第5話:覚醒
結局、鬼ごっこで走り回ることになった俺は、程よい疲労感を味わいながら帰路についていた。
……たまにはああいうのもいいか。久しぶりに全力疾走できたし、なんだかんだで楽しかったし。
「榊ー」
昨日と同じく、周りに誰もいないことを確認してから彼女の名を呼ぶ。
すると、当然のように彼女は目の前に降りてきた。
「お呼びですか」
ほんとに忍者みたいだな、なんて苦笑しつつ
「今日はありがとな」
そう礼を言うと、彼女は軽く首をかしげた。
「私は何も……」
確かにまあ、礼を言うほど重要なことでもないんだけど。
「言いたかっただけ」
「またそのような……」
「じゃあせっかくだし、今日も晩飯一緒に食べないか?」
「……は、はあ……」
なんだか誘うのも手馴れてきたなと苦笑する。
飯ぐらい、誰かと食べたほうがお互い楽しいだろう、なんて。
そう思ったから今日の昼も声をかけた。
多分、この判断は間違ってない。
昼休みに、一瞬だけ見せた彼女の顔が頭から離れない。
――寂しそうな顔を、この子もするんだと。
それが分かったから、なおさらだ。
そんなこんなで、今日こそは手持ち無沙汰な状態は避けようと、無理矢理台所に立ってみた。母さんが冷凍してくれているミートソースを使えば俺だってスパゲティくらいは作れるのだ。
けどやっぱり彼女も譲らず、結局並んで台所に立つことに。
2人入ると結構狭いよな、キッチンて……。
肩が触れそうな位置で一方は麺をゆで、一方は野菜の水切りをする。
なんとなく息苦しいので苦し紛れに会話する。
「榊はミートスパに粉チーズふりかける派か?」
「……いえ、粉チーズは私には少々匂いがきつく感じられるので」
「俺もだ」
あはは……なんて乾いた笑いをしていたら。
「!」
――急に、榊が息を呑んだ。
その表情からして只事ではないことは読み取れる。
「……どうした?」
「敵の気配を感じます。……上ですね」
「上って……屋上のことか?」
「恐らく。ですがこの状況、誘っているようにしか思えません。冬馬様をここでおひとりにするのは少し不安があります。ついてきていただけますか」
「あ……うん……」
――来た。ついに来た。
ここで俺の無能さを証明すれば、全て終わる。
そんな決意を隠しながら、火を止めて外に出る。
そのままエレベーターで屋上へ。本来は屋上は立ち入り禁止なのだが、今はドアの鍵が壊れていて入れないことはないのだ。
夜の空気。少し肌寒い風。紺色の夜空に溶けるように、黒衣の女は立っていた。
「御機嫌よう、冬馬様、とお守役さん?」
「懲りもせずよく来たものですね」
榊の声がいつになく棘棘しい。
「私たちとて悠長に構えているほど暇ではないもの。手っ取り早く皇子様をさらうことにしたの」
女は俺を見て、笑う。
その冷たい笑みに、不覚にも背筋が震えた。
一昨日とは、空気が違う。今日の彼女は本気だ。
「ならば私を殺してからになりますね。……まあ、貴女には不可能でしょうが」
一方、榊のほうもなんだか背筋が凍るようなセリフをさらりと言った。
「ふん! 年端もいかない小娘が何を偉そうに!!」
女の手に杖が現れる。映画の中の魔法使いが持っていそうな木の杖だ。
「そちらは少し塗りすぎです。老けて見えますよ」
……さ、榊。
でも確かにちょっと化粧濃いよな、あの人。
「なっっ! すっぴんの小娘には言われたくないわ!!」
「しなくて良い時期にする必要はないのです」
「〜〜っ! 貴女さっき暗に私のことオバサンって言ったわね!?」
「そう聞こえましたか? ならそうなのでしょうね」
「このガキ〜〜!! 散れ!!」
女はとうとう杖を振りかざした。先端から幾つもの白刃が放たれる。
――これは、まずい!
