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第10話:別れ

 地面が割れた。

 今まで経験したことのないような浮遊感を覚える。

 そのまま俺の身体は落下して……。


「――いい加減、回りくどいんだよ」


 俺は、男の前に立っていた。

「な……!?」

 男は目を見開いている。

 俺みたいな素人に斧の攻撃に織り込んだ幻覚の術を見破られるとは思っていなかったのだろう。

 地面は実際、崩れてなどいないのだ。

「お前の攻撃力は高くない。術を併用して相手を惑わせるようなことしか出来ない。……自分が小物だって、いい加減気付いたらどうだ」

 俺がそうこぼすと、奴は顔を赤くした。

 羞恥と怒り、その両方が奴の顔を沸騰させているようだ。

「……ッうるさい!! お前に私の何が分かるッ!!」


 ……何が分かる、だって?

 ――笑わせる。


「それはこっちの台詞だ」

 氷の剣を一振りすると、想像以上に大きな吹雪が巻き起こり、

「は、ハリス様ッ!?」

 一瞬で、男を氷づけにしてしまった。


「……!!」

 驚愕の形相のまま凍ってしまった男を見て、黒衣の女が立ち尽くす。

 が、すぐに憎悪の眼差しをこちらに向けてきた。

「貴様……! よくも! よくもハリス様をッ!!」

 真っ直ぐに女は向かってくる。

「とっととその呪詛とやらを解けよ」

 俺は不思議なくらい動じない。

 まるで心まで凍ってしまったかのようだ。

「誰が!」

 女が懐までやってくる。

 が、

「――お前も凍りたいのか?」

 俺は躊躇なく剣の切っ先を女の首もとに向けた。

「!」

 女の動きがピタリと止まる。

 当然だ。それ以上動いたら、切っ先が刺さる。

 それでも女は臆さず言った。

「ハリス様を元に戻しなさい! そうすれば呪詛は解いてあげるわ!!」

 女がこの状況でも臆さないのは、本当にあの男のことを想っているからなんだろう。

 その真っ直ぐな眼が、痛くて痛くてイラついた。

「知るかよ」

 実際、氷の溶かし方なんて知らないのだ。

「……ッ!!」

 いよいよ女が怒りを顕にしてその杖を短剣に変えた。

 反射的に、俺は剣を持つ手に力を込める。

 すると。


「冬馬様!!」


 悲痛に満ちた、それでも厳しい声がその場に響く。


 気がつけば目の前に、女の手と、俺の剣を素手で押さえ込む榊がいた。

「おやめください冬馬様。貴方はこんなことをしてはいけない」

 刃を伝う赤い血。

 ぽたぽたと地面にこぼれ落ちていく。

 立つのも辛いはずなのに、彼女の眼はあの、凛とした光を発していた。

 ただその光の中に、憂いが混じっているのが分かってしまって、それで少し、頭の中の湯気が晴れる。

「さ、かき……」

「貴女も腕を下ろしなさい。一瞬で氷付けになったのですからまだ蘇生は可能なはずです。今すぐ魔界へ行けば、の話ですが」

 榊が女にそう告げる。

「……っ分かったわよ! ちゃんと助かるんでしょうね!?」

「城に専ら治療に長ける術者がいます。あの者の腕は私が保証します」

「嘘だったら承知しないんだから!!」

 女がそう吐き捨てつつも短剣を落とすと、榊の顔から明らかな苦悶の色が消えた。

 呪詛が解けたらしい。

「…………」

 俺も腕を下ろす。すると溶けるように剣も鎖も消えていった。


「……冬馬様、急を要しますので私はこのままこの者たちを連れて1度魔界に戻ります」

 榊が言った。

「……ああ」

 力のない返事を返す。

 彼女の血を見て、俺の思考回路は半ば停止しかけていた。

「事後処理が残るのでまたお目にかかるとは思いますが……」


 ……事後、処理。

 その言葉で気付かされた。

 終わったんだ。何もかも。

 それも、最低な終わり方で。


「……もう、いいよ榊」

「……?」


 俺は、何がしたいんだろう。


