汐見高校飴ロケット部
汐見高校飴ロケット部
第一部 飴と消去法
第一章 廃部通告
うちの兄は、出来がいい。
県下一の進学校から現役で千葉大学の工学部に進み、いまは大学院で人工衛星の姿勢制御とやらを研究している。正月に帰省するたび、親戚一同の視線は兄に集まり、その視線の余りが、義理のように僕へ流れてくる。湊くんは何部だっけ。科学部です。へえ、お兄ちゃんと同じ理系なんだ。いえ、部員は僕一人で、活動は特に。ああ、そう……。
会話はそこで終わる。毎年、同じ場所で終わる。
真島湊、十六歳。県立汐見高校二年。成績は学年二百四十人中、だいたい百三十番。五十メートル走は七秒九。身長百七十一センチ、体重六十キロ、視力は両目とも一・〇。健康診断の紙に並ぶ数字はどれも「異常なし」で、つまり僕という人間は、どの欄にも印のつかない書類みたいなものだった。
富津市は、海と山に挟まれた細長い町だ。かつては漁業と、漁船の部品を作る小さな鉄工所で栄えたらしいが、僕が物心ついたころには駅前の商店街の三分の一がシャッターだった。高校の教室の窓からは、防波堤と、灰色の海と、対岸の火力発電所の煙突が見える。三年間この景色を見て、それから多くの生徒は町を出ていく。兄もそうだった。僕もたぶん、そうなる。どこへ、という宛てもないままに。
科学部に入ったのは、消去法だった。
運動部は問題外で、吹奏楽は経験者ばかりで、美術部は絵心が要る。文芸部は何か書きたいものがある人間の場所で、僕には書きたいものがなかった。入学式でもらった部活動一覧の隅、「科学部(休部中・部員募集)」という九文字だけが、何も要求してこなかった。実績も、情熱も、才能も。
入部届を出すと、顧問だという柿沼先生は、老眼鏡の上から僕を見て言った。
「物好きだな。何がやりたい」
「特に……ないです」
「そうか」先生は入部届に判を押した。「なら、ちょうどいい。この部にも、特に何もない」
それから一年、先生の言葉は正確だったと証明され続けた。週に一度、火曜の放課後、僕は旧館二階の理科室の鍵を開ける。誰も来ない。埃をかぶったビーカーを眺め、たまに気が向くと薬品棚の在庫表を書き写し、一時間で鍵を閉めて帰る。それが活動のすべてだった。文化祭には「結晶の観察」と題してミョウバンの結晶を三つ並べ、来場者は六人だった。うち二人は道に迷った保護者だった。
だから、二年生の四月の終わり、職員室に呼ばれて廃部を告げられたとき、僕の胸に最初に浮かんだのは、安堵だった。
「真島。悪いが、今年度で科学部は正式に廃部だ」
柿沼恒夫先生は、定年を二年後に控えた化学教師だ。白髪を短く刈り、年中同じ白衣を着て、その胸ポケットには必ず飴の袋が入っている。授業中も飴を舐めているという噂があるが、真偽は誰も知らない。授業は教科書を静かになぞるだけで、はっきり言えば、眠い。生徒の間での渾名は「飴じい」。
「部員一名、実績なし、予算執行率ゼロ。生徒会の予算会議で真っ先に槍玉に挙がった。教頭も乗り気だ。旧館の理科室は、来年度から吹奏楽部の楽器倉庫になる」
先生は淡々と言って、それから付け加えた。
「まあ、お前が悪いわけじゃない」
僕が悪いわけじゃない。
その一言が、変に喉に引っかかった。誰のせいでもなく、誰にも惜しまれず、ただ静かに消えていくもの。書類のどの欄にも印がつかないまま、名簿から消される名前。それは科学部のことなのか、僕のことなのか、一瞬わからなくなった。
「……存続の条件って、ないんですか」
口が勝手に動いた。柿沼先生は眉を上げ、白衣のポケットから飴をひとつ出して口に放り込み、包み紙を几帳面に畳んだ。
「部員四名以上。それと、対外的な実績。コンクール入賞なり、学会発表なり、新聞に載るなり。文化祭の展示程度では駄目だそうだ。九月の予算会議が最終期限」
「五か月、ですか」
「五か月だ」先生は飴を頬の内側に寄せて、言った。「無理だろうが」
無理だろう。僕もそう思った。職員室を出て、渡り廊下から灰色の海を眺めて、まあいいか、と思った。火曜の放課後が空く。それだけのことだ。それだけのこと、のはずだった。
その夜だ。
夕食の席で、母が兄の近況を嬉しそうに話した。人工衛星の載ったロケットの打ち上げを、種子島まで見に行ったのだという。研究室のみんなで。すごい迫力だったって。湊も理系なんだから、お兄ちゃんに色々聞いてみたら。
「聞くことが、特にないから」
僕はそう答えて、自分の部屋に上がった。ベッドに転がってスマホを開き、いつものように動画サイトを意味もなく流した。ゲーム実況、猫、料理、また猫。指は画面を撫でるだけの器官になり、頭は空っぽになっていく。この時間が僕は嫌いではなかった。何者でもないことを、誰にも責められない時間。
そのおすすめ欄の隅に、その動画はあった。
サムネイルは、青空を貫く一本の白い煙。タイトルには、こうあった。
――【世界初】キャンディを燃料にしたロケット、打ち上げ成功。
兄の話を聞いた直後だったからだろう、ロケットという単語に指が止まった。どうせ火薬のおもちゃだろうと思いながら、再生した。
十年ほど前の映像だった。和歌山の、海を見下ろす高台。菓子メーカーと、大学の研究者たちが並んでいる。彼らが囲む発射台には、全長一・八メートルほどの、白い機体。ナレーションが言う。このロケットの燃料は、ソフトキャンディ二十個です。
飴が、燃料。
意味がわからなくて、僕は身体を起こした。動画は仕組みを説明していった。固体の燃料と、液体の酸化剤。酸化剤というのは、燃料を燃やすための酸素を、液体の形に詰めて持ち運ぶ係だ。ものは酸素がなければ燃えない。空の上の薄い空気なんか当てにせず、酸素は自前で抱えていく。固体と液体、二種類を組み合わせるから、ハイブリッドロケット。酸化剤というのは、燃料を燃やすための酸素を送り込む役の薬品だ。物が燃えるには燃料と酸素の両方が要るから、勢いよく燃やしたいロケットは、酸素のもとまで自前で積んでいく。筒に詰めた飴に、液化ガスの酸化剤を吹き込むと、飴は溶けながら燃え、ガスとなって噴き出す。その反動で機体は飛ぶ。火薬は一切使わない。だから花火のようには爆発しない。混ぜなければ燃えない燃料と酸化剤は、それぞれ単体では、ただの飴と、ただのガスだ。
カウントダウン。点火。
橙色の閃光。次の瞬間、機体は白い煙の柱を立てて、まっすぐに、本当にまっすぐに、青空へ吸い込まれていった。集まった大人たちが、スーツ姿のまま、子どもみたいな歓声を上げていた。到達高度、二百四十八メートル。テロップが誇らしげに告げた。キャンディを燃料としたロケットの、世界記録です。
僕は動画を三回、続けて見た。
三回目の途中で、自分の心臓が変な打ち方をしていることに気づいた。画面の中の空はどこまでも青く、煙はどこまでも白く、そして僕の頭の中では、たったひとつの計算が、勝手に始まっていた。
二百四十八メートル。それが世界記録。十年間、破られていない。誰も挑んでいないからだ。こんな馬鹿げた記録に、大の大人が本気で挑み直したりしないからだ。
だったら。
二百四十九メートルを飛ばせば――世界一、じゃないか。
僕は立ち上がって、部屋の中を意味もなく二周した。落ち着け。無理だ。無理に決まっている。ロケットだぞ。作れるわけがない。でも、火薬じゃない。飴だ。飴なら、そこらじゅうに売っている。大学生は毎年、能代とかいう海岸で、この方式のロケットを何十本も打ち上げているらしい。大学生にできるなら。いや、大学生と高校生の間には壁がある。でも。でも、たった一メートルだ。世界記録の、たった一メートル上。
気づくと僕は、机に向かってノートを開いていた。一年間、在庫表の書き写ししか書かれてこなかった科学部のノートに、僕は生まれて初めて、自分の意思で一行を書いた。
「目標 二四九メートル」
書いてから、猛烈に恥ずかしくなって、消しゴムに手が伸びた。その手が、止まった。消すのは簡単だ。僕の人生は消去法でできている。やらない理由を並べて選択肢を消していけば、いつもの、何もない火曜日に戻れる。
窓の外で、遠くの海が鳴っていた。
僕は消しゴムを置いた。そして、その下に二行目を書き足した。
「期限 九月 部員あと三名」
第二章 飴は燃える
翌朝、僕は教室で日高このみを観察することから始めた。
勧誘の当てなど、最初からひとつしかなかった。ロケットの本体は、要するに燃焼だ。燃焼は化学で、うちの学年で化学といえば、日高このみだった。
窓際の一番後ろの席。小柄で、癖のある髪をおざなりなひとつ結びにして、休み時間はいつも化学の資料集か、図書室で借りた分厚い本を読んでいる。そして、常に飴を舐めている。授業中は流石に舐めていないが、休み時間になると制服のポケットから飴を出し、几帳面に包みを畳み、飴に向かって小さく何か言ってから口に入れる。聞き取れた者によれば、「いただきます」ではなく「よろしく」と言っているらしい。友達と喋っているところを、僕はほとんど見たことがない。そのかわり、飴とは喋っている。
彼女が有名なのは、三つの理由からだった。ひとつ、中間・期末を通じて化学だけは学年一位を譲らず、それ以外の教科はほぼ全て平均点を下回ること。一年の三者面談で「化学以外も頑張ろう」と言った担任に、「炭素の入っていない教科は頭に入りません」と真顔で答えた話は、学年の語り草になっていた。ひとつ、嗅覚がどうかしていること。調理実習で三班が砂糖と塩を取り違えたのを、加熱前に、廊下から嗅ぎ当てた。本人いわく「ショ糖と塩化ナトリウムは、まわりの匂いの吸い方が違う」。誰にも意味は分からなかったが、取り違えは事実だった。ひとつ、床に落とした飴に、三十秒黙祷してから捨てること。理由を訊いた者には「うちは飴屋だったの。飴の死は、うちでは事件なの」と答えたそうだ。
昼休み、僕は彼女の席の前に立った。日高さんは資料集から顔を上げず、頁だけをめくった。
「日高さん。頼みがある」
「ノートなら貸さない。化学のノートは、とってないから。……あなた、今朝、菓子パンでしょう。マーガリンと、安い水飴の匂いがする。水飴が安いのは、罪じゃないけど」
「飴を、燃やしたい」
頁をめくる指が、止まった。彼女はゆっくり顔を上げ、初めて僕の顔に焦点を合わせた。黒目の大きい、鉱物みたいな目だった。口の中で、かりっ、と音がした。飴を噛み砕いた音だと、そのときは分からなかった。
「……誰?」
「真島。同じクラスの。四月からずっと」
「知ってる。三十六番、真島湊。訊いてるのは、あなたが何者かってこと。飴を燃やしたいって言う人間が、この学校にいるとは思ってなかったから」
僕はスマホを出して、例の動画を見せた。日高さんは三分四十秒の動画を、瞬きを二回しかせずに見終えた。それから言った。
「ハイブリッドロケット。酸化剤は動画だと明かしてないけど、たぶん亜酸化窒素。飴の主成分はショ糖、C12H22O11。炭素十二、水素二十二、酸素十一。立派な含酸素炭化水素燃料。……いい子なの、ショ糖は。分子の中に自前で酸素を抱えてて、決まった温度で溶けて、決まった温度で焦げて、こっちが与えた条件のぶんしか返してこない。燃やせば、最後は水と二酸化炭素。人間より、よっぽど筋が通ってる。アメリカのアマチュアには昔からシュガーロケットの伝統がある。ただしあっちは砂糖と酸化剤を混ぜて固める方式だから、日本だと火薬類取締法に引っかかる。これは混ぜてない。固体の飴に、外から酸化剤を流す。だから合法。よく考えられてる」
一息にそこまで言って、彼女は僕を見た。
「で? 真島くんは、これをどうしたいの」
「作る。うちの科学部で。世界記録が二百四十八メートルだから、それより一メートル高い、二百四十九メートルを飛ばす」
「一メートル?」
「一メートル」
日高さんは、しばらく黙った。教室の喧騒が遠かった。やがて彼女は、ポケットから新しい飴をひとつ出し、包みを几帳面に畳み、口に入れる代わりに、僕の掌に載せた。
「そのふざけた誤差設定、嫌いじゃない。……それ、契約金。日高屋では、飴を受け取ったら契約成立。返品は利かないから」
放課後、僕は一年ぶりに理科室の鍵を、自分以外の人間のために開けた。日高さんは埃っぽい部屋を見回して、「思ったよりひどい」と率直な感想を述べ、それから鞄から実験ノートを取り出した。表紙にはマジックで「燃焼」とだけ書いてあった。
「まず、飴が本当に燃えるところを見せる。話はそれから」
彼女は薬品棚から蒸発皿と酸素ボンベ――正確には酸素発生用の過酸化水素水と二酸化マンガン――を選び出し、慣れた手つきで実験を組んだ。蒸発皿の上で飴を加熱し、溶けて泡立ち始めたところへ、集めた酸素を細いガラス管で吹き付ける。
ぼ、と音がして、青みがかった炎が立った。
カラメルの匂いが理科室に広がった。甘く、香ばしく、そして確かに、燃えていた。僕が一年間ただ眺めていた薬品棚の中身が、彼女の手の中では五分で炎になった。
「ショ糖は分子内に酸素を持ってるから、いったん溶けてガス化すれば、燃焼自体は素直。問題は」日高さんは炎を見つめたまま言った。「制御。ロケットは燃やすだけじゃ飛ばない。決まった時間、決まった強さで、決まった方向に燃やし続けて、初めて飛ぶ。それには機体が要る。金属加工。私はできない。電子回路と計算も要る。高度計、開傘のタイミング、弾道。私は化学以外、本当に何もできないから」
「知ってる」
「即答しないでよ」彼女は少しだけ笑った。笑うと、鉱物みたいな目が、ただの十六歳の目になった。「……ひとつだけ、先に言っておく。私が飴に詳しいのは、趣味じゃない」
彼女の家は、駅前商店街で三代続いた和菓子屋だったという。祖父は飴細工の職人で、幼い彼女は工房の隅で、砂糖が飴になり、飴が鶴や金魚になるのを飽きずに見て育った。砂糖の温度が一度違うだけで、飴は白くも透明にもなる。祖父はそれを舌と指で見分けた。店は五年前に閉めた。祖父は去年、死んだ。仏壇にはいまも、祖父の作った最後の飴細工の金魚が供えてある。
「おじいちゃんは、砂糖の科学者だったと思ってる。本人は職人としか言わなかったけど。だから私は、炭素の勉強をしてる。それだけ」
彼女はそこで話を打ち切り、実験ノートの新しい頁を開いた。
「機体を作れる人と、計算ができる人。あと二人。当てはあるの?」
「一人は、ある」と僕は言った。「旋盤を回せる奴」
第三章 旋盤の音
轟大地の記憶は、僕の中では旋盤の音と結びついている。
小学生のころ、通学路の途中に「轟鉄工所」はあった。従業員三人の小さな工場で、開け放ったシャッターの奥ではいつも、轟の親父さんが旋盤の前に立っていた。銀色の丸棒が回転し、刃が当たり、リボンみたいな切り屑が伸びては千切れる。旋盤は材料のほうを回して削る機械で、逆に刃物のほうを回して削るのがフライスだと知るのは、ずっと後のことだ。帰り道、僕はよくそれを眺めた。そして僕の隣には、たいてい同じ工場の子ども――轟大地がいて、僕よりずっと真剣な目で、父親の手元を見ていた。
中学で轟は野球を始め、身体はみるみる大きくなり、高校ではエース候補と言われた。そして一年の夏、肩を壊した。投手として、致命的に。手術をしても競技レベルには戻らないと告げられ、彼は秋に退部届を出した。以来、教室の轟は昼行灯だ。授業中は寝て、休み時間も寝て、誰とも群れない。百八十四センチの巨体が机に突っ伏している様は、座礁した船に似ていた。
ただし、この船には妙な癖が二つあった。ひとつ、どんな授業でも爆睡しているくせに、校舎の外を通る車のエンジン音にだけは反応して薄目を開けること。しかも「二トン、ディーゼル、ベルト鳴き。整備不良」などと寝言のように診断して、また寝る。ひとつ、筆箱の中身が、鉛筆一本と、使い込まれたノギス一挺であること。ノギスというのは、挟んだ相手の厚みや太さを、ミリのさらに下の桁まで読み取れる、金属製の精密な物差しだ。退屈すると机の厚みや消しゴムを測っている。一度、隣の席の女子のシャーペンを無言で測って返し、「〇・五って書いてあるが、実測〇・五六五。世の中、公差だらけだ」と言って怯えられた。公差という言葉は、あとで本人に教わった。図面の寸法どおりぴったりには、ものは絶対に作れない。だから先に「ここまでの狂いなら合格」という幅を決めておく。その許しの幅が、公差だ。ぴったりを諦めて、狂いを管理する。轟の世界には、そういう大人びた知恵が、最初から実装されていた。公差というのは、寸法に許された誤差の幅のことだ。図面どおり寸分違わぬ品物はこの世に存在しないから、「ここまでのずれなら合格」という幅を先に決めておく。それが公差。――というのも、ぜんぶ後から本人に教わった。
昼休み、僕はその船の隣にしゃがんだ。
「轟。ロケットの機体、作ってほしい。アルミの筒だ。旋盤、使えるだろ」
轟は薄目を開けた。「……は? ロケット?」
「飴を燃料にして飛ばす。世界記録を狙う。機体は全長二メートル弱、直径十四、五センチ。図面はこれから引くけど、精度が要る。素人のヤスリがけじゃ無理だ。旋盤とフライスが要る」
旋盤は材料のほうを回して刃を当てる機械、フライスは刃のほうを回して材料に当てる機械である。どちらも前の晩に調べたばかりの、付け焼き刃の語彙だった。その付け焼き刃に、轟は食いついた。
「十四か十五か、はっきりしろ。その一センチで肉厚も治具も変わる」
言ってから、轟は自分の口から出た言葉に、自分で驚いた顔をした。二年間昼行灯をやっていた男の中で、何かが寝返りを打つ音が、聞こえた気がした。それから彼は、取り繕うように言った。
「……つうか、なんで俺が旋盤使えるって知ってんだよ」
「小学生のとき、工場の前でいつも親父さんの手元を見てたじゃないか」僕は言った。「あれは、見てるだけの顔じゃなかった」