「さ、榊!!」
その瞬間、彼女の手にはあの大鎌が握られていて。
「!?」
一振りで、あっという間にすべての白刃を消し飛ばしていた。
「っ……守りに特化しているようね……」
うろたえる女を前に、榊は表情を崩さない。
「貴女のそういった攻撃は私のこれには効きませんよ」
「小賢しい!! 私とて術だけを極めたわけではなくてよ!!」
途端、女の杖が剣になった。
それを認めた榊は
「冬馬様、下がっていてください!」
女のほうへと果敢に向かっていく。
「ちょ」
止める間もなく、2人は間合いを詰めた。
まったくの物理戦になる。せめぎあう剣と鎌。
榊が持つ鎌はその丈のせいか一振りが大きすぎて立ち回りには不利に見えた。逆に女の剣は短めで、速さがある。
「っ」
「ほらほらどうしたの!? さっきの威勢はどこへ行ったのかしら!?」
まずい。榊が押されてる。
このままじゃ本当に危ない。
早く止めないと!
「ちょっと待てよ!!」
俺は精一杯声を張り上げた。
「「――?」」
両者、ぴたりと動きを止めてなんとか俺に注目してくれた。
ここぞとばかりに俺は叫ぶ。
「俺にはなんの力もないんだぞ!! さらったって無駄だ!!」
すると、ほんのしばらくだけ沈黙が続いた。
が、すぐに女の高笑いで掻き消える。
「確かに今の貴方は何も出来ないでしょうけど、私には見えているわ、貴方の器が。貴方は間違いなく神代炎騎の息子……そんな逸材をこんな辺鄙な世界に置いておくほうが間違いよ」
……なんだよ、器って。
「ねえ坊や、私達の元に来なさい? 貴方には間違いなく才能がある。せっかくのそれを使わずに、こんな世界で一生を終えるの?」
「冬馬様! このような者の言葉を聞き入れてはなりません!!」
榊が叫んでいる。
「うるさい小娘ねえ。いい? 坊や。貴方の実の父親は貴方を捨てたのよ?」
「黙りなさい!! それは魔王様の本意ではありません!!」
「本意か不本意かはどっちでもいいのよ。結果的に彼の将来を狭めたことには変わりないじゃない」
「……ッそれは……」
……なんなんだよ、もう。
俺は魔王なんて知らないって言ってるのに……!
「貴女に魔王様の心中など、分かるはずがない!! これ以上冬馬様を篭絡しようとするならここでその命、貰い受けます!」
榊は女に再び仕掛けた。
「それはこっちの台詞よ。これ以上邪魔するようなら小娘だろうと容赦はしないわ!!」
対する女もそう言い放って、2人のせめぎあいはより一層過激になった。
どうしよう。止められない。
むしろ火に油を注いだようなものだ。
その時、剣の俊敏な動きに押され、榊の体勢が明らかに崩れた。
「……!」
「これで、どう!?」
女の剣が一瞬にして杖に変わる。その先に、光が集結していき
「さ……」
叫ぶ間もなく、目の前で白が爆発した。
「榊ーーーー!!」
立ち上る白い煙。一種の爆発だったのだろうか、火薬の匂いが周りに散らばる。
煙が薄らいだところで、膝をついてうずくまっている彼女の姿が見えた。白いセーラー服が、朱に染まっている。
「さ……かき……」
そんな中、耳障りな女の高笑いが響く。
「ほんと口だけねえ。案外役立たずだから魔王に見限られてこの坊やのところに送られたんじゃないの?」
女は勝ち誇った笑みを浮かべながら、榊に近づく。
「まったく、魔王サマも冷たいものよね。そんなのに忠誠誓ってる貴女が馬鹿に見えるわ」
「っっ貴様!!」
榊はこれまでにないほど憤怒の形相だったが、痛みに耐えているのか声に力がない。
「邪魔者はさっさとお消えなさいな」
女が再び杖をかざす。
まずい。
あの距離じゃ確実に、
彼女ハ殺サレル――――
身体は勝手に動いていた。
案外、単純に。
彼女の前に飛び出すと
「な!?」
女が息を呑むのが分かった。
が、杖の先に灯った光は既にそれから離れていて。
――瞬間、体中に痺れが走る。
「……ァあ!?」
次に耳に入ったのは、己の苦悶の声。
何が起こったのか分からないまま、それでも身体は冷たい床に倒れ伏していた。
「冬……馬様!?」
榊の激しい動揺の声が間近に聞こえた。そしてあの女もまた、動揺しているようだった。
「じ、自分から飛び出してくるなんて……。短絡な坊やだこと……」
けれどそれはほんの一時で、またあの高飛車な調子に戻る。
「こんなお馬鹿で大丈夫なのかしら……。まあ使えなかったら使えなかったで洗脳して魔王と対峙させるって手もあるわけだし? なかなか素敵なシチュエーションだと思わない?」
「貴様!」
榊が激昂している。
――ち……くしょう。
体中が痺れて動けない。
――くそ……、最悪だ。
「喚かないでよ、少しは喜んだら? 貴女のために皇子様が体を張ってくれたのよ?」
「何を……!」
「まあ、これでさらいやすくなったわね。じゃあ今度こそさようなら、魔王に忠実な小娘ちゃん」
女が再び杖を榊に向けているのが分かる。
榊は動ける状況じゃない。
このままじゃ本当に殺される。
何のために俺はここへ飛び込んだ?
