第13話:誓い
気がつくと、鼻につく奇妙な匂いが漂う場所に俺は置かれていた。手足が縛られていて身動きが取れない。
よく見ると、そこは学校の屋上のようで、日はもう暮れかけていた。
「やあ、お目覚めかい?」
眼鏡を外した吉田君――いや、吉田が目の前に立っていた。
どうやらあれは、夢じゃなかったらしい。
そんな落胆の色が顔に現れていたのか
「夢だったらよかったのにって思ってた? 君って本当に分かりやすいね」
奴は軽く笑った。
「……いつから俺を狙ってたんだ?」
「随分前かな。言ったよね? 僕は幼い頃から親に魔王になる夢を託されたんだ。だから君の存在はずっと前から知ってた」
彼は素直に喋ってくる。
「まあ、実際に行動をしかけたのは3ヶ月ほど前だけどね。ちょうど同じ時期に魔界から別の奴らが君を狙って来てただろう? それを警戒してクラスにあの死神がいることは分かってたからずっと大人しくしてたんだ。それをダミーにして、あれを帰らせた今がチャンスってところかな」
ふと視線を落とすと、足元にはチョークで書かれたらしいわけの分からない文字が並んでいる。
何かしでかすつもりらしい。
「ずっとこの日を待ってたんだ。今から君の力を僕に『移動』させる。まあ、君は廃人になっちゃうだろうけど、苦しまずにはいられると思うから安心して」
……は、廃人!?
「ちょ、なんだよそれ!?」
「だから、言ったろ? 僕は僕を否定しないためにも、この夢を叶えなくちゃいけないんだ」
彼はそう言って、不気味な色の液体が入った小瓶を軽く振る。この妙な臭いはあれが原因らしい。
「不完全な魔界人である僕が魔王になるためには、れっきとした皇子である君の膨大な力を手に入れるほかに手段はない。僕はあの金髪男みたいに惑いの術なんかで君を落とそうとは思ってない。僕は僕の『移動力』を使って君の力を根こそぎ頂く」
そして彼は小瓶から薬品を垂らし、俺の周りを囲うように円を描いた。
「きっとまともに話せるのは最後だし、何か言っておきたいことはある? それとも何か訊きたいこととか。特段君に恨みがあるわけでもないし、何でも教えてあげるよ?」
彼はあの、人懐っこい笑顔でそう言った。
悪寒がする。
彼は俺に恨みはないと言った。
ただ目的のために、俺の力が必要なだけで、そのためには俺を廃人にしてもいいと考えている。
人を踏み台にするのは過程の話で、彼にとってはそれより目的が大事なんだろう。
こういう相手は、厄介だ。
――とにかく時間を稼がないと。
幸い俺はブレスレットを捨てずに付けたままだ。うまくいけば榊に危機が伝わっているかもしれない。
……例え彼女が直接来てくれなくても、彼女が言っていた応援とかなんとかが来てくれる可能性はある。
「さっきお前、自分のことを『不完全な魔界人』って言ったよな? どういう意味なんだ?」
言った直後に、この質問はまずかったかと少し後悔した。
相手の感情を逆なでするような質問は避けるべきだったのだ。
だが
「言葉の通りさ。僕は魔界人と人間のハーフだからね」
彼は案外素直にそう答えた。
「ハーフ?」
俺の更なる問いに彼はふと逡巡するように宙を眺めてから、ひとつ息を吐いて頷いた。
「僕の父が魔界人でね、そこそこ名のある貴族だったらしい。父も僕と同じ特殊な『移動力』を持っていて、それを城の長老達が利用したのさ」
城の長老……あのバカップルが喋っていた、赤ん坊の榊を殺そうとしたとんでもない奴らだ。
それを思い出しただけでも不愉快な気分になったというのに
「長老達は父に言ったらしい。『死神一族を滅ぼせばお前を王座に据えてやる』ってね」
彼のその言葉を聞いて、俺は愕然とした。
「……な……」
「驚いた? そう、僕の父はその偉業を1人で成し遂げたんだよ。だっていうのに長老達は父を裏切って人間界に追放した」
そうして人間界で家庭を持った彼は息子に長老達への恨みと魔王になるという夢を託したらしい。
それからずっと血の滲むような鍛錬をしてきたんだとかそんな話を吉田がしていたように思うが、俺の耳には残らなかった。
「…………」
死神の一族を直接的にではないにしろ滅ぼしたのは城の長老達。
城の長老というからにはずっと城にいるんだろう。
榊だって城の寮に住んでいると言っていた。
つまり彼女は仇と同じ場所で生活していることになる。
……そんな皮肉があっていいのか?
