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第11話:後悔

「――本当に、いいの?」

 その問いに、俺は笑って頷いた。

 俺の顔を見て、母さんは少し寂しそうな顔をしつつも

「じゃあ、行ってくるわね」

 そう笑って出て行った。


 あの時、本当は――……




 重い瞼を無理に開く。見慣れた天井が視界いっぱいに広がった。

 今日は、月曜日だ。

「…………」

 はっきりとした夢を見ていた。

 夢と言うより、あれは数ヶ月前の記憶そのものだ。

 なんだか少し汗をかいてしまったようで、手の甲で額を拭うと、例のブレスレットが視界に入った。


 彼女は魔界に帰った。

 多分、もう戻ってこないだろう。

 俺が、そう言ったから。


「…………」

 夢の中で味わった気持ちと、今の気持ちは少し似ている。


『無理に俺の側になんかいなくていいって言ってるんだ!! いいから帰れ!!』


 …………傷ついた顔してた。

 当たり前だ。俺は酷いことを言った。


 彼女が真面目な性格だってことくらい、最初から分かってたのに。

 そんな彼女だから、背負ってきた感情は余計に重たかっただろう。


 思い返せば思い返すほど、自分の馬鹿さ加減に辟易する。

 悪いのは、全部俺。


 ――俺は、馬鹿だ。


 そう自嘲して、俺は重い身体を引きずるようにベッドから這い出た。




 朝、登校すればいっちゃんと靴箱で出会って、何気ない会話をして。

 昨日までのことが嘘みたいに、時間は普通に過ぎていく。

「ねえねえあのサッカー部の格好いい先生、もういなくなっちゃったんだって!」

「えーうっそー。ざんねーん」

 例の仲良し3人組の会話の中にちょっとした片鱗があったが、もともと臨時の講師だったせいもあって彼が急にいなくなったことを不審に思う者はいないようだった。

 ただ、教室に榊の席はまだあって、名簿にも名前が残っていることは事実だった。

 けれど彼女が欠席していても誰も気にも留めていない。彼女の能力は本人が居なくても継続しているようだ。


 その日は何も気にかけるものはなくなったはずなのに、また授業の内容が全く頭に入らなかった。




 * * *

 魔界の中枢機関である城は、当然ながら広大な敷地面積を誇っている。

 政の場である議事堂から、直轄軍の施設、さらには使用人や軍人達が住まう寮も全て城の敷地内に納まっているのだ。

 榊はそんな城の施設のひとつである、食堂へと足を向けていた。

 城の食堂と言っても使用人や軍人達が利用する非常に簡素なものであり、場所も離宮に位置している。食事のためにいちいち離宮に出向くのが面倒だと感じる者は、迷わず自身の部屋の調理場を使用する。

