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北村右冠は漫画愛でマウントを取りたいだけ

作者: むらさき

 本日は日曜日。

 大学の講義も無く、バイトもしてなければ、サークルにも所属していない。彼女もいなければ、アウトドアに誘ってくれる陽キャな友達もいない。

 大学三年生の北村(きたむら)右冠(うかん)は、実家を離れ、月32,000円の安いアパートに下宿していた。


 休みであるが、特に予定の無い北村は、1LDKのアパートで、朝7時に早起きしてダラダラと過ごしていた。

 北村の住んでるアパートのリビングは、12畳もあり、一人暮らしにしては広めの部屋となっている。四方の壁の内、二辺は壁一面を隠すほどの本棚が置いてあった。そこに収められている本は全て漫画である。

 北村は新しく購入した漫画をリビング中央のテーブルに積み重ね、今日一日をこの漫画を読むことに費やそうとしていた。

 いざ、至福の読書タイムへ。その時────


ピンポーン


 誰かが北村の部屋のチャイムを鳴らす音が聞こえた。


「むっ……何と間の悪い男だ。……おい! 鍵は空いてるぞ!」

 前日から来訪者が来ることは分かっていいたため、早朝のチャイムにそこまで驚きはしなかったが、こんなに早く来ることは(いささ)か予想外であった。

 『間の悪い男』と悪態をついたが、北村の顔には笑みが見えていた。外にいる来訪者に入室の許可をする。

 部屋を訪れたのは、同じ大学に通う同級生で、北村の唯一無二の親友である潤島(うるしま) (こん)だった。

 潤島は、「おーす」と言う『お邪魔します』の省略形のような挨拶をしながら入ってきた。


「相変わらず暇そうだな、北村」

 

 そう言いながら、ガサッと右手のビニール袋を北村に見えるように持ち上げるようにして入ってきた。半透明の袋なので、定かではないが、中にはビールと小さいお菓子の袋が入っているように見える。

 

 「お前は、間が悪いな。潤島。今から“ダイブ”するところだったのに」


 “ダイブ”とは、北村と潤島の間で使ってる言葉で、『何かに没頭する』という意味を持っている。決して81マスに潜ろうとしている訳ではない。


「毎日ダイブしてるだろうが。今日は何読んでるの?」


 潤島はテーブルに積上げられた漫画をマジマジと見つめる。一番上に積まれている……恐らく、その漫画の第一巻の表紙には、目が黒くくすんだ女性の顔が描かれていた。


「知らねぇ漫画だ」


 潤島も北村に負けず劣らず、漫画オタクな男であるが、その潤島も知らない漫画であったらしい。


「『阿武ノーマル』ってやつだよ」


「名前だけ聞いたことあるかも。どんなジャンル?」


「んー、サイコサスペンスってジャンルらしいけど、読んでみると、ギャグのような、バトルのような、恋愛もののような、頭脳戦のような漫画だな」


「いや……全く分からん」


 北村と潤島は同じ大学に通い、一年生の頃から知り合いだった。二人とも大の漫画好きであることがきっかけで、すぐに打ち解けた。休日はお互いのアパートに出入りして、二人で別々に漫画を読むか、漫画談義で1日過ごすのが、お決まりになっていた。


 今日もいつもの休日と変わらず、潤島が漫画を読みに北村の部屋に訪れていた。潤島はドカッと座りながら、生ビールの缶をプシュッと開けて啜りだす。そのまま、北村の許可も取らず、おもむろに自分が読むための漫画を数冊本棚から取り出して、脇に置いた。


