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36、会食⑥


それまで、遠巻きに様子を(うかが)っていた新人たちの包囲の輪が縮まった。しかし、奇妙にもそれ以上は縮まらなかった。新人たちは、畏怖していたのだ。

たまりかねた馬親方が、代表するかのように言った。


「センセ、それ、何とかならんもんじゃろか」


馬親方が指したのは、山羊先生が胸に持つ極太の注射器だった。


「おお、それは……」


注射器は、山羊先生のカバンに納まった。

安心したかのように、新人たちの包囲の輪が縮まった。


「死んだんか」「いや、眠ってるだけやろ」「えらい、凶暴な旧人だな」

「何なんだ。どうなっているんだー」「何か、もの凄く怒っていたな」「殺されるかと思ったあー」「そーよ、私もよー」


事態は、再び混乱した。めいめいが、それぞれ好き勝手にがなり始めたからだ。

長々とノビているご先祖様を取り囲んで、混乱は続いた。


「どないするんや」


馬親方の発言で、ようやく事態収拾に向け動きだした。


「あれま~」


誰かがミョウな声を発した。その者の視線の先に、木師がいた。

木師は、無残に折れ、砕かれた赤松の枝を手にしている。誰もが、声をかけるのを躊躇(ためら)わせる程の無念さが、ありありと木師の姿にあった。ムリもなかった。

あの赤松は、木師の秘蔵の逸品だったのだ。何でも、あんなへろへろ松でも、樹齢が百二十年以上といわれていて、三世代かけて慈しみ丹精してきた逸品中の逸品だったのだ。

木師が、ようやく新人たちの視線に気づいた。すると木師は、いきなり持っていた赤松を放り投げた。さすが、木師は新人だった。気持ちの切り替えが異常に早い。

木師は、自ら己自身の呪縛を解いた。ツルリと顔を一撫ですると、そこには以前の長老の『ふう』が戻っていた。



「ふむ」


「木師、どないしまひょ」


「ふむ……」


「この旧人、大丈夫でっしゃろか」


「ふむ、……と、いうと?」


「そな、この旧人が薬が切れて起き出して来たら、また大暴れするんやないかと心配してんでんがな」


「ふむ、それでどうしようと言うんじゃ」


「寝てる間に、縛ったらどうでしょう」


「まあ、まるでガリバーみたい」反対側から返事があった。


新人たちは、一斉に笑った。この旧人の巨体は、何となくスイフトの『ガリバー旅行記』を連想させる。


「いけない!。おお、そんな事をしては絶対いけない!」


思いがけない、山羊先生の厳しい反応があった。

山羊先生の清廉さ、誠実さは、新人たちの篤い信望を得ている。その温厚な山羊先生が、珍しく気色ばんでいる。新人たちは、思わず怯んだ。

山羊先生には、確信があった。

ご先祖様は、あれ程激しい拒絶反応があったのだ。もし目覚めて自分が縛られていると知ったら、もう、二度と心を開くことは無いだろう。そのまま、死ぬんではないだろうかと思った。


「センセ、そはおっしゃりますが、ほんまに大丈夫でっしゃろか。起きたら、また暴れ出すんとちゃいますやろか」


まさしく、新人たちの危惧はそこにあった。


「それは大丈夫です。私の命にかけても、乱暴はさせません」


山羊先生は、きっぱりと言い切った。その通りなのだろう。もしその通りでなかったら、山羊先生は決然と死ぬだろう。山羊先生の決意らしきものが、ヒシヒシと新人たちに伝わった。そうなのだ。山羊先生はいつだって自分の事よりも、まず他の人の事を気にかける。新人たちは、大小にかかわらず何らかのかたちで、そういう山羊先生の慈愛、恩恵に浴していた。

その山羊先生が、厳しい口調で言明しているのだ。

馬親方も他の者も、もうこれ以上は何も言えなかった。


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