第15話:一夜の魔法
結局、泣き叫ぶことしかできない。
俺の能力じゃ彼女を助けられない。
なんて無力。
『私は、『貴方』を守りたい。たとえどれほどの血を流そうとも』
彼女はそう言ってくれたのに。
俺が拳を握っていると
「――冬馬」
突然、見知らぬ声が上から降ってきた。
気が付くと目の前に、漆黒の鎧を纏った碧眼の男が立っていた。
どこかで見たことがある。
……それも、ついさっき。
「……魔王……?」
漆黒の髪、憂いを帯びた瞳。
間違いない。榊に見せられた走馬灯の中の人物、その人だった。
「その娘の鎌の契約者は形式上いまだ私だ。だから傷が癒えない。私が契約を断って、お前が結び直せば榊は助かる」
魔王は膝をつき、指を噛んで赤誓鎌の刃に埋め込まれた紅い宝玉にその血を一滴、滴らせた。
途端、鎌が脈動する。
「お前も私がしたように」
とにかく頷いて、吉田の奴に裂かれた腕を差し出し、宝玉に血を吸わせた。
するとあの時のように、鎌の周りに熱い大気が吸い寄せられていった。
榊の血を刃が取り込む一方、彼女の傷は瞬く間に塞がっていく。
俺は、今日初めて会ったに等しい魔王と顔を見合わせて喜んでいた。
しばらくすると榊が目を覚ました。
「…………?」
初めはぼんやりしているようだったが
「!? ま、魔王様!?」
魔王を見て驚いたのか、すぐに意識がはっきりしたようだ。
「ど、どうしてここへ……」
あからさまに赤面している榊を見ているとなんだか少し複雑な気分だったが、今はそんな感情は捨て置くべきだろう。
「お前が人間界へ跳んだことは城のシステムですぐに感知できたからね。だけど居場所までは分からなかった。でね、楓が気付いたんだよ。例の写真にことごとくあの吉田って子が写ってるのを。まるで冬馬を監視してるみたいにね」
写真、というのは俺にはなんのことかよく分からなかったが、榊は感心したように唸っていた。
「なるほど……。撮った私自身気が付きませんでした。流石奥方様、きっとじっくり眺めていらっしゃったのですね……」
とりあえず吉田が黒幕ってことに気付いて魔王直々に学校まで来たってところなんだろうか。
「――さて。私も掟を破ってここまで来てしまったから、あまり長居はできないんだが……」
魔王は俺に向き直った。
「……冬馬、大きくなったな」
慈愛に溢れた視線。
直感で分かる。この人は俺を、『捨てて』なんかいない。
「…………」
けど、いきなりこういうのは照れくさくて困る。
どう答えたらいいのか分からず視線を泳がせる俺を見て、魔王は笑った。
「照れ屋なところは私の若い頃にそっくりだな」
「て、照れてなんか……!」
言いかけて止める。
素直になるって決めたのに、しょっぱなからまた俺は……。
けれどそんな反応すら魔王には嬉しかったのか、優しく笑っていた。
「……言いたいことは山ほどあったつもりなんだが、いざ面と向かうとどうも言えなくなってしまうものだね。……だけど、またこうして会えたことは、本当に嬉しく思うよ」
そう言って、魔王は俺を、不器用に抱きしめた。
「!」
これには流石に対応に困る。
というか榊の前なんでちょっと恥ずかしい。
でも、振りほどくなんて出来なかった。
「お前を並みの境遇で育ててやれなかったことには悔いがある。だがここで育てたことに悔いはない。あちらにいても第3皇子であるお前の立ち位置は微妙だっただろうから……」
魔王は悲しげな声でそう言った。
分かっている。
榊が見せてくれた記憶の中での魔王も、今と同じような顔をしていた。
きっと、俺のこともちゃんと考えて決断を下してくれたんだろう。
――それに。
「俺は親父と母さんを恨んでなんかない。母さんにも、そう伝えておいてほしい」
むしろ、尊敬してるんだ。
これは本音。本当の気持ちだ。
「……ありがとう」
魔王はそう言ってもう1度俺をぎゅっと抱きしめてから、そっと放した。
「……では、私は戻るが……。榊はどうする?」
突然話を振られ、榊は一瞬戸惑いを見せたが
「あの……私はしばらくこちらに。吉田実の件は私が責任を持って処理しておきます」
そう答えた。俺は心の中で小さくガッツポーズをする。ここですぐまたさよならは、やっぱり寂しいから。
魔王は榊の返事に頷いたかと思うと
「冬馬」
「へ?」
突然名を呼ばれて間の抜けた返事をしてしまった。
「もしかしたら、また会える日が来るかもしれない。その時を楽しみにしているよ」
――頑張れ、と。
そう言って魔王は格好良く、氷づけの吉田と竜と一緒に姿を消した。
……最後の『頑張れ』って。
もしかして全部お見通しだったんだろうか。
いや、まさか……な?
