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名探偵・後藤神冶

作者: 栖坂月
掲載日:2010/08/19

少し悩んだのですが、どこにも出すアテのない作品なので上げておくことにします。

そもそものアイデアは悪くもないと思うので、悪い見本として活用していただければ幸いです(笑)



 昨今の世間には『神』と呼ばれる探偵が居る。

 その名を後藤神冶ごとうしんじ、警察関係者でもないのに幾つもの殺人事件と関わり、解決へと導いた張本人だ。その活躍はあまりに現実離れしていて、モニターの向こうで行われるフィクションのようですらある華麗な事件簿にワイドショーは群がり、それを無責任な一般大衆が賛辞している。僕は基本的には気味が悪いと思っている口だけど、どこか遠くの世界の出来事のように感じているのだから、無責任な賛美者と大して違わないだろう。ただ、自分と無関係なものに無関心なのは別段不思議なことでもない。誰だって、目の前に突然芸能人が現れるなんて思っていないだろう。

 それは本当に、些細な偶然から始まったことだった。

 キッカケを探るなら、恐らく年末の福引にまで遡る。クリスマスも満足に祝うことなく過ごした淋しい大学生活に、少しくらいの潤いを求めても良かろうと背伸びをして高価な日本酒を買った帰り、貰った福引券で握ったハンドルを何気なく回した結果が鈍く輝く金色の玉だった。特賞と書かれた半紙の下には『二泊三日の温泉旅行』と記されており、想定など全くしていなかった幸運に不覚にも浮かれたものである。ただ、すでに年末へと突入しているせいで地元に帰省している連中が大半であり、残っていた数少ない友人にも断られてしまった為、ペアの宿泊券を有効活用する機会に恵まれず、一人で温泉宿へと向かうことになった。もっともこの時は、一人旅など経験のなかった僕にとって初めての単独小旅行でもあり、淋しさなど微塵も纏っていなかったことと思う。

 冬休みも終盤に迫った一月最初の金曜日、僕は意気揚々と寂れた温泉街の一角に建つ古風な旅館『なかむら』の門戸を開いた。ロビーに居た支配人さん、部屋まで案内してくれた仲居さん、わざわざ挨拶に来てくれた女将さん、その誰もが明るく丁寧で好感を持てた。すぐに訪れた自慢の大浴場で仲良くなった客人の話を聞くと、親族で経営しているとのことだ。親族経営なんて聞くと、普段ならあまり良いイメージを持たないところだけど、共有して見える温かな雰囲気はそのためかもしれないと、変に納得してしまっている自分が居た。ちなみに仲良くなった彼は夫婦で来ているらしく、ここの宿泊券は息子さんからのプレゼントだそうだ。親孝行しておけよという言葉が、耳に痛かった。

 夕食を終え、特に娯楽もないからと再び温泉に向かった僕は、その途中で女子大生三人組とすれ違う。話し掛けたりはしなかったものの、温泉に入って食べて寝るだけという状況に別の要素が加わったことだけは間違いなかった。そして、下らない妄想で頬の筋肉が緩んででもいたのだろう。訪れた浴場の洗い場で、壮年の男性に声を掛けられることになる。話してみると彼は作家と名乗り、この旅館の常連客らしい。従業員の事情にも詳しく、最初に入った時に出会った男性が支配人と旧知の間柄であることも教えられた。世間は広いようで狭い、そんな言葉を口にする彼は人生の重みを知る人間の風格を漂わせていた。

 この偶然を必然に変える為にも明日は女子大生達に話し掛けてみよう、そんな風に思いつつ布団に潜り込んだ僕は、聞こえる筈のない綿雪の積もる音を聞きながら穏やかに眠りの世界へと落ちていく。幸せという言葉の意味など考えたこともないが、今がその言葉を使うべき時なのかもしれないと思いながら。

 しかし翌朝、目が覚めると悲鳴が聞こえた。とは言っても人のモノではない。優しく丁寧に降り立っていた雪が、何かを憎んでいるかのように窓を叩き、激しく泣き叫びながら通り過ぎていく。とても外出が出来るような状況ではなかった。もっとも、この旅館の周辺に気の利いた娯楽施設など皆無と言って差し支えなく、殊更吹雪だからと言って嘆く必要はなかった。せいぜい、寒いからと昨晩敬遠していた露天風呂に入っておけば良かったと、和やかな後悔を口にする程度でしかない。