轟は上体を起こした。座礁した船が、ゆっくり浮き直すみたいに。彼はしばらく僕を睨み――睨んでいるのではなく、思い出そうとしているのだと途中で気づいた――それから、ぼそりと言った。
「……真島。おまえ、あんとき隣で牛乳瓶の蓋集めてたチビか」
「集めてたのはメンコだ」
「どっちでもいいわ」轟は首の後ろを掻いた。「旋盤はな、回せるよ。中三まで親父に仕込まれてた。継ぐ気もあった。野球が邪魔しなきゃな。……いや、違うか。野球に逃げて、野球にも捨てられた。それだけの話だわ」
自嘲の言い方が、あまりに手慣れていて、僕は少し腹が立った。
「肩、旋盤に要るのか」
「あ?」
「投げるのに肩は要る。旋盤を回すのに、壊れた肩は邪魔なのかって訊いてる」
轟の目が、初めてまっすぐ僕を見た。長い沈黙のあと、彼は机の上で両手を組み、その大きな手をじっと見た。
「……要らねえよ。ハンドル回すのに、球速は関係ねえ」
「なら、頼む」
「親父がうんと言うかは、知らねえぞ」轟はそう言って、二年ぶりに――少なくとも僕が見るのは二年ぶりに、歯を見せて笑った。「けど、図面は見てやる。持ってこい」
放課後、日高さんと僕は轟に連れられて、轟鉄工所へ行った。入り口をくぐるとき、轟は一番古い旋盤の前で立ち止まり、主軸のカバーを、ぽん、と叩いた。「久しぶり」と言った。機械に、である。日高さんが僕を見た。僕は見なかったふりをした。あとで知ったが、轟家では機械に挨拶するのは礼儀であって、奇行ではないらしい。奇行なのは、返事を待つみたいに三秒黙るところだけだ。
シャッターの奥は記憶のままで、油の匂いと、金属の匂いと、それから記憶にはなかった静けさがあった。稼働している機械が、半分もない。従業員は親父さんを入れて、いまは二人だという。町の漁船は年々減り、それを直す造船所も畳まれて、船の部品の注文だけでは、もう工場は養えない――この静けさの理由を、轟は帰り道に、それだけ手短に教えてくれた。
親父さんは僕らの話を、腕を組んだまま聞いた。聞き終えると、一言だった。
「遊びに旋盤は貸せねえ」
轟が何か言いかけるのを、親父さんは目で制した。
「大地。おまえ、二年間この工場に寄りつかなかったな。それがロケットだ? 飴だ? 学校の部活の実績のためだ? ――それは、遊びだ。遊びに貸す機械はうちにはねえ。機械ってのはな、載せた仕事の重さしか返さねえんだ」
帰り道、轟はずっと黙っていた。別れ際、彼はぽつりと言った。
「悪かったな。……けど、諦めんなよ。おまえらじゃなくて、俺が、まだ諦めてねえって意味だ」
その言葉の意味を、僕らは半月後に知ることになる。轟は毎晩、閉店後の工場に通い始めたのだ。親父さんに口を利いてもらうためではなく、鍵を借りて、一人で。中三で止まっていた腕を、彼はまず自分で確かめようとした。端材のアルミ管を挽いては、寸法を測り、駄目にした。駄目にした管は、捨てなかった。「悪かったな」と一本ずつ声をかけ、作業台の壁際に、戦死者みたいに並べた。一本、二本、七本。八本目の夜、いつからそこにいたのか、親父さんが背後に立っていた。親父さんは八本目を手に取り、ノギスを当て、光にかざし、何も言わずに、自分の工具箱から使い込まれた治具――材料を正しい位置に固定したり、刃物をまっすぐ導いたりするための、加工の「支え」の道具だ――をひとつ出して、作業台に置いた。
「……センター、ずれてんだよ。これ使え」
それだけ言って、事務所に戻っていったという。轟がこの話をしてくれたのは、ずっと後、能代の海岸でのことだ。当時の僕らが知っていたのは、ある日突然、轟が「機体、作れるようになった。場所も機械も確保した」と言って、削り出したばかりの、鏡みたいに光るアルミのテストピースを理科室の机に置いたことだけだった。
日高さんがそれを手に取り、光にかざし、それから断りもなく、ぺろりと舐めた。
「……無味。当たり前か。でも、きれい。飴細工みたい」
「舐めんな! 切削油ついてたらどうすんだ!」轟が慌てて奪い返し、制服の裾で拭き、拭いてから自分の行動に照れて、座礁船のふりをするのに失敗していた。日高さんは平然としていた。「舌は最良の分析機器。おじいちゃんの遺言だから」。うちの部の燃料責任者は、そういう人である。
第四章 保健室の弾道
四人目が、一番難しかった。
機体と燃料の目処が立っても、ロケットは計算がなければ飛ばない。どれだけの推力――機体を押し上げる力だ――で何秒燃えれば何メートルに届くのか。空気抵抗は、風は、重心と圧力中心の関係は(機体が矢のようにまっすぐ飛ぶか、横倒しに暴れるかは、この二つの点の前後関係で決まるのだと、これも後に教わる)。パラシュートはいつ開くのか。数学と物理と、プログラミング。僕にも日高さんにも轟にも、その素養は、なかった。
「篠宮怜って、知ってる?」
言い出したのは日高さんだった。一年のとき同じクラスだったという。学校には来たり来なかったりで、二年になってからは保健室登校が多い。教室では誰とも話さない。ただ、妙な噂がいくつも流れていた。やり込んでいる宇宙開発シミュレーションゲーム――実在の物理法則どおりにロケットを設計して飛ばす、世界的に有名なやつ――の、グローバルランキングが二桁だというのが、ひとつ。提出物の日付が素数の日は機嫌がいい、というのが、ひとつ。一年の球技大会で、バレーボールのサーブを打つ前に三十秒固まり、心配した養護の先生に「風とネットの高さで初速と角度はもう決まってるのに、身体が仕様どおりに動かない。僕の身体は不良品」と大真面目に訴えた、というのが、ひとつ。
「一年のとき、席が隣だった。一回だけ喋ったことがある。数学の宿題の解き方が、教科書と全然違ってた。なんでこの解き方って訊いたら、『こっちのほうが、軌道がきれいだから』って」
軌道がきれい。数式に対してそういう言葉を使う人間に、僕は会ったことがなかった。
保健室を訪ねるのには、勇気が要った。あそこは、教室にいられない人間の避難所だ。土足で踏み込んでいい場所ではない。養護の先生に取り次いでもらい、僕は一人で――大勢で行くべきではない気がした――カーテンの引かれたベッドの横のパイプ椅子に、案内された。案内しながら、養護の先生は僕に一言だけ言った。「急かさないであげてね。あの子は、自分でちゃんと決められる子だから」。それは僕への注意というより、カーテンの内側にきちんと届く声量だった。
篠宮怜は、ベッドの縁に膝を抱えて座っていた。線の細い、性別のわかりにくい顔立ちで、前髪が目にかかっている。僕は名乗り、用件を、順番に、なるべく静かな声で話した。飴のロケット。世界記録。二百四十九メートル。機体は轟、燃料は日高、でも、弾道計算をできる人間がいない。
篠宮は膝を抱えたまま、一度も僕を見なかった。断られたなと思って腰を浮かせかけたとき、前髪の奥から、小さな声がした。
「……機体の、予定質量は」
「え?」
「乾燥質量。推進剤抜きの機体の重さ。それと直径。あと、抗力係数――空気がどれだけ行く手を邪魔するかを表す数字――を先に見積もらないと、何を訊かれても答えられない」
僕は慌ててノートを開いた。轟の試算では機体はおよそ八キロ、直径十四センチ。篠宮は初めて顔を上げ、宙の一点を見て、五秒黙った。
「……その規模で二百四十九なら、平均推力八百ニュートンで三秒か、四百で六秒か。燃焼が長いほうが、たぶん飴には optimum に近い」
「おぷ……?」
「optimum。最適解。同じ高さまで運ぶにも、強い力で短く押すか、弱い力で長く押すか、組み合わせは無数にあって、その中に一番むだのない一点がある。それが optimum。飴は、いったん融けてガスにならないと燃えない燃料だから、急に大きな力を出すのは苦手なはず。だったら、弱く、長く。飴の性質に合った最適点は、たぶんそっち側にある」そこで彼は、はっとしたように口をつぐみ、また膝に顎を埋めた。「……ごめん。勝手に計算した。あと、勝手に英語を使った。ゲームの用語が、先に英語で頭に入ってるから」
「いや」僕は言った。「いまの計算、続きが聞きたい」。ちなみに八百ニュートンというのは、あとで調べたら、体重八十キロの大人ひとりを宙に支え続けるくらいの力だった。飴が、大人を持ち上げる。
沈黙が長かった。保健室の白いカーテンが、開いた窓の風で膨らんでは、しぼんだ。やがて篠宮は、蚊の鳴くような、でもはっきりした発音で言った。
「……シミュレーションなら、家でもできる?」
「できる。むしろ家でやってくれ。データは全部送る。学校に来られる日は来ればいいし、来られない日は来なくていい。ただ」僕は一拍置いた。「打ち上げの日だけは、海に来てほしい。自分の計算した軌道は、画面の外で見るべきだと思うから」
篠宮は僕の顔をちらりと見て、またすぐ逸らした。逸らした先の膝の上で、指が小さく、何かのキーを叩く動きをしていた。
「……二百四十九って」と彼は言った。「三×八十三。素数じゃない。惜しい数字。……でも、千二百四十九は、素数」
「千二百四十九?」
「二百四十九の頭に一がつくと、素数になる。いつか、桁がひとつ増えたときの話。……そういう数字は、嫌いじゃない」
それが、篠宮怜の入部届だった。「素数じゃない」から始まる入部届を受理した部長は、たぶん日本で僕だけだと思う。
部員四名。残る関門は、顧問だった。柿沼先生抜きに、この計画は一ミリも動かない。未成年だけでロケットは飛ばせない。飛ばしてはいけない。それくらいは、僕らにも分かっていた。
僕らは一週間かけて計画書を作った。というより、日高さんが三晩で骨子を書き、篠宮が家から飛翔シミュレーションの図を送ってきて、轟が機体の構想図を方眼紙に引き、僕がそれらを綴じて、目次と表紙をつけた。表紙の題は「汐見高校科学部 ハイブリッドロケット計画書――目標高度二四九メートル」。全十二ページ。僕の三年間の学校生活で、間違いなく最も中身のある提出物だった。
柿沼先生は職員室でそれを受け取り、「預かる」とだけ言った。返事は三日、なかった。四日目の放課後、僕ら四人は理科室に呼ばれた。先生は計画書を机に置いた。付箋が、二十枚以上ついていた。
「まず言っておく。この計画書は、穴だらけだ」
僕らは首をすくめた。先生は付箋を一枚ずつめくりながら、続けた。
「酸化剤の入手経路が書いてない。保管方法も書いてない。燃焼試験をどこでやるかも書いてない。学校の敷地でやるつもりなら、いますぐ全員坊主にして出直せ。射場の当てもない。安全審査という言葉が、十二ページのどこにも出てこない。――が」
先生は最後の頁をめくった。そこには日高さんが書いた、飴の燃焼方程式と、想定される生成ガスの組成が並んでいた。
「化学は、合ってる。全部な。……日高、これはお前が?」
「はい」
「独学か」
「祖父が、飴の職人でした」
先生は、しばらく黙って日高さんを見た。それから白衣の内ポケットから、見たことのない古い手帳のようなものを出し、机に置いた。あとで知った。高圧ガス製造保安責任者の免状だった。
「三十年前まで、俺は瀬戸内の化学プラントで配管の面倒を見ていた。酸化剤も、可燃性ガスも、腹いっぱい扱った。……なぜ教師に転じたかは、いつか話す日が来るかもしれんし、来ないかもしれん。ひとつだけ条件だ。亜酸化窒素は、俺の管理下でしか触らせない。ボンベに指一本でも勝手に触れたら、その瞬間に計画は終わりだ。廃部だ。いいな」
四人の返事が、埃っぽい理科室に揃った。先生は免状をしまい、代わりに飴の袋を出して、机の真ん中に置いた。
「顧問として最初の指導だ。――まず、敵を知れ。全員、舐めてみろ。ロケットの燃料の味だ」
それが、汐見高校科学部、再始動の日だった。五月十三日。九月の予算会議まで、あと三か月と十八日だった。
第五章 二十三種類の飴
燃料開発は、市場調査から始まった。
その前に、白状しておくことがある。部員四名が揃った週、僕は自分の勧誘の成果を並べて眺め、ようやく気づいたのだ。僕が集めたのは「取り柄のない三人」ではなかった。飴に挨拶する燃料屋と、機械に挨拶する機体屋と、素数の日に機嫌がよくなる軌道屋。つまり、取り柄が変な方向に尖りすぎて、世間の物差しからこぼれ落ちた三人だった。世間の物差しで測れないものは、「無い」ことにされる。それがどういう気分か、僕は誰よりよく知っていた。だから僕の仕事は、最初から決まっていたのだと思う。三人と世間のあいだに立って、通訳をすること。この部で一番の凡人であることは、この部で唯一、余人に代えがたい役職だった。
「先行事例はソフトキャンディを『そのまま』詰めた。つまり飴の物性が、そのまま燃料の性能になる」日高さんは理科室の黒板に、要求仕様を書き出した。「一、融点が高すぎないこと。溶けてガス化しないと燃えない。二、低すぎないこと。燃える前に垂れたら燃焼面が崩れる。三、組成が安定していること。四、気泡が少ないこと。五、安いこと。予算がないから」
「六」と轟が手を挙げた。「うまいこと」
「それは要求仕様に入らない」
「失敗作は誰かが食うんだぞ。絶対入る」
入った。かくして僕らは週末、市内のスーパー三軒とコンビニ五軒とドラッグストア二軒を回り、棚にある飴を文字どおり全種類買った。ハードキャンディ、ソフトキャンディ、ミルク系、果汁系、のど飴、黒飴、べっこう飴、塩飴。二十三種類、四百六十個。
ここで正直に記録しておくと、この買い出しは、控えめに言って事件だった。日高さんは菓子売り場の棚の前に膝をつき、飴の袋を一つずつ持ち上げては鼻先に寄せ、「あなたは頑固」「あなたは見栄っ張り」「あなた、袋の中でもう湿気てる。管理者を恨みなさい」と小声で品定めを始めた。棚と会話する女子高生の隣では、轟が商品の飴をノギスで測っていた。「同じ銘柄で直径が〇・三ばらついてる。金型が古いな、この会社」。二人の後ろで僕は、近づいてくる店員さんに「理科の、実験でして」と頭を下げ続けた。三軒目のスーパーでは警備員さんに事務所の手前まで連行されかけ、僕の「県立汐見高校科学部です」という説明よりも、日高さんの「この店、飴の回転がいい。倉庫の管理も丁寧。いいお店」という謎の品質保証のほうが効いた、ということも記録しておく。レジの店員さんの「子ども会の景品か何か?」という善意の推理に、轟が「部活っす」と答え、「……何部?」「科学部っす」「科学部が、飴を、カゴいっぱい?」と、答えれば答えるほど混乱が深まっていった一幕は、その後の話である。
日高さんは二十三種類の飴に、通し番号ではなく戸籍を作った。銘柄、製造者、原材料、推定含水率、そして「性格」の欄。性格の欄には「頑固」「軟弱」「見栄っ張り(香料が多い)」などと書き込まれていく。「飴の性格が、燃焼の性格」というのが彼女の持論で、僕らが笑ったのは最初の三日だけだった。試験が十二回を数える頃には、戸籍の性格欄と燃焼データの相関に、誰も笑えなくなっていた。頑固は焦げ、軟弱は垂れ、見栄っ張りは煤を吐いた。
試験は理科室の隣の準備室、換気扇の真下で、柿沼先生の立ち会いのもと行われた。日高さんが設計した小型の燃焼器――ステンレス管に飴を詰め、酸素を定流量で送り、燃焼時間と質量減少から「燃料後退速度」を測る――に、二十三種類の飴が順番に投入されていく。
後退速度、と初日に聞き返した僕に、日高さんは飴を一粒つまんで説明した。「固体の燃料は、表面からしか燃えない。表面が燃えて、削れて、少しずつ奥へ下がっていく。その下がる速さが、後退速度。一秒に何ミリ、飴の壁が後ろへ逃げていくか。……これが分からないと、何ひとつ決められないの。厚さ何ミリの飴が、何秒燃えるのか。何秒燃えれば、機体は何メートル昇るのか。設計の全部が、この一個の数字の上に載る。だから最初に測る。地味だけど、一番下の土台」。飴の壁が後ろへ逃げる、という言い方が、僕には妙にしっくり来た。逃げ足の速さを知らずに追いかけるわけにはいかない、ということだ。篠宮のために全試験を動画で記録する係は、僕だ。ついでに試験番号と条件を読み上げる声も入れる。「試験十二、検体、塩レモン飴、酸素流量毎分二リットル、点火します」。僕の人生で初めて、僕の声が誰かの役に立っていた。
結果は、惨憺たるものだった。
ハードキャンディは頑固で、表面が焦げるだけで燃え広がらない。ソフトキャンディは軟弱で、熱で腰砕けになり、どろりと垂れて火を潰す。ミルク系は乳脂肪のせいで煤がひどく、のど飴はメントールの匂いの煙で準備室が薬局になった。黒飴だけは妙に威勢よく燃えて、轟が「やっべ、黒飴つえー」と沸いたが、日高さんが一言で切り捨てた。「不純物が多くて暴れてるだけ。再現性がない。おじいちゃんなら使わない砂糖」。
全滅に近い結果を前にしても、日高さんは一度も「使えない飴」という言い方をしなかった。「この子は、うちの用途に合わないだけ。飴は悪くない」。用途に合わないことと、劣っていることを、混同しない。当たり前のようでいて、僕は人間相手にその二つを混同され続けてきた側だったから、この言い分けは胸のどこかに深く刺さった。この頃から僕は、部のノートの最終頁に、データではないものを書き留めるようになった。部員たちの、言葉を。
準備室には連日、カラメルの焦げる甘い匂いが立ち込め、換気扇から校庭へ流れた。「科学部がなんか作ってる」という噂は三日で「科学部、カラメル工場になったらしい」に進化し、一週間後には見物の一年生が廊下から窓を覗くようになった。そのうちの一人が売店のカフェオレを差し入れてくれたので、噂の効用も馬鹿にはできない。
ずっとあとで知ったことも、ここに書いておく。あの頃、職員会議では毎週のように「科学部の火気使用」への懸念が出ていて、柿沼先生はそのたびに一人で頭を下げ、翌週ぶんの実験許可を取り直してくれていた。先生は最後まで、それを僕らに言わなかった。
