第18話 後悔しかない現世帰還
異世界から帰還して二日。
俺はカーテンを閉じ切った暗い部屋でベッドに座り、ぼーっとテレビを眺める日々を過ごしていた。
美味しいご飯を食べに行こうにも、どんなご馳走よりもミャルと一緒に食べる魔界メシに勝るものはない。
ゲームもやる気にならない。まるでゲームの中のような世界にいたんだ。電気信号で作られた架空の世界では物足りない。
義務的に遊んでいたソシャゲも連続ログインが途切れたことで起動する気にならない。
ちなみにだけど、あっちの世界の一か月は、こっちの世界での三日だった。時間の流れる速度が違うらしい。おかげでバイトはちょっとサボっただけで済んだ。店長に謝罪の連絡としばらく休む旨を伝えた。
ただ、今にして思えば、バイトに行けばよかった。
心に空いた大きな穴を埋めるには、頭が空っぽになるくらい働いたほうがいい。
「はぁ」
もう何度目かもわからないほどのため息。きっとこの密室の空気はため息が充満していることだろう。ため息を吸ってため息を吐く永久機関の完成だ。
「でも、ミャルを救うためにはしょうがなかった。そうなんだよな」
ネガティブな感情を止めるには、俺を騙し、この世界に送り届けたリザさんの別れ際の言葉を思い出す必要がある。
「なんでこんなことをしたんだ!」
部屋に転送された直後、俺はリザさんの胸ぐらをつかんで怒鳴りつけた。
いつもなら払いのけられるところだけど、彼女は抵抗しなかった。
「仕方がありません。デストルケンの指示ですから」
宿敵の名前を出されて驚く。
「デストルケン? お前、あいつとグルだったのか!」
「誰があんな奴と!」手を払いのけられたのはこのタイミングだった「逆です。敵だからこそ、です」
「どういうことだ?」
「魔王就任の優先権はまず魔王の子供にあり、その次に四天王にあることは知っていますね」
「ああ。ミャルから聞いた」
「野心家のデストルケンは当然次期魔王を狙っていました。となると、最大の障壁は魔王就任の優先権を持つミャル様です」
ミャルが魔王をやると言いだしたらその時点で王位継承が決まる。四天王はノーチャンス。
「だから奴はミャル様を懐柔しようとした。ですがミャル様の容姿も、性別も、居場所さえも知らなかった」
ミャルを魔王軍の目が届かない場所に隠した先代の功績だ。
「コンタクトが取れなければ交渉に持ち込めない。困ったデストルケンが利用したのが、ミャル様に通じる唯一の窓口である私だったのです。『先代の子供を何としても魔王にさせるな』と」
「脅されたのか」
「脅しなどありません。もとより私とデストルケンは利害が一致していましたから」
「……たしかリザさんって、先代からミャルの魔王就任を回避するよう命じられていたんだよな」
はい、と頷く。
「理由は違えど、デストルケンと私はミャル様を魔王にさせたくないという共通の目的を持っていました。ですので、迷うことなく話に乗りました。私が必ずミャル様が魔王にならないよう導くので、一切手を出すなと条件を付けてね」
「でも魔王に就任してしまった」
「読みが甘かったと反省しています。もともとミャル様は権力に興味がないお方でしたから、ことは簡単に終わると楽観視していました。ですが先代の死後、ミャル様は急にお父様の跡を継ぐと言い出してしまいました。想定外でしたよ」
それだけ父親を尊敬していたのだろう。偉大な背中を追いかける気持ちはよくわかる。
「あとは知っての通りです。偽物の声優を声勇者として迎え入れるも、状況はさらに悪化。もう最終手段を取るしかありませんでした」
「それが俺を騙すことに繋がるのか」
「はい。目的はあなたとミャル様を喧嘩させること。全幅の信頼を寄せていた声勇者が裏切れば、ミャル様はもう声勇者に頼らなくなる。声を出せなくなれば魔王は務まらない。デストルケンと入れ替わるのは時間の問題なのです」
「もっとミャルのことを――」
――信用してやれよ。
そう言いかけて、でもミャルのやり方に懐疑的だった俺も同じ穴のムジナか、と罪悪感に苛まれて口を紡いだ。
「強引な手段と思われるかもしれませんが、時間がなかったのです。ミャル様の魔王就任式を見たデストルケンは激怒して私に詰め寄りました。私は就任を撤回させるから手を出すのは待ってくれと請いました。結果、与えられた期限は一か月。ギリギリだったのです。やるしかなかったのです」
「……」
「ですが、これでもう安心です。声を失ったミャル様は魔王を諦めることでしょう。魔王軍とは関係のない遠く離れた土地で悠々自適に暮らすのです。武闘派のデストルケンが魔王になれば人間との戦争は不可避でしょうが、関係ない話」
再び戦火が灯る世界を見たらミャルは悲しむだろうな。
でも、だからといってミャルがあのおぞましい魔物に襲われる未来は想像したくない。
彼女のことを想うなら、この選択が最良。
リザさんの作戦を否定できない。
「わかっていただけましたか」
反論がないことを確認して、リザさんが少しだけ表情を緩める。
「最後に。別世界のあなたをこちらの都合で振り回してしまったことを謝罪します」
「いや、いいよ。俺もミャルと一緒に大魔王ミャルを作り上げる時間が楽しかったし。リザさんも俺を選んでくれてありがとう」
「……感謝されることは何もしていません」
リザさんは視線を外してそう言うと「ではさようなら」足元の紋章が光を放つ。
「ああそうだ」
銀色の髪が見えなくなるほどの強い光がリザさんの全身を包み込んだとき、作ったような素っ気ない声が聞こえてきた。
「このひと月、ミャル様はとても楽しそうなご様子でした。私と二人きりの時には見せないような笑顔でした。魔王城の隠し部屋でひっそりと生きてきたミャル様にとって、あなたはかけがえのない存在となっていたのでしょう。主君と従者という関係を超えられない私としては妬いてしまいますが、ミャル様が楽しめていたのなら何よりです。ありがとうございました」
そう言い残して、リザさんは異世界へと帰っていった。
そう。
俺はミャルを救うための礎となったんだ。
悲しいけど、誇らしいじゃないか。ネガティブになる理由は一つもない。
……。
……でも。
喉に小骨が引っかかったように、すっきりしない。
「これでよかったのか?」
頭に浮かぶのは別れ際のミャルの涙。
信頼して声を託してくれた彼女を、俺は裏切った。しかも台本無視というミャルの信念を踏みにじるようなやり方で。
もちろん騙したかったわけじゃない。立派な魔王になってほしかったから。
でも裏を返すと、それって俺がミャルを信用していなかったからだよな。ミャルのやり方では魔王は務まらない。自分勝手に決めつけた。
『ヒデオ君の声が勇気をくれた』
笑顔でそう言ってくれたミャルが、俺が台本を無視して理想とは真逆の冷酷な魔王を演じたとき、どんな気持ちになったのか。想像するだけで胸が張り裂けそうになる。
「声勇者として正しかったのか?」
自分にベクトルを向け始めると、居ても立っても居られなくなった。
別に何かできるわけじゃない。リザさんが帰った今、もう異世界に行く手段は断たれた。
でも、答えを出すことはできる。
俺は財布をポケットに突っ込んで家を飛び出した。