「読んでないんだ? 『阿武ノーマル』、面白いのに……河原って男キャラがいいんだよ」


「どういいの?」


「俺の中で《《成キョウ現象》》を起こしたキャラの一人かな」


「なに? 『成キョウ現象』って?」


 聞き慣れない言葉だったため、思わず聞き返した。


「『成キョウ現象』っていうのは、『キングダム』の(セイ)キョウと、同じ感じになる現象のことかな」


「キングダムの成キョウは分かるけど、どういうこと? さっぱり分からない」


「じゃあ聞くけど、成キョウの第一印象どうだった?」


「一番最初はドクズキャラだと思ったね。“早く誰か殺してくれ”と思った」


「でも18巻の成キョウはどうだった?」


「“絶対に死ぬなあああああ!”って思った。なんなら、ちょっとだけ好きになったよ。……あっやべ……《《あのシーン》》を思い出したら涙が……」


 潤島は涙を拭うような素振りを見せる。どうやら、潤島に“成キョウ現象”が何たるかが何となく伝えられたと思い、北村はニヤリとする。


「────と、まあこのように初登場時から現在に至るまでに、キャラの印象が180度変わることを“成キョウ現象”と俺は呼んでいる。『阿武ノーマル』の河原も“成キョウ現象”で好感度が上がったキャラの一人さ。“成キョウ現象”を使うとそのキャラの好感度を爆上げできるのだ。主に『ハイキュー!!』の山口忠や、『HUNTERXHUNTER』のメルエム等が該当する」


 歴代の印象激変キャラをあげられると同時に、潤島の脳裏に数々の感動エピソードが駆け巡った。


「あっ……ちょっ止めて……そいつらのエピソードも良かった。また涙が……」


 山口の成長、メルエムの最期を思い出し、潤島は少しセンチな気持ちになっていた。

 涙脆い潤島を見て、北村は面白がっていた。

 そして、漫画の知識でマウントを取れたことに少しばかり優越感を感じていた。北村にとって、それが人生における至高の喜びだった。


「お前を(からか)うのは飽きないな。潤島も何か泣けるシーン知らんの?」


「泣けるシーンならそこそこ知ってるけどさ…………じゃあ、勝負してみない? 次は俺がお前を泣かす番だ」


 しかし、潤島も漫画オタクとして、それなりに高い知識と愛を有していた。北村に負けたくないという思いから、勝負をふっかけてきた。


「勝負? いいだろう、──では、潤島くん。立会人を呼びたまえ」


「……いやごめん。俺某倶楽部の会員の48人のうちの一人ではないんだわ」


 潤島は『賭郎会員』では無かったらしい。


「じゃあさっそく行くぜ? “泣け、北村!” 俺のターン!」


 斬魄刀の解号のような掛け声とともに潤島の攻撃が始まった。


「『あたりきしゃりき……てね』」


 これは某漫画のツンデレキャラが言ったデレのセリフである。


「お前、そういう攻め方してくる? 『安西先生、バスケがしたいです』とかストレートボールが来るかと思ったら、とんだ変化球じゃねーか」


 『あたりきしゃりきっ……てね』は『それでも町は廻ってる』で、紺双葉(こんふたば)が言ったセリフじゃねーか! 知名度が低いが、全体を通して、ジンと来るセリフに仕上がってんだよな。


「一発目から俺の好みに突き刺さるな! じゃあ、次は俺のターン!」


 グビビッと、潤島の買ってきた酒の缶を開け、北村も燃料を自身に注ぎ込む。


「『かぺ』」


「ぐわああああああああ!」


 どうやら、北村の攻撃は潤島にダメージが入ったらしい。『かぺ』、子を持つ親なら、真壁風花ちゃんの『かぺ』は刺さるだろう。まあ、俺達はどちらも未婚なのだが。


「シンプルイズベストな攻撃だな。『宇宙兄弟』を履修してたことが仇となったな」


「今のところ勝敗は互角かな?」


 これを見届ける審判が不在のため、勝敗は完全に彼らの独断と偏見で決まるのだが、とりあえず今のところは引き分けらしい。そして潤島のターンになる。


「『柿の種……もらっていくでござる』」


「ぐわああああああああ!」


 そのセリフも泣ける。そのセリフが泣けるのは『ウンコ MP3』のくだりで学園生活を棒に振ってまで手に入れた関羽将軍のフィギュアを、友達を守るために自ら破壊するという《《漢》》のシーンがあったからなんだよな。詳しくは、『監獄学園(プリズンスクール)』を読んでくれ。ガクトオオオオオオ!