「……聞いてる? その顔じゃあ聞いてないね」
吉田のそんな声で我に返った。
俺が奴を見ると、奴は少し不機嫌そうに腕を組んでいたがふと皮肉げに嗤った。
「死神の件がそんなにショックだった? 君のことだからあの娘に同情でもしてるんだろうね」
そう言われてはっとなる。
同情なんて言葉は、俺は嫌いだった。
けれどこの感情が同情だというならそれは仕方のないものだろう。
しかし、そんな感情よりもずっと大きくなるのは、怒り。
「…………お前ら、最低だな」
自然とそう呟いていた。
すると吉田はさらに顔を歪ませて嗤った。
「ははっ、偽善者ぶっちゃって。どうせ君だって何か目的が出来たとき、そのために誰かを犠牲にするんだよ。でも残念だったね? 君は結局、何の目的も見出せないままここで自我を失うんだ」
奴は手に怪しい本を持って、何か呪文らしきものを唱え始めた。
周りの円が不気味に光りだす。
――こんなところで廃人になってたまるかよ!!
せめて足だけでも縄を外せれば逃げることが出来る。
が、もがいてみてもやっぱり外れない。
こんなところでくたばったら、父さん母さんに本当の気持ちを伝えられなくなる。
もちろん、彼女にも。
「――っそッ、外れろッ!!」
そう叫ぶと右手に例の、氷の剣が出てきた。
それでとっさに足のロープを切断する。
「何!?」
彼がうろたえている間に手のロープも切断した。
一気に吉田のほうへ駆け寄り、剣を振りかぶる。
――ここで凍らせれば、何とか……!
それでも見知ったクラスメイトだから、ほんの少し躊躇いが生じたらしい。
そのちょっとした隙に、奴はまた何か呪文を唱えた。
途端、頭上から熱風が降り注ぐ。
「つ!?」
風圧で吹っ飛ばされて、俺の身体は数メートル先に転がった。
襲った熱気は相当なものだったが、火傷しなかったのはとっさに身を包んだ左腕の鎖のおかげだろう。
俺の武器がこれでなければ、今頃無事じゃすまなかったはずだ。
そんな生命の危機を感じてか、心臓がやけに激しく脈打っている。
見れば、空にはまるで真夏のような蜃気楼が浮かんでいた。そして、その先にあったのは。
「……な……!?」
黄金に光る鋭い双眸、生々しく光る赤い鱗。
炎に包まれた、竜だった。
「はははははは! どう!? 魔界の奥地から『移動』させてきた魔獣だよ!」
狂ったように高笑いする吉田。
漆黒の空の下、火の竜を背にする奴はまるで悪魔のように見えた。
そんな光景を前に、俺の頭に浮かぶのは『絶望』の2文字。
あんなでかい化け物に叶うわけがない。
「無駄な抵抗なんてしなければ怪我せずに済んだのに。儀式が複雑になるから嫌だったんだけど、殺してから奪うよ、君の力」
さらりと恐ろしいことを呟いた吉田が合図すると、竜は大きく咆哮して炎を吐いた。
「ぁつッ」
まるで火あぶりの刑にかけられたみたいに、周りを紅蓮の炎が包む。
「これで逃げ場ないよね。じゃあ、さよなら。上代君」
奴の手から、弓矢のようで、槍のようなものが飛び出した。
目では捕捉はできるのに、もう逃げられないと本能が悟ってしまう。
そう、諦めた瞬間。
「!?」
目の前に、あの背中があった。
――突き刺さる、生々しい音。
そんな非現実的な音が、間近で聞こえた。
悲鳴など、彼女は上げない。
その唇からこぼれたのは、苦痛を押し殺す声。
「っ……冬、馬様っ、大、丈夫です、か?」
あんなに会いたかった彼女がそこにいるのに、俺は動けなかった。
刺さっていたものが消えて、彼女が倒れそうになったところでようやく抱きとめるために足が動いた。
「榊!」
「貴方が、ご無事でなにより、です……申し訳、ありま、せん……駆けつける、のが遅くなって、しまって……」
絶え絶えに、それでもまた、彼女は謝罪していた。
「喋るな馬鹿! なんでこんな時まで謝るんだよ!」
泣きそうな声で喚いている自分が情けなくて、歯がゆい。
「……余計な真似を……」
吉田は苛立たしげにそうこぼしたが、広がる血溜まりを見て
「……ふうん? もしかして君、独断で来たの? 魔王の命令じゃなきゃその鎌の特性は発揮されないんだろう?」
馬鹿だね、と奴はけらけら笑った。
確かに、榊の手には赤誓鎌が握られているにも関わらず以前のように血を吸い出さないし、傷も癒え始めない。
――なんで?
