28、資料⑬
その翌日、ご先祖様の心を映したかのように陰鬱な曇り空だった。ご先祖さまは、またも性懲りもなく図書室へと出向いていた。ご先祖さまを拘泥させているものは、旧人の歴史そのものだった。
人類が絶滅に至った経過を、わが目で見なければ、知らなければ事実として信じることが出来ない。納得し難い思いがあった。
その事を抜きにして、ここにのうのうと暮らして居ることは出来ないと思った。
自分を唯一前進させ得るのは、知ることだと思った。先は長い。
こんな二十世紀の取っ掛かりで躓いていては、しょうがないとご先祖様は自らを叱咤した。
第六回、民族自立への道
第二次世界大戦で、人類は地獄を見た。六百万人を超すユダヤ人大虐殺があった。
無差別爆撃があった。そして、原爆が落とされた。人類は、自らの手で地獄を創造したのだ。人間の創り出す惨劇は、それのみではなかった。戦争の周辺では、それ以前から、塗炭の苦しみがえんえんと続いていたのだ。
アジアで、アフリカで民族自立への産みの苦しみに喘いでいた。
インドでは、ガンジーが非暴力主義を説いて独立の道を模索していた。
ベトナムではホーチミンが、中国では毛沢東が、それぞれ活動を始めている。
だいたいガンジーは、その容貌に似ないきれい事を言い過ぎる。実際それを信じて行動していたらしいのには、滑稽感すらある。宗主国イギリスは、とんでもない残虐、非道の国でマキュァベリのいう如く『国家の安全、拡大に必要なものは、慈悲や道徳ではなく、暴力や欺瞞である』ということを、地で行っている国なのだ。
暴力、恫喝、欺瞞を常套手段とするものに、非暴力で訴えるのは完全な間違いだ。
相手に『組易し』と思わせるだけでしかない。実際、ガンジーは軽くあしらわれた。
イギリスの苛斂誅求は凄まじい。隣国アイルランドは、クロムウェルの理不尽な強奪以来の紛争が続いている。北アイルランドに不自然な境界線がある限り、紛争は続く。パレスチナは、イギリスの無責任が作り出した問題だ。アフリカに多い不自然な直線の国境線は、イギリスなどの恣意によるものだ。そのアフリカでの奴隷貿易は、イギリスに巨万の富をもたらしていた。後にアメリカ人となるイギリス人が、インディアンにしたまったくの詐欺による土地強奪は、マキュァベリの言う暴力と欺瞞そのものだ。
清にはアヘンを売っていた。清国政府がアヘンを禁止すると、戦争をしかけ清国を蝕んで行く。最も、汚い戦争といわれた戦争だ。
そんなイギリスに、対インド綿工業政策があった。十七世紀のインドにはキャラコがあり、モスリンがあった。キャラコは世界中に輸出されていた。イギリスにも、輸出されていた。
しかし、イギリスはキャラコを見本に綿製品の工業化に成功すると、極端な保護貿易を開始する。インド産のキャラコに六十七・五%、モスリンに三七・二%もの関税をかけ、イギリスの製品は二・五%の関税でインドに輸出した。
それでなくとも、競争力の弱かったインドの手工業の綿工業だ。たちまち壊滅状態になった。
すると、イギリスは関税撤廃をいい出した。関税という不公平な障壁は、良くないという。なんという恥知らず、なんというキタナイやり方だ。
そんなイギリスを相手に、ガンジーは理想論を持って臨んだのだ。
結果は、分かり切っていた。成果など無かった。独立出来たのは、戦後の混乱で収拾がつかなくなり、イギリスがインドの統治を投げ捨てたからだ。
ガンジーのやり方では、過去も未来も、どの時点でも通用はしないだろう。
どの時点の政治、政策も理想論では動いていない。国家は利害で動いているのだ。
ガンジーの理想論は、無残な結果となった。独立を果たしたインドは、新たな病弊を抱える。ジェンナーの率いるムスリム(イスラム教徒)の国パキスタンとヒンズー教徒ネールの率いるインドに分裂したのだ。しかも、パキスタンはゾウの両耳のごとく西パキスタンと東パキスタンと、インドの左右にくっついていた。
東パキスタンは、後にバングラデッシュとなる。
おまけに、西パキスタンとの間にはカシミール地方の帰属をめぐり、先端が開いてしまう。ネールもジェンナーも、ガンジーを師としていたはずなのに……。
結局、ガンジーは狂信的なヒンズー教徒に暗殺されてしまう。
インドとは、ガンジーとは、仏陀とは、何なのか……。あまりに気高い思想は、悪辣な奴らにつけ込まれるだけなのか。それとも、そんな利害を計ることが、そもそも至らない人間の勘ぐりというものなのか……。
ガンジーの葬儀には、後から後から人が湧き出てきて大変な人出となった。インド中が悲しみに沈んだ。人々の悲しむ声が胸をうった。
荼毘に付される前のガンジーの黒い顔は、気高く美しい。ご先祖様は、なぜこの人がマハトマ(偉大なる魂)・ガンジーと呼ばれたか分ったような気がした。
ご先祖様は、悲しかった。なぜ人々はこうも憎しみ合い、殺しあわねばならないのか。なぜ、ガンジーの言うことを素直に聞けないのか。人は、なぜこうも強情なのか。なぜ、たわいもない宗教なのであい争うのか。なぜ、お釈迦様の生まれた国で、お互いエゴを押し通そうとするのか。
ご先祖さまは、悲しかった。
貧しいハダシの飢えた子供たち、泣き叫ぶ赤ん坊、途方に暮れる大人たち、いままでの圧政者へのリンチ。戦場での血煙りを飛び散らす命のやりとりよりも、憎しみをむき出しで引きずり回し、殴る人々のリンチの方が慄然とさせられる。
むき出しの人間の憎悪は、実におぞましいものだ。
いったい、人間はどこまで愚かな存在なんだろうか……。




