第二章 夏空と宿題⑦
「今日はありがとう。勉強になった」
施設を出て、俺たちは校門の前に居た。
あたりは夕日色に染まっている。どうやら練習に精を出しすぎたらしい。
「だが、すまない。私ばっかり教えてもらって」
「えっ? ああ、そっか。俺も宿題教わるんだったっけ」
「まさか忘れていたのか?」
「すっかり」
はぁ…………と彼女はため息をつく。
どうやら呆れられたようだ。
「まあ、宿題は自分でも何とかなるし」
「そうか…………でも、分からないところがあったら遠慮なく聞いてくれ」
「じゃあ、そうさせてもらうわ」
俺たちは挨拶を交わし、お互いの帰路に着く。
今日だけでキサラギとの距離がかなり縮まった感じがして、
その満足感を胸に俺は家へと向かう。
「ふう、疲れた」
リビングを覗いても、まだ食事の用意が出来てなさそうだったので、
俺は自分の部屋へと登って行った。
部屋を空けると、そこにはとんでもない光景が広がっていた。
俺のベットで誰かが寝ている…………
いや、そんなことをするやつは一人しか居ないのだが。
リルムは涎を垂らしながら、俺の枕を抱きしめ寝ていた。
おそらくは窓からでも進入してきたのだろう。
それにしても…………夏服で薄着の上に、この寝相。
「う~む。きわどい」
彼女が寝ているのを良いことに、俺はリルムを観察する。
「やっぱ、可愛いよな」
その無防備な寝顔に、俺は見とれてしまう。
性格を知ってなければ、ここでキスのひとつやふたつもしているかもしれない。
「ふう、しょうがない………」
俺は魔が差す前に、彼女を起こそうと、身体をゆすった。
「むにゃむにゃ………」
「お~い。起きろ」
「もう…………食べられないよぉ……」
完全にスリープモードらしい。
ほっぺをペシペシやっても、にゅーってやっても彼女は起きない。
「リルム起きろよ…………」
俺は彼女の顔へと顔を近づける。
なんでこんなにも自分の心臓がドキドキしているか分からない。
彼女の髪からはなんだかいい匂いがして、
もっと近づきたいと、俺の中の何かが疼いていた。
「起きないと、襲っちまうぞ…………」
その言葉にも彼女は反応を見せない。
俺はもう一度彼女の唇を見る。
ふっくらとした、形の良い唇は、なんとも官能的だった。
俺は思わず、生唾を飲み込んでしまう。
その唾が喉元を通る音がとても大きく感じた。
この音で彼女が起きてくれればいい、そうも思った。
そして、こんな俺を止めてくれれば、と。
唇が近づく、あと少し体勢を傾ければ、触れ合ってしまう。
こんなにも彼女と近い距離に居るのだ。俺は…………
「お兄ちゃん、ご飯できたよ~!!」
突然の来客者に俺は固まってしまう。
「おにいちゃん…………なにしてるの………?」
固まったのは俺だけではない。
クーナも俺たちの様子を見て唖然としている。
それもそのはずだ。
俺はリルムの頭付近で跪いて、彼女を見つめていたのだから。
「ご、誤解だ!! 俺は何もしていないぞ!!」
俺は慌てて、クーナに事情を話す。いや事情も何もないのだが。
「お兄ちゃん…………見損なったよ」
クーナは大層なショックを受けているらしい。
だが、俺は無実だ。
キスを殺人に例えるなら、今のは殺人未遂だ。
ってあれ? 殺人未遂も犯罪じゃ………?
と、ともかく俺はしていないのだ。これだけは本当だった。
寝ているリルムを横目に俺は全力をもってクーナの誤解を解こうと試みた。
「で、まとめると、リルムさんの寝顔があまりにも可愛かったので――――ってこと?」
「はい。その通りでございます」
俺は正座をしてクーナの前に座っていた。
「もう。お兄ちゃんの前では、もう眠れないね」
ううっ…………妹からの信用を失うのは悲しい。
「キスしたいなら、起きている時に堂々としなさい!!」
「はぁ?」
クーナの一言に俺は驚く。
寝込みを襲ったことを怒られるのかと思ったら、違ったらしい。
「だから――――リルム、キスしていいか? みたいな」
彼女のテンションはおかしい。俺の真似をしたのかそんな台詞を吐く。
「そんなこと言えるわけないだろ!!」
想像しただけで、顔が赤くなる。
というか付き合っても無いのにキスはアウトだろ。
いや、俺もしようとしちゃったけど……………
「とにかく。お兄ちゃん、頑張れってこと。以上!!」
そう言ってクーナは部屋を出て行った。
怒られるのとは逆にエールを送られるとは。
「はぁ」
隣のベットで寝ている少女を見る。
彼女は何も知らないまま、いい夢を見ているのだろう。
俺は部屋の電気を消し、彼女にタオルケットをかけると、部屋を後にした。
「ロイちゃん…………だいすき」
リルムが呟いた言葉は、階段を下りる俺には届かなかった。