第4話:鬼ごっこ
……一汁三菜が揃った和食の夕飯を食べたのは、一体いつぶりだろうか。
「和食、よく作れたな」
本当に丁度良い味つけがなされたきんぴらごぼうを口に入れつつ、俺はそんな感嘆を漏らした。
「魔界にもこちらの料理のレシピは伝わっていますから。それに日本の文化は特に興味深かったので」
向かいに座る彼女はそう答えて、自らもほうれん草の入った味噌汁をすする。
そうそう、こういう葉物は惣菜売り場でも敬遠しがちでなかなか買わないからなあ。ちゃんとバランスのことも考えて作ってくれてるんだと思うとさらに感慨深い。
俺がしんみりと茶碗を抱えていると
「……お口に合いませんでしたか?」
おずおずとそんなことを尋ねてくる彼女。
「え!? なんで!?」
「いえ、お箸が止まっているように感じたので」
俺はぶんぶんと首を振り
「いや、感動してただけ! すごく美味いよ!?」
かぼちゃのそぼろあんかけを頬張る。
……いや、お世辞抜きで本当に美味い。
むぐむぐと口を動かしていると、彼女はくすりと微笑んだ。
「そうですか。それは良かった」
柔らかなその笑みに、思わず見惚れる。
いつも冷静な顔しかしてないから、こういうちょっとした笑顔がとても新鮮に映るのだ。
「冬馬様?」
「あ、いやごめん」
俺は慌てて器を置いて、茶碗に手を伸ばす。
俯いたまま、思わずこうこぼした。
「……なんか勿体無いな」
「はい?」
彼女はまたも不可解そうに首をかしげていた。
「あ、いやなんていうか、こんなに有能なのに俺なんかの護衛のために存在感まで薄くして生活してもらってるの、申し訳ないと思って……」
俺がそう言うと、彼女は少し悲しげな顔をした。
「貴方はれっきとした魔界の皇子です。もっと堂々としてらしていいのですよ」
そう言われても……俺はそんな風に構えてられるような大物でもなんでもない。
……しかしなんで彼女がそんな悲しい顔をするんだろう?
「でも榊にばっかり迷惑かけたくないっていうか……」
「夕食前にも申しましたが、貴方の護衛は魔王様から直々に賜った……私にとっても非常に重要な任務です。お気持ちはありがたいのですが、そのような遠慮は不要です」
……『魔王様から直々に賜った』、か。
やっぱり、彼女は相当魔王のことを慕っているらしい。
だからこそ、今こうしていることが彼女にとっては不本意なことなのではないだろうかと思ってしまうのだ。
「早く任務を終えて魔界に帰れると良いな」
俺がそう言うと
「早く、というのは分かりかねますが、私は貴方の身に危険が及ばなくなるまで、貴方の側に控える所存です」
堂々と、彼女はそう宣言した。
その日、結局榊を家に泊めることはできなかった。
「泊まっていけば?」という言葉を躊躇した俺のせいでもあるが、彼女のほうも外から監視するのが当然とばかりに外へ出て行ったので引き止められなかったのだ。
……なんだかなあ。
ベッドの中で、思わず溜め息をつく。
大体、魔王のためだかなんだか知らないけど彼女はもう少し自分を大事にするべきじゃないだろうか?