だが、噂は職員室にも届く。
六月の頭、教頭が理科室に来た。銀縁眼鏡の、几帳面を絵に描いたような人で、廃部案の推進者でもある。教頭は燃焼器と飴の山を一瞥し、柿沼先生に言った。
「柿沼先生。火気を使う『実験』の届け出は受けていますが――ロケット、という言葉が保護者から聞こえてきましてね。万一、生徒に火傷のひとつでもあれば、誰が責任を?」
「私が」柿沼先生は即答した。「届け出済みの実験の範囲で、私の資格と監督のもとで行っています。学校の敷地で飛翔体を打ち上げることは、一切ありません。文書でお約束します」
「では、どこで打ち上げると?」
「しかるべき安全審査を持つ、大学の射場で」
「当てが、おありなんですか」
柿沼先生は一瞬だけ間を置いて、「これから作ります」と言った。教頭は眼鏡を押し上げ、「九月の予算会議、楽しみにしていますよ」と言い残して去った。ドアが閉まってから、轟が小声で「感じわりい」と言い、先生に「聞こえるぞ」とたしなめられ、日高さんに「同感だけど」と援護された。
その夜、先生は一本の電話をかけたらしい。相手は、筑波大学工学部・宇宙輸送研究室の真田准教授。三十年前、化学プラントで新人だった先生の、そのまた教え子――ではなく、先生が教師に転じてから最初に担任した学年の生徒で、いまや学生ハイブリッドロケットの世界では名の知れた研究者になっていた。
「高校生がロケットやりたいという電話は、年に何本かもらうんですよ」
後日、大学の研究室で初めて会った真田さんは、僕らの計画書――柿沼先生の指導で第三版まで改訂され、四十ページに太っていた――をめくりながら、笑った。
「大抵は『夢』の話で終わる。図面と燃焼方程式を持ってきた高校生は、君らが初めてです。……いいでしょう。うちの地上燃焼試験設備、貸します。安全審査もうちの基準でやる。大学生と同じ基準です。手加減はしません。それと」
真田さんは、研究室の壁に貼られた一枚の大きな写真を指さした。夜明けの海岸、発射レールに据えられた細長い機体、それを囲むお揃いのジャンパーの学生たち。写真の下に、手書きの文字があった。
――能代宇宙イベント。
「秋田の能代。毎年八月、全国の学生ロケットチームが集まる、日本最大の打ち上げの祭りです。海に向かって、何十本も飛ぶ。……まあ、君らにはまだ早い。まずは二百四十九メートル、でしたね」
まだ早い、の言い方には、たかが高校生が、という棘が半分だけ覗いていた。ただしそれは、わざと覗かせてある棘だった。悔しければ、ここまで来てみろ。壁の写真を指したままの真田さんの目は、明らかにそう言っていた。挑発と招待は、この人の中では同じ言葉であるらしかった。帰りの電車で日高さんに言うと、彼女は「気のせいでしょ」と言い、それから十秒後に「……能代って、秋田のどのへん?」と訊いた。轟がスマホで調べて、「とおっ。……七百キロて。やば」と声を上げた。富津から、七百キロあった。
七月に入ると、開発は三つの前線で同時に進んだ。
轟は工場で機体の各部を削り出していた。ノーズコーン(機体のいちばん先端、空気を切り裂く尖った鼻先だ)、燃焼器の外筒、フィン(尾部に付ける小さな翼。矢の羽根と同じ理屈で、機体の向きを真っ直ぐに保つ)の取付リング。夜十時までと親父さんに決められた時間の中で、彼は無駄口を叩かなくなった。手の甲に増えていく細かい切り傷が、進捗表の代わりだった。
篠宮からは、毎晩九時にメールが届いた。件名は通し番号だけ。本文は簡潔で、機体重量と推力曲線の組み合わせごとの到達高度予測が表になっている。そして最後に必ず一行、彼にしては饒舌な感想がつく。「今日の設計だと247m。あと2m、削って」「フィン、1ミリ薄く。 flutter は出ない、計算した」「249、見えてきた」。フラッターって何だ、と返信で訊いたら、翌晩のメールに三行の説明がついてきた。「速い風の中では、フィンが旗みたいに震え出すことがある。震えは一瞬で共振――揺れが揺れを呼んで、勝手に膨らんでいく現象――に育って、フィンをへし折る。それが flutter。薄くするほど機体は軽くなって高く飛ぶけど、そのぶん震えやすくなる。折れる一歩手前の、いちばん薄くて、いちばん軽い厚さ。それを計算で探してる」。折れる一歩手前を平然と攻めてくる軌道屋を、轟は「怖えやつだわ」と評し、以後、フィンの指定寸法だけは〇・一ミリ単位で守るようになった。学校に来られない日の篠宮が、誰よりも遠くまで、僕らの機体を飛ばしていた。
そして日高さんは、燃料の最終候補を二つに絞り込んでいた。市販のソフトキャンディの一銘柄と、もうひとつは――彼女が家庭科室の銅鍋で炊いた、自家製の飴だった。ショ糖と水飴の配合比を変えながら、彼女は祖父の残した手帳と首っ引きで、「燃える飴」を炊き続けた。
「おじいちゃんの手帳にね、書いてあるの。『飴は、炊いた温度のとおりにしか、ならない』って」
銅鍋を覗き込む彼女の横顔は、職人のそれだった。
七月二十四日。夏休み初日。僕らは絞り込んだ燃料を機体サイズの燃焼器に詰め、筑波大学での最初の地上燃焼試験に臨んだ。四人と、柿沼先生と、轟の親父さんが貸してくれた軽トラックと。荷台には、頼んだ覚えのない緩衝材と毛布と、親父さんの工具箱一式が積んであった。「配達のついでだ」と親父さんは言った。ついで、の多すぎる配達だった。
結果を先に書く。
僕らの三か月は、点火の一・八秒後に、白い蒸気になって夏空に消えた。
第六章 一・八秒
筑波大学の地上燃焼試験場は、キャンパスの外れ、雑木林を切り開いた吹きさらしの空き地にあった。屋根はない。土の上にコンクリートの試験台が据えられ、その手前に、人の背丈より高い分厚い遮蔽壁が一枚立っている。壁からさらに五十メートルほど離れて、コンテナを改造した計測室。燃焼器は壁の向こうの試験台に水平に固定し、計測室から配管と配線越しに、酸化剤を送って点火する。炎も煙も、遮るもののない空へ抜けていく造りだ。ロケットを飛ばさずに、エンジンだけを地面に縛りつけて燃やす。それが地上燃焼試験だ。
「飛ばすのは、一番最後です」真田さんは言った。「エンジンが設計どおりに燃えると分かるまで、機体は一ミリも浮かせない。うちの学生も、みんなここから始めます」
試験のシーケンス――決められた作業を、決められた順番で一つずつ進める段取りの列のことだ――は、前日までに柿沼先生と真田研の学生さんたちが、僕らの手順書を三回書き直させて固めてあった。配管の耐圧確認、リークチェック(ガス漏れがないかの確認)、退避、充填、退避確認、カウント、点火。僕らの役割も決まっていた。日高さんは燃料責任者として充填状態の最終確認。轟は機体側――今日は燃焼器だけだが――の緊結確認。緊結というのは、ボルト、継ぎ手、固定具のたぐいが決められた強さで締まっていて、緩みが一箇所もないことを確かめる仕事だ。「機械はよ、だいたい緩みから壊れんだ」というのが轟家の家訓だそうで、彼は締め付けの一箇所一箇所を、工具と、指と、目で潰していく。篠宮は自宅からビデオ通話でテレメトリ画面の監視。テレメトリは「遠隔測定」のことで、燃焼器や機体に取り付けたセンサの測定値――今日なら燃焼器の圧力、本番の機体なら高度や加速度――を、配線や無線で手元まで飛ばし、いま起きていることを数字とグラフで生中継する仕組みだ。炎のそばには誰も近寄れないから、数字だけが、僕らのかわりに現場へ立ち会う。その数字を読むのが、篠宮の持ち場だった。そして僕は、手順書の読み上げと、記録。
「試験開始。手順一、配管系統、目視確認」
僕の声が、真夏の試験場に響く。ひとつの手順が終わるたび、担当者が復唱し、僕がチェックボックスを埋める。四十分かけて、僕らは点火の三十秒前までたどり着いた。計測室のモニターには、燃焼器に取り付けた圧力センサの値が、静かな横一線を描いている。
「点火、三十秒前。総員、退避位置確認」
柿沼先生が計測室を見渡した。真田さんが頷いた。僕は最後の行を読んだ。
「十、九、八――」
日高さんが、膝の上で両手を握るのが視界の端に見えた。この燃焼器の中には、彼女が家庭科室で炊いた飴が、三・二キロ詰まっている。
「三、二、一、点火」
遮蔽壁の向こうで、橙色の光が走った。低い音が腹に届いた。モニターの圧力曲線が立ち上がる。よし、と誰かが言いかけた、その声の途中だった。
曲線が、跳ねた。
設計圧力の線を、赤い実測値が突き抜けた。次の瞬間、破裂音とも噴出音ともつかない鋭い音がして、遮蔽壁の向こうから白い蒸気が噴き上がり、圧力曲線は崖のように落ちて、ゼロになった。
燃焼時間、一・八秒。設計値は六秒だった。
「……安全弁、作動」テレメトリ画面の向こうで、篠宮の小さな声がした。「圧力、瞬間最大で、設計値の一・七倍。弁が開いて、中の圧は外へ逃げた。燃焼は、もう止まってる」
安全弁というのは、燃焼器に付けてある「逃げ口」だ。中の圧力が決めておいた値を超えたら、器そのものが裂ける前に、弁が自分から開いて圧を外へ捨てる。さっき遮蔽壁の向こうから噴き上がった白い蒸気は、つまり、逃げ口が仕事をした姿だった。器は守られた。守られたが、実験は、そこで終わった。
誰も、しばらく動けなかった。冷却と換気の規定時間が過ぎて、防護面をつけた真田研の学生さんと柿沼先生が壁の向こうへ確認に行き、戻ってきて、安全宣言を出した。それから僕らは、自分たちの三か月と対面した。
燃焼器の安全弁は設計どおりに吹き飛び、内圧を逃がしていた。筒の中には、燃え残った飴が、見るも無残な姿で固まっていた。溶けて、流れて、偏って、燃焼ガスの通り道を自分で塞いだ、飴の死骸。詰めたときには均一だったはずの円柱が、内側で崩れていた。
「充填不良、ですね」真田さんが静かに言った。「溶融した燃料が偏って、ポートを閉塞した。ハイブリッドの、一番古典的な失敗のひとつです。閉塞すれば圧力は上がる。上がれば安全弁が開く。……安全系は、全部正しく働きました。だから今日は、事故ではありません。データです」
ポートというのは、詰めた燃料の中心を貫く、燃焼ガスの通り道の穴のことだ。息の通り道を、自分の溶けた身で塞いだ。そう言えば、あの日の飴に起きたことの全部になる。
データです、という言葉の優しさが、そのときの僕らには、まだ受け取れなかった。
片付けの間、日高さんは一言も喋らなかった。燃え残りの飴を、彼女は素手で――冷えているのを確認してから――ひとつずつ取り出し、バットに並べ、写真を撮り、袋に詰めた。その手つきだけが、いつもどおり丁寧だった。丁寧すぎて、見ていられなかった。袋の口を結ぶとき、彼女が小さく「ごめんね」と言うのを、僕は聞かなかったことにした。この袋が後日、彼女の家の仏壇の前で「報告」されたことを、僕らはずっと後になって知る。
帰りの軽トラックと電車を乗り継ぐ道中、誰も口をきかなかった。海沿いを走る各駅停車の窓に、夕日が長く伸びていた。ボックス席で、轟は腕を組んで目を閉じ、日高さんは袋の中の飴の死骸を膝に載せて、ずっと見ていた。
「……私の飴が、悪かった」
ぽつりと、彼女が言った。
「配合が甘かった。融点を欲張って上げなかった。おじいちゃんなら、こんな飴は炊かない」
「違うだろ」
言ったのは、轟だった。目を閉じたままだった。
「飴は悪くねえよ。悪いのは、詰め方だ」
「同じことでしょ。溶けて崩れたんだから」
「違えって」轟は目を開けた。「なあ、日高。おまえの飴はな、溶けるんだよ。溶けるのが仕事なんだ、あれは。溶けてガスにならなきゃ燃えねえって、おまえが最初に言ったんだぞ。溶けるもんを、ただの円柱で筒に詰めた設計が悪い。つまり俺と真島だ」
「でも」
「工場でよ」轟は構わず続けた。「丸棒の真ん中に穴あけるとき、芯がずれてるとどうなるか知ってるか。回した瞬間に振れて、使いもんにならねえ。今日の飴はあれだ。真ん中に、まっすぐな穴が最初から通ってりゃ――ガスは素直に流れたんじゃねえのか」
日高さんが、顔を上げた。
「……ドーナツ」
「あ?」
「飴を、ドーナツ状に成形する。中心に貫通孔。燃焼はポート内面から外へ進むから、燃焼面積の変化も計算できる。偏りようがない。詰めるんじゃなくて――」彼女の目に、鉱物の光が戻ってきた。「――飴を、部品にする」
「型なら俺が削る」轟が言った。「飴を流し込む金型だ。うちの工場、鋳物の木型なら昔からやってる。要領は分かる」
僕はノートを開いて、二人のやり取りを書き留めながら、胸の中で何かがもう一度、点火するのを感じていた。窓の外の夕日は同じで、電車の速度も同じで、でも車内の空気だけが、行きとは別のものになっていた。
その夜九時、篠宮からのメールは、いつもより三行長かった。
「件名 no.34
今日の失敗、映像とデータ全部見た。閉塞は0.9秒から始まってた。僕がもっと早く、燃料の変形をモデルに入れるべきだった。ごめん。
ドーナツ案、計算した。内孔径18mmで燃焼面積の推移がほぼ理想。それ、正解かも。250m出る。
あと、これは言うか迷ったけど。今日、点火の瞬間、画面越しでも心臓が鳴った。ゲームでは、一回も鳴ったことなかった」
週明け、失敗の報は教頭の耳にも届いていた。廊下で呼び止められた柿沼先生に、教頭は言った。「爆発、したそうですね」。先生は足を止め、静かに訂正した。
「爆発ではありません。安全弁の正常作動です。教頭。安全装置が正しく働いた失敗は、成功の部分集合です。子どもらはいま、金では買えんものを学んでいる」
「九月まで、あとひと月半ですよ」
「存じています」先生は一礼して、歩き出した。白衣のポケットで、飴の袋が乾いた音を立てた。
その夜、僕はノートの最終頁に、二行を書き足した。「飴は悪くない、詰め方が悪い(轟)」。「安全装置が正しく働いた失敗は、成功の部分集合(柿沼)」。
第七章 飴の部品
八月の家庭科室は、製菓工場になった。
正確には、燃料製造施設と呼ぶべきなのだろうが、銅鍋と温度計とゴムべらが並ぶ調理台の光景は、どこからどう見ても製菓だった。学校への届け出書類の品目欄に、柿沼先生は堂々と「飴の製造」と書いた。嘘は一文字もなかった。
轟が削り上げた金型は、美しかった。アルミの塊から挽き出した円筒の外型と、中心に立つ十八ミリの芯棒。二つ割りの型を合わせてクランプで締め、上の湯口から飴を流し込む。冷えて固まったら型を割り、芯棒を抜くと、外径百二十ミリ、内径十八ミリ、厚さ三十ミリの、琥珀色をした飴のドーナツが生まれる。これを十二枚、燃焼器の中に積層する。飴の総量三・四キロ。それが僕らのエンジンの、新しい心臓だった。
「温度、百四十八」
銅鍋の前で、日高さんが読み上げる。彼女の左手には温度計、右手にはゴムべら、そして調理台の端には、祖父の手帳が開いて置いてある。角の丸くなった、砂糖の染みだらけの手帳だ。温度計を使いながら、彼女はしばしば温度計を疑った。「この温度計、〇・五度、見栄を張る」と言って鍋の上に指をかざし、読みを勝手に補正する。祖父の「温度計なんか信用するな」を、孫は科学の側から実践していた。恐ろしいことに、補正後の値で炊いた飴のほうが、歩留まりがよかった。
この銅鍋の出どころも、ずっとあとで知った。店を畳んだ日、日高さんのお母さんがひとつだけ捨てずに残した、先代の飴炊き鍋だった。「部で使うなら」。母娘はそれだけの短いやり取りで、鍋を学校へ運んだのだそうだ。
「百五十二。……ここから一気にいく。轟くん、型の予熱は」
「八十度、維持してる」
「湊、時間」
「炊き始めから二十一分」
「よし。――流すよ」
銅鍋が傾き、金色の流体が、細い糸を引いて湯口に吸い込まれていく。飴が空気を噛まないように、糸の太さを一定に保つ。この注ぎの仕事は、三日目から轟の担当になった。「旋盤と同じだわ。手ぶれ禁止、速度一定」と本人は言った。肩を壊した男の手は、しかし誰よりも揺れなかった。脱型した飴を光にかざして、轟は「面粗度がいい」と褒めた。面粗度というのは表面の細かい凹凸の少なさ、要するに肌の滑らかさを表す機械加工の言葉で、飴がそれで褒められたのは、製菓史上おそらく初である。
冷却、脱型、検品。検品は日高さんの独壇場で、そして地獄だった。彼女はドーナツを一枚ずつ光にかざし、気泡を探す。米粒の半分ほどの泡がひとつでもあれば、不合格。「気泡は燃焼面の乱れになる。乱れは圧力振動になる。一・八秒を忘れたの」と言われれば、誰も反論できない。不合格のドーナツは、規定により(轟が起草し、全会一致で可決された部内規定である)部員が責任をもって食べる。
八月の三週間で、僕らは合格品六十枚と、不合格品三十七枚を製造した。三十七枚は麦茶とともに、僕らの胃に消えた。僕はいまでも、あの夏の味を正確に思い出せる。甘くて、香ばしくて、三枚目から急速に飽きて、それでも誰も残さなかった。日高さんは自分の検品ではねた飴を食べるとき、必ず一口目に「……おいしい」と悔しそうに言った。おいしさと燃料性能は別の軸なのだった。
なお、不合格品の処理実績は、篠宮に毎晩報告されていた。報告した僕が悪かった。八月末、彼のメールに一枚の表が添付されてきた。件名no.66。「不合格品三十七枚、総質量約三・三キログラム。これはCANDY249の搭載燃料三・四キロにほぼ等しい。結論、我々はロケット一機ぶんの推進剤を経口で消費した。世界初の実績と思われる。誇るかどうかは各自の判断に任せる」。翌朝、日高さんは誇った。轟は胃のあたりを押さえた。
ノートには、こうも書き足した。「不合格でも、おいしいものはおいしい、と言う(日高)」。自分が不合格にしたものの取り柄を、事実の側から認めること。言えそうで、なかなか言えない台詞だと思う。