 そう、僕だけでなくここに居る誰もが、この穏やかな時間の終わりなど予想していなかったに違いない。少なくとも『彼』が現れるまでは。

 朝食を終えて朝風呂を終えた帰り、女子大生三人組でも居ないかと周囲を窺いながらロビーを通りかかった僕は、雪にまみれて真っ白に染まった一人の男を目撃することになる。すぐに現れた仲居さんと女将さんに連れられて空いている部屋へと案内された彼は、自らを『後藤神冶』と名乗った。

 神の異名を持つ名探偵の登場に、退屈な旅館は大いに盛り上がったのである。



 後藤神冶は、世間でも有名な名探偵である。そんな人間がこの大雪の中、もっと先にあるホテルへ向かっていた途中で車が故障し『偶然』見付けたこの旅館に避難してきたのだ。単なる事故、あるいは偶発的な珍事、そう思うのが普通だろう。

 しかし僕は、雪にまみれてロビーに立ち尽くす彼を見た瞬間、とても嫌な予感がしていた。何かこう、今まで動かずにいたゼンマイ式の柱時計が突然前触れもなく動き始めたかのような、薄気味の悪さを感じたのである。

 そんな僕の予感を受けてのことなのかどうかはわからないが、旅館を取り巻く状況に劇的な変化が訪れたのは、昼食を食べ終わって間もなくのことだった。このまま昼寝も良いかもしれないと部屋でゴロ寝をしていたところへ仲居さんがやってくるなり、電話が使えなくなったと告げたのである。この旅館の電話が朝からの大雪の影響で配線が切れるなどの理由により使えなくなったというだけなら、まぁ仕方ないで済むところなのだが、携帯の中継基地にもトラブルが発生したかもしれないとかで、携帯電話すら使えない状況に陥ったのだ。ここ数年、圏外などという状態を表示したことのない僕の携帯が、申し訳なさそうに俯いてすら見える。

 しかも話を聞けば、この旅館へ唯一通じている山道で雪崩が発生したらしく、通行出来ない状態になっているらしい。後藤氏の車は当人が脱出した直後に雪崩の直撃を受け、現在は雪の下に埋もれているらしい。うっかりすれば大惨事だったところだ。とはいえ、その本人は温泉でのんびりと鼻唄を歌っているそうで、さすがの大物振りを発揮しているらしい。

 この時僕は、是が非でも彼と接触すべきだと感じていた。

 むろん、そもそも否定派に属していた僕が、有名人にお近付きなりたいなどという感性を発揮する筈もない。もっと実務的、いや正確には本能的と言うべきかも知れないが、とにかく利害関係を優先した結果の選択だった。

「こんにちは」

 湯船に浸かるなり、こちらから声を掛ける。普段は知らない人間に挨拶するなど絶対にない。むしろこんな風に近付かれたら余計に警戒するだろう。しかし相手は有名人、知らない相手に声を掛けられることにも慣れているのだろう。返ってきた表情に怪訝な色は見られなかった。

「貴方もお客人で?」

「はい、ついさっき雪崩の話を聞きました。災難でしたね」

「全くですよ。まだ新車だったんですがね。厄病神にでも取り憑かれているのやら」

「かもしれませんね」

 乾いた笑いにエコーがかかる。

 僕はもちろん、この胡散臭い名探偵も腹の底から笑っていないような雰囲気が感じられた。ただそれが、不幸に対する落胆からなのか、何かしらの隠れた真実に対する思惑からなのか、そこまでは判然としなかったが。いずれにしても、僕は名探偵と面識を得ることに成功し、温泉を上がったのである。

 ところが、一時の安心に浸ったのも束の間、今度は内側から問題が持ち上がる。支配人と昨日最初に会った客人の男性が口論していたのだ。昨日までの和やかムードはどこへやら、悪い夢か、あるいは情緒不安定な演劇でも見せられているかのような気分だった。廊下ですれ違った作家先生は小難しい顔をしたまま一言も話さず、まるで締め切りに追い立てられているような素振りですらあり、つい今朝方まで楽しそうに談笑していた女子大生三人組ですら、互いを警戒し合うように別行動していた。