「本当は俺と顔を合わせるのも辛いんだろ? だったら、事後処理なんか他の奴にまかせて、お前はあっちにいろよ」


 まるで、癇癪を起こした子供みたいに。


「そのような、ことは……」

 榊が言葉に詰まった。

 俺は耐え切れずに叫んでしまう。

「無理に俺の側になんかいなくていいって言ってるんだ!! いいから帰れ!!」


「…………」

 榊は、そのまま沈黙した。


 その沈黙が長かったのか短かったのかは分からない。

 それでも彼女の返答にしては、やっぱり長かったのかもしれない。

「……貴方が、そう仰るのなら……」

 榊はそう言って、他人行儀に深々とお辞儀をした。

「数々の無礼、お許しください皇子様」

 それだけ言って、榊も、エイリとかいう女も氷づけにしてしまった男も、皆消えてしまった。


 俺は文字通り、ひとり取り残されるように突っ立っていた。






 * * *

 魔界の中央にそびえる荘厳な城内に、ぱたぱたと慌しい足音が響く。足音の主は黒い衣服に身を包んだ白髪の老人だ。

 その老執事は慌て者として有名だったが、前魔王の時代から王家に仕え、現魔王の妻楓の養育係でもあった古株中の古株だ。現魔王の信頼も厚い。

 彼は慌てすぎてうっかり転びそうになりながらも辿り着いた王の間で、大事な報せを王に告げた。

「魔王様! 今しがた榊殿が戻られたと連絡が入りました!」

「何? すると例の件はもう片付いたのか?」

 半ば驚きの表情で、魔王が王座から腰を浮かせる。

「そのようでございます! 主犯と思しき男とその部下の女を連行してきた模様です!」

 それを聞いた王はふむ、と頷いて

「報告を聞きたい。即刻でなくともよいから私たちの部屋へ来るよう榊に伝えてくれないか」

「承知しました!」

 老執事は再び慌しく駆けていった。




 ある部屋の前で、彼女はひとつ深呼吸した。

 その部屋とは現魔王とその正妻の寝室だ。彼ら以外でこの部屋に入ることが出来るのは、ごく一部の執事と侍女、そして彼女くらいのものだった。

「ただいま戻りました」

 城に仕える者が羽織るケープを纏った榊は、深々とお辞儀をして入室する。

 部屋に入った途端、空気がふわりと軽くなったように感じられた。

 政の場でもあるせいか、城内は時折息が詰まるほどピリピリとした空気が流れるときがある。

 そんな時でもこの部屋だけは、常に柔らかい空気を保っているのだ。

「ご苦労だった、榊。顔を上げなさい」

 彼女は言われた通りに頭を上げ、前を見つめる。

 そこには黒髪、碧眼の美しい男と、透き通るような栗色の髪の美女が並んでいた。

「お帰りなさい、榊ちゃん」

 2人は優しく、柔和な笑みで彼女を迎える。

 この華々しい2人こそ、現魔王、神代炎騎とその妻楓だった。

 この部屋が常に穏やかな空気を抱えているのは、この2人がいかなる時も仲睦まじいからだと榊はよく知っている。

「早速で悪いんだが……冬馬はどんな子に育っていた?」

「やっぱりこの人似だったかしら? 産まれた時は私に似ていたと思うんだけど」

「何を言うか。目元なんて私にそっくりだっただろう」

 ……なんて、事件に関する質問ではなく息子に関する質問ばかりを投げかけまくるあたり、この夫婦は本当に親馬鹿で、仲が良いのだ。

「…………」

 どう答えたものかと榊はひと通り逡巡し、口を開く。

「冬馬様は……そうですね、とてもお優しい方でした。学校ではとても落ち着いて生活をなさっていましたよ。中学までは陸上をなさっていたようですが高校に入られてからは帰宅部ですね……ですが仲のよいご学友もいらっしゃるようですし、心配なさるようなことはまずないかと。それと、魔王様と奥方様のどちら似……と尋ねられると答えに窮するほどどちらにも似ていらっしゃいました。僭越ながら申し上げますと、お顔立ちは奥方様似、けれど時折見せる仕草や表情は魔王様似かと……」