ついでに、体重の話もしておく。ロケット一機ぶんの飴を三人で分ければ、身体は当然、正直に反応する。篠宮のメールno.66には実は続きがあって、「なお経口消費を三人で等分した場合、体重増加は脂肪換算で一人あたり推定〇・六キロ」とあった。九月の頭に量ったら、僕はぴったり〇・六キロ増えていて、当てられたことが妙に悔しかった。轟は無傷だった。訊けば、八月の朝、誰にも言わずに走り込んでいたという。「肩は使えねえけど、脚は無事だからよ。燃料は、燃やせば減る」。理屈はロケットと同じだった。日高さんも無傷で、理屈を訊いたら「飴屋の孫は、飴で太る体を卒業してる」と真顔で言われた。そんな卒業があるか、と思ったが、彼女が言うと本当にありそうで怖い。なお、一枚も食べていない篠宮からは「公平性の観点から、いつか能代に行く日には海鮮を多めに食べる権利を留保する」という謎の債権が主張された。二年後、彼はこの権利を、きっちり行使した。
並行して、篠宮の計算は最終盤に入っていた。ドーナツ十二枚積層の燃焼面積推移、推力曲線、機体重量七・九キロ、そして風。彼のメールの表には、いつからか「風速別・射角補正表」という頁が増えていた。当日の海岸の風を測って、発射レールの角度を一度単位で変えるための表だ。件名の通し番号は、五十を超えていた。
そして八月十日、彼は学校に来た。
夏休みの、誰もいない理科室に、母親の車で。燃焼器の実物と、飴のドーナツを、自分の目で見たいと言って。篠宮は白い指でドーナツを持ち上げ、光にかざし、内孔を覗き込んで、長いこと黙っていた。それから言った。
「……画面の中より、ずっときれい」
日高さんが「でしょ」と言い、轟が「型がいいからな」と言い、僕が「炊きがいいんだよ」と言い、篠宮が小さく笑った。彼が笑うのを、僕らはそのとき初めて見た。
二度目の地上燃焼試験は、八月十九日だった。
手順書は第五版になっていた。読み上げる僕の声は、一度目より低く、遅くなっていた。緊張の質が変わっていた。一度目の緊張は「うまくいくだろうか」で、二度目のそれは「僕らは一・八秒から、正しく学べたか」だった。
「三、二、一、点火」
橙の光。低い、腹に響く音。
圧力曲線が、立ち上がる。設計線に、乗る。一秒。二秒。一・八秒の壁を、赤い実測値が静かに越えていく。三秒。四秒。曲線は篠宮の予測線に、定規で写したみたいに重なったまま、伸びていく。五秒。誰も息をしていなかった。六秒。
燃焼終了。曲線が、なだらかに裾を引いて、ゼロに帰った。
六・一秒。全量、燃焼。閉塞なし、異常振動なし。
計測室が、静かに沸いた。大声を出してはいけない場所だと全員が分かっていたから、僕らは声を殺して、拳と拳をぶつけ合った。轟が声を殺したまま「やばい、やばい、やばい」と三回言い、僕も声を殺して「やばい」と返した。語彙は死んでいたが、感情は生きていた。日高さんは両手で口を覆ったまま、モニターの曲線を見つめていた。画面の隅のビデオ通話の小窓で、篠宮が何度も頷いていた。柿沼先生は腕を組んだまま動かなかったが、口の中の飴が、ころりと音を立てた気がした。
真田さんが振り返って、親指を立てた。
「エンジンは、設計どおりに燃えましたね。――安全審査、通しましょう。書類はうちの学生と同じものを全部出してもらいます。それで通れば」彼は壁のカレンダーを指した。「九月六日、日曜。うちが鹿島灘の海岸に構えてる射場、空いてます。海打ちです」
安全審査は、想像していたどんな試験よりも厳しかった。
機体の構造計算書、燃焼試験成績書、飛行シミュレーション、落下分散――機体やパラシュートが風に流されて、最悪どこまで落ちうるかの計算――、回収計画、緊急時対応手順、点火系の多重安全(誤って点火信号が出ても、二重三重の関門で止まる仕組み)、酸化剤の保安計画。書類は全部で百三十ページを超えた。八月末の審査会では、真田研の先生と学生さんたちが、僕らの書類を容赦なく突いた。開傘失敗時の弾道は。点火信号の誤送出対策は。海上回収の船は誰が出す。無線が切れたらどうやって機体を探す。
答えに詰まるたび、書類は差し戻され、僕らは書き直した。三度目の審査会の最後、委員長席の真田さんは書類の束を揃えて、言った。
「条件付き適合。条件は二つ。当日の海上風速が規定値を超えたら、迷わず中止すること。それから――」彼は初めて、審査員ではない顔で笑った。「――ちゃんと、二百四十九、獲ってきてください」
帰り際、駐車場で、柿沼先生が僕ら四人を呼び止めた。先生は珍しく、少しの間、言葉を探していた。
「……三十年前、俺のいたプラントで、若いのが一人、大火傷をした。手順書を一行、飛ばした。急いでいたからだ。俺は現場の責任者で、急がせたのは、俺だ」
夕暮れの駐車場で、先生の声は淡々としていた。
「その男は復帰したが、俺は現場を降りた。教師になったのは、逃げたと言われれば、そうかもしれん。ただな。お前らが手順書を一行ずつ読むたび、俺は、あの日からやり直している気がする。……礼を言う。それだけだ。ほら、乗れ。帰るぞ」
軽トラックの荷台に固定された機体カバーの上に、夕日が落ちていた。誰も何も言わなかったし、何も言わないのが正解だと、全員が分かっていた。
第八章 二四九メートルの空
九月六日、日曜日。夜明け前の、筑波大学が鹿島灘の海岸に構える射場に、僕らはいた。
射場といっても、大学が管理する海沿いの埋立地に、発射レールと管制小屋と退避壕があるだけの、飾り気のない場所だ。東の空が藍色から橙に変わり始め、海は凪いでいた。風速計の数字は二・八メートル。規定値の、余裕で内側だった。
集まった人間は、思ったより多かった。僕ら四人と柿沼先生。真田さんと研究室の学生さんが六人。海上回収艇を出してくれる、大学と契約している漁師さんが二人。軽トラックで機体を運んでくれた轟の親父さんは、「配達だ、配達」と言いながら、結局帰らずに防波堤の端に立っていた。そして、どこで聞きつけたのか、地元紙の記者が一人、腕章をつけて所在なげにしていた。
発射レールに、機体が据えられた。
全長一・九メートル、直径十四センチ、乾燥質量七・九キロ。ノーズコーンから尾部まで、轟が削り、磨いた白い機体。その腹の中には、日高さんの飴のドーナツが十二枚。頭の中には、パラシュートと、GPSと、気圧高度計と、加速度計と、回収ブザー。気圧高度計は、高く昇るほど空気が薄くなるのを逆手に取って、気圧から高さを割り出す計器。加速度計は、機体がどれだけ強く蹴り出されたかを記録する計器だ。それから、篠宮が「験担ぎ」と言って譲らなかった、彼のゲームの宇宙飛行士のミニフィギュアが一体。実在のあの日のロケットにも、キャラクターの人形が乗っていたのだと、彼は珍しく早口で主張した。
機体側面には、日高さんの細い字で、機体名が入っている。
CANDY249。
その下に、ごく小さく、彼女はもうひとつ何かを書き入れていた。覗き込むと、それは屋号だった。潰れた和菓子屋の、飴細工の金魚の焼き印と同じ、三文字。「あとで、おじいちゃんに報告するから」と彼女は言った。
篠宮は、来た。
夜明けの海岸に、母親の車で。ノートパソコンを抱え、管制小屋の隅の折りたたみ机が、彼の席だった。テレメトリ画面を睨む横顔は、保健室のベッドの縁で膝を抱えていた人間と、同一人物には見えなかった。彼の母親は車から降りず、少し離れた場所から、ずっとこちらを見ていた。エンジンを切った車の中で、両手を口の前で組んでいるのが、遠目にも分かった。
打ち上げシーケンス、開始。
「風速二・九、方位、北北西」篠宮が読み上げる。「補正表より、射角、西へ一・五度」
「レール角、修正。……よし」轟が締め付けを確認する。
「酸化剤、充填開始」柿沼先生の声。配管の霜が、朝日に光る。「……充填完了。元弁閉。配管よし」
「燃料、目視最終確認、よし。点火系、セーフティ解除準備よし」日高さんの声。
カウントダウンは、僕の仕事だった。
管制小屋のマイクの前で、僕は一度だけ深呼吸した。四か月半前、職員室の白板の「廃部」の二文字にほっとしていた男。書類のどの欄にも印のつかなかった男。その男がいま、世界記録への号令をかける。声が裏返らないように、腹の底に力を入れた。
「総員、退避位置。最終確認。――発射、六十秒前」
海鳥の声。波の音。風速計の回る音。
「十、九、八、七、六――」
視界の端で、日高さんが飴をひとつ、口に放り込むのが見えた。噛まずに、舐めていた。
「五、四、三、二、一、点火」
音より先に、光が来た。
橙色の閃光がレールの根元で膨らみ、次の瞬間、CANDY249は白い煙の柱を大地に突き立てて、跳んだ。まっすぐに。信じられないほどまっすぐに。腹の底を蹴り飛ばすような轟音が、一拍遅れて海岸を薙いだ。誰かが叫んだ。全員だった。機体は見る間に光の点になり、煙の柱だけが、朝の空に一本、白い定規を当てたように残った。
「燃焼、正常」篠宮の声が震えていた。「高度五十、八十、百――速度、予測線に乗ってる――百五十――」
六秒。燃焼終了。煙が途切れ、機体は慣性だけで、なおも空を昇っていく。
「百八十、百九十――」
そのときだった。
「……テレメトリ、ロスト」
篠宮の声に、海岸が凍った。画面の高度の数字は、一九六メートルで止まっていた。
無線が、切れた。原因は分からない。機体は肉眼ではもう捉えられない。二百四十九に届いたのか、届かなかったのか、それを教えてくれるはずの数字が、消えた。
「……全員、目視継続。開傘を探せ」柿沼先生の声だけが、平坦だった。「機体はまだ飛んでいる。仕事は終わっとらん」
十数秒が、十数分に感じられた。やがて、沖の空に、白い点がぽつりと咲いた。
「開傘確認!」学生さんの声。「降下正常、ドリフト東南東、着水予測、沖合四百!」
機体は生きていた。パラシュートは開いた。回収艇のエンジンがかかる。だが――記録は。誰もその言葉を口にしなかったが、全員が同じことを考えていた。十年前の、あの日の二回目の打ち上げの記録は「計測不能」だった。歴史は、一番皮肉な形で繰り返されようとしていた。
回収艇が白いパラシュートを拾い上げ、桟橋に戻ってくるまでの四十分間を、僕は一生忘れないと思う。日高さんは飴を三個、続けて噛み砕いた。轟は工具箱の中身を、意味もなく二度並べ直した。柿沼先生は僕らに背を向けて、ずっと海を見ていた。篠宮だけが、動いていた。途切れたテレメトリのログを何度も先頭から再生し、電波が切れた瞬間の受信強度のグラフを睨み、「アンテナじゃない、たぶん機体側のコネクタ」とぶつぶつ言い続けていた。彼は絶望のかわりに、原因究明をしていた。それが彼の、祈りの形だった。
漁師さんたちは、濡れた機体を、獲物ではなく怪我人を運ぶみたいに毛布でくるんで、ブルーシートの上にそっと横たえてくれた。尾部の焦げから、うっすらとカラメルの匂いがした。篠宮が、震える指で電装区画を開け、SDカードを抜く。ノートパソコンに挿す。フォルダが開く。気圧高度計のログファイル。数字の列が、画面いっぱいに流れ、立ち上がり、頂点をつくって、落ちていく。
その頂点を、篠宮が拡大した。もう一度、拡大した。
カーソルが、一番高い一点に、そっと置かれた。
最高到達高度――二四九・三メートル。
一瞬、桟橋から音が消えた。最初に沈黙を破ったのは轟の親父さんの「おいおいおい」という声で、次が記者のシャッター音で、それからすべてが決壊した。「よっしゃ、やべえ! 出た! 二四九、出た!」と喚きながら、轟が僕を米俵みたいに担ぎ上げ、壊したはずの肩で高々と突き上げた。日高さんは泣きながら笑って、「やばい。何これ。……やばい」と、彼女にしてはあり得ない語彙を繰り返しつつ、ポケットの飴を、学生さんにも漁師さんにも記者にも、片っ端から配って歩いた。柿沼先生は真田さんと固い握手を交わし、それから僕らのほうを向いて、白衣のポケットから飴の袋を取り出し、逆さにした。空だった。先生はその空袋を、くしゃりと握って笑った。
篠宮は、画面を抱きしめたまま座っていた。それから立ち上がり、離れた場所の車に向かって――車から降りて、口を両手で覆って立ち尽くしている母親に向かって――小さく、でも確かに、両腕を空に伸ばした。
一メートル。たった一メートル。
けれどその一メートルの上には、まだ誰も届いたことのない空が、確かにあった。
*
三日後の朝刊の話をする前に、当日の桟橋で行われた取材について、記録しておかねばならない。
例の地元紙の記者さんは、興奮も冷めやらぬ僕らに、順番にレコーダーを向けた。まず日高さんに「成功の一番の要因は?」。日高さんは即答した。「飴のご機嫌です。今朝の湿度が、この子たちに合っていました」。記者さんのペンが止まった。次に轟へ「機体づくりで苦労した点は?」。「面粗度と同軸度っすね。あと、旋盤の機嫌」。表面のなめらかさと、筒の軸の真っ直ぐさのことだが、無論、記者さんに伝わるはずもない。ペンは動かなかった。同軸度とは筒状の部品の中心線がどれだけ一直線に揃っているかのことだが、記者さんに罪はない。最後に篠宮へ「いまのお気持ちは?」。篠宮は真剣に考え込み、やがて顔を上げて言った。「事前の成功確率を六十八パーセントと見積もっていたので、残りの三十二パーセントのぶん、驚いています」。記者さんは静かにレコーダーを止め、少し離れて海を見ていた柿沼先生のほうへ、歩いて行った。
――というのが、記事の談話が柿沼先生の一言だけになった経緯である。
三日後の地元紙朝刊、地域面の左上に、僕らは載った。
「飴で世界一 汐見高科学部、キャンディロケットで二四九メートル」。写真は打ち上げの瞬間の白い煙の柱で、記事の中で柿沼先生は「生徒が勝手にやった。私は飴を舐めていただけです」と答えており、後日、校長室に呼ばれて叱られたらしい。叱った校長の机には、その記事の切り抜きが、透明なデスクマットの下に挟んであったというから、大人というのは分からない。
九月の予算会議で、科学部の廃部案は取り下げられた。教頭は会議の後、廊下で柿沼先生とすれ違いざま、一言だけ言ったそうだ。「……安全審査の書類、百三十ページ。あれは、見事でした」。敵だと思っていた人が最初に認めたのが、記録ではなく書類だったというのが、いかにもあの人らしくて、僕は少し笑ってしまった。
週末、家の電話が鳴った。兄からだった。研究室の先輩がSNSで記事を見つけて、これお前の弟の学校じゃないかと騒ぎになったのだという。受話器の向こうで兄は、機体の諸元を訊き、燃焼時間を訊き、テレメトリが切れた原因の推定を訊き、僕がひとつずつ答えるたびに、「へえ」「ほう」「マジか」と言った。最後に兄は言った。
「湊。正月、その話、親戚の前でやれよ。今度は俺が聞く側な」
僕は「考えとく」と答えて、電話を切ってから、洗面所の鏡の前でしばらくにやにやしていた。人生で初めて、兄への返事に、消去法ではない選択肢が入っていた。
十月。理科室の白板には、いま、新しい文字が並んでいる。日高さんの字だ。
――次目標:一〇〇〇メートル。燃料候補:検討中(甘いもの限定)。
その横に、轟の字で「機体、全長3m級。工場と要相談」。その横に、篠宮の字で「1000mは249mの4倍じゃない。20倍難しい(計算済)」。僕はマーカーを取り、一番下に、部長として一行を書き加えた。
――目指す場所:秋田県能代市。
書き終えたところで、理科室のドアが開いて、柿沼先生が入ってきた。先生は白板を眺め、僕らを眺め、白衣のポケットから新しい飴の袋を開けて、言った。
「真田から電話があった。……来年の能代宇宙イベント、高校チームの参加について、運営に問い合わせてくれたそうだ。前例は、ほとんどない。審査は大学生と同じ。手加減もない。七百キロの遠征費の当ても、ない」
先生は飴をひとつ、口に放り込んだ。
「――で、いつから始める?」
窓の外は、抜けるような秋の青だった。天井から吊るされたCANDY249の焦げた尾部が、風もないのに、少しだけ揺れた気がした。
(第一部 了)
第二部 千メートルの壁
第九章 二十倍の壁
十月最後の火曜日、理科室の黒板の前に、篠宮怜が立っていた。
これ自体が、ひとつの事件だった。篠宮は九月の終わりから、週に二日、教室に来るようになっていた。まだ毎日ではないし、来ても口数は少ない。それでも彼はいま、チョークを持って、僕ら三人と柿沼先生の前に立っている。半年前の保健室を思えば、天変地異に近い。なお本人の事前申告によれば「今日、最後まで喋りきれる確率は七十四パーセント」だそうで、根拠は不明だが、彼の数字はよく当たるので、誰も笑わなかった。
「……最初に、悪い知らせから」
篠宮は黒板に、二本の矢印を描いた。短いのと、長いの。
「二四九メートルと、一〇〇〇メートル。高さは四倍。でも、難しさは四倍じゃない。少なく見積もって、二十倍」
「計算済み、ってやつだな」と轟。
「計算済み」篠宮は頷いて、数字を並べ始めた。「まず、必要なエネルギー。高く飛ぶには速くなきゃいけない。速くなると空気抵抗は速度の二乗で効いてくる。だから一〇〇〇メートルに届くには、単純計算の何割増しもの推進剤が要る。推進剤が増えれば機体が重くなる。重くなればもっと推進剤が要る。ロケットは、この悪循環との喧嘩。CANDY249は飴三・四キロで足りた。次は、十キロを超える」
「十キロ」日高さんが復唱した。「ドーナツ、何枚?」
「直径を上げて、三十枚前後。機体は全長二・七メートル、離陸重量はたぶん二十五キロ級。CANDY249の三倍強。落ちてきたときのエネルギーも三倍強。だからパラシュートは二段にする。頂点でいきなり本命の大きな傘を開くと、開いた瞬間の衝撃で機体が壊れるか、無事でも、大きな傘のまま高い空をゆっくり降りるあいだに、風で海の彼方まで流される。だから頂点では、小さくて頑丈な減速傘――ドローグっていう――だけを開いて、墜落しない程度に速度を殺しつつ、わざと素早く降りてくる。それで低い高度まで来てから、メインの大きい傘を開いて、ふわりと降ろす。ドローグは英語で「引きずるもの」。船が嵐のとき、船尾から海に流して姿勢を保つ道具と同じ名前。開傘の判定も電装も、全部作り直し。あと」
