小学生を積極的に誘惑していく葉山冬火。
子どもの頃はなんだってできた。
言葉のとおり、なんでもできたんだ。空だって飛べた。深夜、誰も見てないのを見計らって、窓からひゅーんと飛び立ち、この小さな街を一周するのが僕の日課だった。
だから、スプーンを曲げる程度のことなんてお茶の子さいさいだった。種も仕掛けもありません。テレビカメラを前にして、握った手の中に指輪を転送するのもちょちょいのちょい。指を鳴らせば薔薇が生まれ、帽子からは鳩がでた。あの懐かしき二十世紀の終わりの超能力ブームで、連日のようにお茶の間を沸かせていた少年を覚えているだろうか。生意気な顔で大人たちのインタビューを受け、得意げに画面のむこうへ手を振ってみせた彼。そう、あれは僕だった。
今でも覚えている。はじめて己の力を自覚したのは、一九九九年のある初夏の夜であった。
まだ十歳だった。流行りの漫画の真似をして、両の手のひらを腰に溜めて撃ちだしたところ、テーブルの食器がものの見事にぶっとんで、ぜんぶ割れた。当時から親父には放蕩癖があり、母だった人はすでに別の相手がいたのだろう、家には他に誰もいなく、騒ぎにならなかったのは幸いだった。ひとり泣きながら後片づけをしながらも、胸の奥から湧きでる抑えがたいなにかを感じていた並木少年。彼は年相応に無邪気だった。そして恐れを知らず、その月のうちにテレビ局に売りこんだ。とんとん拍子にことは進み、翌月には全国放映と大人たちの喝采が待っていた。
ところが、その後一年もしないうちに急激に力が衰えてきた。
空も飛べなくなったし――たとえば、当時の並木少年が一番の持ちネタとしていたのは「手に持ったマッチをこすらずに燃やす」というものだった。眉間の前の空間を意識してじぃっと見つめれば、マッチにぽっと火がともる。それがいつしか、どれだけうんうん唸っても微動だにしなくなってしまった。
すると困るのがテレビの撮影だった。当時はそりゃあもう超能力少年として各局にでずっぱりで、すでに半年先までオファーが決まっていたものだから、文字どおりの死活問題となった。
超能力とは常に疑われるもの。超能力者なんてものがいたら、必ずその嘘を暴くための番組が組まれる。一芸を見せるたびに拍手喝采の観客たちも、心の中ではトリックの存在を意識していたはずで、にもかかわらず騙されたふりをして踊るのは、調子に乗った少年の末路に期待していたからだ。それでもし撮影中にマッチが燃えないなんてことになれば……ああ、想像に難くない。超能力少年が狼少年となるのは一瞬だ。それまでも、僕は消えゆく仲間たちの断末魔を何度となく聞いてきた。
けれど、降りるなんて選択肢はなかった。
ここにきて怖さを知ったのだ。力を失った瞬間、唐突に大人たちの目が怖くなった。彼らは僕に少なくない金を渡し、僕を中心に番組をつくりあげてきた。視聴率の戦争を勝ち抜くために、他の少年たちを生贄にして、僕だけを本物として持ち上げてきた。それが「もう今日で最後にします」なんて言ったらどうなる? 家の中にも自分を守ってくれる大人はもういなかった。たった一人で戦いつづけなければならなかった。
あるいは、それは分をわきまえずステージにあがった子どもへの罰だったのかもしれないが。
僕はあがいた。種や仕掛けに手をだしたのだ。考えに考えた末の、悪あがきだった。
超能力のほとんどは手品で再現できるものばかりだ。手を触れず紙を浮かせるには、鼻息を吹けばいい。新聞紙をひとりでに動かすには、裏にゴキブリでもはりつけておけばいい。
テレビにでていた他の超能力少年たちは、そういったトリックを使っているようだった。実際に共演した一人に見せてもらったこともあった。
「これ、〝ハヤマ〟の店で買ったんだ。おまえだってそうだろ?」
そのやりとりを思いだし、僕は人目を盗んで向かったのだ。
暗い商店街だった。札幌のベッドタウンとして無茶な開発が行われたこの小さな街には、華やかな風景が広がる一方で、人の行き交いを失い、死んだ通りがいくつも点在している。そんな一つのアーケードの隅に、〝ハヤマ〟と呼ばれる店があった。
物陰にぽっかりとあいた穴のような細い階段をのぼり、分厚い木製の扉を開くと、不思議な香りがつんと鼻をついた。古い本を開いた時に感じるものに近い。おそるおそる中へ足を踏み入れる。そこでまず目を引いたのは、トリックコインだった。煙草を貫通させたりするあの五百円玉がずらりとショーウィンドウに飾られて、それが五千円だとか八千円だとか値札をぶらさげていた。他の品物はどれも万単位で、テレビに出ているとはいえ、まだ金を使うのに慣れていない小学生にはそのくらいしか買えるものはなかった。
これまで派手に大人たちをたぶらかしてきた自分が、コイン一つで立ちまわれるかどうかは怪しかったけれども、あの戦場に手ぶらで降り立つよりははるかにマシだった。決死の思いでケースを掴み、店員に向かって震える声で「これください」と告げた。
カウンターに座る少女は、当時の自分からすれば、ずいぶんと年上に見えた
眠たそうな目で肩肘をついて店番していた彼女は、なにを思ったかカウンターをくぐり、僕の傍まで歩いてきて、トリックコインをケースごととりあげた。
「これなら確かに煙草で穴をあけられるかもしれない。――でも」
耳元に唇を寄せられ、ぼそりと呟かれた。
「キミの心にも穴があいてしまうんじゃないかな」
今からすれば、それはともすれば笑ってしまうくらいに浮いた台詞であったが。
大人の世界に立ったつもりでいて、拠りどころを奪われたばかりの小学生には、がつんと頭を殴られたくらいの衝撃があった。
しどろもどろに僕は言う。
「嘘でも、いいんです。偽物でも、超能力を使わないといけないんです。こんなコインでも、どうしても必要で」
「……あは。〝こんなコインでも〟ときたか、そんな風にかえす子ははじめて見たよ」
そう呟いた彼女は陳列棚からいくつか商品を見つくろい、「なら、こっちの方がいいな」と僕に手渡した。お金がない旨を述べると笑って手を振られた。遠慮がちにコインとなにがちがうのかを尋ねると「まだネタがバレてないんだよ」とかえされた。
明らかに僕がテレビで使うのをわかっている風だった。
最後に、どうしてこんなによくしてくれるのかと問いかけた。
彼女は真っ赤な唇をにやりと緩め、いたずらな猫のように笑った。
「私も昔は、飛べたクチでね」