「ディ・モールトベネ!(非常に良い!)、次は俺だ。『いや……雨だよ』」


 ヒューズ中佐……俺はあんたの勇姿を忘れねえ。マスタング大佐の涙が熱かったな。あのシーンは。


「北村……お前は涙の錬金術師だよ」


「お前もな」


 これ以上は、お互いのHPが保たないと思ったので、自然と、ここで泣けるセリフ勝負はお開きとなった。


「潤島、今回は僅差で俺の勝ちだな?」


「いや、どう考えても俺の勝ちだろ!? 俺のは『それ町』と『プリスク』だぞ? 絶対強いやつじゃん!?」


 興奮してるからか、酒で酔っているからなのか、潤島は勢いで北村の服の袖を掴む。勝負はお開きになったはずなのに、まだまだお互いに相手に勝ちを譲る気は無いらしい。


「止めろ! 服が破けちゃうだろうが!」


「Sorry boy……」


 潤島は慌てて北村の服を離す。しかし、舌戦の末、ここまで高まった熱を下げるには、まだ勝負を続けるしかない。潤島は、次に武力による勝負を提案してきた。


「なあ、北村。どっちの漫画愛が強いか、もう(こいつ)で決めるしかねーんじゃねーか? 怪我したくなかったら止めとくが?」


「最後は、やっぱそうなるよな。……ちなみに、僕が怪我することは心配してないよ? 僕最強だから」


 北村も殴り合いで、決着をつけることに異論は無いらしい。そのせいか普段よりも強い言葉を使っている。


「じゃあ、やろうか? ……ところで北村よ……もう號奪戦(ごうだつせん)の間合いだぜ?」

 

 北村と潤島はお互いにほぼゼロ距離で向き合っている。────次の瞬間、唐突に戦いは始まった。


 先に動いたのは北村右冠だった。

(ちなみに……先に言っておくと、北村も潤島も格闘技の経験は無いため、この戦いは単なる素人同士の殴り合いである。)


「ハン! バー! グー!!」


 北村は渾身の右ストレートを潤島の右頬に放った。

 しかし────その攻撃は、潤島が回転することによっていなされた。


 こいつ!? 分家のくせにこの防御術を会得してるというのか!?


「八卦掌回天」


「うわあ!」


 しまった! 態勢が崩された! 潤島の攻撃が来る!?


 ドスッ──! 今度は潤島の左パンチが、北村の右脇腹に刺さった。いや……正確にはその攻撃は、左パンチではなく、左鉤突(ひだりかぎつ)きと言う。

 《《富田流》》の《《それ》》は左鉤突きから始まる──!


 そのまま潤島の流れるような攻撃が始まる。

 鉤突き──肘打ち──両手突き──手刀──貫手……


 潤島の連撃に、北村は為す術もなく攻撃を受け続けた。防ぐこともできなければ、逃げることもできない。《《それ》》はそういう技なのである。


 まずい!? このままでは、この攻撃を止める術はない! このまま────


 “煉獄の炎に身を焼かれる”────


「うおおおお! (トラップ)カードオープン! 『落とし穴』!」


 ガコンッ──、不意に潤島の足が何かの段差に(つまづ)いた。よく見ると、部屋の中央の畳と畳の間に足が(はま)る程の隙間があった。そこに足を取られて、煉獄が途中でキャンセルされる。


 ふふっ……こんなこともあろうかと、アパートに落とし穴(畳の隙間)を作っておいて良かったぜ。まあ……、後で大家さんに怒られるがな。


 すかさず北村は反撃の態勢に入る。大技前の攻撃のモーションをする。


「小さく前へならえ──」


 北村!? こいつ……活人拳の使い手だったか! あっ……


「無拍子……ん?」

 

 攻撃をしようとした北村の攻撃が止まる。なぜ攻撃を止めたのかと言うと、潤島が北村のいる方向とは明後日の方向を見ていたからだ。


 この真剣勝負の最中、潤島……何を見ている?


 潤島の視線は、部屋の隅に注視されていた。これから大技を食らうというのに、潤島は北村の方を一切見ず、部屋の隅に目を向け、その瞳は、信じられない物を見た時のように大きく見開かれていた。


 潤島……何に気づいたというのだ!? 今時点で、俺の無拍子の攻撃よりも……他に重要なものがあるというのか!?


 釣られて、北村も部屋の隅を注視する。しかし、何も異常は無い。


 北村の頭は混乱していた。一体何が起きたというのだろうか? 潤島は何に驚いていたというのか!?


 視線を潤島に戻すと、そこに《《潤島の姿は無かった》》。いや……正確には、しゃがみ込み、北村の視界から外れていたのだ。


 北村は、潤島の視線誘導により騙されたのだ。


 そう……この技は、『よそ見』だった。


「カエルパンチ!」


 潤島は完全に北村の虚を突いた。両の腕で北村の顎めがけてパンチを繰り出そうとした。しかし、その時─────潤島の視界が歪んだ。


 ぐにゃああああ。


 く、臭い!? 何だ、この匂い……毒……!? こいつ毒を仕込んだのか!? 身体の自由が効かない! 毒……毒ガスか……?


