第8話:最悪の日曜日
午後からのメニューは、場所を俺の家に移してのイメージトレーニングだった。
リビングのカーペットの上で、正座して榊と向かい合う。
「昨日も軽く説明しましたが、術や武器を扱うには強い意志の力が必要です」
「何のために力を使うのかっていうのが大事なんだよな?」
俺がそう尋ねると彼女はこくりと頷いた。
「私の場合、能力の鍵となっているのは『忠誠心』です。それが私の鎌の性質でもありますから当然といえば当然なのですが」
そういえば昨日そんなこと言ってたな。
「忠誠を誓うただ1人のために流す血を糧とする、だっけ?」
「はい。私の鎌は少し特殊で、意志だけでなく血の契約でその1人を固定しますから、その制約と効果は絶対的なものになります」
「へえ……」
「ですがこういった制約があることは稀です。冬馬様の場合、特にオリジナルの武器ですからそこまでの制約はないと思いますが、貴方があの時思ったことが恐らく鍵となっているはずです」
あの時って……あの鎖が飛び出した時のことだよな?
「貴方はあの時何を思っていましたか?」
「え、えーと……」
あの時は必死だったからあんまり記憶がはっきりしないけど、確か……
思い出そうと視線を泳がせていると。
「っ」
突然、榊の身体が揺れた。右腕で身体を支え、もう片方の手は腹部を押さえている。
「さ、榊?」
突然のことに慌てて彼女の顔を覗き込むと、彼女の顔は蒼白な上に非常に苦しそうだった。
「やっぱり怪我治ってなかったんじゃ……!」
「いえ、傷は、治っているのですが」
俺の言葉を遮るように、彼女は声を絞り出す。
「少し痛みが残っているだけなので、心配は不要です」
――そんな顔でよく言う。『少しの痛み』で彼女がここまで苦しそうな顔、するわけがない。
「病院! 病院行こう、な?」
俺の言葉に彼女はかたくなに首を振った。
「行っても恐らく無駄です、から……」
言葉の端がしぼんだかと思うと、彼女の身体は完全に崩れようとしていた。それを慌てて抱きとめる。
「榊!? おい、ちょ……」
声をかけても彼女はぴくりとも動かない。
気を失ってしまったらしい。
「……!!」
こんな状態になるまで黙っていた彼女にも憤りを感じるが、それ以上に気付けなかった自分に憤慨する。
昨日からどこか様子がおかしかったのは分かってたのに……!
――後悔は後だ。とにかく彼女を横にしよう。
思い切って彼女を抱えて立ち上がると、その軽さに少し驚いた。いつも背筋を伸ばして堂々としてるから気付かなかったけど、彼女の身体はかなり華奢なのだ。
「……なんで」
なんでこんな女の子に、魔王は俺の護衛なんか任せたんだ。
とりあえず両親の寝室のベッドに榊を寝かせた。寝かせたはいいがそれだけじゃ根本的な問題の解決になっていない。
「痛み止め……あったかな」
半ば混乱したままの頭で居間にあった救急箱をあさる。
母さんが頭痛持ちだから鎮痛剤は常に置いてあったはずなのだが……。
しかし鎮痛剤の類は全く残っていなかった。
「あ……」
母さんが海外に行くとき恐らく全部持っていってしまったのだろう。
「…………」
大体市販の薬が効くのかどうかも怪しいところだが、このまま手をこまねいていても仕方がない。
俺は手近にあった紙切れに伝言を残して、財布片手に外へ出た。
外に出ると、辺りに霧がかかっていることに気がついた。早朝ならともかく、もう昼間だというのに珍しい。
そんな湿気た空気の中を、ドラッグストア目指して走り出す。
それにしても。
「……?」
日曜だというのにさっきから誰ともすれ違わない。
霧のせいもあるだろうが、空気が妙に静かなのだ。
どちらかというと、清々しいというよりも不気味な空気。霧は濃くなる一方で、まるで山の中に迷い込んでしまったかのような錯覚すら感じる。
――何か、おかしい。
直感的にそう思って踵を返そうとすると。
「!!」
前方に、黒い人影がずらりと並んでいた。
そのあまりの多さに思わず足がすくむ。反射的に逆の方向へ身体を向けると
「な」
後方にも、同じような影が並んでいた。
人の形をしているが、それらはまるで紙人形のように薄く、顔という個性もない。
その無機質さが、逆に恐怖心を煽る。
「っ」
前後を塞がれ、仕方なく横の空き地の柵を飛び越えて逃げる。
背後の気配で奴らが追ってくるのが分かった。
――なんなんだよもう!!
