現在(1)
映画を観た後、街中を歩くジローとユウコ。
『ウハハハハハ~』
そのメールの書き出しはそう始まっていた。丁寧に横文字も入っている。
『ウハハハハハハ~
今日は休みだな~ジロー?
今、暇?オレ様はこれから、カノジョとデートだ。ねえ~うらやましい?うらやましい?
ウハハハハハハハ』
そして、送信者のカノジョとツーショット写真が添付されている。ご丁寧に撮影されたのは今朝のようだ。
ジローは映画を観た後の携帯のメールチェックで、同学年の根岸からの写真付きメールを見てため息をついた。足取りが重くなる。
「どうしたの?ジロー君?」
映画館の劇場から出ると自分の観た映画のパンフレットを持って、ジローのカノジョのユウコが待っていた。ポニーテールでカノジョの存在がすぐにジローにはわかった。
「いや…別になんでもない。どこかでご飯食べようか?」
表情に自分の憂鬱が出てしまったことを後悔すると、ジローはユウコと映画館を後にした。
根岸はジローと同じ大学4年で、学年1位の成績を持つ男だ。なぜかジローを気に入っているのか、ただ面白がっているのか、大学で顔を合わせる度に妙な笑い声をしながら絡んでくるめんどくさい男だ。長い髪にメッシュがかかっており、ジャラジャラとチェーンをならしながら歩く、そしてその笑い方がジローに取って不快でしょうがない。今回は独特の笑い方がメールにまで反映されている。ジローは呆れた。
そしてなぜ、根岸自身のデートを送ってくるのか理解できない。ユウコが楽しそうに自分の映画の感想を述べたりしてるのを聞きながら、ジローは思った。
「そういえばジローくん髪の毛伸びたね~」
ユウコが唐突に言った。街中を歩きながらジローのセットされた髪を触る。女の人のボディタッチには中々慣れないジローは少し肩に力が入る。ジローの身長はユウコの頭一つ分高い。彼女はジローの事を見上げる形で、髪を触るようになる。
「そうかな~」ジロー。
「うん、切った方がいい。長すぎって似合わないよ」
ユウコ。なんだかジローは母親に言われているようだった。
「そうだね。でも一時期坊主にしてた時もあったんだよ。ホラ1年生のとき」
「そうなの?逆に似合わなそうね」
間って難しい、ジローは思った。
「…一年生の時か~松岡さんとか元気してるかなあ?」
想像力だよ!
ジローは呟くと、不意に先輩、松岡の言葉が浮かんだ。
「想像力…」
「どうしたの?」
「いやなんでもないそう言えば、ユウコ、松岡さんって今、なにやってるか知ってる?」
ジローは言った。
「松岡?」
「ほら~3つ上の先輩」
「う~んしらない。と言うかワタシまだ大学にいなかったと思うけど…」
ユウコは困った顔をする。
「…そうだった。卒業したあとだ、どうしてるかな~松岡さん~まあいいや、なにか行きたいとこある?『テンカ』にする?」
『テンカ』はラーメン屋でジロー達が行きつけのラーメン屋だ。お酒を飲んだ後は必ずと言っていいほど利用する。マジメな店長のおじさんに、ジロー達から見たらおねーさん的な存在にあたる奥さんで切り盛りしてる。締めのラーメンに相応しい味だ。
最近、2人の間に子供ができ、お店は別の意味でぎやかだ。
「う~ん、今日はさっぱりしたもの食べましょうよ」
悩む仕草をすると、ユウコは言った。
「そうか~じゃあ…」
ジローは考えた。歩きながらユウコと同じ姿勢になっているのに気づかない。
「…ジローくん…かしら?」
不意に2人は女性に話しかけられた。街の風景だったはずの人混みが、自分たちに話しかけてきたので、2人は驚いた。
「ジロー君よね?ホラ私よ」
優しそうな笑顔。昔、見た時より髪の毛が長い。
「…静香先輩?」
ジローは驚く。
「元気そうね?」
「ええまあ…静香先輩は?」
「元気にやってるわ」
笑った顔は相変わらずだ。
「今は確か…就職?」
「ええ…」
彼女は頷くと、少し有名な企業の名刺を財布から取り出し、ジローに渡した。
「あ、どうも!」
『久保静香』
名刺には名前と肩書き住所などが書かれていた。たった一枚の名刺でその人の社会での立場や位置付けがわかってしまう。
『想像力だ』
ふいにだれかに言われた言葉がジローは頭に浮かんだ。松岡さん?
「そちらは?」
名刺を覗きこみ考え込むジローに静香がユウコの方を向いて訪ねた。
「あ!えっと…」
ジローは、急に訪ねられ、ユウコが戸惑っているのがよくわかった。
「ぼ、僕の彼女です」
ジローは言った。
「どうぞよろしくです」
なぜかユウコは恐縮してしまう。
「よろしく……ふ~んあのジローくんに彼女かあ~、へぇ~」
静香は少し意地悪い眼差しをジローに向けた。
しかし、昔と変わらない優しさも混ざっている気がジローにはした。
「ま、まあ~いろんな事がありましたからね」
ジローは頭を掻きながら答えた。自分でも心当たりがある。
「いろんな事?」
ユウコがジローの顔を見る。
「ははは、静香先輩、そ、そりゃねありますよね。そういえば、卒業したあと、松岡さんとか今どうしているんですか?」
ジローはさっき頭に浮かんだ先輩、松岡の名前を出してみる。
「…ま、松岡くん?……だって彼は…」
静香の答えは、さっき見た映画を越えるものだった。
「亡くなったらしいわよ…」
ジローはなんだか街中が静かになった気がした。