第20話 俺の声はヒーローじゃない
小学一年生の俺は内気だった。
新しい環境に馴染めず、友達も作れず、六歳にしてこの世の終わりのような孤独な日々。一人で下校していた記憶しか残っていない。
そんな俺を変えたのが、土曜の朝に放送されていたアニメの主人公ケイ。ケイは子供向けアニメの鋳型に流し込んだようなテンプレ主人公だったけど、当時の俺は「かっけー」と目をキラキラさせてテレビに喰いついていた。
誰だって子供の頃、憧れの人物に影響を受けた経験はあるだろ? 俺にとってケイがそれだった。
悪を倒すケイに勇気をもらった俺は、進級を機に勇気を出して友達作りに励み、まともな学校生活に軌道修正できた。
あのときケイに背中を押されなかったら、社会に弾かれてヒキコモリの道をたどっていたかもしれない。
ケイはヒーローなんだ。
だからケイの声優が親父と知ったとき、その細身の背中が山よりも大きく見えた。
親父を心から尊敬した。憧れた。
絶対に声優になってやる。
そして勇気を出せない子供たちを救うんだ。
声優という夢への原動力はそこにあった。
変声期を迎えるまでは。
中学を卒業するとき、俺の声帯は重低音しか出せなくなっていた。
「こんな声じゃあ悪役しかできない。勇気なんて与えられない」
魔王の声が夢への懸け橋に暗雲をかける。
それでも明るい未来を信じてボイストレーニングに励み、声優学校に入った。
待っていたのはさらなる追い打ち。
「肥丸君の声。天性の悪役だねえ」
音域を広げて役の幅を増やすよりも、今の声を磨くべき。そういう方針を与えられた。
勇気を与える主人公じゃなくて、忌み嫌われる敵役。
トレーニングをすればするほど親父の背中が遠ざかる。
理想と現実の狭間で苦しんだ俺は親父に直接尋ねた。
「俺は視聴者に勇気を与える声優になりたいんだ。悪役になりたくて声優になったわけじゃない」
「本当に悪役は勇気を与えられないのか? お前がそう思い込んでいるだけじゃないのか?」
「悪役の輝きなんて誰も望んでいないんだよ。主役を引き立てる踏み台じゃないか!」
「……視聴者が登場人物に共感するために演技を磨くのが声優の使命だ。自己満足したいだけなら他の道に行ったほうがいい」
厳しい口調だった。
「お前は声優に向いていない。諦めろ」
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日帰り帰省を終えてから数日が過ぎた。
異世界の刺激ある日々、ミャルへの懺悔。後ろ髪を引かれないと言われたらウソになるけど、それでもラーメン屋は回っている。
バイトに復帰し、連日フルタイム。
うだつの上がらない日常に再び順応し始めていた。
「はー疲れた」
午後十時。閉店作業を終えて、暗い住宅街を帰宅中。
「ったく。店長も悪い人だ。一日サボったからって、罰として過労シフト押しつけてきやがってよ」
なんて独り言をつぶやいていたら、前から歩いてきた女性にギョッとされた。
「ひっ! 魔王が愚痴ってる!?」
魔王がバイトするわけないだろいい加減にしろ。
俺はただのフリーターだ。魔王なのは声だけ。履歴書に書けない魔王歴が一か月ほどあるけどね。
自宅に到着。階段を上がり、二○一号室の鍵を開けてから扉を開ける。
違和感は玄関に足を踏み入れたときに訪れた。
「なんだ? この匂い」
本来、我が家というのは無臭。嗅ぎ慣れた自分の体臭がしみ込んでいるから、本人は匂いを感じ取れないんだ。
今、俺の嗅覚は明らかに普段と異なる匂いを捉えている。
例えるなら、そう、鼻血を出したときのような匂いだ。
血の匂い……?
脂汗が滲み出る。
廊下の先をよく見ると、暗い居間に人間大の横たわるシルエットがあった。
まさかな。刑事ドラマの導入の第一発見者じゃあるまい。鍵がかかっていたから中に誰かが入ることもできないし、同居人だっていない。見間違えに決まっている。
(でも、もし見間違いじゃないとしたら?)
一人だけ心当たりがある。密室の自宅に出入りできる人物が。
震える指で居間の電気を点けた。
悪い予感は的中した。
フローリングの上で乱れた長い銀色の髪。側頭部から伸びる長く鋭い耳。そしてメイド服はところどころ切り裂かれ、赤黒く染まっていた。
「リザさん!」




