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第7話:意志

 まだ昼間だというのに、その部屋の窓という窓は全て閉め切られていた。

 家具らしき家具はベッドと鏡台程度しか見当たらない。その鏡台の前には金髪の女が座っている。

 女はふわりとした前髪をかき上げ、自らのこめかみあたりを念入りに指で撫で回していた。

「あの炎、噂に違わぬ威力でしたわ。私に『再生力』がなければ今頃この美顔に火傷の跡が残っていましてよ」

 彼女が腹立たしげにそうこぼすと、その後ろで男が言った。

「例えお前の顔に火傷の跡が残ろうとも、私は構わないさ」

「ま、まあ!? どういうことですのハリス様!」

 彼女が憤慨して振り返ると、

「君の美しさは外見だけではないと言っているのだよ。私に尽くすその心が美しい。それだけで充分だ」

 男は微笑んでそう言った。その言葉と極上の笑みに、思わずエイリは感極まる。

「ハリス様……!」

 仮にこの会話が大衆の面前で行われれば数人が失笑したことだろうが、彼女にとってはこの上ない光栄なのだ。

「勿体無いお言葉ですわ……! やはり魔界の王となるべくは貴方様だけ。あんなにわかに現れたどこの骨とも知らない男など早く退位すればいいのですわ!」

 恍惚と彼女がそう謳うと、男もまた笑みを深めた。

「まあそうは言っても神代炎騎の実力は本物だ。あのレイト・サーベリアを破って王の座を得た男だからね」

 だが、と彼は続ける。

「あの男に実力があったとしても、だ。頭の古い城の長老達を納得させるにはやはり貴族の血が流れていなくては」

 城の長老達、とは魔界の中央議会の役員を務める貴族達を指す。彼らは世襲制を好み、常に自分達の影響力を気にするので、貴族の血を引かずに王家に婿に入った形の現魔王とは折り合いが悪いのだ。

「その通りですわ。血筋的にもハリス様は申し分ありませんもの。あの坊やを引き込んで貴方の力を見せ付ければ、王位獲得は確実ですわ」

「問題は護衛の死神をどうするか、だが……」

 男が思慮深げに顎に手をやろうとすると、その手をエイリがふわりと包んだ。

「ハリス様、昨日はあの小娘にしてやられましたが私もただやられただけでは終わりませんでしたのよ」

「ほう?」

「攻撃の中に呪詛を織り込んでおきましたの。今頃断続的に身体に激痛が走っているはずですわ」

 彼女の周到さに、男は思わず苦笑した。

「抜け目ないな、エイリ。だが死神相手に効くだろうか?」

 エイリは笑んで頷く。

「確かに死神しがみ一族は無敵と呼ばれていましたけど、たった一晩で滅んだのですよ? 神の名を冠しても所詮は魔界人。ただのすっぴんの小娘に過ぎません」

 『すっぴん』は余分な言葉だったと反省しつつ彼女は続けた。

「あの鎌の性能を最大に引き出すのに必要なのは血。私が仕掛けた呪詛は外傷系のものではありませんから、糧となることもないのです」

 それを聞いた男はなるほど、と頷いた。

「ならば今が攻め時、ということだな」




 * * *

 その日の晩御飯は、ハンバーグだった。

 ハンバーグと言えば俺の好物の中でも指折りに入る好物中の好物だったりする。そういうわけでひと皿を軽く平らげてしまうと。

「明日からのトレーニングに備えて活力を付けてください」

 榊は台所からもうひと皿持ってきた。


 結局、夕方ごろ彼女は再び俺の部屋を訪れてくれて、こうして夕飯を作ってくれたのだ。遠慮しすぎて上がってくれないのではないかというのは俺の杞憂で済んだらしい。


 悪いなあと思いつつもハンバーグのあまりの美味さに遠慮を忘れてしまって、俺はおかわりの皿を受け取る。

「ところでさ、そのトレーニングって具体的には何をするんだ?」

 俺の問いに、彼女は座ってから答えた。

「まずは身体作りですね。これは基本かと。それからはイメージトレーニングを」

「イメトレ?」

「はい。術にせよ武器にせよ、魔界人の能力に大きく影響するのは『意志』です。何のために力を使うのか、どんな理由にせよそれをはっきりさせなければなりません。どれだけ性能の良い武器でも使用者の意志が揺らげばただのガラクタ、もしくは単なる凶器にしかなりません」

