小路ってわけだ。
どっと疲れが出て便座に腰を下ろす。為すべきことが思い浮かばず、じっと顎を両手で支える。どうせ追いつめられるのなら、逃げ回る必要はなかったかもな。いっそ、一思いにぐるぐる巻きにされた方が楽だったかもしれない。なんて、不埒なことを考えてしまう。だって、しょうがないじゃないか。あんなのを倒せるやつがいるわけが……。
いや、いる。ダイカルアの怪物が暴れ出したのと同時期に、そいつらを討伐する可憐な少女たちの存在も報じられたのだ。人知を超えた技を使うことから、彼女らの事をこう呼ぶ。
「魔法少女」
そうだよ、魔法少女だ。ダイカルアの怪物が暴れ出しているって聞きつければ、そのうち魔法少女が助けに来てくれる。それまで耐え凌げばいいんだ。
ようやく希望的観測が開けたことで、僕は幾分表情を綻ばせる。けれども、長くは続かなかった。
「やっと見つけたバ」
どこからともなく声がする。四方八方を確認するけど、不審な存在は発見できない。空耳かな。
「どこに目をつけているバ。上だ、上」
上? ボクは訝しみながらも天を仰ぐ。
すると、トイレの天井にコウモリがぶら下がっていた。顔は子供向けアニメっぽくデフォルメされているけれども、漆黒の比翼といい紛れもなくコウモリであった。
いや、待てよ。ショッピングモールのトイレにコウモリがいるってだけでもおかしい。でも、それ以上に不可解な点がある。
「コ……」
「ん? どうしたんだバ」
「コウモリがしゃべったぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」