現在(3)伊達
現在。ラーメン屋テンカにて、伊達とおじさんのやりとり。
暖簾を潜った瞬間、もわっとした湯気が伊達を包んだ。スーツの赤いネクタイを緩めた。伊達は、学生時代からこのラーメン屋に入った時のこの空気が嫌いだが、その奥で迎えてくれる店主のラーメンには目がなかった。
「いらっしゃい~おお久しぶりだなあ~ダンテ~」
この店『テンカ』 の店主、通称おじさんが伊達を迎えた。おじさんは伊達を大学時代から知っており、あだ名で彼の名を呼ぶ。ちなみに今、伊達は卒業した大学で講師をしている。
「どうも、おじさん元気?」
カウンター越しにおじさんに言った。
「ああ、おかげさんでな、いつものかい?」
「うん、麺普通で」
伊達は普通を好む。何事も普通が一番だ。
「はいよ」
おじさんは、麺を茹で始めた。大きな鍋から上がる湯気に麺が吸い込まれていく。
「…よろしく~」
ラーメンの出てくるまでの沈黙、伊達は嫌いではない。お腹が減る。
「……そういえば奥さんは?」
奥さんはおじさんにはもったいないぐらい綺麗な女性だ。確か学生のジローが有名な女優さんに似ていると絶賛していた。
ああああああああ~
奥から奇声とも思える鳴き声が聞こえた。伊達は思わず肩に力が入る。
「よしよし」
厨房の奥から生まれてまだ数ヶ月の赤ん坊を抱いて奥さんが現れた。伊達は奥さんに出産後初めて会うが、その変わらなさに驚いた。相変わらずの綺麗さだ。むしろ母になり磨きがかかったような気もするが…
「あら~伊達くんじゃない?元気してた?」
奥さんはいつも愛想がいい。ガラの悪いおじさんと並ぶと、バランスが取れている。
「ええどうも~久しぶりです。いつのまにお母さんになってたんですね」
伊達は言った。
「そうね~時間が経つのは早いわね」
赤ちゃんがおとなしくなったのに伊達は気づいた。
「話には聞いてましたけど…
おめでとうございます」
伊達は頭を下げた。
「ふふありがとう。子供が増えて困ったわ」
奥さんはラーメンの盛りつけをするおじさんをチラリと見た。
「な、なんだよ!俺がガキだってのか!」
おじさんは動揺する。
「だれもそうは言ってないでしょ?」
奥さんは笑った。
「そうっすよ~」
伊達も楽しそうに言った。
「ふ、ふん!俺は子供だよ!」
おじさんは出来上がったラーメンを伊達の前に置きながら言った。
「あら~かわいい」
奥さんはニヤニヤしながら言った。
「か、か、かわいくなんかない…」
おじさんは動揺し、顔が赤い。
「なに言ってんの?この子よ」
「な、な、う、うるさい~チキショウめ」
おじさんは力なく言った。
「でも同じぐらいアナタもかわいいわよ」
奥さんはさらりと言った。
「うう…ぅるさぃ…
」
おじさんはタジタジだ。
「まあまあ、そんなにいったらおじさんおかしくなりますよ」
伊達は2人の光景を見て微笑ましかった。
「フン~」
おじさんはソッポを向いてしまった。耳が赤いのが伊達にもわかった。
「この子寝たみたいだからまたね!伊達くん」
奥さんに抱かれて赤ちゃんは眠っている。2人とも厨房の奥へ去っていった。
「…まあ子供ができてもあんな感じだようちは~」
おじさんは言った。
「ふふそうっすね…あ、テレビ付けてもいいですか?」
伊達は上着を脱ぐとカウンターに置いてあるリモコンに手を掛けて伊達は言った。ラーメン食べながらテレビ、これ最高だね、伊達の持論だ。
「…いいぞ」
おじさん
伊達はリモコンをカウンター脇にあるテレビに向け、赤いボタンを押してみた。画面左下に光る赤いライトが緑に変わり、うっすらと画面が浮かび上がる。
『3月11日の…』
音声が聞こえてきた。3月11日……
テレビから聞こえてくるこの重い日付に伊達とおじさんは顔を上げてしまう。
どこかで室内が激しく揺れ棚などが倒れ、机の下に人が避難する映像、激しい津波が街を浚っていく映像、誰の責任でもない自然のチカラ、大地のチカラ。
東関東大震災…
テロップが流れ、映像が順番に映る。
「……だいぶたったな」
画面を見ながらおじさんが言った。
「ええ、でもまだまだ記憶は鮮明ですよ」
伊達は呟くように言った。人間には幸い忘れる力がある。
しかし、忘れてはならない、むしろ心のどこかに止めておかなくてはならないこともあるのではないか?これは教訓というのだろうか?伊達は思った。
「なあ~ダンテ!」
おじさんが呆然とする伊達に話しかけた。
「…はい?」
「…ラーメンが伸びるぞ」
おじさんは言った。
「…あ、ああ…いただきます」
伊達はワイシャツにスープが飛ばぬよう腕まくりをするとラーメンを啜り始めた。ラーメンを啜る音が店内に響いた。
………
ガタガタと店の扉が開いた。
「グハハハハハ~
おじさんラーメン2つね~あっ!待って麺の堅さは…」
伊達とおじさんは現実世界に呼び戻された気がした。髪にメッシュのかかった男が、女性を連れて来店してきた。ジャラジャラとチェーンが騒々しい。
伊達はちらりとその方向を見ると、職場の教え子の学生であることに気づく。どうやらデートのようだ。確か彼は根岸?半信半疑だが、名前を思い出した。成績のよい生徒だ。カノジョと麺の堅さをどうするかを真剣に考えているようだ。
楽しそうだ。
「うははは~麺柔らかめで~ミホちゃんもそれで」
「うん、冒険してみよう」
伊達の耳に、ミホちゃんの可愛いらしい返事が聞こえた。
それを聞くとおじさんは麺を茹で始めた。何が冒険なのかは、伊達にはわからない。
伊達は再び麺を啜り始めた。麺を咀嚼しながら、伊達は替え玉を注文するタイミングを考える。
真剣に考えている自分がなんだかおかしかった。
「おじさん!何事も普通が一番!だけど……
今日は替え玉麺堅めで」
「…あいよ」
おじさんは伊達の注文に珍しさを覚えたようだった。
伊達はジブンのルールを破ってみることにした。
「『だけど』の後が肝心だよな?」
おじさんは笑った。