 ……うわぁ。耳が痛いぞ、それ。

「ですから、自分を見つめ直し意志を確固たるものにするという行為はトレーニングには最適なのです」

「へ、へえ……。難しそうだな」

 及び腰になっていると

「そんなことはありません。ただ素直に、ありのままの自分を見つめ返せばいいのです」

 榊はなんでもない風にそう言った。


 彼女の場合は、『魔王に尽くす』という意志が固まっているから難しいことでもないんだろう。

 でも俺には、そんな大したものはなくて。

 あるといえばただの見栄だけだ。

 昨日あんなことになって、無謀に飛び出して這い蹲るしか出来なかった自分が情けなくて。

 魔界人として覚醒するのを目指すと言ったのだって、彼女に見栄を張りたかっただけなんだから。


 ――ああどうしよう。自分を見つめ返せば見つめ返すほど自分の小ささに打ちのめされる。

 まだトレーニングも始まってないっていうのに。


「冬馬様」

 そんな時、ふと彼女が席を立った。

「申し訳ありません、今日は下がらせてもらって構わないでしょうか」

「え? ああ。どうぞ?」

 突然だったので思わずそう答えたが、食事中に彼女がこう切り出したのは不自然と言えば不自然だった。

「勝手をお許しください。ではまた明日」

 彼女はそう言って足早に部屋を出て行った。


「…………」

 ぽつんとひとり、リビングに取り残される。

 彼女らしくない慌しさだったので、何だか妙に不安になった。

 もしかして、榊は読心術を心得ていて、俺のどうしようもなさを悟って怒って出て行ってしまったんだろうか、とか。

 ――いやいや。疲れてるだけかもしれないし。

 今日のハンバーグだって、作ってくれたわりに彼女は「お腹が減っていないので」と食べなかったのだ。

 ――大丈夫かなあ……。




 身体を引きずるようにして、彼女はようやく自室に辿り着いた。

 早々、机の上に用意してあった特殊な痛み止めを口に含む。が、それも気休め程度にしかならないことは分かっていた。

 城に戻れば呪詛を解ける術者もいるかもしれないが、向こうがこれを仕掛けてきた以上、狙ってくるならこの機会であることも分かっている。

 そんなタイミングで席を外すわけにはいかない。

 ……それにしても、不可解なことがあった。

 彼女の武器には呪詛クラスの術にも多少なりともの耐性があるはずだったのだ。

 だというのに。

(何かが、おかしい。回復速度のことといい、この呪詛といい……)

 再び襲う痛みの波に耐えかねて、彼女はそのまま身体を縮める。

「魔王様…………」

 唇は、自然と主の名を紡いでいた。






 日曜日。

 普段なら昼近くまでごろごろしているのだが、今日はそういうわけにもいかなかった。

 とりあえず7時前には起床して、榊がいつやって来てもおかしくないよう身だしなみを整えておく。

 そんなこんなで適当にコーヒーを飲みながら待っていたのだが、9時を過ぎても榊がやって来る気配はない。

 彼女のかっちりした性格からしてトレーニングといえば朝早くから始めるものだとばかり思っていたのだが……。

 ――昨日もなんか様子おかしかったし、やっぱり俺に見込みなしと踏んで来ないとか? いやいや、『また明日』って言ってたし。じゃあ体調が悪いとか? なんだかんだ言って大怪我したばっかりだし……。

