第14話:決着
それは、今はもう失われた、セピア色の記憶。
栗色の髪のその女性は俺をぎゅっと抱きしめていた。
黒髪の男は哀しい眼をして俺をずっと見つめていた。
クリーム色の記憶。
学校で少しいじめられたこともあったけど、同じ境遇の子たちと、本当の家族みたいに過ごした舎はとても賑やかで好きだった。
山吹色の記憶。
父さんと母さんに手を繋がれて、今の家にやってきた。最初は照れくさくて、なんだかぎくしゃくしてたけど、それでも2人の仲の良さに憧れていたし、仕事熱心な父さんを尊敬の眼差しで見ていた。
高学年になって陸上部に入った。全然結果は出せなかったけど、大会に応援に来てくれた母さんのおにぎりがすごく美味しかった。
中学になってもまだ走りを続けていた。どんどんタイムを上げる仲間に頑張って付いていこうと、毎日練習に励んでいた。他のやつらに比べたらまだまだだったけど、少しだけでもタイムが伸びて、先生に褒められた日は嬉しかった。
灰色の記憶。
高校に入って、母さんが父さんのもとへ行こうか悩んでいた。
俺は母さんに言った。
「もう高校生なんだから、心配ない」と。
母さんは俺に尋ねた。
「寂しくないの?」と。
本当は寂しかったのに、どうして「大丈夫」なんて言ってしまったんだろう。1ヶ月くらい、そんな後悔をしていた。
部活も陸上部を見学はしたけれど、結局入部はしなかった。高校の陸上ともなると、速い奴らばっかりで、気後れしたのが本当のところだ。
だけどやっぱり、ちょっと後悔していた。
帰宅部っていうのは存外に退屈で、1人で家にいる時間が長いと寂しさが増すだけだったから。
朝早めに登校するのも、そんな時間から逃げるため。
陸上部の練習をじっと眺めているのに、俺は結局動けなかった。
そんな自分の駄目さ加減に嫌気が差して、俺はどんどん自分が嫌いになった。
いつしか凍りついたように動かなくなった心。
本当はもっと、自分に素直になりたかった。
母さんだって引き止めたかった。
陸上もやればよかった。
なのに『引き止めたら迷惑だし』とか
『競って走るのは性に合わない』とか
そんな言い訳ばかり繕って、本当の自分と向き合えていなかった。
どんなに無様でも、後悔するくらいなら素直になってしまえばいい。
心が腐りきる前に。
気持ちが伝えられなくなる前に。
――だから。
「――……っ!」
目の前に榊がいて、自分がどこかから戻ってきたことに気がついた。
「なん、だ……? 今の……」
色んな記憶を一瞬の間に垣間見てきた気がする。
「走馬灯、です」
「……そ、走馬灯!? 俺死んでないけど!?」
慌てる俺に、榊はやや困った顔で説明する。
「あの、いえ、私は死神の、一族ですので……」
「ああごめんもう喋るな動くな」
榊が苦しそうだったので長くなりそうなその説明にストップをかける。
けど、なんだろう。
不思議と心が軽い。
どこからともなく自信が湧いてくるような、そんな感じ。
それがさっきの走馬灯のせいなのか、それともその前のアレのせいなのか、そこははっきりは分からないが。
――今なら、いける気がする。
「榊、ここでじっとしてろよ。俺、頑張ってくるから」
振り返らずにそう言って、俺は駆け出した。
竜が引き返してくる。いつの間にやら吉田はその背に乗っていた。
「勇ましいね上代君! 女の子を守るために死に赴くって? でもどうせあの子、失血多量で放っておいても死んじゃうよ?」
「あいつは死なせないし俺も死なない!」
俺が叫ぶと奴はまた耳障りな高笑いをした。
「格好つけちゃって! たかだか覚醒して数日の皇子様に何が出来るっていうんだい」
俺に、何が出来る?
そんなの分からない。
分からないけど、ただ。
俺の日常を守らないと。
あの娘は俺が守らないと。
「――ごめんな」
俺は鎖の先の『あいつ』に謝った。
本当は、ずっと自由に駆け回りたかったに違いない。
俺が俺を押さえ込んでいたせいで、あいつもずっと白い闇に取り残されていた。
俺はもう逃げないから。
お前ももう、自由に駆ければいい。
「燃やせ!」
吉田が合図で竜が大口を開け、炎の弾が生成される。
目の前が炎で赤く染まるその瞬間、俺は精一杯、剣に繋がれていた鎖を引き千切った。
「――来い!!」
そう叫んだ途端、目の前に迫った炎は一瞬で、波を模した芸術品のように凍てついた。
「な!?」
吉田はそんな光景に目を剥いていた。
そして、天に響くのは気高い嘶き。
漆黒の空に、それは光のようにはっきりと姿を現した。
現れたのは、純粋な白の鬣、月光を浴びて輝く銀の肢体。
立派な角を額に持つ、一角獣だった。
「魔神獣だと!?」
鎖の先に繋がれていたのは、この稀有の獣。
使い手の心に棲む、無二の神獣。
「……く、そ! なんだっていうんだよ! どうしてそんな奴、引っ張ってこれるんだよ!!」
吉田はそんな言葉を吐いたかと思うと、血走った眼でこちらを見た。
「もういい!! 焼いちまえ!! 全部燃やせッ!!」
俺のほうへ直接迫ってくる火竜。
白銀の馬はそれを果敢に迎え撃つ。
一角獣が鬣を揺らせば、竜の口から吐き出された炎の真ん中に氷の穴が作られた。
その中を、俺はひた走る。
「!! く、来るなあッ!!」
吉田の手から針のようなものが幾つも飛んで、制服やら頬やらが裂けたがそんなものは気にもならない。
氷の道を駆け上がり、俺はようやく頂上へと辿り着く。
白馬が放つ冷気によって、足から凍り始めた竜。
俺はその上の奴に向かって、渾身の一撃を決めてやった。
彼が剣を振るうと、以前とは比べ物にならないほどの吹雪が巻き起こり、火竜とその背に乗っていた少年を一瞬で氷づけた。
「……すごい」
その壮絶な光景を下から見上げていた榊は、思わずそうこぼす。
間近で見ていた彼女なら分かる。
以前のそれと今回のそれとでは、氷づけという結果は同じでも質が全く違う。
以前のものが純粋な『冷凍』なら、今回のものは『封印』。あれならば復活させる際に『蘇生』という医療行為すら不要だろう。
彼が意図的にそうしたのかは彼女には推し量れないが、剣の一振りに『封印』の術式を込めていたことになる。
彼女自身が『死神の接吻』による走馬灯で彼の覚醒を促したとはいえ、ここまで武器を使いこなせるようになるとは思っていなかった。
――彼に、ねぎらいの言葉を掛けねばならない。
そう思っていたのだが。
視界が段々と白くなっていく。
血が足りないのだと気付いた次の瞬間には、彼女の意識は途切れていた。
氷の道を滑り降りて、屋上に戻る。
するとすぐに、彼女の異変に気がついた。
「榊! おい! しっかりしろよ!」
彼女は意識を失っていた。
何度精一杯叫んでも、彼女の瞼は閉じたまま。
顔面は蒼白。手も血の気が全くなく、むしろ冷たくなってきている。
「榊!」
せっかく竜も吉田も倒したのに、彼女が助からないんじゃ意味がない。
意味がないのに……!
「目開けてくれよ……榊!!」