こんな無様に這いつくばるために走ったんじゃない。
魔王の息子だとか、そんなことは知らない。
正直今更そんなこと言われても迷惑だ。
――だけど。
なくしたくない。
なくしたくない。
識ってしまった彼女を、なくしたくないんだ――!!
「あああああああああああッ」
左腕が熱い。何かが、噴きだしそうな、そんな感覚を覚える。
「っ!? 何!?」
刹那、何かが飛び出した。
ジャラジャラと鳴り響く音。
――それは鎖だった。
どこまで続いているのか見えない、その先に何があるのかも見えない永遠の鎖。
「な……!? 覚醒した!?」
女が驚きの声を上げている。けれどこっちはそれどころじゃなかった。
左腕、左目、とにかく身体の左側だけが熱い。
目眩もひどい。
「冬馬様!」
榊の声が聞こえる。……聞こえるんだけどなんだか頭が熱くてはっきり彼女の顔が見えない。
熱い左腕に触れる彼女の冷たい手。それでなんだか少し、安心できた。
「榊……無事、か……」
「……!」
榊が微かに息を呑むのが分かった。
そして「大丈夫だ」と答えるように、俺の手を握ってくれた。
「どうやらまだ不完全なようね。それでも目覚めてくれたのは僥倖ってところかしら」
女の声がする。
「それにしても貴女、まだ動けたの? 役立たずのガキはお呼びじゃなくてよ?」
奴はわざとそう言って榊を挑発した。すると
「……訂正……しなさい」
彼女は小さな声で、そう言った。
「……は?」
女はなんのことかと問い返す。
「魔王様は、慈悲深いお方です。王を……侮辱することは、私が許しません」
榊は切れ切れにも、そう言い切った。
それを聞いた女は心底おかしそうに笑う。
「は! 何を言うかと思えばまた魔王のこと? そーんな血まみれで何が出来るっていうの?」
……あの女の言うとおりだ。状況が悪いのは変わりない。
けれど、ぼやけた視界の先にいる榊は、どこか不敵な笑みを湛えていた。
「そして、冬馬様を侮辱する権利など貴女にはないと知りなさい」
再びその手に大鎌が握られる。
その鎌の纏う大気が、先ほどまでとは全く違うということを感じ取ったのは、俺だけじゃなかったようだ。
「な……なんだっていうの……」
女の声から、明らかな畏怖を感じる。
夜の静かな空気さえ、震えていた。
「忠誠の果てに流す血はこの鎌の糧となる。それがこの鎌の特性」
榊はゆっくり立ち上がった。
「な……、まさかその鎌は……!」
女はじりじりと後ずさっていた。それほどまでに、今の榊は圧倒的な空気を纏っているのだ。
「赤誓鎌」
彼女がその名を呟いた瞬間に、鎌は振り下ろされていた。
煉獄の炎を想起させる紅蓮が、夜空を焦がすように燃え上がる。
禍々しさすら感じさせるそれは、時折制裁の雷のように光り、妙に神々しくも見えた。
「ぐ……あ……! まさか、こんな小娘が、あの……」
女はまとわりつく炎から逃げるようにして、姿を消した。
それをぼやけた視界で見届けて、俺の意識もどこかへ飛んでしまった。
読者の皆様はご無事でしょうか。
迷ったのですがとりあえず今あるこの連載を続けることにしました。少しでも息抜きのツールとして使ってもらえればと思います。
更新速度はちょっとまだ分からないのですが、とりあえず完結目指して頑張ります。