 突如を襲ってきた毒ガス(?)に、苦悶の表情を見せる潤島を見ながら、北村はニヤリと笑いながら呟いた────その“毒”の正体を──


「“(しかばね)だ”」


 毒の名前は“屍”と言うらしい。しかし、すぐに潤島は毒の正体に気がついた。


 屍……違う……これは……この毒は、こいつの“屁”だ。そして、臭すぎて身動きが取れねえ……。こんな戦い方ありかよ……すかしっ屁だから、すげえ臭せぇ!


「『癖なんだよね、音消して屁をこくの』」


「卑怯者……」


「“卑怯”ってのは、弱者が最後に吐く言葉だぜ、潤島よ」


 北村の(どくガス)によって完全に身動きを封じたところで、北村の右ストレートが、潤島の鳩尾に突き刺さった。

 その拳は黒い光を放ちながら潤島の腹に放たれ、打撃と北村の呪力の影響により、0.00001秒時空が歪んだ結果、生まれた攻撃となった。


────その名を『黒閃(こくせん)』と言う。


 ドゴォ!!!! 潤島の鳩尾に黒閃が深く突き刺さる音が響く。これが勝負の決め手となった。

 

 その瞬間、北村と潤島の戦いは終わった。そして、薄れゆく意識の中、心の中で潤島婚は北村右冠を称えていた。


 北村右冠……俺の負けだぜ。まぁ……初めて会った時から、……漫画愛ではお前に敵わないと思っていたよ。……お前は強い。やはり、わたしの第一印象は間違っていなかった……が……ま……

 

 潤島は気絶し、北村はこの戦いに勝利した。倒れている潤島を見下ろしながら、北村は勝利宣言をした。かっこつけながら。


「You still have lots more to work on,Urushima(まだまだだね、潤島).」


 酔いが回ってきたからか、勝利に安堵して力が抜けたのか、少しフラフラとした足取りになる。


「うん、僕ちょっと強いかも」


 勝利の余韻に浸ってた時、玄関のチャイムが鳴り響いた。

 実は時間は午前8時。誰かが訪れるには、まだ早い時間だ。


「ったく、誰だよ。こんな朝早くから……勝利の余韻に水差すなよな」


 そう呟きながら玄関のドアを開けた。するとそこには二人の警官が立っていた。


「警察です。通報があって来ました。近隣の方から、男二人が揉めてる声がするって連絡だったんですけど……」


 警察が部屋に踏み込み、すぐさま気絶している潤島が発見された。この瞬間、北村はもう言い逃れができない状況になっていた。

 傍から見れば、北村が潤島を襲って気絶させたようにしか見えない。恐らく、警察は大きな勘違いをしていることだろう。


「お兄さん、とりあえず、署まで行こっか」


「ち、違うんだ! 僕は罪を犯してない! 信じてくれよ! 『『僕は悪くない』』!」


 北村の叫びも虚しく、警察に連行され、気絶している潤島の方は病院に搬送された。


 後日、復活した潤島の証言で、北村の罪は晴れ、釈放される。


 *

数日後


「一時はどうなるかと思ったぜ」


「本当だよ、お前、前科がつく所だったな」


 北村と潤島は、別の休日に、また北村のアパートに集まり、あの日の続きをするかのように、二人でそれぞれ別の漫画を読みながら過ごしていた。


「案外、牢屋の中って綺麗なんだな。結構快適に過ごせたぜ」


「そうなの?」


「うん。本当本当」


 二人はまるで何事もなかったかのように平穏な休日を過ごしていた。北村に至っては、今では投獄されたことを持ちエピソードにするほど余裕があった。


ピンポーン


 他愛のない雑談をしていると、北村の部屋のチャイムが鳴った。


「おい、また警察が来たんじゃねーか?」


「んなわけねーだろ!」


潤島が茶化すように言うと、北村も冗談だろと言ったように返答する。


「まあ、見て来るわ。NHKの集金か何かだろ」


 ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン


 チャイムは鳴り止まなかった。玄関に向かううちに、先程の余裕とは裏腹に、なんだか胸騒ぎがしていた。今、扉の前にいるのは誰なんだろうか。


 ──北村くん、開けちゃダメだ──


 北村の中の何かが警報を鳴らしている。北村はその場で動けなくなった。

 しかし、そんな北村の緊張などお構い無しに、外側から鍵で扉を開けられ、チャイムを鳴らしていた人物は、北村の許可無しに入ってきた。


「何だいるじゃねーか、北村」


 そこには、北村より少し背が高いプロレスラーのようにガタイのいい女性が立っていた。金髪で美しい顔立ちながらも筋骨隆々な肉体を持つその女性は、このアパートの大家である月島(つきしま) (そう)だった。大家であるため、当然この部屋の鍵も持っている。