 不思議というより、不気味としか思えなかった。

 僕は、この気味の悪い舞台に近付くまいと誓い、なるべく部屋から出ないように努めた。ネットにすら繋げないので携帯で暇潰しをすることも出来ず、僕はただ寝るしかなかった。しかし、夜もしっかり眠った上で昼間にグッスリ眠れるほど、僕は睡眠に溺れてはいない。とうとう退屈に負けた僕は、携帯の時刻表示が五時を過ぎたことを確認してから、何度通ったのかすでに忘れてしまった温泉へ続く廊下へと歩み始めた。

 不自然なほど誰も居ない廊下は、昨日は気付かなかった微かな悲鳴を上げている。キィキィと鳴くか細い声が鮮明に耳へと届く。それは不自然なほど大きな静寂だ。しかし同時に不思議ではなかった。

 異変や天災を感じた鳥達が森から大挙して避難する様に、個体数の上昇から種としての生存本能に火の点いたネズミの群が突然の旅立ちを決意するように、本能は『死の匂い』を敏感に感じ取って避けるように創られている。恐らく僕のソレは他人のものより鈍く出来ているのだろう。そう思うことで強引に納得するしかなかった。

 脱衣所への扉を開いた僕は、天井からぶら下がった大きな『荷物』を発見することになる。それは汚物にまみれ悪臭を放ちつつ、生気とは明らかに違う存在感を全方位に振り撒いていた。その形相は人間の感情を凌駕しており、飛び出した眼球と垂れた舌がこちらに迫ってくるような錯覚すら植え付ける。

 しばし呆然とした後、視界が急に落ちたところで腰を抜かしたことに気付く。逃げようにも脚が思うように動かず、腕はどうやって動かしているのかすら理解出来ない。誰かを呼ぶなどという発想どころか、悲鳴を上げるだけの肺活量すら確保出来ずにいた。ただ不規則に、荒い呼吸を繰り返すばかりだ。瞬きをすることが出来ず、痛くなるほどに目が乾いて涙が零れた途端、目の前にあるサンドバッグのような物体が人間の首吊り死体であることに気付く。そして思考が再開されると同時に、遅れてやってきた恐怖が喉の奥から悲鳴を絞り出した。

 こうして僕は、この事件の第一発見者となったのである。



 全員が談話室と呼ばれる一角に集められる。

 怯えて固まっている女子大生三人組、落胆と困惑の窺える壮年の夫婦、眉根を寄せて腕を組む中年作家、互いをささえ合うようにして辛うじて立っている女将さんと仲居さん、そして思考が止まったまま虚空を眺めていることしか出来ない僕、その全ての眼差しが中心に居る一人の男――後藤神冶へと注がれている。

「これで全員ですね?」

 その問いに女将さんが声を発することなく小さな頷きを返す。

 そう、これで全員だ。支配人はもう居ない。彼は死んでいた。脱衣所の梁にぶら下がっていたのは、紛れもなく支配人だったのだ。

「まさか、支配人があんなところで自殺だなんて……」

「いいえ、自殺ではありません」

 仲居さんの漏らした呟きに、探偵は目聡く反応する。まるでその台詞を待っていたかのようなタイミングだ。いや、実際に待っていたのかもしれない。

「首にロープの跡が二つありました。彼は一度首を絞められて殺された後、あの場所に吊るされたのです」

 どよめきが、まるで昼間の通販番組のように見事な連携を見せる。僕一人が、どこかモニターの外から視聴しているような奇妙な錯覚に陥っていた。

「もしかして、強盗か何かでしょうか?」

 女将さんの疑問に、探偵は微かに口元だけで笑う。

「まさか。この吹雪の中、人や車の出入りが困難なこの旅館を選ぶ泥棒などいませんよ。仮にそうであったとしても、支配人を殺して吊るし上げる意味など何一つない。そんなことをするくらいなら、一歩でも遠くに逃げた方が遥かにマシでしょう」

「それはつまり――」

 言いかけて、作家は言葉を止める。しかし不謹慎と呑み込んだその言葉を、探偵はいともアッサリと口にした。

「そう、つまり犯人はここに居る誰かということです」

 恐怖に固まっていた場の空気が、この一言で一変する。互いに警戒するような視線を交わし、誰が犯人なのかを探ろうとしている。

「私は午後四時頃、支配人と話をしています。そして死体の発見が午後五時五分、この一時間の間に彼は殺されたことになります」

 そんな言葉に誘発されて、全員のアリバイが並べられた。そして驚くべきことに、僕以外は他の誰かと一緒に居たことが発覚する。つまり、僕は第一発見者であるばかりか、アリバイのない唯一の人物ということだ。しかしそんな筈はない。僕は僕が犯人でないことを知っている。では、誰かが嘘を吐いているということだろうか?