彼はそこで、少しだけ言い淀んだ。
「……テレメトリが切れた原因、まだ潰せてない。コネクタが怪しいとこまでは追い込んだけど、確証がない。一〇〇〇メートルで無線が切れたら、二百四十九のときの四十分じゃ済まない。海のどこを探せばいいかも分からなくなる」
「つまり」と僕はノートに書き取りながら言った。「機体も、燃料も、電装も、回収も、全部が新規開発」
「そう。二四九の機体を大きくコピーすれば飛ぶ、っていう考えは、今日で捨ててほしい。それが二十倍の意味」
理科室が静かになった。沈黙を破ったのは、柿沼先生だった。先生は教卓に一枚の紙を置いた。真田さんから届いた、能代宇宙イベントの資料だった。
「悪い知らせは、まだある。金の話だ」
先生の試算は、こうだった。機体材料と電装で四十万。酸化剤と燃焼試験の消耗品で十五万。筑波への往復を重ねる交通費。そして能代遠征――部員四名と顧問、機材一式を七百キロ運び、一週間滞在する費用が、どう切り詰めても五十万。締めて、百二十万円。
科学部の年間予算は、復活したとはいえ、三万円だった。
「四十倍だな、こっちは」と轟が乾いた声で言った。
「最後に、一番悪い知らせだ」柿沼先生は、飴の袋を教卓に置いた。いつもの癖で、しかし今日は誰にも配らなかった。「俺は、来年度いっぱいで定年だ。再任用の口はあるが、顧問としてお前らと打ち上げに行けるのは、常識的に考えて、来年の夏が最後になる。……つまり、能代は一発勝負だ。来年八月に間に合わなければ、この計画はそこで終わる。お前らは受験で、俺は年貢の納め時だ」
誰も、すぐには声を出さなかった。窓の外で、野球部のノックの音が規則正しく響いていた。やがて日高さんが、手を挙げた。
「いい知らせは、ないんですか」
柿沼先生は、初めて笑った。
「ある。ひとつだけな。――お前らはもう、二百四十九メートルを知っている。ゼロから始める奴らとは違う。失敗の仕方も、手順書の読み方も、四十分の待ち方も知っている。それがどれほどの財産か、まだ自分らで分かっとらんだろう」
先生は飴の袋を開け、今度は全員に配った。
「開発期間十か月、予算百二十万、機会は一回。……大人の世界じゃ、これを『プロジェクト』と呼ぶ。ようこそ、諸君」
第十章 頭を下げる部活
十一月、僕らは頭を下げる部活になった。
百二十万円という数字を前に、僕らが最初にやったのは、金を「誰が出しうるか」の洗い出しだった。学校予算は論外。県や市の青少年科学活動の助成金に二口応募して、通っても合わせて二十万。残り百万を、僕らは自分たちで探さなければならない。
「クラウドファンディング」と篠宮が言い、「地元行脚」と柿沼先生が言った。結論から言えば、両方やった。そして両方が、僕らに同じことを教えた。金を集めるとは、説明することだ、と。
クラウドファンディングの頁は、篠宮と僕が書いた。真面目に、丁寧に、一箇所の間違いもないように書いた。目標額五十万円。十一月の頭に公開したその頁の全文を、自戒のために引用しておく。
「【プロジェクト概要】本プロジェクトは、県立汐見高校科学部によるハイブリッドロケットの開発および打ち上げの実施を目的とするものです。ハイブリッドロケットとは、固体燃料と液体酸化剤を組み合わせた推進方式であり、火薬類を使用しないため安全性に優れています。当部は昨年度、糖類を主成分とする固体燃料を用い、到達高度二四九メートルを記録いたしました。本年度は機体を大型化し、目標高度一〇〇〇メートルの達成、ならびに能代宇宙イベントへの参加を目指します。つきましては、開発費用の一部につきまして、皆様のご支援を賜りたく、お願い申し上げます。【資金使途】機体材料費、電装部品費、燃焼試験費、遠征費ほか」
どこにも間違いはなかった。そして、どこにも僕らがいなかった。公開ボタンを押す役をじゃんけんで勝ち取った轟が意気揚々とボタンを押し――二週間の成果は、四万三千円だった。支援者九人。うち六人は、たどっていくと親戚だった。
地元行脚は、週末ごとの行事になった。柿沼先生が背広を着て(白衣以外の先生を、僕らは初めて見た)、僕ら四人が学生服で、商店街と工業団地を一軒ずつ回る。市の商工会議所が「面白がって」くれて、回るべき先のリストを作ってくれた。
断られた数は、正確に記録してある。二十六軒。
「うちも苦しいから」「ロケット? 危なくないの」「気持ちはわかるけどね」。頭を下げ、資料を置き、また頭を下げて店を出る。轟は三軒目で「なんか、営業マンってすげえな」と呟き、七軒目で無口になり、十五軒目あたりから、断られても表情が動かなくなった。慣れというより、面の皮という筋肉が育っていた。
流れが変わったのは、十二月の頭、市内の菓子メーカー「潮騒堂」の応接室だった。
潮騒堂は、富津土産の塩飴と羊羹で県内なら誰でも知っている、社員六十人の会社だ。応接室に現れた社長は六十がらみの恰幅のいい人で、僕らの資料をめくる前に、日高さんの顔をじっと見た。
「……お嬢さん、ひょっとして、駅前の『日高屋』さんの」
「孫です」
「ああ、やっぱり」社長は資料を置いた。「先代にはね、うちの職人が何人も、飴炊きを教わったんだ。頑固な人でな。温度計なんか信用するなと言って、うちの若いのを泣かせた。……それで、その日高屋の孫が、飴でロケットを?」
「はい」日高さんは、まっすぐに言った。「祖父の手帳の飴で、二百四十九メートル飛びました。次は一キロ飛ばします」
社長は長いこと黙って、それから応接室の棚から、古い木箱を持ってきた。中には飴細工の金魚が入っていた。日高さんの家の仏壇にあるのと、同じ焼き印の。
「創業五十年のとき、先代に祝いで作ってもらったやつだ。……よし、分かった。金は出す。三十万。ただし条件がある」社長はにやりと笑った。「機体にうちの名前を入れろ。それと、成功したら『ロケット飴』を共同開発だ。富津の新名物にする。どうだ、悪い話じゃなかろう」
悪い話ではなかった。潮騒堂の名前は翌週には商店街を駆け巡り、「潮騒堂が出すならうちも」という二番手三番手を生んだ。金物屋が五千円、釣具屋が三千円、理髪店が五千円。轟鉄工所の親父さんは金の代わりに「材料費原価、機械使用料タダ、ただし大地の学業に響いたら即中止」という現物出資を宣言した。
風向きが変わらないのは、クラウドファンディングだけだった。十一月の末、伸びない数字を睨む僕の後ろで、轟が身も蓋もないことを言った。「俺が客なら、一円も出さねえわ、これ。誰が書いてんのか、顔が見えねえもん」。日高さんの評は「実験レポートみたい。悪い意味で」。柿沼先生は頁を一読すると、行脚の記録ノートを僕の前に置いた。「二十六回断られて、学んだろう。資料を読み上げた店では断られた。一・八秒の失敗の話をした店でだけ、相手は身を乗り出した。人は仕様書には金を出さん。物語に出すんだ」
僕らは頁を、全文書き直した。数字と仕様を削って、かわりに、顔を出した。書き直した頁の冒頭は、たった三行だった。
「飴でロケットを飛ばして、世界記録を作りました。二四九メートルです。次は一〇〇〇メートルを、秋田県能代市の空で飛ばします。汐見高校科学部、部員四名」
その下に、あの日の白い煙の柱の写真。本文には、一・八秒で吹き飛んだ最初の失敗のことも、失敗作の飴を三十七枚食べた夏のことも、無線が切れた四十分のことも、そのまま書いた。四人の自己紹介は一行ずつ。「飴に挨拶してから燃やす燃料班」「機械に挨拶してから削る機体班」「素数の日は機嫌がいい軌道班」「特技のない部長(通訳)」。そして締めくくりは、こうした。
「何の取り柄もない四人です。でも、飴は二百四十九メートル飛びました。次は一〇〇〇メートルの報告を、あなたに送らせてください」
リターンは、報告書と、打ち上げ動画と、「部員が炊いた飴(不合格品ではない)」。差し替えたその夜から、数字は動き始めた。年末、クラウドファンディングは目標の五十万を四日残して達成し、最終的に六十七万四千円で締まった。支援者は三百十一人。その中には「元・汐見高校科学部(四十年前)」という名義や、「筑波大学真田研一同」や、名前のない「飴が好きな者」もいた。
年の瀬、理科室の白板の隅に、日高さんが小さな表を書いた。助成金二十万(採択通知済み)、潮騒堂三十万、商店街ほか十一万、クラファン六十七万(手数料引き前)。合計、百二十八万。
「……越えた」と僕が言うと、彼女は首を振った。
「越えてない。これで機体が一機と、遠征が一回。失敗したら、おかわりはない。三百十一人と潮騒堂と商店街に、頭を下げ直す勇気がある?」
ないとは言えなかった。だから僕らは、その日から予備機の部品代を捻出するために、支出表と睨み合う部活にもなった。金は、集めるより使うほうが難しい。これも、あの冬に学んだことのひとつだ。
第十一章 割れる飴と、正月の食卓
冬の敵は、寒さだった。正確には、寒さが飴にすることだった。
一〇〇〇メートル機の燃料ドーナツは、直径が一回り大きくなる。試作を始めてすぐ、日高さんは問題に突き当たった。型から抜いた飴が、一晩置くと、割れるのだ。中心の孔から外へ向かって、細い稲妻みたいなヒビが走る。ひどいものは、朝には二つに割れていた。
「熱応力」篠宮が言った。「外側が先に冷えて縮む。内側はまだ熱くて、あとから縮もうとする。引っ張り合って、負けたところが割れる。飴が大きくなるほど、内と外の温度差が大きくなるから、二四九のサイズでは出なかった」
「ヒビの入った燃料は?」と僕。
「論外」日高さんが即答した。「ヒビは燃焼面。予定にない面が燃えたら、圧力は設計から外れる。一・八秒をもう一度やりたいなら、どうぞ」
対策の会議は、難航した。ゆっくり冷やせばいい、というところまでは全員一致した。問題は方法だ。家庭科室に、何時間もかけて百度から室温まで一定速度で下げられる装置などない。保温ボックスの自作案、電気毛布案、いくつも試して、どれも温度管理が甘く、歩留まりは五割を切ったままだった。
答えを持っていたのは、また、死んだ職人だった。
一月の初め、日高さんが祖父の手帳の後ろのほうに、走り書きを見つけた。「大物の飴 急がせるな 布団に寝かせろ 一晩」。布団、と僕らは顔を見合わせた。冗談みたいな言葉だが、要するに断熱材でくるんで、飴自身の熱でゆっくり冷ませ、ということだ。
「布団か……布団ねえ……」轟が腕を組み、それから顔を上げた。「――炉だ。鋳物屋の徐冷炉。うちの取引先に、鋳物の砂型やってるとこがある。鋳物ってのは急に冷やすと割れるんだよ。飴と同じだ。だから炉の余熱で、一晩かけて冷ます。……頼んでみる。親父の顔で」
鋳物屋の社長は、話を聞いて大笑いし、「炉に飴を入れた鋳物屋は日本で俺だけだろうな」と言いながら、炉の隅を貸してくれた。初日、日高さんは炉の前で深々と一礼し、「うちの飴を、よろしくお願いします」と挨拶した。社長が「炉に頭を下げた客も初めてだ」と言うと、隣で轟が真顔で「基本っすよ」と頷いたので、社長はしばらく本気で悩んでいた。ついでに記録すると、帰り際、敷地のフォークリフトが通り過ぎた音だけで轟が「あれ、左前輪、ベアリング鳴いてます。早めに見たほうがいいっす」と言い当て、後日それが本当だったことが判明して、炉の使用料は「永久無料。ただし大地は月一回、機械の音を聴きに来ること」に改定された。耳で払う使用料である。
金型ごと保温して十二時間かけて冷ました飴は、嘘みたいに割れなくなった。歩留まりは九割を超えた。ついでに日高さんは配合も見直し、水飴の比率をわずかに上げて、飴の「粘り」を増した。「おじいちゃんの言う『腰のある飴』。割れにくくて、でも燃焼特性はほとんど変わらない。データ取った」
こうして僕らの燃料は、和菓子屋の手帳と、鋳物屋の炉と、高校の家庭科室の銅鍋という、教科書のどこにも載っていない製造ラインから生まれることになった。
その正月、僕は親戚の前に立った。
例年どおり、祖父母の家の広間に親戚が集まり、例年どおり兄の近況が披露され、そして例年と違って、兄が言ったのだ。「今年は湊の番。な、約束だろ」。
僕はノートパソコンを開き、白い煙の柱の写真を映し、十五分、話した。飴が燃える仕組み。一・八秒の失敗。ドーナツの発想。テレメトリが切れた四十分。二四九・三という数字。話しながら、去年までの正月の、義理の視線の置き場に困っていた自分を思い出していた。あの頃の僕に教えてやりたかった。視線というのは、集まると、あたたかいのだ。
質問は、意外な人から来た。祖父だった。元は漁協の整備士で、無口で通っている人だ。
「……その、無線が切れた話。原因は分かったのか」
「コネクタが怪しいところまでは。確証がなくて」
「振動か」祖父は言った。「漁船の無線も、時化のたびに切れるやつがあった。だいたい、差し込みの接点だ。エンジンの振動で、目に見えんほど浮く。うちらは半田で直付けにしたもんだ」
隣で兄が、深く頷いていた。
「じいちゃんの言うとおり。衛星屋の世界にも格言があるんだ。『コネクタは全部悪』。振動試験で最初に落ちるのは、たいていコネクタ。抜き差しが必要な箇所以外は直付けにして、必要な箇所はロック付きの、振動仕様のものに替えな。それと配線は必ず結束して、共振で暴れないように。――設計図、送ってみろよ。研究室の先輩に、電装の鬼がいる」
正月明け、篠宮に祖父と兄の話を伝えると、彼は三日間、メールの通し番号を止めた。四日目に届いたメールには、電装系の改訂図面一式と、一行。
「no.88 コネクタ、七個から二個に減らした。二個はロック付き。あとは全部、直付け。……湊の家系、電装に強すぎる」
家系、という言葉を、僕はしばらく眺めた。出来のいい兄と、無口な祖父と、消去法の僕。同じ食卓の話が、一本のロケットの中で配線されていく。取り柄というのは、案外、個人の持ち物ではないのかもしれなかった。
第十二章 エントリーシート
二月、能代宇宙イベントの参加募集要項が公開された。
真田さんから転送されてきたその文書を、僕らは理科室のプロジェクタに映して、全員で読んだ。読み進めるほどに、部屋の空気が薄くなっていった。参加団体は例年、全国の大学・高専のロケット団体。安全審査は書類・対面の多段階。打ち上げには有資格の安全管理体制。海打ちには回収船と海域調整。要求される文書の一覧は、僕らが筑波で書いた百三十ページが、前菜に見える分量だった。
「高校単独チームの参加例は」と僕が訊くと、柿沼先生は首を振った。
「運営に問い合わせた。過去、ほとんど前例がない。門前払いではないが、条件がつくだろうと言われた」
条件は三月、真田さんを通じて示された。ひとつ、筑波大学真田研究室との共同参加体制とすること。安全管理の最終責任は大学側が持つ。ひとつ、酸化剤取扱いは有資格者(柿沼先生と真田研の学生)が行うこと。ひとつ、四月末までに技術審査書類の初版を提出し、六月の中間審査、七月の最終審査に合格すること。一度でも落ちれば、その年の参加はない。
「共同参加って」轟が顔をしかめた。「それ、俺らの打ち上げじゃなくて、大学のおまけになるってことか?」
「逆だ」柿沼先生が言った。「設計も製造も運用も、お前らがやる。大学は安全の網を張る。網の上で跳ぶのは、お前らだ。……真田はな、電話でこう言った。『うちの学生に、高校生の書いた書類を審査させます。いい薬になる』と。あいつも、いい性格になったもんだ」
四月末提出の技術審査書類、通称エントリーシートの作成が、三月の全てになった。機体諸元、構造計算、燃焼データ、飛行シミュレーション、落下分散、電装系統図、運用手順、回収計画、組織体制。担当を割り、書き、突き合わせ、柿沼先生に赤を入れられ、書き直す。理科室の消灯時刻を、僕らは何度も破りかけ、そのたびに先生の「帰れ。徹夜で書いた書類は、徹夜の質しかない」に追い出された。
その三月、部内には、書類以外にも、いくつかの変化があった。
篠宮は、三年生の始業式を、教室で迎えることを担任に伝えた。「毎日来られるかは、分からないけど」と彼は僕らに言った。「能代の運営と、審査員と、大学の人と、これから知らない大人と喋る場面が、たくさんある。……練習しておかないと、本番で声が出ない。教室は、練習場所としては、悪くない」。理屈っぽい言い方だったが、理屈の鎧を着ないと言えないことが、人にはある。僕らは「そうだな、練習な」とだけ返した。
あとになって知ったことだが、彼の担任は始業式より前に、彼の席を窓際の、空のよく見える列に移しておいてくれていた。理由を訊かれた担任は「日当たりです」とだけ答えたそうだ。
日高さんは、進路希望調査の紙を、初めて空欄にしなかった。志望学部の欄に「工学部・応用化学(推進剤化学)」と書き、担任を絶句させた。「化学以外の教科も要るぞ」と言われ、「知ってます。炭素が入ってなくても、ロケットに要るなら、入れます」と答えたという。彼女の英語の小テストの点数は、四月から、ゆっくりと浮上を始める。これにも裏があった。英語科の先生が、海外のアマチュアロケット記事のコピーを「副教材」と称して、彼女に渡し続けていたのだ。炭素の入っている英文なら頭に入るだろう、という見立てである。生徒を教科に引きずってくるのではなく、教科の側から生徒の頭に歩み寄る先生を、僕はこのとき初めて見た。
轟は、誰にも言わずに、工業高等専門学校の編入試験の過去問を鞄に入れていた。僕がそれを見つけてしまったとき、彼は照れ隠しに「うちの工場をよ、いつか、ロケットの部品で食える工場にしてえんだわ。そのためには、俺がもうちょい、賢くならねえと」と言った。富津の鉄工所の三代目は、飴の金型を削った冬に、自分の軌道を引き直していた。
