9、寿命③
午後になってから、ご先祖さまは山羊先生を訪ねるべく廊下を歩いていた。
けっこう、長い廊下だ。ご先祖さまは、だいぶ感覚が戻りつつあるのを実感できた。
食事の後ごとに、力がついてくる。長い廊下では、幾人かの新人とすれ違った。新人たちは、ご先祖さまを見て皆一様にギョッと驚く。それでも「こんにちは~」とか言ってすれちがって行く。それが、チョコマカと異常に動きが速い。ご先祖さまは、自分の動きがスローモーションのように感じられた。
こ奴らが速いのか。それとも、自分がまだ回復してなくて遅いのか。ご先祖さまは、今あった自信のようなものが、あっけなく揺らいでしまった。
山羊先生の部屋は、西側の外れにあった。
「おじゃまします。俺です」
「おお、良く来てくれました。ささっ、どうぞ」
山羊先生は、快く招じ入れた。
さすがに医者らしい部屋だ。ツンと、消毒液の臭いが鼻をついた。壁一面が薬品棚となっていて、薬品が整然と並べられていた。几帳面な性格らしい。
目を転ずると、部屋の中央に大きな机があり、そこにはいろんな物が乗っていた。
試験管、シャーレ、ビーカー、フラスコ、顕微鏡、トレイ、薬品類、資料書類、それらなどは分かるが、土瓶とか、錆びついた鍋、すりこ木棒、なかにはゴロンと大きな石が転がっている。草刈り鎌、鉈まであった。
『はて?』ご先祖さまは、また分からなくなった。机の上が、あまりにも雑然としている。山羊先生は、大雑把な人なのか?。考えてみると、山羊先生は若いのか、それとも年寄なのか?。髪の毛は真っ白だ。しかし、年寄の白髪にしてはフサフサとツヤがありすぎる。アルビノなのかもしれない。山羊先生は、老けづくりで意外と若いのかもしれない。
「脈を」
ご先祖さまの手を取った山羊先生の目が、怪しく輝きだした。
「おお、やっぱりそうだ」
「何が」
「胸をはだけてください。おお、そうです」
山羊先生の小さな手が、ピタッと心臓に張り付いた。
「ご先祖さまは、私どもがなぜ小さいのか疑問に思っていましたね」
「いや、木師から島の法則とか、何とか聞いた。何でも小さいには、小さいなりの必然があるそうだ」
「お解かりになりましたか」
「いや、良く解からん」
「その必然を説明しましょう。おお、さて、動物には、それぞれ寿命というものがあります。ゾウで五十年~八十年、ライオン十五年~二十年、ヒグマ三十年~四十年、オオカミ約十六年、アナウサギ約六年、モグラ四~五年、ネズミ二~三年、多少の例外はありますが、体重に比例して寿命は長くなるようです。
しかし、総じて霊長類に限っては、例外的に寿命が長いようです。ゴリラ、チンパンジー、オランウータンなどは、四十年~六十年くらいです。その中でも人間だけは特別で、七十~九十年くらいと非常に長命です。
人間は老います。老いは、人間の周辺だけに存在するものです。一般に自然界では、老いは即、死を意味します。例えば、ライオンが老いて足萎えになったとしたら、それは狩りが出来ないということです。すなわち、餓死することです。例えば、レイヨウが老いて動きが鈍る。それは、即、他の肉食獣に捕食されるということなのです。
だから、自然界には老いは存在しません。ただ、人間の飼育下においては寿命は延びるようです。人間にエサを与えられ、保護されるからです。すなわち、老いがあります。
それは人間にもいえまして、人間は人間に主に人間から発する害から保護されてます。要は、ヒトを守るのもヒトで、ヒトを害するのもヒトということです。
人間と動物の違いの一つは、人間は自分で自分を飼い馴らしている動物だということです。その結果が、人間の寿命なのです。
それが、おお、その七十年近くあった寿命が、まっとう出来なくなってきた。二十一世紀の後半からです。人間の社会機構、構造、システムなど……人間考え方そのものが限界に達したのかもしれません。その混沌が酷くなりまして……。詳しくは、資料を見てください。
その時代の寿命が、極端に低くなりました。二十歳まで行かない時も、平均で十歳前後の時もありました。安定した時代では考えの及ばない、酷い時代になったのです。
精神的にも肉体的にも、未熟なまま否応なく死んでいったのでしょう。いや、当時の食糧事情からして、たとえ彼らが二十歳にたっしたとしても、果たして成熟した人間であり得たかは疑問です。
そこで、おお、考えてみてください。果たしてゾウの八十年は長いのか、ネズミの三年は短いのか?。じつは、ゾウもネズミもほ乳類ならほとんど、一呼吸あたりの心拍数が変わりないのです。
つまり、スー、ハーと一呼吸する度に、心臓がドクンドクンと四回脈打つ。
ほ乳類なら一生の間に、心臓は約二億回くらい打つらしいのです。つまり、ゾウの一生もネズミの一生も、心拍数に変わりはない。生物時間に変わりはない。つまり、同じ寿命といえます。
しからば、おお、人間の寿命が半分ぐらいになったんなら、人間のサイズも半分にすれば良い。しかも、食糧は半分ですむ。
これは、生き延びる条件の中で最も重要な要件です。そうすれば、寿命を全うすることになりませんか。
……そうは思いませんか」
「おお、いや、そんな単純な……いや、しかし……」
ご先祖さまは、戸惑うばかりだった。
「それが、必然なのだろうか?」
「はい、旧人が絶滅したことを考えると、必然だったのではないでしょうか」
ご先祖さまは、山羊先生の小さな手を取った。トットッとッと、微かだがすごく速い脈拍が伝わって来る。
「何と……」
ご先祖さまは、「う~む」とうなった。
「して、山羊先生は俺の倍の時間を生きているのか。なら、今、幾つになるんですか」
「私は今年で、二十一歳になりました」
「あや……」
「して、ちなみに兎は、木師は」
「兎は確か十一歳です」
「むっ」
「木師は、もうすぐ三十五歳です」
「はぁ~、もういい」
「ところで、ご先祖さまは幾つになるんですか」
「さあ~、自分でも分からない。だけど、むろん、二十代の若造じゃない。三十代の血気があるわけじゃない。四十代くらいかな」
「おお、そうですね。そのくらいですか」
「ところで診察は」
「あっ、もういいですよ」
「えっ」
「別に、悪いところは無いでしょう。ここまで来れたんだから、健康なんですよ。問題ありません」
山羊先生は、ケロリと言ってのけた。普通に生活していれば、違和感はなくなるとも言った。