 そう考えてしまった瞬間、初めて事態の異常性に気付いた。

 誰も彼、探偵・後藤神冶の言葉を疑おうとしないのだ。偶発的な事故によって突然訪れた有名な探偵、その人物の言動を中心にして回り始める事件、彼も容疑者の一人であるにもかかわらず誰一人疑う者は居ない。これはまさしく、フィクションの中で行われている探偵物そのものではなかろうか。つまり僕は今、アリバイのない第一発見者として疑われる立場に居る訳だ。この事態を回避するためには、僕が犯人でないことを示す必要がある。そのためには現場を良く調べて真犯人の証拠を――

 いや違う!

 今の僕がすべきなのは真犯人を探すことじゃない。この異常な空間の法則を見抜いて生き残ることだ。もしこのまま強行に無実を主張して我を張ったところで、待っているのは真実の一端を掴んだ上での死亡フラグでしかない。馬鹿馬鹿しい話だが、この後藤神冶という人間が来てからおかしくなったことは間違いないのだ。そしてもしも僕がこの、彼を中心とした物語の登場人物であるのなら、何かしらの生き残る術があるに違いない。皆殺しエンドは彼とて望まないだろう。死者の上に生存者の笑顔があるからこそ、痛ましい事件も救いようがあろうというものだ。

 とはいえ、まずはどうするか。アリバイのない第一発見者など、疑わしいにも程がある。これではいきなり手詰まりなのでは……いや、待てよ。むしろこれは、死亡フラグを回避する絶好のチャンスなのでは?

「……確かに、怪しいといわれても否定は出来ませんよね」

 素直に事実を認めると、周囲から浴びせられる視線に僅かな動揺が感じられた。驚いている、ということなのだろう。

「まぁ皆さん、とりあえず落ち着いて下さい。アリバイがないというだけで犯人と決め付けてしまうのは早計です。まずは動かず、状況の推移を見守りましょう。もしかしたら道路が通れるようになって誰かが来るかもしれないし、電話が復旧するかもしれない」

 やはりそうだ。彼は僕を疑わない。理由は簡単、僕が怪しすぎるからだ。犯人は別に居る、その筋を描くためのミスリードなのだろう。そしてそれならば僕の生き残る道も見えてくる。犯人なんてどうでも良い。動機もトリックも後から幾らでも捏造できるものだ。今ここにあるのは偶然じゃない。電話の不通も雪崩による通行止めも、強すぎる警戒心や疑心暗鬼も、全てが必然だと思うべきだろう。警察が来るなんて考えるな。事件が終わらない限り、警察なんて絶対に来ない。

「馬鹿なっ。犯人かもしれない奴と一緒になんて居られるか!」

 作家が激怒する。昨日の理知的な印象など微塵もない。しかし分散していく面々へ、口では警戒するような台詞を並べながら、探偵は実際に引き止めるようなことはしなかった。

 当然だ。そんなことをしたら次の事件が起こらなくなる。彼の役目、あるいは希望は事件を止めることじゃない。起きた事件を解決することだ。むしろ誰かが何処かで死ぬことを、虎視眈々と待っているようなものである。そんな風に思うと、反吐が出る最低野郎にすら思えた。もちろん、そんな奴にすがってまで生きようとしている僕は、それ以下の存在だ。

 結局談話室に残ったのは、探偵と僕、そして女将さんの三人だけとなった。さぁ、問題はここからだ。



「なるほど、大体分かりました」

 僕と女将さんの説明――昨日までの様子と各人のプロフィールを聞いて頷いた探偵を見た瞬間、しまったと思った。死亡フラグを回避するため、出来る限り多くの情報を共有しておくべきと判断したのだが、全てを話してしまうと用済みフラグが立ってしまうのではないかと思い付いたのだ。しかし、口から出てしまった言葉は戻せない。この先は出来る限り探偵と行動を共にしなければならないだろう。この探偵が主人公である以上、彼の目の前で事件が起こることはまずない。そんなことをすれば犯人だとバレバレになってしまうからだ。