 彼女の部屋にも勿論調理場は備え付けられていて、普段はそちらで自炊していたのだが、ここ数ヶ月空けていたせいで食料のストックが皆無なのだ。

 ようやく離宮へと続く渡り廊下へ差し掛かったとき、前方から人の気配を感じ、彼女は道を空けるように端に寄った。

 普通なら例え相手が目上でも、ここまで気を遣うことはない。

 だが相手が議会の長老なら、話は別だ。

「…………ふん」

 すれ違いざま、いかにも不愉快そうにその老人は鼻を鳴らした。この程度の嫌がらせはいつものことだ。

 だが、今日に限ってはこれだけではすまなかった。

 そのまま立ち去るかのように思えた老人が、ふと足を止めたのだ。

「せっかく人間界へ下る機会を与えられたというのに、再び戻ってくるとはな。そんなにこちらに未練があるのか? それともあちらにも居場所がなかったのか?」

 老人は背を向けたまま、榊に問う。

 いや、これは問いと言うより一方的な嫌味と言ったほうがいいだろう。

 老人はひとりでに笑って、

「……せいぜい、生き延びた己の運命を呪うがいい」

 そう言い残し、去っていった。


「…………」


 この程度の嫌味は慣れている。

 昔はもっと直接的な嫌がらせだってあったのだ。

 それを思えば言葉だけの棘など、痛くはない。


 そう自分に言い聞かせ、彼女が再び歩き出そうとすると。

「さっかきちゃーんっ」

 突然後ろから両肩に手をかけられて、思わず彼女は肩をびくつかせた。

「ごめんごめん、驚かせちゃった?」

 振り返ると、そこにいたのは片目を眼帯で覆った軍服姿の女性。

「ひ、海星さん……」

 ほんの少し前まで極度の緊張状態だったというのに、突然こんなノリで声を掛けられたら驚くというものだ。

 榊はへなりと頭を垂れた。

「あっはっは、ごめんごめん。昨日帰ってきたとこなんでしょ? なのにまーたあの陰険クソジジイに絡まれてたみたいだったからさー。お姉さん的には元気出してほしいなーって」

 第三者がこの言葉を聞けば顔を真っ青にして周りに人がいなかったか確認するくらいの暴言だったが、議会の長老――魔界において魔王の次に権力を持っているといっても過言ではない老人をクソジジイ呼ばわり出来るのは彼女のほかに数名程度しかいないことは榊もよく分かっている。

 いかにも活発そうな短い髪に、中性的な顔立ちを持つこの女性は魔王直轄軍3番隊の隊長でもあり、榊が幼い頃から色々と世話になっている姉貴分的存在でもあった。


 そのまま2人で食堂に向かい、明るい窓際の席を陣取って会話を始める。

「で、どうだった? 向こうの世界は」

 興味があるのだろう、海星はひっきりなしに人間界について榊に質問した。


 本来、魔界人は手段さえ心得ていれば自由に向こうの世界へ行くことができる。しかし別の世界へ渡るには正当な理由と魔王の許可を得なければならず、その過程を経なければ罰せられることになる。