脳内に直接訴えかけるような警告音で、彼女の意識は引き戻された。
「……!?」
相変わらずの腹部の痛みに身体を折るも、彼女の注意は脳内に響く音に向く。皇子に渡した特殊な装置が発動しているのだ。
「冬、馬様……?」
この部屋に彼の気配はない。焦りつつ視線を横にやると、枕元に『薬局に行ってくる』というメモが1枚置いてあった。
(……不覚……!)
自らの失態を呪う間もなく、彼女は部屋を飛び出した。
いくら逃げ回っても影は追いかけてくる。が、全力で走ればそこそこ引き離せるのが逆に苦痛になってきた。
――もう、限界……。
ふと前を見ると、意図せず学校まで走ってきてしまったことに気付く。
とりあえずどこかに身を隠したくて、俺は半開きになっていた門をくぐりぬけていた。
足が自然と向かった先は体育倉庫の裏。一昨日鬼ごっこで隠れた場所――正確に言うと榊がいた場所なのだが、ここなら倉庫と木の陰になってグラウンド側からも外からも見えにくいのだ。
荒い息を押し殺しながらも、暴れている心臓を落ち着かせようと胸を掴む。
こんな隠れ方であの影をまけるのかどうかは怪しいところだが、もうしばらくは走れそうにない。
それに、マンションに逃げ帰っても榊に迷惑をかけるだけだ。今の彼女に無理をさせるわけにはいかない。
そうしてどのくらい経っただろう。
辺りを覆っていた怪しい霧が段々と晴れてきて、俺は少しばかり安堵の息を吐いた。
――刹那、体育倉庫の鉄の扉が開く音がして心臓が飛び跳ねる。
「誰かそこにいるのか?」
倉庫の中から声がする。中からだと小窓から俺の頭が見えるんだろう。
声の主が裏へと回ってきた。
「あ……」
現れたのは、例のサッカー部の臨時コーチだった。
「こんなところで何してるんだ? 部活……ではなさそうだが」
彼はまじまじと俺を見る。私服で校内にいることがどうやら相手の関心を引いてしまったようだ。
「あ……すみません……」
彼はかなり長身で、1対1で話すとかなり圧迫感があった。そんなせいか少し喋りにくい印象だったのだが
「……顔色が悪そうだが、大丈夫か?」
意外にもそんな風に気を遣ってくれて、少し焦った。
「だ、大丈夫です」
とりあえずこの場は誤魔化して早く家に戻ろう。
そう、思ったのだが。
「――怖いものでも見たかな?」
相手がそうこぼしたと同時に、俺の両脇に例の黒い影が現れた。
「!!」
薄っぺらい割りにかなり力強いそれにがしりと腕を掴まれ、動けなくなってしまう。
「っ、な……」
何なんだと問う前に、奴のほうが口を開いた。
「案の定、護衛は床に臥しているというところかな? 皇子様」
――こいつ……魔界人だ!
「そう怖い顔をしないでくれ。君とはゆっくり話をしたいんだ」
奴はそう言って自らの金の髪を撫で上げた。するとどういう仕掛けなのか、次の瞬間には周りの風景ががらりと変わっていた。
俺はいつの間にか西洋風の部屋の一室の、座椅子に座らされていて
「……!?」
力を入れても手足が全く動かない。まるで椅子に磔にされている気分だ。
「これでゆっくり話せる」
そう言いながら男はテーブル越しの座椅子に悠々と座り込んだ。相手をにらみつけると、それでも奴は余裕の笑みを湛えて脚を組んだ。
「私はハリス。以後お見知りおきを」
俺がそっぽで返すと、奴が微かに笑うのが分かった。
「エイリから聞いているよ、冬馬君。君は少しばかりだが魔界人として覚醒し始めていると」
……エイリ、というとあの女のことだろう。どうやらこいつがあの女の親玉らしい。
「――率直に言おう。私は君が欲しい」
「知る……」
かよ、と言おうとしたら
「ハリス様っ!!」
突然男の傍らに例の女が現れた。
「『欲しい』だなんてそんなそんなっ、私以外には使わないで頂きたいですわッ」
男に向かって妙に必死にそんなことを喚きだす。
「ましてや男性に……! いえ、あ、待って。それはそれで絵になるわね……? こ、これが俗に言う薔薇……!?」
かと思えば何かに驚愕するようにひとり戦慄いている。
……ていうかこのオバサン、前会ったときと性格違わなくないか?