 ふんふんと満足げに炎騎と楓は頷いた。

「ありがとう。では今回の件に関しての報告を」

 ……なんだかこちらの件のほうがおまけのような扱いですねと言いそうになったのをぐっと堪え、榊は淡々と報告する。

「冬馬様を狙っていた輩2人を連行してまいりました。うちひとりは薬師の手によって治療中ですが明日には口をきけるそうです」

「そうか。……また今回も派手にやったようだな」

 炎騎はそう言って苦笑する。いつもならそんな言葉を嬉し恥ずかしで賜る榊だったが、今回ばかりは気まずさを隠せない。

「あの、いえ……その男を仕留めたのは冬馬様なのです……」

 流石にそれには炎騎も楓も驚いたようだった。

「それは……本当か?」

「……はい」

 炎騎の顔に憂いが覗く。

 無理もない。ついこの間まで普通の人間として生活させていたはずの子が、刺客を返り討ちにするほどの力を得たとなれば親としては複雑な心境だろう。

「……あらあら、やんちゃな年頃なのかしら……ねえ」

 楓は冗談めかしてそう言った。

 重くなりかけた空気を払おうとしたのだ。それを察して炎騎も軽く笑みを湛えた。

「……そうだな。ということはあの子は完全に覚醒したのか?」

「そうですね……私が見た限り、完全に限りなく近い形でしたがまだ完全とは言えないようでした。まだご自分の力を理解されてはいないようでしたので」

 榊はそう言って俯いた。


 間近で見た彼女なら分かる。

 彼のあれは『覚醒』と言うより『暴走』に近かったと。

 普段の穏やかな彼なら、例え敵にとはいえあんな無慈悲に剣を向けることなどなかったはずだ。

 ……そしてその暴走の一因が自分にあることも、彼女は痛いほど分かっていた。


 急に黙り込んだ彼女に、炎騎と楓は顔を見合わせながらも

「後のことは書類の報告で分かることだ。大儀だったな榊。ゆっくり休みなさい」

 彼女の労をねぎらった。

「……はい」

 榊はそう答え退室しようとしたのだが、あることを思い出して立ち止まる。

「奥方様、以前仰っていたもの、勝手ながら持ち帰りましたので、あとで侍女に届けさせます」

 すると見る見るうちに楓の顔が少女のように輝きだした。

「覚えていてくれたのね榊ちゃん! ありがとう!」

 感極まったかのように彼女は榊をひしっと抱きしめた。

「お、奥方様!」

 榊は困惑する。

 幼い頃ならいざ知らず、自身の身分をわきまえるようになってからはこのような形のスキンシップはずっと避けてきていたのだ。

 そのことを知りながら、いや知っているからこそ楓は彼女に優しく囁く。

「いいのよ、貴女は私達の娘みたいなものなんだから」


 温かい抱擁の中で、思わず涙腺が高ぶったのを榊は必死にこらえた。

 死神の一族というだけで多くの者が冷たい視線を送る中、この夫妻は非常に温かく彼女を見守り育ててくれた。

 この恩は一生を懸けても返しきれないと思うほどだ。

 ――それに。

 あの噂が真実なら、尚更だ。

 実の子である冬馬は孤児として人間界で育てられ、魔界で孤児だった自分は魔王夫妻に実の娘のように可愛がってもらっている。

 だから、彼には本当に、申し訳ないのだ。


「しばらくは学校も休んでいいから、ゆっくり休養をとってね」

「……はい、ありがとうございます、奥方様」

 榊は顔を隠すように深々と礼をして、足早に部屋を出た。


 彼女が退室してから、炎騎は微かに首を傾げた。

「榊は少し元気がなかった気がするんだが……」

 すると楓も同調する。

「あら、やっぱり貴方もそう思いました? 何かあったのかしら……」

 2人がそんな会話をしていると、侍女がノックと共に入ってきて、楓に小さな箱を献上した。

 炎騎は不思議そうにその箱を眺める。

「それが、さっき榊が言っていたものか?」

「ええ」

 楓はふふ、と笑って箱を開けた。

 そこには、榊が人間界に降りてからその能力を駆使して隠し撮った、冬馬の生写真の数々が収められていた。

「これは……すごいな」

 これには驚きながらも破顔する炎騎だった。


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