 ところがだ。いざ行動を共にしようとすると、このクソ探偵はウロウロと落ち着きがない。気付けば居なくなっていることすらあり、トイレにすら容易に行けない有様である。それでも何とか必死に喰らい付いていったのだが、僅かな油断というべきなのかどうなのか、前に数歩進んで振り返ったら居なくなっていた。しかもそれは、長い廊下の真ん中辺りでの出来事である。テレポートでもしたのではないかと疑ったし、していても不思議ではない。相手は怪事件を引き起こす魔物なのだ。

 慌ててその姿を探そうと一歩を踏み出したのだが、そこでふと思い止まった。ここで慌てて彼の姿を探して、その辺りのドアを開けてみたとしよう。そこに待っているのは第二の殺人現場に違いない。しかもこの流れは、犯人とバッタリ出くわしてついでに殺されるフラグという線が濃厚である。これは大変マズい。

 僕は急いで、しかし慎重に探偵を探した。ドアは開けない。物陰は極力警戒する。危険を察知したら即座に逃げる。まるで空を舞う天敵に怯えながら草を齧る小動物のように、僕は毛を逆立てて歩みを進めた。そして、ついに見付ける。

 背中だが間違いない。僕はテレポートさせる隙を与えないために全速力で走り寄り、その背中へ抱き付くように確保を図った。後になって思えば、これは極めて不自然な行動である。が、当時の僕にそんなことを考えられるだけの余裕はなかった。一刻も早く死亡フラグの回避を果たしたかったからである。

 その背中へ体当たりを果たし、内心で歓喜の雄叫びを上げた瞬間、左の物陰から棒状の何かが振り下ろされる。それが左側頭部を捉える僅か百分の何秒という瞬間の中で、僕は理解した。

 これは身代わりフラグだと。

 そして、この事件における僕の意識は、この時点でブラックアウトしたのである。



「目を覚ました時、丁度探偵が横で解決編をやってたよ」

 あれから一週間後、大学近くの河川敷で友人相手に話す僕は元気だった。誘っておいて何だが、彼が一緒に行かなかったのは正解としか言いようがない。頭に包帯を巻きながら、それでもこうして無事でいるのは、マグレ以外の何物でもなかった。

「犯人はどんな様子だった?」

「落ち込んでたよ。無理もないけど」

 犯人は壮年夫婦の夫だった。でも僕を殴ったのは奥さんの方だ。あの時すでに夫の犯行に気付いていたらしい。探偵と間違って僕を殴ってしまい、無関係な人間を殺してしまったと勘違いした彼女は自殺してしまった。

「それにしても運が良かったよ。あの瞬間には、もう駄目だと思ってたからさ」

「運が、良かった……?」

 友人がゆらりと立ち上がる。

 そして懐から何か光る物を取り出したかと思ったら、それを僕の左胸に突き入れた。痛いとか苦しいとか、そんなことを思う以前に身体が崩れ落ちる。

「違うよ。運じゃない。俺に殺されるためにさ。地獄で『母さん』に謝るんだね」

 次は親父だと呟きながら、彼は去って行った。だけど、僕が最後に見た人間は彼じゃない。薄れ行く視界の端で、あの探偵が確かにニヤニヤと笑っていた。

 間違いない。筋書き通りだったんだ。

 視界が闇に落ち、意識が肉体から離れる瞬間、あの何もかも知っているとでも言いたげな虫唾の走る声が響く。


「変なことに気付かなければ、死なずに済んだろうにな」

個人的には、これで今年の夏ホラーは終わったなーという印象です。


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― 新着の感想 ―
[一言] 探偵の言う事を誰も信じて疑わない、探偵は自動的に容疑者から外れてるというところが実に面白く実に怖いですね。 こういう探偵が犯人の倒叙形式推理小説を書いてみたいです。
2010/08/30 20:48 退会済み
管理
[一言] 感想は苦手なのですが、一つ。 いわゆる探偵という物語に対する皮肉が良かったです。 でも確かに、探偵が作る空間ではなく、その外から主人公がどうするのか、もっと見たかった気がします(笑)
[良い点] ミステリーホラーですね。ワクワクしました。 [気になる点] ちょっと王道過ぎるかもです。かま○たちっぽいかなあ。 [一言] 途中まで、普通の推理小説的展開で、最後にドスンでした。 ありが…
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