「お久しぶりです……月島さん……すみません、ちょっとトイレ行ってて」


「ん? あんた、嘘つきだね? だって、チャイム鳴らしてすぐに、こっちに向かう足音が聞こえてたぜ?」


「す、すみません」


「?……まあ、そんなことはいい。それよりお前、警察の厄介になってたそうだな? あたしが警察に行って、早く出してもらえるように交渉したから、予定より早く出られたんだぜ? 感謝しな」


 とんだ新事実を聞かされる。今まで潤島のおかげで早く釈放されたと思ってたが、どうやら違ったらしい。

 早く釈放されたのは全て『月島さんのおかげだったのだ』。


「あ、ありがとうございます。月島さん」


「ああ、礼には及ばねぇよ。それより、北村──これは何だ?」


 月島は、北村の脇をすり抜け家に上がり、畳の所にある『落とし穴』もとい『北村が作った段差』を指差す。


「あたしが知る限り、こんな傷は無かったはずだ。お前がしょっぴかれた後、念のため、この部屋に入って電気とかガスとかが点けっぱなしじゃないか調べてたら、見つけたんだよな。この傷」


ざわ……ざわ……


「これ何?」


 北村は答えない。正直に答えたら、今際の際に送られてしまうからだ。この時のこの問いに対する正解は“沈黙”だった。

 北村はちらっと潤島の方を見ると目が合った。北村は口パクで合図を送る。


(この傷については黙っててくれ)


(確かに、ここは大家さんに帰ってもらっまた方が、ゆっくり過ごせそうだな。お前が作った傷だとバレたら長引きそうだしな────)


(そうだろ? だから協力してくれ)


「──だが断る」


「えっ」


「大家さん、それは北村が作った傷らしいっすよ」


 やり取りを聞いていた潤島が飄々と答えた。勝負に負けた腹いせなのか、北村は潤島に裏切られたのである。ニヤニヤしながら、再び潤島は読んでいた漫画に視線を戻した。


「潤島……何で……!?」


「好きなんだ……“|人が絶望した顔を見るのが《そういうの》”」


「そんな……そん……」


 そして、二人のやり取りを聞き、月島の表情はすぐさま怒りの表情に変わる。そのまま北村は、月島に頭を鷲掴みにされ、その手の五本の指で思い切り頭を……頭蓋骨を……脳を……締め上げられた。


「何でこんなことした?」


 ギリギリ……ギリギリ……

 頭を強く締め上げられる。その痛みのせいか、月島の問いかけに対して、北村の思いとは裏腹に、本当のことを喋ってしまう。


「い……いてぇ……あっ……あっ……これは、友達を……驚かせようと思って……あっ……あっ……カッターで……切りつけて……段差作っ……あっ……あっ……落とし穴を作るには……あっ……あっ……最も簡単で……あっ……あっ……一般的な方法……あっ……あっ……」


 それだけ喋らさせられると、月島は北村の頭を離し、その身体を畳の上へ落とした。

 北村は洗いざらい犯行の自白をしてしまった。


「なるほど。お前がバカだということはよく分かった。じゃあ、北村……言い残すことはあるか?」


 もう大家の怒りは止められない。深く握り込まれた両腕の拳は、この後北村に降り注ぐのだろう。それを見た北村は最後の命乞いをする。


「いやだ……いやだああああああ! やぁだああああ! やめてえええええ!」


 そんな命乞いでは決して攻撃を止めない。その時の大家月島の表情──それはさながら悪魔の形相のようだった。


 9月21日 午前11時09分 某県某市の市街地内アパートにて12秒間 大家の悪魔出現。

 以下、大家の悪魔挙動記録。


 北村右冠の全身に殴打を浴びせる。


 以下、重傷者。


 北村右冠(1名)










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