俺と歳もそう変わらないみたいだし、貴重な時間をこんなことに使って本当に彼女はいいのだろうか。
……まあ、俺も人のことは言えないけど。
本当に、俺は空っぽだ。
何をしたいわけでもなく、ただ時間を過ごしているだけ。
それなら使命に燃えている彼女のほうがよっぽど……いや、比べるのも失礼かもしれない。
うん、決めた。
早くこんな状況終わらせて、榊を魔界に帰してあげよう。彼女にだって向こうの生活があるはずだ。
王族の潜在能力が云々と昨日言っていたけど、こんな薄っぺらい俺にそんな大それた力なんてあるはずない。本当の父親だとかいう魔王だって、こんな俺を息子だなんて思えないだろう。
それをあの変なおばさんに知らしめればいいんだよな。
――来るなら早く来てくれ。
榊には悪いが、そんなことを思いながら俺は目を閉じた。
「今日のクラスタイムはグラウンドで鬼ごっこをすることになりました」
朝のホームルームで、教卓の前に出た委員長の吉田君がそう言い放った。
周りがざわざわと騒ぎ出す。「俺ドッジボールがよかったなあ」「いやそこはあえてキックベースとかさあ」などと口々に言い合っているが、皆どこか楽しそうなのは確かだ。
金曜の6時間目はクラスタイムと呼ばれていて、レクリエーションやら課外授業やら、そういったものに当てられる時間となっていた。
今日はどうやらクラス全員で鬼ごっこをすることになったらしい。
「鬼ごっことか懐かしいなー。俺小学校のとき以来だわ」
後ろのいっちゃんもどこかやる気だ。
「俺も。でもこんな大人数でどうやってやるんだろ?」
「んー? 鬼を複数にしたら出来るんじゃね?」
「なるほど。結構スリルが出そうだな」
そんな他愛もない会話をしていたらチャイムが鳴った。
そんなこんなで迎えた昼休み。
「俺今日弁当なくてさ、食堂行くけどお前は?」
既にダッシュの構えを見せるいっちゃんがそう尋ねてきた。
「あー……」
普段なら、彼に付き合って食堂に行くのだろうが
「ごめん、俺ちょっと用事があるから教室で食べる」
今日はそう断っておいた。
食堂へ駆けていくいっちゃんを見送って、朝コンビニで買っておいたパンを手に席を立つ。
向かった先は……
「榊」
教室の、1番後ろ。
賑やかなこの場所で、孤島のように浮いているその席に座る彼女に話しかけた。
「な、何か?」
話しかけられるとは思っていなかったのだろう、彼女は驚き半分の様子で立ち上がった。
「一緒に食べていいか?」
俺がそう申し出ると、彼女は数回目をぱちくりさせてから
「ど、どうぞ、狭い机ですが」
横にあった椅子をぱぱっと引いてきて、俺に勧めた。
彼女の手前にあるのは、相変わらずのコンビニおにぎりと、そして毒々しくも見える緑色のパッケージのジュース。間近で見て確信した。これは巷で超不味いと評判のほうれん草ジュースだ。
「……なあ、そのジュース好きなのか? 昨日も飲んでたよな?」
「強いて言えば、好きな部類の味付けです。素材本来の味が活きていて、とても素直な味がします」
なるほど。こういう人がいるからこのジュースはまだ生産中止にならないんだな。
そんな勝手な納得をしながらソーセージマスタードパンにかぶりつく。すると
「あの……冬馬様。1つお尋ねしても宜しいですか?」
ラッピングを解いてすらないおにぎりを持ったまま、榊がおずおずと尋ねてきた。とりあえず口に入れたパンを急いで飲み込んで
「なに?」
そう促すと、彼女はやけに深刻そうな目で、こちらを見つめてきた。
――ぇ。な、なに……?