 とはいえこちらから彼女にコンタクトを取る手段は今のところ左手のブレスレットしかない。これは緊急時用のものだから普段使いは出来ないはずだ。

「よわったな……」

 そうこぼしたと同時に、インターホンが鳴った。

 慌てて玄関扉を開けると、日曜なのになぜか制服姿の榊が立っていた。

「申し訳ありません冬馬様。少し遅くなりました」

 やって来て早々深々と頭を下げる彼女にむしろこちらが恐縮する。

「い、いや、大丈夫そうで良かった」

 俺が思わずそうこぼすと、彼女は何のことかと首をかしげた。

「いやほら、榊一昨日怪我したばっかだろ? 体調やっぱり悪いのかなって心配してたんだ」

 すると彼女は「そのようなことは」と言いつつ手に持っていた紙袋を手渡してきた。

「昨日お借りしたお洋服です。昨日のうちに洗濯するのを失念していまして、今朝慌しくすることになってしまい遅れた次第です。申し訳ありません」

 ああ、洗濯してて遅れたのか。

「別に良かったのに」

 恐らく彼女の今の格好からしてこっちには制服以外の服がないのだろう。

 新しいのを貸そうか、と言おうとしたのだが、またそれをわざわざ洗濯して返してきそうなのでそれも申し訳ない気がした。

「では冬馬様、早速ですが外で軽く運動を」

「え、あ。うん、ちょっと待ってて」

 俺は慌てて支度をした。




 榊の指示通り、準備運動を終えた後軽く近所をランニングした。

 その後公園のベンチで彼女から手渡されたスポーツドリンクを飲んで一休みしていると。

「そういえば冬馬様は以前陸上競技をされていたんですよね?」

「え? あれ、言ったっけ?」

 突然だったので思わずそう返すと、彼女は少しばつの悪そうな顔をした。

「申し訳ありません。こちらに来た際貴方に関する資料を少し集めましたので」

 俺の家も最初から知ってたくらいだもんな。

「いや、別にかまわないけど……」

 そうは言ったものの一体どうやって調べたのか少し気になるといえば気になった。が、それは余計な詮索と言うものだ。

 そうこうしていると

「差し出がましいようですが、高校では部活はおやりにならないのですか?」

 彼女がそう尋ねてきた。

 先月くらいに担任にも同じようなことを言われたのを思い出して苦笑する。

「んー、入っても良かったんだけど、なんていうかちょっと、気分が乗らなかったんだ」

「気分、ですか」

「うん。なんていうかその……何のために走ってたのかよく分からなくなっちゃって」

 ある意味これも一種のスランプ、かも。

「……今までは、何のために走られていたんですか?」

 少し遠慮がちに、彼女はそう尋ねてきた。

 俺は思わず頭をかく。

「言ったら笑われそうだから、いいよ」

 そうはぐらかすと、彼女はきっぱりと

「私は笑いません」

 そう断言してきた。

 ……よわったな。

「結構不純な動機だし……」

「ならばより気になります。教育係として」

 おおう。墓穴だ。

「……軽蔑されそうだし」

「しません」

 ……なんかもう言わないと収拾がつかなくなってる? 仕方ないなあもう……。

 俺は軽く息を吸って

「……褒めてもらいたかったんだ」

 小さく、吐き出すようにそうこぼした。

「…………」

 榊の沈黙が怖い。

 ガキくさいだとかきっと思われているに違いない。

 だから言いたくなかったんだもう! なんで言っちゃったかなあ俺!

 が。

「……それは、こちらのご両親に、ですか?」

 驚いたことに、彼女はそのまま話を継続した。

「ま、まあそうなるかなあ。俺勉強もそこまで得意じゃなかったしさ。まだ体育のほうが成績よかったんだよ。それで……」

 本当に、単純だとは思うんだが。

「引き取られてから初めての運動会で、たまたま徒競走で1等を取ったんだけど。そのとき呆れるくらいうちの父さんと母さんが褒めたくってくれたからさ、なんていうかその、癖になって……」

 ……はあ、なんでこんなこと彼女に言っちゃってるんだろう。

 吉田君みたいにこう、もっと自主的に頑張れたらいいのに、俺って奴は……。

「冬馬様」

 自然とうなだれていた俺に、榊が声をかける。

「何もそこまで恥じられることはないと思いますが」

「……だ、だって」

「他に認められたいという欲求は人としてあって当然のものです。認められることによって誇りが生まれるのですから、悪い目的では決してありません」

 ……そ、そうなのか?

「貴方はもっと、自分に自信を持ってください」

 おずおずと顔を上げると、彼女はいつの間にか俺のすぐ前にしゃがみ込んでいて。

「素直にご自身の気持ちを見つめてください。偽りのない心こそが、能力開花の秘訣です」

 見惚れてしまうほど穏やかな顔で、そう言った。

「…………わ、わかった」


 ……素直に、か。


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