「……エイリ、今は大事な話をしているんだが」
嘆息混じりに男が言うと、女は我に返ったように口元に手をやった。
「あ、あら申し訳ありませんわ、私ったら。どうぞお続けになって」
すると男はさりげなく彼女に囁く。
「私が愛するのは君だけだ」
「ハリス様……!」
感極まったように両手を組む女。
……こいつらただのバカップルだ。
「ああもう、あんたの話なんて知るかよ! そこの女のせいで榊が大変なんだ!! 帰る!!」
いい加減いらいらしてきてそう叫ぶと、今度は女のほうがうっすらと笑みを浮かべて言った。
「あら、帰ってあの小娘の看病? でも残念だけど、あの呪詛は私が解かない限り消えないわよ?」
――呪詛!?
「そういうわけだ。まあ少し落ち着きたまえ」
落ち着けるわけがないっていうのに、奴は再び悠々と喋りだした。
「私は次代の王になりたいんだ。現魔王の実力は認めるが、いずれ議会との齟齬で為政が破綻すると私は見ている」
「だったらこんな姑息な真似しないで正々堂々王座を取りに行けばいいじゃないか! どうせ真っ向勝負掛けられないからこんな回りくどいことしてんだろ!」
俺が勢いに任せてそう言うと、奴は少しばかり息を呑んだ。図星なんだろう。
「――坊や。貴方、今の状況分かってる?」
女の冷たい声で、ふと我に返る。が
「……エイリ、いいんだ」
男は女をそう制止して、続けた。
「確かに君の言う通りだ。私にはまだ武力が足りない。だが、君の力があれば必ず王座に就ける」
なんだよそれ。他力本願な上に自己中だな。
「俺はあんたの力になんてならないぞ。第一俺にはそんな力……」
「君には力がある。神代炎騎と同程度……いや、それ以上の素質があるかもしれない」
奴はそう言って、やけに熱い視線を俺に向けた。
「そんな大きな才能をこんな場所でくすぶらせていていいのか? 本来ならば君は魔界で将来を約束されていたのに」
……なんなんだよ、もう。
「掟だったかなんだか知らないけど、それはもう済んだことだろ! 俺は今何の不自由もしてないんだ! 今更魔界がどうのって言われても困るんだよ!!」
俺が本音をぶちまけると、奴はふとわざとらしく首をかしげた。
「不自由はない、と?」
奴のその言い方が、少し癇に障った。
「……何が言いたい」
すると奴は、どこか勝ち誇ったような笑みを見せた。
「――いや。だったらなぜ君はそんな寂しい顔をしているのかな、と思ってね」
…………寂しい、顔?
「自分で気付いていなかったのかな?」
……なんだよ、それ。
俺がいつ、そんな顔をした。
俺は、……
「君のご両親、今は海外にいるそうじゃないか。君1人を置いて」
「それは! 俺が勧めたから……!」
父さんの仕事が忙しくなったと聞いて母さんが駆けつけようか悩んでたから、俺が後押ししたんだ。
前から母さんも海外に行きたがってたし……。
「つまり君は親に遠慮したんじゃないか? 無意識のうちに」
「……!」
「本当の両親だったなら、そこまで遠慮する必要もなかっただろう? 我が儘だって言えたはずだ」
……うるさい。
なんなんだよこいつら。勝手に俺のこと調べやがって。
「お前らに俺の何が分かるんだよ!!」
自然と、俺はそう叫んでいた。
叫んでから、気付く。
さっきの言い方じゃ、まるで俺が
「やっぱり君は不幸だ」
男が嗤う。
「どうだい。こんな世界捨てて、私と共に魔界へ行こうじゃないか。こちらでは用途のない能力でも、あちらでは最大限に利用できる」
気がつけば、奴は俺の目の前まで歩み寄ってきていた。
その場に片膝をつき、鋭い眼で俺を射抜く。
「君は自分の力で幸せになれるんだよ」
更新遅くなってすみません。
やっと改稿にも終わりが見えてきたのであともう少しだけ頑張ります。