「……そ、その、今朝の話なのですが」
け、今朝? 俺なんか言ったっけ? いや今日はまだ榊とはまともに喋ってな……
「委員長が言われていた『鬼ごっこ』とは、何なのでしょう」
……。
「ああ。榊、鬼ごっこ知らないのか」
俺がそう言うと、彼女は珍しく非常に困惑したような顔を見せて
「『鬼』というのはこちらの世界でいうところの『物の怪』ですよね? それを『ごっこ』……模倣するというのは一体どのような……。危険なものなのではないでしょうか?」
真面目に、そんなことを尋ねてきた。
「…………」
「と、冬馬様? 沈黙されるほど恐ろしいものなのですか、それは……!」
……ぷ。
「あははっ」
思わず声に出して笑ってしまった。
周りにいた奴らが少しこちらを気にした気もするが、榊の術のせいかそこまで痛い視線は来ない。
「冬馬様?」
榊が怪訝な顔をしている。確かにこれはちょっと笑いすぎたかもしれない。
「いや、ごめん。鬼ごっこっていうのは子供の遊びだよ。鬼役の人が他の人を追いかけて、タッチすれば鬼が交代する、みたいな」
すると彼女は一瞬唖然としてから
「なるほど、遊戯ですか。……なるほど」
やけに『なるほど』を繰り返す。
「魔界には似たような遊びはないのか?」
俺の問いに、彼女はどこか苦笑した。
「あったと思います。私は参加したことがないので考えが及びませんでした」
――その表情に一瞬浮かんだのは、寂しさ。
『寂しい』という感情を他人の顔から読み取るのには自信があった。
施設で弟、妹分をよく見ていたから。
「……ご」
ごめん、と言いかけて、喉が止まってしまった。
ここで謝る意味が、自分にもよく分からなかったのだ。
俺は彼女のことを何も知らないのだから。
それにここで謝っても、彼女は怪訝な顔をするだけだろう。
そんな気がした。
「さ、榊は『鬼ごっこ』って聞いてどんなのを想像してたんだ?」
俺はその場しのぎにそんな問いかけをしていた。すると。
「はい。金棒を振り回して戦うものかと」
「え」
「でもご安心ください。例えそのようなものであっても貴方の身は私がお守りしたでしょう。金棒ごときに屈する私の鎌ではありません」
……やっぱりこの子、ちょっとずれてる……?
そして、6時間目。
「じゃあじゃんけんに負けたBチームが鬼ってコトでー。皆、逃げろーー!」
副委員長の声で、鬼ごっこが始まった。
皆の歓声に紛れながら俺も走る。
一応グラウンドがフィールドということになっているが、体育館裏やらも隠れるのに使っていいらしい。
――逃げ回るのもしんどいからな、その辺に隠れるか。
そんな考えから俺は体育倉庫裏の木の陰に隠れた。
しばらくそうしていると。
「冬馬様」
ひょっこりと、倉庫の陰から榊が顔を出した。予想はしていたが、やはりこの時間も俺の側を離れないらしい。
「よ、榊。どうした?」
「いえ。このままここに隠れていても埒が明かない気がしましたので」
わざわざ進言しに出てきてくれたらしい。確かにこれじゃあ鬼ごっこというよりかくれんぼだ。
「あはは、まあな。でもこれも立派な戦術だぞ? 表に出たらへとへとになるのは目に見えてるからな」
ちなみに戦術と言うのは半ば嘘。ここのところ運動不足だし、へとへとになりたくないだけだったりする。
「……確かに、戦術的には無謀に表へ出るのは間違いですね」
意外なことに、彼女はそう納得してくれた。
が。
「ですが、このままここに隠れているだけというのも頂けません。グラウンドを見てください」
彼女はそう言った。
俺は少しばかり首を伸ばしてグラウンドのほうを見る。
ぱっと見、何人か俺みたいにばっくれている奴もいるようだが、それでも大多数がグラウンドに出て歓声を上げながら走り回っていた。
「お若いうちはあれくらいの運動量があってしかるべきです」
……うーん、まあ、そうだとは思うけど。
なんていうか、ここ最近の生活で1人でいることに慣れてしまったせいもあって、ああいう輪の中に入りづらかったりするのだ。
なかなか動き出さない俺を見かねて、彼女はこちらに歩み寄ってきた。
「冬馬様、お手を」
「へ?」
「お手をどうぞ」
言われるがままに、俺が右手を差し出すと。
「!」
ぽん、と。
彼女の白い手が、俺の掌に乗った。
「タッチです」
「え?」
「実は私、Bチームでして。鬼だったのです」
……やられた。
「さあ、獲物はグラウンドに沢山いますよ」
「……分かった。分かったよ」
俺は木の陰から歩き出す。
後ろで彼女が満足そうにしているのが空気で分かってしまった。
……そういえば榊の奴、俺の教育係でもあるとか言ってたもんな。
「……ただし」
俺はくるりと振り返る。
「お前も道連れだ! ほら、行くぞ!」
俺が手招きすると、彼女は一瞬呆気にとられたようだったが
「私は何時も、貴方のお側に」
そう言って、笑った。
……そんな顔でそんな台詞、少し、ずるい。