そして僕は――僕の進路希望の紙は、まだ白かった。焦りがなかったと言えば嘘になる。三人がそれぞれの推力で加速していくのを、真横で見ていたのだから。ただ、不思議と、去年までの「空欄の白さ」とは違う白さだった。書きたいことが無いのではなく、書きたいことの輪郭が、まだ言葉の手前にある。そういう白さだった。柿沼先生には見抜かれていて、四月の頭、書類の赤入れのついでに、一言だけ言われた。
「真島。お前の取り柄が何か、俺はもう知っとるが、教えてやらん。能代が終わる頃には、自分で気づく」
四月二十八日、僕らはエントリーシート初版、二百十六ページを提出した。表紙の団体名は、こうなっていた。
「汐見高校科学部・筑波大学真田研究室 合同チーム SHIOMI-249」
機体名の欄には、日高さんの発案で、新しい名前が入った。CANDY1000、ではなかった。彼女は言った。「千メートルは通過点。名前は目的地にする」。
機体名、AMEnoNAKA。飴の中。そして――天の、中。
五月、中間審査へ向けた地上燃焼試験の日程が組まれた。新入生も二人、入った(この二人の話は、まだ先でする)。全てが、順調に見えた。
順調に見える、というのが、どういう時間のことなのか。僕らはこの三か月後、鹿島灘の海で、骨の髄から学ぶことになる。
第十三章 五人目と六人目
四月の部活動紹介で、僕は体育館の壇上に立った。去年まで、科学部に紹介の持ち時間はなかった。部員一名の休部同然の部に、割く時間などなかったからだ。今年は三分もらえた。僕は白い煙の柱の写真を一枚だけスクリーンに映し、こう言った。
「科学部です。去年、飴でロケットを飛ばして、世界記録を作りました。今年は一キロ上を目指します。入部条件は、ひとつだけ。何の取り柄もないこと。取り柄は、入ってから見つかります。経験者は語ります」
体育館が、笑いともざわめきともつかない音で揺れた。壇を降りるとき、袖で柿沼先生が「営業がうまくなったな」と言った。二十六軒分の面の皮だった。
仮入部期間に理科室を覗きに来た一年生は、十一人だった。そして九人が、帰った。
名誉のために言っておくと、九人はCANDY249の実物を見て写真を撮るまでは、全員、目を輝かせていたのだ。問題は、その後の「面談」だった。日高さんは見学者一人ひとりの前に立ち、すん、と鼻を鳴らしてから所見を述べた。「あなた、微糖の缶コーヒーね。悪くない」「あなたは朝からポテトチップス。燃料班は無理。機体班なら」。三人目が後ずさりした。轟は轟で、挨拶がわりに見学者の上履きのつま先をノギスで測り、「二十六・五表記で実測二十七・一。メーカー訴えていいぞ」と善意の助言をした。二人が壁際まで下がった。そして篠宮は、部屋の隅のノートパソコンから顔も上げずに、小さな声で実況していた。「現時点の残留確率、四十パーセント……三十一……十八……」。実況が聞こえた瞬間、四人がまとめて帰った。
九人が去った理科室で頭を抱える僕の横で、残った二人のうちの一人が、手を挙げた。
五人目は、三好さくら。小柄で、よく喋り、常に首から古いデジタルカメラを提げている。彼女は入部理由を訊かれて、鞄から一枚の新聞の切り抜きを出した。去年の九月の、あの地域面の記事だった。角が丸くなるほど触られた切り抜きだ。
「中三のとき、これ読んで、汐見高に決めました。うちの中学、汐見高受ける子ほとんどいなかったんですけど。……あの、変なこと言っていいですか。この記事の写真、煙しか写ってないじゃないですか。あたし、ずっと思ってたんです。この煙の下で、どんな顔してる人たちがいたんだろうって。だから、あたしは顔を撮る係になりたいです。ロケットのことは、まだ何も分かんないですけど、記録なら、誰よりちゃんとやります」
僕らは顔を見合わせた。記録。手順書の読み上げと動画撮影を「僕の仕事」として一年間やってきた身として、断言できる。記録は、立派なひとつの係だ。それも、扇の要という意味での、要の係だ。要というのは、扇のばらばらの骨を根元の一点で束ねている、あの小さな金具のことで、あれが抜ければ扇はただの棒の束になる。うちの部も同じだった。一・八秒の失敗の原因は、試験の動画と数値の記録がなければ永遠に分からなかったし、二四九・三メートルという世界記録も、突き詰めれば高度計が残した一枚のログがすべてだった。飛ぶのは一瞬、証明するのは記録。ばらばらの天才たちの仕事を一点で束ねて、あとから誰でも辿れるようにする金具。それが記録係だ。
六人目は、宇野健。三好さんの後ろに隠れるように立っていた、瘦せた男子で、声が小さく、目を合わせるのが苦手らしかった。履歴書がわりの自己紹介メモには、細かい字でこう書いてあった。趣味、電子工作(はんだ付け歴六年)。資格、第四級アマチュア無線技士(中二で取得)。
「無線……」篠宮が、メモから顔を上げた。「四アマ、持ってるの」
宇野くんは、こくりと頷いた。
「……テレメトリ、興味ある?」
もう一度、今度は深く、頷いた。篠宮は僕を見て、それから彼にしては珍しく、はっきりと言った。
「採用。僕の後任は、この人にする」
後任、という言葉に、僕は不意打ちを食らった。そうだ。僕らは三年生で、来年の春にはいなくなる。四人で始めた部は、四人で終わってはいけないのだ。篠宮はたぶん、僕らの誰よりも早く、そのことを考えていた。教室に通う「練習」を積んできた彼は、いつの間にか、一番遠くまで見る目を取り戻していた。
新体制は、こうなった。部長・真島湊(運用・記録統括)。燃料班・日高このみ、補佐・三好さくら(兼・広報記録)。機体班・轟大地。電装班・篠宮怜、補佐・宇野健。顧問・柿沼恒夫。学外協力・筑波大学真田研究室、轟鉄工所、鋳物の丸吉、潮騒堂、富津商店街連合会、ほか支援者三百十一名。
白板の体制図を眺めて、轟がしみじみと言った。
「……去年の五月、四人だったんだぜ、これ」
「入ったばかりの五人目として言っときますけど」と三好さんがカメラを構えながら言った。「その台詞、もう一回言ってください。いま逆光でした」
ちなみに三好さんは入部一週間で、飴への挨拶と、機械への挨拶と、素数の日の機嫌を、全部「そういう文化」として飲み込んだ。「変な部活ですね」と言ったのは初日の一度きりで、二週目にはもう「うちの部、癖が強いんで」と宇野くんに先輩面で解説していた。適応の速い記録係である。
ただし、三年生の春は、ロケットだけでは回らなかった。
四月の三者面談で、僕らはそれぞれの担任と親の前に座らされた。日高さんの担任は「推進剤化学はいいが、英語をあと二十点」と言い、彼女は「炊きます」と意味不明の返事をして持ち帰った(彼女の中で努力は全て飴炊きの比喩になる)。轟の親父さんは面談で「工場は継がせない。継ぐなとは言わないが、継ぐ前に外の飯を食え」と宣言し、高専編入の件で息子と初めて正面から言い合いになり、帰り道の車内で和解したらしい。言い合いの中身を轟は話さなかったが、和解の一言だけは教えてくれた。帰りの車で、前を向いたまま、親父さんは言ったそうだ。「腕はもう、俺が教えられんところまで来とる。頭は、外で買ってこい。……工場は、逃げん」。轟はその夜、過去問を三年ぶん、まとめて解いたという。篠宮の面談には母親が付き添い、担任が出席日数の回復を告げると、母親は書類を胸に当てたまま、しばらく声を出さなかったという。
僕の面談で、母は言った。「この子、進路の欄がまだ白いんです」。担任が僕を見た。僕は、少し考えて、答えた。
「八月が終わったら、書きます。書けると思います」
根拠はなかった。ただ、柿沼先生の「能代が終わる頃には、自分で気づく」という言葉を、僕は仮説として信用することにしていた。仮説は検証してみるものだ。それくらいは、この部で学んだ。
第十四章 七・二秒
六月七日、AMEnoNAKAの一〇〇〇メートル級エンジンは、筑波の地上燃焼試験場で、七・二秒間、燃えた。
圧力曲線は篠宮の予測線に乗り、飴のドーナツ三十枚は閉塞も異常振動もなく燃え尽き、計測室のモニターの前で、宇野くんは生まれて初めての「本物の点火」に、声もなく涙ぐんでいた。三好さんはファインダーを覗いたまま「……エモ。エモすぎ」と小声で呟き、宇野くんの濡れた横顔と、モニターの圧力曲線と、拳を合わせる僕らを、全部撮っていた。彼女の写真はその夜、部の活動報告としてクラウドファンディングの支援者三百十一人に届き、「泣いてる一年生に、うちの息子を重ねました」というコメントがついた。
六月二十日、能代の中間審査を、僕らはオンラインで受けた。
画面の向こうには、運営側の審査員と、他大学の学生審査員が並んでいた。二時間、質問は途切れなかった。燃焼データの根拠。落下分散の計算条件。高校生という体制の、責任の所在。答えるのは僕らで、柿沼先生と真田さんは、約束どおり一言も助け舟を出さなかった。一度だけ、画面の空気が固まった瞬間があった。燃料の品質管理体制を問われた日高さんが、「全数、戸籍で管理しています」と答えたのだ。コセキ、と審査員が聞き返し、日高さんは悪びれもせず、銘柄・ロット・含水率に加えて「性格」の欄がある管理台帳を画面共有した。十秒の沈黙のあと、学生審査員の一人が呟いた。「……これ、要するにロット単位の性状トレーサビリティですよね。うちより細かい」。トレーサビリティとは、材料一つひとつの素性と状態を後から遡って辿れるようにしておくことだそうで、つまり飴の戸籍は、工学の言葉に翻訳しても正しかった。以後この台帳は審査資料でも正式名称「燃料戸籍」で通った。役所が聞いたら怒られると思う。最後に、年配の審査員が言った。
「条件付き通過とします。条件は、最終審査までに実飛行を一回。同規模機の飛行実証なしに、能代の本番機は飛ばせません。……率直に言って、書類は大学チームの平均を超えています。だが書類は飛びません。飛ぶところを、見せてください」
実飛行。つまり、七月の鹿島灘で、AMEnoNAKAと同型の機体を、実際に海へ向けて打ち上げ、一〇〇〇メートルへ届かせ、二段開傘で回収してみせること。それが、能代への最後の関門になった。日程は七月二十日。最終審査は七月三十一日。能代の打ち上げ週間は八月半ば。定規で引いたような一本道で、そして一本道には、迂回路がない。
七月は、圧縮された。
期末試験。機体の総組み。電装の全機能試験。飴の量産。書類の改訂。三好さんの試験勉強会(彼女は要領がよく、暗記物の語呂合わせを量産して一年生二人の赤点を防いだ)。僕の手帳は分刻みになり、部長の仕事の八割は「どれを先にやるかを決めること」だと知った。
そして七月十六日、打ち上げ四日前の夜、それは起きた。
全機能試験の最中、メインパラシュート放出機構のサーボモータ――電気信号で指定した角度まで正確に回る、掌に載るほどの小さなモータだ――が、動作の途中で唸って止まった。分解すると、内部のギアが一枚、欠けていた。初期不良か、それまでの試験の蓄積疲労か。いずれにせよ、交換するしかない。予備のサーボは、あった。日高さんの締めた財布が、部品の予備だけは確保していた。
問題は、時間だった。
規定では、駆動系部品を交換した場合、放出機構の単体動作試験と、機体に組んだ状態での全機能試験を、両方やり直すことになっていた。僕らが自分で書いた手順書に、そう書いてあった。単体試験は一時間で済む。だが全機能試験は、機体を全部組んで、電装を通電して、丸一日仕事だ。そして翌日からは機体の輸送準備、前日は現地設営。全機能試験をやり直せば、輸送準備が半日飛ぶ。半日飛べば、当日の朝が綱渡りになる。
夜十時の理科室で、僕は決めた。
「単体試験のみで良しとする。交換したのはサーボ単体で、リンク機構は触ってない。結合部は目視と手動作動で確認。全機能試験の再実施は、省略する」
轟が「リンクの取り回し、俺がもう一回見とくわ」と言い、篠宮が少しだけ黙って、「……単体で動けば、系としても動くはず。信号系は変えてないから」と言った。柿沼先生は、その場にいなかった。翌朝、報告を受けた先生は、手順書の該当ページを長いこと見て、それから僕の目を見た。
「部長判断だな」
「はい」
「……分かった。記録に残せ。『七月十六日、サーボ交換。全機能試験再実施は日程都合により省略。単体試験および結合部確認をもって代替。判断者、真島』。一字も省くな」
僕はそのとおりに書いた。この記録が四日後、僕自身を裁く証拠になることを、そのときの僕は知らない。いや――正直に書く。知らなかったのではない。考えないことにしたのだ。日程という重力は、それほどに強かった。
第十五章 鹿島灘、七月二十日
打ち上げの朝は、腹が立つほどの快晴だった。
風速二・一メートル。波、穏やか。実飛行審査のために能代運営から派遣された立会人が一人、真田研の面々、回収艇の漁師さん、僕ら六人と柿沼先生。三好さんは三脚を三本立て、宇野くんは篠宮の隣で受信機のゲイン――電波をどれだけ増幅して聴くかという、いわば耳の感度のつまみ――を睨んでいた。轟の親父さんは今回も「配達だ」と言って防波堤にいた。
AMEnoNAKA一号機。全長二・七メートル、離陸重量二十四・八キロ。白い機体の側面には、潮騒堂の屋号と、商店街連合会の名と、小さく日高屋の焼き印。ノーズの内側には、例の宇宙飛行士のフィギュアと、今回から、三好さんが支援者全員の名前を米粒みたいな字で印刷した薄紙が一枚、納められていた。
シーケンスは、完璧に流れた。僕の読み上げに、五人の復唱が重なる。一年前より、声が増えた。それだけで、手順書は音楽みたいに聞こえた。
「五、四、三、二、一、点火」
炎は、地上試験と同じ顔で立った。
AMEnoNAKAは白い煙の柱を立てて、CANDY249の三倍の質量を、三倍の轟音で引き剝がすように上昇した。七秒あまりの燃焼。テレメトリは――切れなかった。正月の食卓で配線し直された電装は、高度を読み上げ続けた。四百、六百、八百。
「頂点――一〇六二!」宇野くんが叫んだ。「一〇〇〇、超えました! やば、ほんとに超えた!」
海岸が沸いた。数字は出た。あとは、還ってくるだけだ。
「ドローグ展開――確認! 降下率、正常!」
頂点で放たれた小さな減速傘が、青空に橙色の点を打った。機体は頭を下げ、安定した速度で落ちてくる。高度四百でメイン展開。手順書の次の行を、全員が頭の中で読んでいた。四百五十。四百二十。四百。
――橙色の点の下で、白い花は、咲かなかった。
「メイン、未展開」篠宮の声が硬くなった。「高度三五〇……三〇〇……放出信号、送出済み。応答、なし」
「再送」「再送済み。……駄目だ、動いてない」
ドローグだけの降下は、着水に耐える速度ではない。誰にも、もう、何もできなかった。橙色の点は、みるみる海面へ吸い込まれ、双眼鏡の中で、AMEnoNAKAは白い水柱を小さく立てて、消えた。
着水推定速度、毎秒二十六メートル。時速にして、九十キロ超。
回収艇が現場に着いたとき、機体は浮いていた。浮力設計だけは、仕事をした。だが引き揚げられた機体は、胴体の継ぎ目で「く」の字に折れ、ノーズは潰れ、海水は電装区画を満たしていた。桟橋のブルーシートに横たえられたそれは、もう、機体というより、機体だったものだった。
三好さんのカメラだけが、乾いた音を立て続けていた。彼女は泣きながら、それでも撮るのをやめなかった。あとで彼女は言った。「失敗の写真を撮らない記録係は、記録係じゃないので」。その写真は後日、僕らの再審査の資料の、一頁目になる。
立会人が、静かに帳面を閉じた。
「到達高度は要件を満たしました。しかし、回収の実証は不成立。……この結果で最終審査がどうなるかは、私の口からは言えません。報告書を待ってください」
帰りの車で、僕は助手席の窓に頭をつけて、ずっと同じことを考えていた。四日前の夜十時の理科室。手順書の一行。「全機能試験の再実施は、省略する」。あの一行を書いたのは、日程ではない。重力でもない。僕だ。
第十六章 一行の重さ
原因究明は、翌日から三日間、筑波大学で行われた。潰れた機体を、僕らは自分たちの手で、一部品ずつ解剖した。
答えは、放出機構の中にあった。仕組みから書く。メインパラシュートの収納部の蓋は、閂にあたるロックピンで留めてある。開傘の電気信号が来るとサーボモータが回り、その回転が、リンクと呼ばれる短い腕を介してピンを引き抜き、蓋が開いて、傘が空に飛び出す――はずだった。サーボモータは、生きていた。信号も届いていた。サーボは指令どおりに回っていた――空しく。回転をピンに伝えるはずのリンクの、根元の留め具が、外れていたのだ。ねじの緩み止め――ねじ山に一滴塗って固めると、振動でも緩まなくなる接着剤だ――の塗布が、交換作業のときに、一箇所だけ省かれていた。単体試験の数回の動作では保った留め具は、打ち上げの振動と加速度の中で少しずつ緩み、頂点に達する頃には、リンクは何も引かない、空回りする腕になっていた。
全機能試験をやり直していれば、機体に組んだ状態での振動確認の項目で、締結の再点検が入っていた。手順書に、そう書いてあった。僕らが書いた手順書に。
「……判断者、真島」
解剖報告書の末尾に、僕は自分でそう書いた。四日前の記録を、そのまま引用する形で。ペンが、指の中で震えた。百二十八万円。三百十一人。潮騒堂の三十万。鋳物屋の炉。祖父の手帳の飴、三十枚。宇野くんの初めての涙。全部が、僕の省略した一行の下敷きになって、海に落ちた。
報告会の席で、僕は立ち上がって、頭を下げた。何か言おうとして、言葉が続かなかった。沈黙を破ったのは、轟だった。