「なんでだよ! 俺を守るよう最初に言ったのは魔王なんだろ!? だったら榊は別に魔王の意に反したことしてないじゃないか!」
俺は誰に言うでもなく、強いて言えば赤誓鎌に叫んでいた。
すると吉田は軽く首をかしげ
「……言われてみればそうか。まあそんなことはどうだっていいんだ。とりあえず面倒だから、2人とも消えて」
そう言い放った。
その手から、今度は大量の刃が放出される。
「っ!」
俺が動こうとする前に榊が鎌を大きく薙いだ。
刃はすべて掻き消される。
吉田はむっとしたようだった。
「おい、榊……!」
俺が彼女を止める前に、再び吉田が例の槍を放った。
榊も再び鎌を振るってそれを弾いたが、力負けしたのか大きく揺らいだ。
彼女が動くたびに、傷口から赤いものが滴り落ちていく。
「榊、もう動くな!」
俺の悲鳴に近い声を聞いてもなお、彼女は肩で息をしつつ、今にも倒れそうな身体で、それでも俺をかばうように立ち続ける。
傷口が癒える気配は全くない。
だというのに、彼女はどこか笑っていた。
「榊?」
「……おかしいと、思っていたんです。あの女と戦ったときから」
彼女は、笑い話のように続ける。
「鎌の治癒能力が弱まっていたり、呪詛の効果を打ち消せなかったのは……私の心があのとき既に、移ろっていたから、なんですね」
……心が、移ろっていた?
彼女は俺の眼を見て、微笑む。
「私は、『貴方』を守りたい。たとえどれほどの血を流そうとも」
血を捧ぐ誓い。
淀みなく、彼女はそう言い切った。
「……え……」
頭の中で、もう1度彼女の言葉を反芻する。
『貴方』っていうのは、俺で。
『魔王』じゃなくて、『俺』で。
その言葉だけで、今までもやもやしていたものがすべて吹き飛んだような気がした。
「やっぱり死神はしぶといね」
痺れを切らしたのか吉田は再び竜に合図する。
すると竜がこちらに飛翔してきた。
あの巨大な化け物にすら立ち向かおうとする榊の腕を慌てて掴み、俺はとっさに彼女を抱えて走り出す。
「と、冬馬様!?」
榊はなにやら恥ずかしがっているようだが、こちとら赤くなってる余裕なんてない。
全力で走って貯水タンクの狭間に隠れる。
竜が上空を羽ばたいていった。
「……はあ」
とりあえずその場にしゃがみ込んで一息ついたが、このままでは炎で炙り出されるのがオチだ。
――どうする……?
俺の手には氷の剣が握られているが、この剣の力だけでは到底あの馬鹿でかい竜を氷付けにするなんて出来ない。
すると、腕の中の榊が絶え絶えに尋ねてきた。
「冬馬様。貴方の、鎖の先には、何が、見えますか?」
「え?」
左腕の、鎖の先。
夢の中で見たのは白い闇だった。
その先に何があったかまでは、正直覚えていない。
俺がそう返す前に、
「冬馬様、少し、失礼します」
榊はそう言って、白い指で俺の前髪を掻き分けると、額にそっと、口付けた。
「!?」
一瞬何が起こったのかよく分からないまま、俺の意識は吹っ飛んだ。
というより、飛翔した。