「……と、とりあえず帰るか」
気を取り直して俺が榊のほうを振り返ると。
ちょうど彼女が後ろにひっくり返りそうな瞬間だった。
「うわああ!」
あわててキャッチ。
「……申し訳ありません……その……」
「……貧血、だな」
あれだけ血を流しても貧血でとどめてしまうあたり、やっぱり赤誓鎌はすごい武器だと思う。
「あ、あの、しばらく休めばすぐ動けるようになりますから、少し待っていただけると……」
身体を支えられているのが恥ずかしいのか慌てているのか、とりあえず赤面している榊を可愛いなあと思いつつ
「ううん。待たない。負ぶって帰る」
「はい?」と硬直した榊を手際よくおんぶして、俺は機嫌よく歩き出した。
「と、冬馬様! いいですから! 降ろしてください!」
「やーだよーっと。榊、今日はうちに来るか? 前に食べ損なった母さん手製のミートソース、あれ結構うまいんだぞ」
今はご機嫌なのでなんでも言える。
なんかすごいなあ、魔法みたいだ。
「……で、では夕食の件はお言葉に甘えさせていただきますが……それとこれとは話が別です!」
……そんなこんなで学校を出るまでは何やらいろいろ抗議していた榊も、やっと大人しくなった帰り道。
「……やっぱり魔王って、なんか風格あったな……」
俺は自然と自分から魔王ネタを口に出していた。
正直あの人が本当に自分の父親なのか疑わしいくらい、格が違うように見えたのだ。
ルックスもそうだが、なんというか、人格的な面でも。
「それは当然と言えば当然です。魔界に王はただ1人。魔界で最も強く、賢い方だけが王座につけるのですから」
やっぱり榊は誇らしげにそう言った。
けど実物を見た今じゃそれも仕方ないかなと思えてしまう。
「榊が魔王にぞっこんなのも分かる気がするよ」
俺は妬みも何もなく、素直にそうこぼしていた。
すると突然榊がわたわたと慌てだした。
「と、冬馬様! 以前にも申しましたが先ほどの表現には少なからず語弊があります! と言うより全くの誤解です!」
「ん? そうなのか?」
榊がなんて説明するのか少なからず興味はある。
「ですから! 私は魔王様を、僭越ながら実の父のように敬愛していますがそれは奥方様にも同じ念を抱いておりまして!」
と、そこで榊の声のトーンが一気に下がった。
「……あ、の……そのことに関して私は貴方に謝りたかったのです……」
それだけで、榊の言いたいことが俺には分かった。
「謝らなくていい。榊は悪いことしてないじゃないか。むしろ2人は喜んでただろ? 娘みたいな子が傍にいて」
「いえ、ですから貴方に……」
彼女の言葉を遮るように、俺は言った。
「俺は良かったと思ってる」
「……え?」
「榊が生きててくれて、ほんとに良かった」
仮に魔王と母さんが俺を手元に残したなら、榊は赤ん坊のときに殺されてたかもしれないんだ。
そしたら俺は、彼女と出逢えていなかった。
そんなのは、嫌だから。
俺がそう言うと、肩にかかる彼女の手に、少しだけ力が入った気がした。
「?」
少しだけ首を回すと、泣きそうな顔になっている榊と目が合って俺は慌ててしまった。
「お、俺変なこと言った!? ごめん!」
「い、いえ、これはその、違うんです!」
彼女はぱっと顔を隠すように俯いた。
何か気まずい空気が流れて、俺は再び謝ることにした。
「その、前もごめんな。榊に『帰れ』なんて言っちゃって……」
すると彼女も再び慌てだした。
「いえ、それはその……気にしていなかった……と言うと嘘になりますが……正直、貴方の心中が読めませんでした。あの時冬馬様は何に怒っていたのですか?」
榊は率直に訊いてくる。
「え」
これは、困る。
だって、なんていうか。
あの時の俺はほんとガキみたいに癇癪を起こしてただけで。
なんでそうなったかっていうと榊が俺の側にいるのは負い目からで、本当の彼女の意思からじゃないからだって思って。
結局榊は魔王のことが1番大事で……。
ってそんなことに妬いてたなんて恥ずかしくて言えるわけがないじゃないか!!
「……冬馬様?」
不安そうに尋ねてくる榊。俺がここでちゃんと答えなかったら、こいつはまたきっと悩むんだろう。
「いや、だから、その……」
でも、やっぱりきっぱりと言い出せない。
「あの、言いにくいようでしたら無理に答えてくださらなくてもよいのです。差し出がましい質問でした」
あ! こら! そんなにあっさりあきらめないでくれ!
「だから俺! 魔王に妬いてたんだってば!!」
結局、無駄に大きな声でカミングアウトしてしまった。
「……は?」
榊は驚いたような戸惑ったような、そんな声を漏らした。
「榊がずっと魔王のこと良いように言うからさ、ちょっと妬いてただけだよ! ……まあ、実物見た今じゃ焼ける餅もないけど……魔王、格好良かったしな!」
とかもう自分で何を言ってるのかよく分からないことを赤面しながら暴露していた。すると
「…………」
背中ごしの榊はじっと黙り込んでしまった。
……やっぱり理由がガキっぽすぎて呆れられてしまっただろうか。
ああ、ああ。もう穴があれば埋まりたい。
けれど、次に彼女から返ってきた言葉は。
「冬馬様も、充分格好良かったですよ」
……え。
今、なんて?
『格好良かった』って、言った?
「……!」
彼女が褒めてくれた。
ただそれだけで、空の星が一気に綺麗に見えるこの魔法。
ほんと、どうにかしてくれ。