「――言っとくけどな、真島。留め具の締結、最終確認したの、俺だぞ。『リンクの取り回し、もう一回見とく』つった俺だ。緩み止めの塗り残し、見落としたのは俺の目だ」
「サーボ交換後の試験計画に『系としても動くはず』って言ったのは、僕」と篠宮。「省略に、技術的なお墨付きを与えた。判断材料を出したのは僕だから、判断の半分は僕のもの」
「予備サーボを一個しか買わなかったのは私」と日高さん。「二個あれば、一個を機体に組んだまま、もう一個で並行して試験できた。財布の締めすぎ」
「違う」僕は首を振った。「決めたのは、僕だ。部長判断って、先生に言った。あれは僕の――」
「そうだ。お前の判断だ」
柿沼先生の声が、報告会の空気を、まっすぐに割った。先生は僕を見ていた。怒っている顔ではなかった。もっと静かで、もっと深い顔だった。
「真島。お前の判断が、間違っていた。それは動かん。動かんが――一年前の電車を思い出せ。日高の飴が崩れたとき、轟が何と言った。『飴は悪くねえ、詰め方が悪い』と言ったんだ。今回も同じだ。お前は悪くない。お前の判断が悪かった。そして判断はな、直せる」
先生は、報告書を手に取った。
「三十年前の俺は、若いのに大火傷をさせて、原因を『自分という人間』にした。人間にしたから、直せなかった。現場を降りるしかなかった。……お前らは、原因を『判断』と『手順』にしろ。緩み止めの塗布を、単独の確認項目にする。駆動系交換後の試験省略を、いかなる日程でも禁止する。判断者一人に決めさせず、技術責任者の副署を要る仕組みにする。――それを報告書に書け。書いたら、顔を上げろ。次の仕事だ」
その夜、僕は家で、進路希望の白い紙を机に出した。書けると思っていた八月は、もう来ないかもしれなかった。母が部屋のドアの前に麦茶を置いていき、何も訊かなかった。何も訊かないでいてくれる家族の足音を、僕は生まれて初めて、ありがたいと思って聞いた。
スマホが震えた。兄からだった。短い文面だった。
「打ち上げ失敗の件、真田先生のところの先輩から聞いた。ひとつだけ。JAXAも NASAも、機体を海に落としたことのない組織は存在しない。彼らと君らの違いは、規模だけだ。原因報告書、書き上がったら送れ。読みたい。弟の書いた事故調を読める兄は、日本に俺くらいのもんだ」
僕は泣いた。声を殺して、少しだけ泣いて、それから机に向かって、事故調査報告書の続きを書いた。書き終える前に、ノートの最終頁にも一行、足した。「原因を人間にすると、直せない。判断と手順にすれば、直せる(柿沼)」。
第十七章 三週間
七月三十一日、最終審査。
僕らは筑波大学の会議室から、オンラインで審査会に臨んだ。手元には三つの文書があった。一つ、事故調査報告書(原因、締結部の緩み止め塗布省略および試験省略の複合。是正処置、七項目)。一つ、AMEnoNAKA二号機の製作計画(部品図は一号機と共通、是正七項目を反映)。一つ、三好さんが編んだ記録写真集(白い水柱と、折れた機体と、それを解剖する僕らの手の写真まで、全部入っていた)。
審査員の質問は、技術よりも、一点に集中した。
「二号機を、打ち上げ週間までに、間に合わせられますか。残り、三週間もありませんが」
答えたのは、僕だった。答える資格が、僕にはないのかもしれなかった。でも、答える義務は、僕にあった。
「機体構造部品は、轟鉄工所と協力工場二社で、十日で再製作できます。一号機の図面と治具が、全部残っているからです。燃料の飴は、金型と徐冷炉の工程が確立しており、六日で三十枚、量産できます。電装は、水没を免れた予備基板があり、是正処置を反映した実装を篠宮と宇野が五日で行います。総組みと、省略しない全機能試験に四日。輸送に二日。……計算上は、二十七日で足ります。残っているのは二十日です」
「七日、足りませんね」
「はい。ですから、並行します。機体と飴と電装は、待ち合わせをしません。それぞれが別の場所で同時に走って、最後の四日で合流します。この計画表のとおりです。……去年の僕らなら、無理でした。今は、部員が六人いて、後ろに、町が一個ついています」
画面の向こうで、審査員たちが顔を見合わせた。長い協議のあと、委員長が言った。
「条件付き適合。条件は三つ。第一、出発前の全機能試験に、当方の指定する立会人を置くこと。第二、是正処置七項目の完了確認をもって、打ち上げ可否を現地で最終判断すること。第三――」委員長は、そこで初めて、審査員の顔から、ただの大人の顔になった。「――能代の海は、鹿島灘より冷たい。海に落とすなら、せめて、パラシュートを開いてから落としなさい。以上です。健闘を祈ります」
通信が切れた瞬間、会議室で誰かが長く息を吐いた。全員だったかもしれない。
三週間の再製作が、その日の夕方から始まった。
轟鉄工所の旋盤は、盆休みを返上して回った。親父さんは「配達だ」とはもう言わなかった。図面を挟んで息子と部品の公差を言い合う姿は、どこから見ても、同業者だった。鋳物の丸吉の炉には飴の金型が並び、社長は「うちの本業より歩留まりがいい」とぼやいた。潮騒堂は差し入れの塩飴を一斗缶で寄越した。置いて帰る間際、社長は僕だけを呼び止めて言った。「真島くん。言っとくがな、わしらが金を出したのは、成功にじゃない。挑戦にだ。だから帳簿の上では、あんたらはまだ、誰にも一円も損をさせとらん。胸を張って作れ」。頭を下げかけたら、「客に頭を下げるのは成功してからでええ」と笑われた。商店街の理髪店は「遠征前に全員切ってけ、無料だ」と言った。ありがたく全員で行った。店主の「どのくらい切る?」に、轟が「全長マイナス十五ミリ、公差プラマイ二で」と注文し、店主が「髪に公差て」と鋏を持ったまま天を仰いだ。仕上がりは公差内だったらしく、轟は鏡に向かって満足げに頷いていた。理科室の消灯時刻は、校長の特例許可で三時間延び、教頭は毎晩九時に見回りに来て、「戸締まりだけは、頼みますよ」とだけ言って帰った。教頭が帰ったあと、机の端に自販機のココアが人数分置かれていることに、僕らは三日目まで気づかなかった。誰が置いたのかは、最後まで名乗り出る者がいなかった。筑波からは週に二度、真田研の学生さんが「近くまで来たんで」と言って部品や測定器を届けに来た。筑波から富津は、どう地図を見ても、近くではない。三好さんのカメラは、その全部を撮った。
僕はといえば、工程表と手順書の番人だった。是正処置七項目。緩み止め塗布の単独確認項目化。駆動系交換後の試験省略の禁止。判断への副署制度。一つずつ、手順書に書き込み、確認欄を作り、そして今度こそ、一行も省かなかった。夜、疲れ切った頭で手順書をめくっていると、ときどき、柿沼先生の三十年が、紙の向こうから僕を見ている気がした。
八月十日、AMEnoNAKA二号機、完成。同日、立会人監督下での全機能試験、全項目合格。メインパラシュートの放出機構は、振動試験ののち、十回連続で、一度も躊躇わずに動いた。
八月十二日、早朝。校門の前に、レンタルの二トントラックと、ワゴン車が停まった。機体コンテナを積み込み、僕らは乗り込んだ。見送りは、思ったより多かった。校長と、教頭と、野球部の朝練組と、潮騒堂の社長と、商店街の何人かと、それから僕の母と、篠宮のお母さんと。
トラックの助手席の窓から、富津の海が見えた。灰色だとずっと思っていた海は、朝日の下で、ちゃんと青かった。
七百キロ北の海を目指して、僕らは走り出した。
(第二部 了)
第三部 能代の空
第十八章 七百キロ
七百キロという距離を、僕は数字でしか知らなかった。
走ってみて分かった。七百キロとは、海が三回、表情を変える距離だ。富津の朝の青い海が、昼には日本海側の鈍い銀色になり、夕方、秋田の海は、見たことのない群青になった。トラックのハンドルを握るのは轟の親父さんで、出発のとき「配達だ」と言った。ただし今回は続きがあった。「――人生で一番でかい配達だ。寝とけ、ガキども」。
僕らは交代で眠り、眠れない時間は、それぞれのことをした。日高さんは単語帳をめくり――英語科の先生の「副教材」作戦以来、彼女の英語の点は嘘のように上向き続けていて、単語帳の背には油性ペンで「C2H5OH以外も覚える」と書いてあった――、篠宮と宇野くんはノートパソコンを覗き込んで受信アンテナの指向計画を詰め、三好さんは休憩のたびにサービスエリアの看板と僕らを撮り、轟は助手席で親父さんと、部品公差の話と、まったく関係ない昔の話を、ぽつりぽつりとしていた。柿沼先生は後続のワゴンを運転しながら、真田研の学生さんと無線で馬鹿話をしていたらしい。
能代の宿に着いたのは、夜だった。翌朝、僕らは会場である海岸へ向かい、そして、絶句した。
砂浜に、テントの列が延びていた。テントの数だけ、のぼりが立っていた。北から南から集まった大学チームの名前。テントの下には、僕らのAMEnoNAKAより大きい機体、小さい機体、双胴の機体、見たこともない形の機体が並び、そのあいだを、お揃いのジャンパーの学生たちが、工具と書類を抱えて行き交っていた。沖には回収と警戒の船。浜の一角には、缶サット(※)の投下試験の幟。場内放送が、どこかのチームの審査時刻を告げていた。
「……祭りだ」と轟が言った。
「祭りだな」と柿沼先生が言った。「日本中の『飛ばしたい奴ら』が、一年に一度、ここに集まる。今年はそこに、お前らがいる」
僕らのテントは、真田研の隣に割り当てられていた。設営を始めてすぐ、隣の隣のテントから、背の高い学生が二人、覗きに来た。ジャンパーの背中に「東北大学 宇宙工学研究会」とある。今年、高度八キロに挑む、この世界では誰もが知る強豪だった。
「汐見高校って、あの、飴の?」
「はい」と僕が答えると、背の高いほうが機体コンテナを覗き込み、遠慮のない目でAMEnoNAKAの継ぎ目を眺め、それから言った。
「七月に鹿島灘で一回、海に刺したって聞いたけど」
場が固まった。三好さんのカメラが下がった。だが東北大の彼は、続けてこう言ったのだ。
「事故調、読んだよ。運営経由で回ってきた。緩み止めの単独確認項目化と、交換後試験の省略禁止と、判断の副署制。――うち、あれそのまま、うちの手順書にもらった。いいレポートだった。書いたの、誰」
僕は一瞬、言葉が出なかった。代わりに轟が、僕の背中を叩いて前へ押し出した。
「こいつ。うちの部長」
「そう」東北大の彼は頷いて、手を出した。「じゃ、同業者だ。よろしく。分かってると思うけど、ここじゃ失敗は財産で、隠す奴だけが素人だから。……何か困ったら、うちのテント来て。工具は貸す。データも見せる。そのかわり、飴の燃料のレシピ、あとでうちの推進班に講義して。あいつら、君らの燃焼データ見て、ずっと騒いでる」
日が落ちると、テント村は別の顔になった。作業灯の下、あちこちのテントで工具の音と笑い声が混じり、僕らのテントにも、入れ替わり立ち替わり、よその大学の連中が覗きに来た。轟は東北大の機体班に外筒の継ぎ目を指先で撫でられ、「この面、どこの業者さん?」と訊かれて「俺」と答え、しばらく本気にされなかった。日高さんは推進班の院生と燃料の話を始めたきり戻ってこず、あとで「推進剤化学の研究室の中身を聞いた。入る」とだけ報告してきた。志望動機に、初めて生きた人間が加わった瞬間だった。一番の事件は篠宮で、シミュレーション談義の途中、東北大の学生が彼のゲームのIDを聞いた瞬間に立ち上がった。「え、待って。『MERSENNE』って、あの? ランキングの? ……おい、みんな、本物いた!」。囲まれた篠宮は耳まで赤くなって、それでも、逃げなかった。画面の中で世界と戦ってきた時間が、砂の上で、初めて顔と名前を持った夜だった。
夜のミーティングで、柿沼先生は言った。
「見たか。あれがこの世界の流儀だ。ライバルで、同志だ。空はひとつしかないからな。……明日から現地審査だ。寝ろ」
(※注)缶サット……ジュース缶サイズの手作り模擬衛星。缶一本ぶんの空間にセンサと無線とパラシュートを詰め、上空から放して、着地までの数分間に観測・記録・送信という本物の人工衛星と同じ仕事をさせる学生競技。
第十九章 砂の上の同志
現地審査は、二日がかりだった。
運営の技術審査員が僕らのテントに来て、是正処置七項目の完了記録を一項目ずつ確認し、機体を実際に組ませ、放出機構を目の前で十回動かさせ、手順書を抜き打ちで開いては「この場合は誰が判断する」と質問を重ねた。副署の欄を見て、審査員は初めて表情を緩めた。「これは、いい仕組みです。どこで覚えました」。「失敗です」と僕は答えた。審査員は笑わなかった。かわりに、深く頷いた。
審査の合間には、東北大に約束していた「飴講義」もあった。テントに推進班の学生さんが七人も詰めかけ、日高さんは開口一番、人数分の飴を配って言った。「まず、挨拶から。相手を知らずに燃やすのは、失礼なので」。国立大学の工学部生七人が、砂浜のテントで飴粒に「よろしく」と唱和する光景を、三好さんは連写した。その一枚は今も部の公式記録に「供養と挨拶(能代)」というキャプションで収められている。講義そのものは本格的で、質疑は一時間を超え、最後に東北大の推進班長が「この配合の考え方、うちのワックス燃料に応用したい」と頭を下げた。日高さんの返答は「いいけど、おたくのワックスにも、ちゃんと挨拶すること」だった。守られたかどうかは、確認していない。
審査の合間、僕らは他のチームの打ち上げを見た。
打ち上げ週間の前半は、陸打ちの日だった。小型機が次々に、砂の上のランチャから秋の気配の混じり始めた空へ駆け上がる。成功もあった。開傘しないまま砂丘に突き刺さる機体もあった。刺さったチームは、走って行って機体を掘り出し、テントに戻り、その日の夜には解析結果を掲示板に貼り出した。「原因:電装タイマ設定ミス。皆様ご注意を」。それを他のチームが写真に撮っていく。東北大の彼が言った「失敗は財産」が、目の前で流通していた。
僕らの海打ちは、週間後半、十六日の枠に組まれていた。海打ちは陸打ちより制約が多い。漁協との調整で決まった時間帯、回収船が出られる波の高さ、機体を追える視程――空の見通しが利く距離のことだ。ロケットは、飛ばしたいときに飛ばせるものではない。海が使える時間、風、波、視程、空域。その全部の条件が同時に「良」で重なる時間帯だけが、打ち上げに使える。この重なりを、ロケットの世界ではウィンドウ――窓――と呼ぶ。壁のような制約の連なりに、条件が揃ったときだけ開く、小さな窓。窓は向こうの都合で開き、こちらの都合を待たずに閉じる。開いているあいだに通り抜けるか、次の窓まで待つか。それしか、ない。
「予報、見ました?」
十四日の夜、宇野くんが青い顔でスマホを差し出した。前線が、日本海をゆっくり南下していた。十五日夜から十六日いっぱい、雨。十七日、つまり打ち上げ週間の最終日は、回復するが、風が読みにくい。
「……AMEnoNAKAの名前、効きすぎだろ」と轟が天を仰いだ。
日高さんが、ぽつりと言った。「名前をつけたとき、言ったよね。飴の中、天の中。……あのときね、三つ目の意味も、こっそり仕込んでおいたの。――雨の中。飛ばす機械の名前に、いちばん困る天気を、先に入れておいた。名前に入っているものは、予定のうち。予定のうちのことで、私たちは慌てない」
彼女の言葉は、お守りというより、宣言に聞こえた。
第二十章 雨の中
十五日の夜から、予報どおり、雨になった。
十六日、僕らの打ち上げ枠は、朝の運営ブリーフィングで、あっさりと流れた。海は白く波立ち、回収船は出られず、雲は低かった。順延。次の、そして最後の可能性は、十七日の午前だけ。それを逃せば、撤収だ。イベントは終わり、僕らは機体をコンテナに戻して、七百キロを引き返す。二号機は飛ばないまま、僕らは受験生に戻り、柿沼先生は最後の夏を終える。
雨のテントの中は、静かだった。やることは、もうほとんどなかった。機体は仕上がり、試験は全項目終わり、手順書は暗唱できた。準備が完璧であるほど、待つことは重くなる。それも、この二年で学んだことのひとつだった。
昼前、東北大の班長がビニール傘で現れて、「暇なら来い。恒例のやつ、やってる」と僕らを一番大きなテントへ連れて行った。恒例のやつ、とは、雨の日の失敗自慢大会だった。各チームが歴代いちばん見事な失敗を持ち寄って披露する。
大阪公立大学は、フィンを利かせすぎた機体の話をした。安定がよすぎて風見鶏になり、律儀に風上へ旋回して、発射台のほぼ真横に帰ってきた。「往復便です」と発表者は言った。「日本一安全なロケットです。どこにも行かないので」。
九州工業大学は、カウントがゼロでも飛ばなかった機体の話をした。全員が首をかしげて三十秒、忘れかけた頃に、機体は誰の号令も待たずに勝手に飛んだ。「以来うちの手順書には『飛ばなくても三百秒、誰も近づかない』という一行があります。あの三十秒で、全員の寿命が縮んだので」。笑いのあと、テントの空気が一瞬だけ引き締まったのは、その一行の重さを全員が知っているからだった。
和歌山大学の缶サット班は、降下中の缶がトンビに攫われた話をした。ログには「着地予定時刻を過ぎても高度が上がり続ける謎のデータ」が残り、解析班が三日悩んだ。報告書の原因欄には、正式に「トンビ」と記載されたという。
回収がらみの失敗談で優勝をさらったのは、地元の秋田大学だった。ブザーの音を頼りに砂丘を掘ったら、去年よそのチームが失くした機体が先に出てきたという。「持ち主に返しに行ったら、泣かれました」。この浜の砂の下には、失敗の地層が埋まっているらしい。
極めつけは、東北大の古い伝承だった。昔、機体に「不沈」と大書して打ち上げたら、初飛行でまっすぐ海に沈んだ。「以来うちは、弱気な名前しかつけません。今年の八キロ機は『たぶん飛ぶ』です」。テントが揺れるほどわく中で、日高さんが一人、真顔で深く頷いていた。名前に厄を先に入れておく彼女の流儀と、たぶん同じ棚の教訓なのだった。