 加えて他の世界への干渉は極力避けるべきという6世界の暗黙の掟があるため、平凡な学生が留学するならまだしも、力を持つ軍人などは人間界へ渡る機会が特に少ない。

 そういうわけで、海星は未だに人間界へ渡ったことがないのだ。


 榊はそんな彼女の絶え間ない質問に辟易することなく、自身が見てきたものをつらつらと答えた。

 そうして海星の質問がひと段落した頃、

「榊ちゃん、なんか元気ないね」

 突然彼女がポツリとそうこぼした。

「え……そうですか?」

 榊は思わず目を丸くした。

 自覚はなかったのだ。少なくとも、表に出している自覚は。

「うん。いつものキビキビ感が足りないもん。疲れてたのかな? ごめんね質問ばっかで」

「いえ、質問はいいんです。疲れているわけでもありませんし……」

 それを聞いてはて、と海星は首をかしげる。

「んー? じゃあ向こうで何かあったの?」

「いえ、特に何があったというわけではないのですが……」

 いつになく煮え切らない返事をする榊にますます海星は首をかしげ、ずばり問う。

「皇子様関係のこと?」

「……!」

 榊の顔に微かな動揺を感じ取った海星は、にまりと笑う。

「図星かな? さあ、この海星様に話して御覧なさい!」

 ぽんと胸を叩いて促す海星に、それでも榊が躊躇っていると。

「教育的指導につい熱が入って皇子様に赤誓鎌使っちゃったとか?」

「使ってません」

「敵に暴言を吐いたところを皇子様に見られて気まずくなったとか?」

「吐いてません」

「じゃあ刺客を半殺しにしちゃってドン引きされちゃったとか?」

「してませんしされてません! というより海星さんは私を一体何だと思っているのですか!」

 榊が赤面して吼えると、海星は満面の笑みで答えた。

「可愛い妹だと思ってるわよ?」

「…………」

 その言葉に、榊はさらに赤面した。

 彼女に隠し事は出来ない――否、する必要はないのだ。

 榊はひとつ息を吐いて、告白する。

「その……なんと言いますか……喧嘩別れのような形になってしまいまして……」

「え、喧嘩別れ? 皇子様と榊ちゃんが?」

 海星は目を丸くした。

「榊ちゃん、どことなく人付き合いはぎこちないけど喧嘩はあんまりしないでしょ? むしろ見たことないし」

 『人付き合いがぎこちない』のは自分でもよく分かっているので榊はあえて反論しない。

「……と言いますか、一方的に拒絶された感が否めません」

『いいから帰れ』と叫んだ彼の、今にも泣きそうな声はまだ彼女の中でこだましていた。


 その言葉に、少しでも傷ついてしまった自分が情けない。

 本当に傷ついているのは、向こうだというのに。


「ねえ、皇子様ってどんな方なの? 気難しい方なの?」

 榊は即座に首を振る。

「そのようなことは決して。冬馬様は優しい方です。誰とも知らぬ私のことをよく気に掛けてくださいました」

「だろうね。じゃないと榊ちゃんが今そんな顔してるはずないもんね」

 海星は苦笑しながら手元のカップをいじる。榊もつられて自嘲めいた笑いをこぼした。

「……負い目を感じているなら無理に側にいなくていいと言われました。突き放す言葉だというのに、それでも私のことを考えて仰っている。……あの方は本当に優しくて、少し不器用です」

「不器用?」

「いえその、ご自身の気持ちをはぐらかすところがおありといいますか……素直に自身を見つめることが苦手でいらっしゃったようなので」


 例えば、陸上を続けていた理由。

 『両親に褒められたかった』という理由を、自ら不純だと決め込んで話そうとしなかった。

 それにその部活の件。

 4月から彼をずっと見てきた彼女は知っている。

 下校時、彼の視線の先にあるのは決まって陸上部の練習風景だった。

 そして両親の件。

 彼があちらの両親の話をするときの言葉端から分かるのだ。彼は上代夫妻を尊敬し、慕っている。

 だからきっと、彼は母親を笑顔で送り出したに違いない。

『寂しい』という気持ちを押し隠して。


「じゃあさ、本人に聞いてみたら?」

「はい?」

 海星の突然の言葉に、榊は首をかしげた。

「だからー、要するに皇子様って素直じゃないんでしょ? だったらその『無理に側にいなくてもいい』って言葉も本当かどうかわからないじゃない」

 海星の、超がつくほどのプラス思考に榊は困惑する。

「ですが……敵の口から冬馬様は直接例の噂をお聞きになったんですよ? あんな話を聞かされたら、仮に私が彼の立場であったとしてもやはり私とは顔を合わせにくいです……」

 俯いた榊に、海星は言った。

「それは多分、榊ちゃんの問題ね」

「……?」

「顔を合わせにくいと思ってるのは、榊ちゃんじゃない?」

「……それは……」

 確かにそうかもしれない、と榊は膝の上で手を硬く握った。

「でも榊ちゃんは皇子様の言葉にちょっと傷ついてる。なんでだろうね?」

 自分のことを聞かれているのに、なぜか榊は即答できなかった。

 そんな様子に海星はくすりと笑む。

「じゃあこれは課題ね。よーく自分で考えるのよ」

 それだけ言って、海星は席を立った。気が付けばじきに昼休みが終わる頃合になっていたのだ。

 が、立ち上がった海星はふと思い出したように尋ねた。

「そういや榊ちゃん、向こうの世界で『魔王様』って何回言った?」

「は?」

 唐突で、加えて意味深な問いに榊は素っ頓狂な声を上げてしまった。

「へへ、もしかしたらそういうのもあるかもねってこと。じゃあまたね!」

 結局最後までどういうことなのか告げずに海星は一瞬で姿を消した。

 どうやら『移動力』を行使したようだ。

 その様子からして恐らく午後からすぐの予定が入っていたのだろう。

 にも関わらず時間ぎりぎりまで相談に乗ってくれた彼女に感謝しつつも、問われた問いの答えを見つけるべく、榊はひとり考え始めた。


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