発表のたびに笑いが起き、笑いのあとには必ず、誰かが「で、原因は?」と訊く。笑うところまでが供養で、原因を訊くところからが技術だった。
あとから考えて、この順番は発明だと思う。失敗した機体には、金と、何か月ぶんの夜と、ときには誰かの涙が詰まっている。まともに向き合えば重すぎて、人は隠したくなる。隠せば、原因ごと埋まる。だからこの浜の連中は、まず笑うのだ。本人が一番おかしく語り、全員で盛大に笑って、恥ずかしさと悔しさをその場で燃やし尽くす。弔いの済んだ失敗は、もう痛くない。痛くなくなったものだけが、初めて、ただの現象として机に載る。「で、原因は?」という問いは、だから冷たいのではない。供養が終わった、という合図であり、あなたの失敗はここから全員の教材になります、という敬意の形式なのだった。
僕らも鹿島灘の一部始終を「出品」した。メインの開かない機体が毎秒二十六メートルで海に刺さるくだりで、テントは今日一番わいた。発表を終えた僕に、隣に座っていた知らない大学の学生が缶のお茶をくれて、一言だけ言った。「いい失敗。うちも去年、緩み止めで一機、沈めた」。いい失敗、という言葉がこの世にあることを、僕はあの雨の浜で知った。
午後、僕は一人で、雨の砂浜を歩いた。傘の下から、灰色の海を見た。富津の海と同じ色をしていた。二年前の僕なら、この色を見て、ほらやっぱり世界は灰色だと思っただろう。いまの僕は知っている。この同じ海が、明日の朝、青くなる可能性があることを。可能性の話ができるようになったことが、たぶん、二年間の全部だった。
「――真島くん」
振り向くと、傘を差した三好さんがいた。カメラは、珍しく提げていなかった。
「あの、部長に、ぶっちゃけたこと訊いていいですか。……明日、もし、微妙な天気だったら。飛ばせるか飛ばせないか、ぎりぎりの風だったら。決めるの、部長ですよね」
「運営の基準内なら、最後はチーム判断になる。うちの決まりだと、僕が判断して、技術責任者の篠宮が副署する」
「飛ばせなかったら、全部、終わりですよね。二年間の。百二十八万円の。三百十一人の。……それでも、駄目なときは、駄目って言えますか」
雨が傘を叩いていた。僕は、少し考えて、答えた。
「言えるように、七月に練習させてもらった。世界で一番高い授業料で」
三好さんは、しばらく黙って、それから「録音しとけばよかった」と言って笑った。「いまの、すごくいい部長の顔でした。記録係として、一生の不覚です」
夜、宿のミーティングで、僕らは翌朝の全パターンを詰めた。風速いくつまでなら行く。波高いくつまでなら回収船が出る。視程がいくつを切ったら止める。ノーゴーの基準を、ゴーの基準より先に、太い字で書いた。柿沼先生は最後に一言だけ言った。
「基準を昨夜のうちに決めた奴は、当日の朝、迷わんで済む。……いい会議だった。寝ろ」
第二十一章 最終ウィンドウ
十七日、午前四時半。
雨は、上がっていた。東の空の低いところに、切れ切れの雲が残り、その隙間が、橙色に灼け始めていた。風速計は、四メートルと五メートルのあいだで揺れていた。僕らの基準は「五メートル以下で安定」。波高は回収船の限界の内側、ぎりぎり。視程、良好。
行けるかもしれない。行けないかもしれない。一番苦しい空だった。
運営ブリーフィング。海打ち可否の大枠は「条件付き可」。あとは、各チームの判断に委ねられた。テントに戻ると、全員が僕を見た。真田さんも、柿沼先生も、何も言わなかった。言わないことが、約束だった。あの沈黙が突き放しではなかったことを、いまなら言葉にできる。どちらに決めても、責めない。決める重さは預けるが、決めたあとの重さは、一緒に持つ。大人二人の沈黙は、そういう沈黙だった。
「……宇野。風のログ、直近三十分」
宇野くんが画面を向けた。風速は基準の内側で上下していたが、突風のピークが、二回、五メートルを超えていた。間隔は不規則。
「篠宮。この風で飛ばした場合の落下分散は」
「メイン開傘が正常なら、回収海域は範囲内。ただし」篠宮は正直だった。「ドローグのみの異常時は、突風のタイミング次第で、警戒海域の縁に寄る。確率は低い。ゼロじゃない」
テントの外で、場内放送が、他チームの打ち上げ準備を告げていた。時計は進む。ウィンドウは、九時に閉じる。準備には九十分かかる。つまり、決断の刻限は七時半。
五時五十分、東北大の班長がテントの入り口に顔だけ出して、防水の封筒をひとつ置いていった。中身は、彼らが揚げている観測気球の風の生データだった。付箋が一枚。「判断の材料に。判断はそっちの仕事」。仲間との距離の取り方まで、この浜の連中は正確だった。
六時。風は落ちない。六時半。落ちない。七時。ピークがまた、五メートルを一度、掠めた。
テントの中の空気が、粘っていくのが分かった。誰かが「もう行きましょうよ」と言えば、なだれを打ってそちらへ傾く空気だった。誰も言わなかった。言わない訓練を、僕らは二年間、してきた。
七時十分。宇野くんが、小さく声を上げた。
「……変わった。風向が振れて――落ちてます。三・五。三・二。ピークも四を切った。予報の等圧線どおりなら、このまま昼まで安定です」
「篠宮」
「シミュレーション、回し直した。全ケース、回収海域内。……副署する」
篠宮の「副署する」が誰の保証よりも重いのは、彼がその十分前に「ゼロじゃない」と言える人間だからだ。都合の悪い数字を隠さない口だけが、保証の言葉を持てる。
僕は立ち上がった。二年前、職員室の白板の前でほっとしていた男の声とは、たぶんもう、違う声で言った。
「汐見高校科学部・筑波大学合同チーム、打ち上げ準備を開始します。――ゴーです」
第二十二章 天の中
発射レールのAMEnoNAKA二号機は、朝日を受けて、白く立っていた。
側面には潮騒堂の屋号と、商店街の名と、日高屋の焼き印。ノーズの中には宇宙飛行士のフィギュアと、支援者三百十一人の名前の薄紙。そして今回はもうひとつ、出発の朝に僕の母が持たせた、富津の砂をひとつまみ包んだ小袋が、規定重量の内側で、そっと乗っていた。富津の砂に、能代の空を見せてやってほしいと、母は柄にもないことを言った。
準備は、九十分きっかりで終わった。手順書のどの一行も、省かれなかった。緩み止めの確認項目に、轟がチェックを入れ、僕が確認し、篠宮が副署した。三か月前に僕らを海に突き落とした一行は、いま、僕らの一番固い骨になっていた。
管制テントで、僕はマイクの前に座った。振り返ると、みんながいた。飴の職人の孫。肩を壊した機体職人。保健室から来た軌道屋。記録係。無線係。真田研の面々。防波堤には轟の親父さん。そして――
「先生」
僕は、点火スイッチの前の席を、手で示した。
「打ち上げの最終ボタン、押してもらえませんか。僕らの一号機のときから決めてたんです。二号機が飛ぶ日は、先生の、教師として最後の打ち上げだから。……三十年ぶりの、現場です」
柿沼先生は、しばらく動かなかった。それから白衣のポケットから飴の袋を出し、一粒ずつ、全員に配った。僕らが受け取り終えると、先生は自分の一粒を口に入れ、包み紙を几帳面に畳んで、席に着いた。
「……手順書どおりに、頼む。部長」
「はい。――総員、配置。最終シーケンス、開始します」
風速三・一。波高、基準内。回収船、位置よし。上空、雲は高く割れて、青が広がり始めていた。場内放送が、静かに告げた。次の打ち上げは、汐見高校科学部・筑波大学合同チーム。高校生チームによる海打ちです。砂浜のあちこちのテントから、学生たちが出てきて、海のほうを向くのが見えた。東北大のジャンパーの列も見えた。
「発射、六十秒前」
六十秒は、二年間より長かった。僕は手順書の最後の頁をめくり、息を吸った。
「十、九、八、七、六、五、四、三、二、一――点火」
柿沼先生の親指が、スイッチを押し込んだ。
光。白い煙の柱。一拍遅れて、腹の底を突き上げる轟音。AMEnoNAKAは、雨上がりの、洗い立ての空へ、まっすぐに昇っていった。七秒の燃焼が終わり、煙が途切れ、機体は見えない速さで、青の中へ。
「高度六百――八百――」宇野くんの声。「一〇〇〇、通過!」
テレメトリは、切れなかった。数字は昇り続け、緩やかに減速し、そして。
「頂点――一二四九!」
一瞬ののち、テントの中で誰かが噴き出した。日高さんだった。「また9!」。一、二、四、九。二年前の一メートルが、四桁の中で、もう一度僕らに手を振っていた。その隣で、篠宮が画面を見つめたまま、掠れた声で言った。「……千二百四十九は、素数」。二年前の保健室で、入部届のかわりに置かれた数字が、いま、本物の空に刻まれた。
「ドローグ展開、確認!」
橙の点。降下率、正常。高度が読み上げられていく。八百。六百。四百。
――白い花が、咲いた。
「メイン展開! 展開確認! 降下率正常!」
テントが、砂浜が、爆発した。「開いたぁ!」と三好さんが泣きながら連写し、宇野くんは「やばいっす、やばいっす」と受信機を抱きしめ、轟は言葉にならない雄叫びを上げた。歓声は僕らのテントだけからではなかった。浜じゅうの、名前も知らないチームのテントから、拍手と口笛が上がっていた。白いパラシュートはゆっくりと、約束の海域へ降り、AMEnoNAKAは、今度は花を開いたまま、そっと海に触れた。回収船が白い航跡を引いて走り、無線が「機体確保、状態良好」を告げたとき、柿沼先生は点火スイッチの前に座ったまま、両手で顔を覆っていた。誰も、見なかったことにした。三好さんのカメラだけは、たぶん、見逃さなかったけれど。
桟橋に揚がった機体は、濡れて、光っていた。折れても、潰れてもいなかった。尾部からは、あの匂いがした。焦げた飴の、甘い匂い。二年間の、僕らの匂いだった。
機体の周りには、いつの間にか人だかりができていた。さっきまでよそのテントにいた連中が、遠慮がちに、しかし目だけは遠慮なく、継ぎ目を、フィンを、焦げた尾部を覗き込んでいる。質問が飛び、轟が答え、日高さんが答え、宇野くんが答えた。隠すものは、ひとつもなかった。この浜では、失敗だけでなく、成功もまた共有財産だった。人垣の後ろから、東北大の班長が親指を立てた。「な。同業者だって言ったろ」。来年の話をしよう、とは誰も言わなかった。僕らが三年生であることを、みんな知っていたからだ。かわりに班長は、三好さんと宇野くんのほうへ顎をしゃくった。「後輩たち、大事にしろよ。……うちの月一のオンライン定例、汐見高の枠も作っとくから」。ライバルの名簿に載るというのは、こんなにあたたかいことだったのかと、僕は濡れた機体の横で思った。
第二十三章 それぞれの秋
富津への帰り道も、海は三回、色を変えた。ただし今度は逆回しで、最後に現れた富津の海は、青かった。
町は、僕らの帰還を、僕らが思っていたより十倍、待っていた。駅前に「祝・能代打ち上げ成功 高度一二四九米」の横断幕が出ていて(商店街連合会、仕事が早すぎる)、潮騒堂は本当に「ロケット飴」を開発し始め(飴のドーナツを小さくした形で、中心の孔に棒を挿すと、要するに、それは飴のロケットに見えた)、地元紙は今度は地域面ではなく社会面に僕らを載せ、テレビ局が理科室まで撮影に来た。そして新聞もテレビも商店街も、いつの間にか僕らを「飴ロケット部」と呼ぶようになっていた。正式名称、科学部。誰も、訂正しなかった。潮騒堂の「ロケット飴」と、僕らの「飴ロケット」。鏡合わせの二つが、この町の秋の名物になった。インタビューで「成功の秘訣は」と訊かれた柿沼先生は、カメラに向かって、大真面目にこう答えた。
「手順書を、一行も飛ばさないことです」
放送では使われなかった。世界で一番正しい答えだったのに。
九月からの僕らは、あっけないほど普通の受験生になった。日高さんの英語は炊き上がり(本人の表現だ)、模試の判定を着実に煮詰めていった。轟は高専編入の勉強の傍ら、週末は工場で図面を引いた。轟鉄工所には能代のあと、真田研経由で大学ロケット団体からの機体部品の相談が二件、来ていた。「ロケットの部品で食える工場」は、冗談ではなくなりつつあった。工場の作業標準に「緩み止め塗布の単独確認」という一項が増えたのも、この秋だ。親父さんは「ガキどもの事故調から盗んだ」と笑っていたという。十七歳の失敗が、三十年選手の現場の手順を、一行だけ書き換えた。篠宮は教室に毎日通い、志望校の欄に情報工学と書き、「シミュレーションで人の役に立った実績が、もうあるから」と、こともなげに言った。
僕は、進路希望の紙を埋めた。筑波大学、工学部。志望理由書には、こう書いた。設計する人と、作る人と、計算する人がいても、ロケットはまだ飛ばない。決めて、記録して、責任の在り処を明らかにする人間が要る。私はそれを、飴のロケットで学んだ。安全と運用の工学を修めたい――。
提出の前に、柿沼先生に見せた。先生は二度読んで、返しながら言った。
「真島。約束どおり、答え合わせをしてやる。お前の取り柄はな、人の取り柄を見つけることだ。日高の飴も、轟の旋盤も、篠宮の軌道も、三好の目も、宇野の無線も、最初に『それは取り柄だ』と言ったのは、全部お前だ。自分に何もないと思っとる人間は、他人の中の光にだけは、めっぽう目が利く。……それからもうひとつ。お前は、責任を取ると決めてから、決断する。順番を間違えん。世間ではな、その二つを併せて、リーダーと呼ぶんだ」
僕は何か言おうとして、うまく言えなくて、結局「飴、一個ください」と言った。先生は袋ごとくれた。
第二十四章 白板
三月一日、卒業式。
式のあと、僕ら四人は、理科室に集まった。柿沼先生の定年退職も、この三月だ。理科室の天井には、いま、二機が並んで吊るされている。焦げた尾部のCANDY249と、能代の海から還ったAMEnoNAKA二号機。窓からの光の中で、二機は白く、静かだった。
三好さんと宇野くんが、後輩として、僕らを待っていた。新部長は三好さん、技術責任者は宇野くんに決まっていた。一年生の春に「顔を撮る係になりたい」と言った彼女は、この一年で、段取りと交渉と工程管理を、僕の隣で全部盗んでいた。記録係は、要の係なのだ。扇のばらばらの骨を根元の一点で留める、あの金具の意味での、要である。燃料も、機体も、計算も、部のすべての仕事は、最後には必ず記録という一点を通る。その一点を一年間握っていた人間が、次に部の全体を束ねる。誰も驚かない人事だった。
「引き継ぎ式、やります」と三好さんが言った。「まず、部長から新部長へ」
僕が渡したのは、手順書の原本の綴りだった。一・八秒の頁も、「判断者、真島」の頁も、是正七項目の頁も、全部入った、汚れた綴り。「省くなよ」と僕は言った。「一行も」と彼女は言った。
綴りの最終頁には、二年ぶんの「語録」を清書して挟んであった。飴は悪くない、詰め方が悪い。安全装置が正しく働いた失敗は、成功の部分集合。不合格でも、おいしいものはおいしい。世の中は公差だらけ。確率は低い、ゼロじゃない。原因を人間にすると、直せない。――手順書の本体は機体の作り方を教えてくれる。最終頁は、それ以外のぜんぶの作り方を教えてくれるはずだった。
日高さんは、祖父の手帳の写しと、飴の配合ノートを渡した。原本は、渡さなかった。「原本は、私が大学に持っていく。推進剤化学の教科書、一冊目だから」。轟は金型一式と、締結トルクの一覧表。それから少し迷って、筆箱のノギスを理科室の工具箱の一番上に、そっと寝かせた。「二代目は置いてく。三代目は、高専で自分で買う。……世の中は公差だらけだからよ、こいつで測って生きてけ」。工具箱に向かって言った。彼の別れの挨拶は、最後まで機械宛てだった。篠宮は電装の全ソースコードと、「コネクタは全部悪」と表紙に大書したノートを、宇野くんに。
最後に、柿沼先生が、白衣のポケットから飴の袋を出した。二年前と同じように、教卓の真ん中に置いた。
「顧問として、最後の指導だ。全員、舐めてみろ」
僕らは一粒ずつ取って、口に入れた。二年前と同じ、なんの変哲もない、市販の飴の味がした。
「二年前、俺は言ったな。敵を知れ、と。……訂正する。こいつはもう、お前らの敵じゃない。二百四十九メートルと、一二四九メートルを一緒に飛んだ、相棒の味だ。――以上。解散」
先生は白衣を脱いで、丁寧に畳み、理科室の椅子の背にかけた。それから、僕らが何か言う前に、「湿っぽいのはなしだ。俺は再任用でな、来年度から週二回、非常勤でこの学校に来る。担当は一年の化学。……ついでに、科学部の外部コーチというのを、校長に認めさせた。書類はもう通っとる」
三好さんが「ずるい! 泣きかけたのに!」と叫び、理科室が笑いに包まれた。
帰り際、僕は一人、白板の前に立った。二年間の書き込みの跡が、消しても消しても、うっすらと層になって残っている白板だ。一番上には、三好さんの新しい字で、来年度の目標が、もう書いてあった。
――次目標:三〇〇〇メートル。燃料:飴(継続審議の余地なし)。
その下の余白に、僕はマーカーを取り、最後の一行を書いた。書きながら、二年前の夜、消しゴムを置いた自分の手を思い出していた。
――取り柄は、入ってから見つかる。経験者より。
マーカーを置いて、理科室を出た。廊下の窓の外に、三月の海が見えた。青かった。そして、どこまでも続くその青の、ずっと上のほう――千二百四十九メートルの高さに、僕は今でも、白い煙の柱の消え残りを、探してしまう。
たぶん、一生、探すのだと思う。
それでいいのだと思う。取り柄のなかった僕らが、飴で空に書いた落書きだ。消えていても、あそこにあったことを、僕らと、町一個ぶんの人たちが、知っている。
(了)




